宵どれ月衛の事件帖

Jem

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第13章

ふくごの郷13密談

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 東京は銀座のカフェー。入店してきた銀螺が、視線を巡らせて店内を探す。やがて、目的の人物を見つけると大股で近づいた。

 「よゥ、小松。商売は順調か?」

 テーブルに原稿用紙を散らして、タコのようにすぼめた上唇に鉛筆を挟み熟考中、といった風情の青年が顔を上げる。

 「あ!頭領…じゃなくて、銀螺さん!」

 「おゥ!」

 嬉しそうな笑顔を浮かべて、銀螺が返事した。銀螺と大して歳も違わない小松は、分家ながら銀螺と共に厳しい忍修行を乗り越えてきた、竹馬の友である。
 十七の歳に父親が亡くなって頭領を受け継いだ銀螺は、さっさと解散を宣言した。ほとんど父親の意地のようなもので忍として育てられはしたが、もはや現代の世に忍の出る幕なぞなかった。各藩の諸侯がしのぎを削って情報戦を繰り広げていたのも徳川の世まで。文明開化以降は、一国の主達はその統治権を奪われて華族に叙せられ、帝政の下、仲良くお茶を飲んでいる。いざこざがあっても、動くのは全国に配置された警察の仕事だ。忍など、その殺人術を生かして裏社会の住人となるか、その教養を生かして寺子屋のような私塾でも開くか、といったところ。現代にはもっと正々堂々とお天道様の下を歩ける商売がいくらでもある。
 銀螺は学校に行きたい者は学費に、商売を始めたい者は準備金にと言い置いて、手下の者達に家産を分け与えた。自分は、忍として養われた勘と情報分析力を生かして株式を幾分か買い込み、後は、若い自分が使い道を誤ることもあるかもしれないから、と長年、先代の側近を務めてきた左近に預けてある。左近は、律儀に毎月、銀行の利息や運用について報告してくるが、銀螺としては、左近の方針であれば銀行に眠らせておくも良し、運用しても良し。けして、為にならないことはしないと、信を置いている。

 「こないだの念力泥棒の記事、最高だったぜ。随分、笑かしてもらった」

 小松は、中学を出た後、忍の情報収集技術を生かして、記事を書いては新聞社に売り込むのを生業としている。といっても、銀螺が幼い頃から、ちょくちょくホラを吹いてからかってきた男である。売り込むネタも、役人の汚職をすっぱ抜くお堅いものから怪しげな超能力や怪奇事件まで、実に幅広い。幅広すぎて、どこまでが真実でどこからがホラなのか分からない。本人も、世の事件なぞ解釈次第だ、俺は最高に面白い解釈を売ってやると澄ましかえっている。

 「あはは、あれねェ。ネタを見込んで取材を始めたはいいが、なかなか良い写真が撮れなくてね。腹下してるって逃げ回って、最後はもう、編集社の便所に閉じ込められて書き上げたんですよ」

 …つまり、後半は小松の創作である。

 「ンでな、お前さん、以前、旧慣墨守の阿蒙村、なんて記事書いてたよな」

 銀螺が、遠慮なく小松の向かいに座った。

 「ああ…調べてみたら、ただの貧困集落でしたけどね」

 小松が冷め切った珈琲を啜る。

 「今度は、ホンモノの阿蒙村の記事書いてみねェか?進歩が無いあまりに、この現代で村娘を生き神様に仕立て上げて、その実態や阿片漬け…怪しげな海外取引にまで手を出している」

 小松がニヤッと笑った。

 「旧慣墨守もそこまで極めりゃぁ、一周回って劇的ですね。どこに売り込みたいですか?お堅い新聞社から派手な週刊誌まで…お望み通りに仕上げますよ」

 「おめぇに真実ってモンはないのかね…。まぁ、いいや。世間がヒステリー起こすぐらい劇的に、しかしお堅い御仁にも聞き流されないような筋立てで」

 銀螺が、回ってきた女給に珈琲を頼む。

 「“或る女の哀しき一生”!“人権はどこへ―無知蒙昧という名の怪物”!」

 小松がノリノリで帳面に書き込んでいく。

 「お堅い記事で衝撃的に仕立てるなら、このあたりかねェ。手堅い新聞社に持ち込むなら、それなりに情報量が要りますよ。悲劇の女主人公!若くて美人なら、尚良し。写真、ありますか?」

 月衛の分厚い手紙を小松に渡して、うーん…と銀螺が考え込む。

 「すでに阿片漬けになった女は綺麗なワケねェだろ。麻薬は生気を奪うからな。ボロボロに老け込んでいると思うぜ。今から犠牲にされんとしている娘は十七だというが…村田の妹だからなぁ…」

 良くも悪くも並の器量ではないだろうか。

 「まァ、アレだ。“番茶も出花”ってやつで。光加減や角度によっては可愛らしいかもな」

 至極冷徹に評する。村田が聞いたら怒りのあまり爆発するかもしれないが、竹馬の友に嘘は吐きたくない。小松の方は、さんざっぱら銀螺をからかってきたが、自分の信念というやつである。

 「ふむ…。まぁ、十七ならお年頃、俺の腕にかかってるって訳ですね」

 ほぼ密談成立だ。

 「そんでな、情報収集と推理力には折り紙付のツテなんだがよ。ちっと、記事を流す時期を選ぶんだ。俺が合図するまで、腹の内に留めといてくれねェか。それと、どのくらい情報を使えるかも時期までは決まらねェ」

 「…随分、待ちますか?」

 小松が、手紙を読む目をちらと上げた。

 「いやァ、次の満月までだ。村の夏祭が関ヶ原さ」



 小松に珈琲を譲り、銀螺が次に訪れたのは警視庁。受付嬢に呼び出しを頼むと、銀螺を長椅子に座らせて、てくてくと階段室に消えた。しばらくして、髪をきっちりポマードで固めた男を伴って降りてきた。

 「よっ、氷雨。予定通りに出世してっか?」

 野心の強い男で、家の序列に縛られた忍稼業を殊更に嫌っていた。銀螺が使い道のある奴には家産を分け与えると宣言したときも、いの一番に名乗り出たものである。

 「いやァ…帝大卒の坊ちゃん方ばかりが取り立てられてね…。現場の捜査官から這い上がろうなんて奴は、ウッカリすると汚れ仕事ばかり押し付けられる」

 銀螺の向かいの長椅子に腰掛け、眉間に皺を寄せて愚痴った。

 「まァ、官庁ってなァ、そーゆートコだよな」

 出世すれば官憲として強大な力を振るえるが、それには一にも二にも学歴がモノを言う。かといって、壮年にさしかかる氷雨には、のんびり大学まで進学しているヒマなどない。時間は誰にでも有限だ。刻一刻と若さを失い、それと引き換えにそれぞれの駒を進めてゆく。それを思えば、忍の世界の外だって、そうそう平等にはできていないようだ、と高等学校高等科に6年も居座って学んだ銀螺が相槌を打つ。

 「そんなお前さんに、今日は良いネタ持ってきたぜ。上手く使やァ大手柄だ」

 銀螺はニマッと笑って、月衛の手紙の写しを振って見せた。
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