上 下
14 / 44
第三章

艦長会議

しおりを挟む


「レメルダル川です」

 フランソルが、むすっとした顔のマリアに代わって説明した。

 凪に入ったため、旗艦『神風』の司令官室に各艦の艦長たち、そして巡洋船の船長、そしてそれぞれの副官がマリアの命令によって集められていた。

 フランソルは航海図のある一点を、長い人差し指で示した。

「赤槍島の中心部のレメルダル川。この川は島の中央にあるエボス湖に続いています」

 リッツが肩をすくめた。

「そんなことは、海図を頭に叩き込まれている俺たちだって知ってる。そんなことよりどうやって、海賊船の背後に回りこんだか教えてくれ」
「総帆にしていい風を捕まえたくらいでは、距離的に俺たちは追い抜けない。蒸気機関を作動させたんだ。そうだろ? 貴重な黒石をさんざん燃やしてフル稼働させ、速力を上げたんだ」

 アルフォンソの口調も咎めているようだった。

 ルチニアの海域にも入ってないのに、燃料を無駄に使われてはたまらない。この先、凪状態になる場合が何度もあるだろう。ミケーレはそういう海域だ。

 黒石はそんな時のための、臨時の動力だった。黒石を補給できる港も珍しければ、そもそもがルチニアの近海に、同盟寄港地はもう無いのだ。

 ルチニア王国の領土となっている小島のどれか一つに着くまで、あるのは入港を拒否される恐れのある敵対している小国家か、港さえも無いまるっきり野蛮な種族の住む島々。

 フランソルはマリアが腕を組んで、窓際にもたれたまま何も言わないので、仕方なくまた続けた。

「確かに、動力は使いました」
「おいおい」

 アルフォンソは眉毛を吊り上げた。フランソルは彼の文句を遮る。

「動力を極限まで動かしたことは練習船でもないでしょう? 過負荷で熱交換装置が破裂する危険性があると、設計者アターソンの仕様書に書いてありますからね。事実、外輪船の試験走行で何度か爆発してますし」

 試験段階で蒸気高圧ボイラの事故が続いた。設計者もそれで大ケガをし、一線を退いたという。動力での航行はまだ手探りだった。

「安全な範囲での機関作動条件下では、速力はせいぜい十三ノット……戦列艦と同程度です」

 アルフォンソは、狐につままれたかのような顔をして黙った。

「じゃあなんで? 空でも飛んだのかよ? 瞬間移動とか?」

 カイトが頭をかきむしりながら呻く。

 フランソルは不機嫌そうに、航海図を示した。

「我々の知ってる海図は、古かったようですよ」

 そう言って、羽ペンにインクを付ける。そして赤槍島のエボス湖から南に、スッと線を引く。

「何だそれ?」

 カイトが覗き込んで困惑する。

「運河です」

 フランソルの言葉に、数人を除き、その場にいた全員が目をむいた。

 アルフォンソが苦い顔をして反論する。

「そんな話は耳にしたこともないぞ。確かにその辺りの都市国家は土木作業に優れている。しかしエボス湖から海に向かって掘削していただなんて、風の噂にさえ聞いたことが無い」
「聞いてないのは当たり前だ」

 ついにマリアが口を開いた。

「開通したのはつい最近のことなのだからな。そしてまだ拡張中。完成はしていない」
「最近と言っても、こんな大規模な土木作業、着工したのは何年前なんだよ? その間、一度も開削の情報が流れてこないなんて……」

 リッツがみんなの疑問を代表して言った。

 軍では、情報部が常に最新の地図や海図を用意し、実戦部隊に提供するはずなのだ。あちこちに工作員を派遣している。

 マリアは部下たちに背中を向けると、窓から海を見つめた。

「陛下が極秘に進めさせていたプロジェクトだ。そもそも議会に通してない」

 どこまでも落ち着いた声。

「赤槍島の都市国家セーシェルと取引きして、貿易航路を確保することになっていた。財務省を通さず、戦時特例法で国庫を開かせたそうだ」

 フランソルは

「戦時?」

 と、鼻で笑ってから、その背中に語りかける。

「セーシェルが農業用水路のために、労働力を必要としていた話は耳にしました。帝国が、揚水ポンプを貸し出していたのは知っています。私が聞いたのは水力の古いやつですが。もしかしてあれが、運河開削の事業に使われていたんですか? まさか蒸気動力の灌漑設備まで貸し出してないですよね?」

 マリアは首を振る。分からない、という意味だろうか。

「さしずめ、工事費用を出す代わりに、アリビア国籍の船は通行税を払わなくてすむとか? そんな取り決めでもしたのでしょう。島を回り込まなくてすむなら、先程のように海賊に襲われる機会も減りますからね」

 そして軽く息をつく。

「あの幅の運河では、大型の帆船では入れない。最初から蒸気機関を搭載した大型船を想定して作られています。この軍艦が通れたくらいですからね」

 フランソルは、自分の声の温度がどんどん下がってくるのを自覚した。

「軍に――下院に何の相談もなく。灌漑機械だけならまだしも、動力船の情報を他国に流していたんですね。――今回の遠征が各国の主要港に新船をお披露目する、最初の機会でなければならない。……外輪船さえ門外不出の情報ですよ? それを独断でーー」
「議会の承認を仰がなかった理由は想像できるが、その争いに私は興味がない」

 落ち着いた、と言うより無感情とさえいえる声。

 カイトがよく言うよ、と吐き捨てたが、マリアは気にしなかった。

 フランソルは顎に手をあてて、さらに考え込むように続けた。

「ふん。おそらく国の保護貿易下にある、国営勅許会社だけが使えるということでしょうね。情報を水軍に回さないというなら、我々を交易航路の護衛艦として、使う気がないのでしょうか?」

 マリアは首を振った。今度も分からない、だろうか。しかし、あくまでもそっけない口調で言葉を付け足した。

「さあ? 武装商船なら、それ自体が軍隊のようなもの。もし動力が積み荷や砲の邪魔にならないくらい小型化できれば、商船にも搭載するだろう。定期客船が使うのかも。動力機関は、軍艦だけのための開発ではない。……我々はーー水軍はーー戦時以外、必要なくなるのかもしれないな」

 フランソルは舌打ちし、ゆっくりとマリアに近づいた。

 まるきり人ごとのような口ぶりだ。

 水軍省と皇帝の対立などどうでもよさげなマリアには、心底腹が立つ。

 ……間諜のくせに。

 手柄を独り占めし、あくまでも軍を手足としようとする、皇帝の使い走り。

「運河を通れば、ルチニアよりさらに南西にあるアカリア大陸が近くなる。かの大陸の奴隷も手に入れやすい」

 フランソルは固い口調で言った。ルチニアを補給地に、鉱物発掘や奴隷貿易で一儲けできそうだ。

「あなたは、我々が出発するよりもずっと前に、セーシェルの首相と話をつけ、近海の海賊討伐という大義名分のもと、あっさり通過許可をもらっていた。そう言えばあそこも小さな都市国家とは言え、建国者の一族が国を治めている。貴女と気が合いそうだ。――まだ工事中だったところもあったし、彼らはさぞ焦ったでしょうね」

 冷ややかに司令官を凝視する。

「いったいいかほどの大金をばら撒いたことやら。国庫はあなた方の物ではないですよ」
「艦隊の通行料に関しては、全て私の……ヴェルヘルム家の個人資産だ。治安警備艦隊が今回使用することを、父……公爵も存じ上げていない。私が独断で交渉した」

 極秘の情報を持っていながら父親は関係ない? フランソルは鼻で笑った。養父・ ・はそうだろうが……。

 この女は自己の復権をめざしているのか? 母親の犯した罪を帳消しにすべく。

「一言、我々四艦長に伝えておくべきではありませんでしたか?」

 正常のルートからそれたのは、彼女の方なのだ。

「風向きによっては、通常の航路をとって東に迂回したほうが、早い場合もある」

 マリアは静かにフランソルに言い返した。

「最善の航路は初めから決まっているわけではない。状況を見ながら進むのが古からの船乗りのあり方だろ?」
「しかし運河の開削が進んでいることくらい教えてくれたって……」

 カイトが唇を尖らせて不満を漏らす。さすがに今は酔ってないようだ。

 マリアはカイトには一瞥もくれず、逆に窓の外を見ながら告げた。

「公的な情報では無いのでな。掘削が遅れていた場合、最悪通過出来なかったかもしれない。だから出航前の作戦会議では言えなかった。昨夜の艦長会議で一言、ルート変更の可能性については触れておこうと思ったが……」

 言外に、昨夜のことを非難しているのだ。

 四艦長が苦い顔をしてお互いの顔を見合わせた。

 やがて、『北風』の艦長がマリアに許可を求めた。

「副官を下がらせてもよろしいか?」

 アルフォンソの眼光は、底光りを放っている。

 マリアははっとして振り返ると、緊張して身体を強張らせた。副司令官の目は憎悪に染まっていたのだ。

 他の艦の副官や補助艦艇の船長たちが退出するなか、レオナールだけが戸惑ったようにその場に残ろうとした。

 フランソルがそんな大尉を一瞥する。

「佐官クラスの話し合いだ。リッケンベルヘ大尉、下がっていたまえ」

 マリアが深い息をついて、レオナールに頷いてみせた。

しおりを挟む

処理中です...