インペリアル・トワイライト

望月来夢

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 この地球には、三つの世界が存在する。天空に広がる<天界>。地上で栄える<人間界>。遥か地底の奥深く、広大な洞窟に存在する<魔界>。
 それぞれの世界には、それぞれの住人がいる。清く正しい心と、聖なる力を持つ”天使”。非常に中立的であり、不安定な存在である”人間”。そして、悪を好み闇に生きる、魔の力を持つ者”悪魔”。
 彼らは互いに、他の世界に関わらぬよう留意して生きていた。世界の禁忌を侵せば、代償として、この星自体の滅亡が訪れる。
 だから彼らは取り締まる。不干渉の禁忌を犯す者、世界の平和を乱す者、自らの生まれた世界を脱け出す者を。そして、罪人には適切な罰を、与えるのだ。
  *  *  *
 とある国のとある街、とある繁華街の一角で。
 ”彼ら”は生きていた。他の人間たちに気取られることなく、息を潜めてひっそりと。決して交わることなく、深く関わり合うことのないように。
 夜通し賑わった繁華街は、朝日が昇ると共に寝静まり、ただの寂れた裏通りへと変貌していた。酔っ払いが捨てたゴミの散らかる路地に漂うのは、キャバレーの女たちの甘ったるい香水の残り香と、飲食店の廃棄した生ゴミの悪臭ばかり。近くのコンビニエンスストアから、外国人留学生らしきアルバイトが出てきて、外に転がったどこかのスナックの看板を片付け始める。繋がったままだった電源ケーブルを引き抜くと、深夜の狂騒の生き証人のようだった紫色のネオンが、バツンと嫌な音を立てて沈黙した。アルバイトの青年は、これで何回目だと憤懣に満ちた声で、悪態を呟きながら、再び店へと入っていく。街には、もう誰の影もない。
 静寂を破り、一人の男が現れた。まだ若そうな男だ。成人して間もないくらいだろうか。閉店した風俗店の裏口から出てきた彼は、吸い始めたばかりのタバコを格好つけて咥え、腰履きにしたズボンのポケットに手を突っ込む。付けて間もない耳のピアスに何気なく触れると、染色で傷んだ髪がタトゥーの刻まれた肌を掠めた。
「あぁ、クッソ……」
 忘れていた痒みがぶり返し、皮膚を掻きむしりたくなるのを舌打ちで誤魔化す。はずみで、咥えていたタバコを地面に落としてしまい、苛立ちが沸き立つ。けれど、そんなこと些末なことだ。
 あの男に出会ってから半年。ようやく、彼の元で新たなビジネスなるものを始めることに成功した。生まれてからこの方、地獄みたいな経験しかしてこなかったけれど、これからは違う。この世界で、超ビッグな大物になって自分を見下していた連中を見返すのだ。
「ヘヘッ、ひっひ……」
 想像するだけで、歪な笑みがこぼれる。まだ薬が抜けきっていないのかも知れない。一緒にやった風俗嬢は、白目を剥いて失神し、汚い汁を垂れ流していた。まぁ、そのおかげで厚化粧の下の肉のたるみや肌の皺などを見つけることが出来たけれど。あんな落ち目のババアと遊ばせる店なんて、胸糞の悪い店だった。あの人に言って、早々に潰してもらうとしよう。
「ったく、馬鹿にしやがって……」
 意味もなく呻きながら、近くのコンビニの外にあるゴミ箱を蹴り上げる。誰かが捨てた大量のティッシュが散らかって、余計嫌な気分になった。
「や、ヤメテください……っ!!」
 止めようと店から出てきた、若い男の店員を睨みで黙らせる。やはりいい気分だ。この街の人間たちは、皆自分を見るだけで怯み、離れていく。こうでなくてはならないのだ。恐れられなければ意味がない。何故なら自分は、悪魔なのだから。
(やっと俺は、この街で自由に生きていける……!)
 喜びと共に確信が、腹の底から湧き上がってくる。これからは自由だ。何でも出来る。成功し、金を手に入れて、欲しかったものを皆、勝ち取るのだ。
「そ~んな上手くいくかねぇ、人生って」
 物陰から、突如声が響いた。青年の愉快な気持ちに水を差すように、一人の男が現れる。古びたビルの影にでも隠れていたのか、まるで気が付かなかった。
「あ?んだよ、オッさ……ッ!」
 驚きを押し殺しつつも青年は、口を挟んできた男の姿を一目見ようと振り返る。そして、相手の様子を見るなり、大袈裟に息を飲んだ。
 年齢は、青年の父親くらい。酒に溺れ、家族を捨てるような歳だ。
 襟が赤い漆黒の軍服は、派手なデザインだが男の身体にしっくりと馴染むようにフィットしている。胸元に光るのは、金の略綬。きっちりと締めた太めのネクタイの、目を見張るような赤が視線を引き寄せる。大きな瞳は目頭より目尻の方が低い、いわゆる垂れ目。厚めの唇が不満げに尖る様子は、幼さとあどけなさを意図して演出しているように見えて、滑稽だ。背はあまり高くなく健康的な体格をしているが、服の厚みも相まって、やや恰幅が良い印象を受ける。だがしかし、小太り、と形容するには至らないだろう。
 これだけ見れば、少し奇妙な格好をした、ただの男だ。何より異常で人目を引く、ある一点を除いては。
 男の頭には、角が生えていた。まるで偶鍗目の動物の頭部にあるそれと同じ、カルシウムの塊だ。それが両耳の真上から、額の中央へとやや内巻きながら伸びている。手入れが行き届いているのか、表皮は艶々と濡れたように光り、薄めの角輪の形がくっきりと見えた。細く鋭く尖った先端は、皮膚を貫く直前で止まっていて、生命の神秘を感じさせる。そこだけ切り取れば、剥製のコレクターなどが渇望しそうな美しい様相だ。だが、この角を持つのは、鹿でもバッファローでもない。人だ。正確には、人と同じ外見をした生物。
 おかしな光景に、青年は目を疑う。言いようのない恐怖や、不快感か何かが腹の底から這い上がってきた。一刻も早くこの場から立ち去ろうと、踵を返した時。
「おっと、逃げようったってそうはいかないね」
 そそくさと逃げ出そうとした彼の肩を、後ろから誰かが掴んだ。後退した分を押し戻すように、強い力で突き放す。
 たたらを踏みつつ振り向くと、そこにはまた別の男が立っていた。
 フレームのない細い眼鏡の奥で光る、理知的な瞳孔。まるで狐のような、狡猾な印象だ。アジアンテイストの顔立ちを彩るきつめの吊り目は、彼の内面を巧妙に表している。青いスーツをぴしりと着こなす姿は実にスマートで、まるでどこかのエリート官僚のようだ。唯一欠点があるとすれば、胸元で激しく主張する、サイケデリックで奇抜な柄のネクタイだろうか。何とも説明し難い、奇怪な模様をしている。だが、それすらも、彼という男に印象的な個性を与えているように思われた。
 彼もまた、鹿科の動物のような、角を有していた。短く整えた明るい茶髪を突き破るようにして、後頭部から斜め後方へ向かって、細い角が長く伸びている。わずかに左右に開くようにして伸びるそれは、およそ20センチ近い長さだ。軍服の男の角よりは細いものの、先端はより凶暴に鋭く尖り、暗いオレンジ色の表皮には角輪は見られないものの、まるで幾つものクレーターが出来ているかのようにでこぼこしている。
「ちょっと話、聞かせてくれる……?」
 先程の男より、かなりやばそうだ。青年の本能が、直感する。この世界に仲間と来てから、色々な危ない場面に出くわしてきたからこそ、働いた勘だった。
「離せっ!」
「あっ、おい!」
 慌てて男の手を振り払い、少し先の裏路地へと逃げ込もうとする。背後から、二人の男の声が追ってくることなど気にも留めなかった。若者の体力なら、あんなオヤジに負けるはずがない。一目散に駆けた彼は、あっという間に辿り着いた細い道に、身軽な体をねじ込もうとする。そして、まるで何かに弾かれたように、勢いよく後退し背中から転んだ。
「はーい、つっかまえたー」
 子供っぽい声を出して、一人の女が路地から飛び出してくる。まだ10代後半かと思うような、うら若い美少女だった。肩の辺りで切り揃えた金髪に、幼稚園児のようなハーフツインテール。目鼻立ちのくっきりした顔立ちは派手な化粧で飾られ、すらりとした細い肢体も、個性的で派手な服に包まれている。謎の英文が記された、オーバーサイズ気味のTシャツに、バルーン袖になった赤い半袖パーカー。ダメージ入りのホットパンツから覗く細い足は、10センチ以上あるピンヒールを危なげなく履きこなしていて、モデルのようだ。だが、そんなことを考えている場合ではなかった。
「うっ!?」
 青年の頭に強い衝撃が走る。転倒したはずみで、アスファルトに後頭部をぶつけたのだ。目の前で星が散る感覚。抗う暇もないまま、彼の意識はぷっつりと途切れた。
「貸し一つね、エンちゃん!」
 仰向けに倒れ白目を剥いて気絶する彼を見下ろして、金髪の女が得意そうに親指を立てた。女性から放たれたとは思えない力に跳ね飛ばされ、動かなくなった彼の頬を、彼女は爪先でつつき、遊んでいる。それを、眼鏡の男が止めた。
「何で俺だよ……ってか、やめろ。遊ぶな」
 慣れた調子で嗜める彼は、随分と彼女の奇行に慣れているようだった。エンちゃん、と愛称で呼ばれたことに対しても、半ば諦めの気持ちで許容する姿勢を見せている。
「私が払うよ。パフェでも奢ってあげようじゃないか」
「やったー、いいのトワさん!?」
「少しは遠慮しろよ、レディ。あと、ちゃんと名前で呼べ」
 黒い軍服の男が苦笑しながら彼女に告げれば、レディと呼ばれた少女は目を輝かせて彼に駆け寄る。遠慮も配慮もない態度の彼女を軽く小突いた眼鏡は、ふと足元に目を落とすと、転がったままだった青年の体を、軽々と担ぎ上げる。まるで成人男性一人分の荷物を持っているとは思えない、適当な素振りだ。
「とにかく、情報源は確保した。急いで、彼女と合流しよう。残業はしたくないだろう?」
 トワさん、と呼ばれた方が二人をまとめ、促す。彼らはその声にあっさりと従うと、”仕事”へと速やかに戻っていった。その様はまるで、黒い絵の具が、白い世界に滲んでいくように。
  *  *  *
 次に青年が目を覚ました時、視界に入ったのは、どこにでもあるようなファミリーレストランの店内だった。先程の繁華街から数ブロック行った先、高速道路と地下鉄の駅の真前にある、小さな店だ。開店したばかりなのか、テーブルも椅子も新しく、まだ慣れていなさそうなスタッフが必死に料理を運んでいる。
「おぉ、目が覚めたかい?」
 声をかけられて視線を向けると、先程の軍服スーツの男が、コーヒー片手にのんびりとくつろいでいた。ディスペンサーマシンから抽出されたばかりなのか、縁に細かい泡がついている。いかにも真っ当な社会人然としたこの男が味わうには、少々安過ぎたらしい。粉末を溶かしただけのような薄く美味くない味に、若干眉根を寄せている。とりあえず、すぐにこちらに危害を加えるつもりはなさそうだ。ないということだろうか。
 青年は安堵して、ぐるりと辺りを見回す。先程自分を気絶させ捕らえた連中が、6人掛けのボックス席に、勢揃いしていた。青年は壁側の真ん中の席に押し込められ、両隣を眼鏡の彼と金髪少女に固められている。向かいの席に座る軍服の隣には、初めて見るこれまた美人な女性が、おもむろにサンドイッチを頬張っていた。
「アッシュ。ハデスシティ、シェオル区在住の、出自不明のチンピラ。違法薬物”ホーリーエンジェル”売買の仲介組織、あー……何て言ったか?”くそったれホーリーシット”?」
「”天使の屑エンジェル・スクラップ”です、エンヴィスさん」
 眼鏡の男が、鷹揚に足を組みながら問う。心底侮蔑したような毒のある口調と、個人情報を全て知られていることに、アッシュは動揺した。
 だがしかし、ここで感情を表に出せば、認めているのと同じことだ。中学校すらまともに卒業していない彼でも、そのくらいのことは分かった。だから努めて冷静に、表情を変えないよう留意しつつ、状況の観察を試みる。
 エンヴィス、と呼ばれた男に指摘をした、黒髪の女に視線を向ける。随分と、他の3人とは雰囲気の違う人物だった。紫がかった艶やかな黒髪は、腰の辺りまで長く伸び、細い背中に黒い川の如く流れている。髪と同じ色の瞳は大きく、決して目立つ方ではない顔立ちに、可愛らしさと美しさを与えていた。ほっそりしたしなやかな肉体は、淡いブルーのブラウスと、パステルパープルのパンツに覆われ、小ぶりな足は紺色のパンプスを履いている。清潔感と品の良さを漂わせた、大手上場企業のOLのような女性だ。あっちの金髪と比べると随分大人に見えるが、そこまで歳は離れていないだろう。大和撫子、と最近漫画から得た知識が浮かんだ。
「とりあえず、一度説明してあげたらどうですか?多分この人、自分の状況分かってないと思うんですけど」
 パセリの浮いたコーンスープをスプーンで掻き回しながら、彼女が提案する。大きな瞳は、瞬くと中に星が散っているみたいに美しく輝いて、綺麗だ。あんな暴力的な女と、怪しげな男二人のそばにいるような女とは思えなかった。
「流石にもう理解してるんじゃないか?君、アッシュくんだっけ」
 軍服の男がそう言って、青年の顔を覗き込む。彼の言葉に頷くわけにはいかなかったが、確かにアッシュはもう分かっていた。この者たちがどうして自分のもとに現れたか。目的は何なのか。そして、彼らは何者なのか。名前まで把握されているということは、もう言い訳は通用しないだろう。だとしたら、危ないのは自分だけではない。仲間たちへ、一刻も早くこの情報を伝えなければならなかった。
「えー、えぇっと。俺~……あはは。ちょっとトイレに……」
 とはいえ、さほど頭の回転の良くないこの男に、この場から上手く逃走する方法など思いつくはずもない。適当に逃げ出そうとしたところを、エンヴィスに肩を掴まれ、阻止された。
「おっと。行かせると思うか?お前そのまま……上手いこと逃げられると思ってんだろ」
 彼の長い指が、カツンとテーブルを叩く。青年は苛立ちを抑え込みながら、ヘラついた笑みを貼り付けた。
「やだなぁ~、そんなわけないじゃないっすか。でも俺、ほんとに知らないんすよ。そりゃー確かに、ちょっとばかし怪しげなオシゴト?っていうの、やっちゃってたかも知んないんですけど。あいつらとはもう、縁切ったんで。カンケーね」
「関係ない?ハッ、お前、本気で言ってんのかぁ?解毒してやったはずだが、まさかまだラリってんじゃないだろうな」
 誤魔化そうとしたアッシュの言葉を途中で遮って、エンヴィスは鼻で笑う。刺々しい口調で冷酷に責められ、アッシュは怯えた。
「自分の状況くらい分かってんだろ?ここは人間界。お前は、”脱界者”だ」
「!」
 その言葉を聞いた途端、青年はなす術なく、目を見開いて沈黙する。頭の中が真っ白になって、次に放つべき言葉が思い浮かばなくなった。
 喉がカラカラに乾き、ひりつく。慌てて唾を飲み込むと、冷や汗が一筋、薄いシャツの下を流れるのが分かった。
 脱界者。それは、この世の禁忌を侵した者。自らの生まれ落ちた世界を脱け出し、別の世界へと逃げた者を指す言葉だ。そして、今の青年のステータスを一言で表すならば、まず最初に、この言葉が来るだろう。
 他世界への干渉は、この星の滅亡を招く。だから彼らの間には、魔法の力による境界線が作られた。しかし、自分の生まれた世界を脱出し、新たな世界での成功を目指す者は少なくない。彼らは試行錯誤の末、世界を脱け出す術を発見した。その禁忌を犯す者が、”脱界者”だ。
 アッシュもその一人である。
 現代において、脱界は重罪だ。<魔界府>の警察部門は、絶対に犯罪者を野放しはしておかない。確実に、犯人を逮捕し送還することの出来る、優秀な職員を送り込んでくるはずである。
つまり、今目の前にいるこの男たちのような者のことだ。
 だが、人間たちはそれを知らない。自分たちの世界の他に、別の世界が存在することなど、彼らにとってはフィクションの一部だ。
 しかし彼らは存在する。地底の洞窟に広がる<魔界>も、その世界の住人”悪魔”も、そして、彼らの使う神秘的で常識を覆す手段、”魔法”も。
 もはや言い逃れは通じない。自分より上級の悪魔たちに取り囲まれては、逃げることもままならないだろう。圧倒的に不利な状況に、アッシュの心拍が速くなる。けれど、ただ怯えて過ごす生活など、もう嫌だった。
「魔界府の犬が……俺を止められると思うのか?」
「ふむ、それが君の本性か?」
 もはや、取り繕うことも無意味だ。そんな余裕もない。
 感情を表に出して怒りのままに吐き捨てれば、軍服の男が面白そうに笑った。彼の額に輝くその角は、魔界に住む者たちの誇りとプライドの象徴だ。いわば、悪魔としての身分証明。だが、低級悪魔自分には、決して生えることがない。優越の証を見せつける男にイライラしつつ、素早く視線を巡らせて店内の様子を窺う。幸い、今日は人間たちは祝日で、多くの人間が休みを満喫している。客の入りも上々だ。店内は騒がしいが、こちらの声が完全にかき消されることはないだろう。大声で叫び、脅迫などした後で、混乱に乗じて逃げてしまえばいい。こうなったら、周囲の人間を利用するという手段を考えついた。
「だ、」
「ちなみにだが、お前の周り数メートルは、人間たちの世界とは微妙に切り離されてる」
 助けを求めて泣き叫ぼうとしたら、再びエンヴィスの低い声が遮ってきた。彼の言った言葉を上手く理解出来ないでいると、求めてもいない説明が勝手に始められる。
「簡単に言えば、ここだけ別世界みたいなもんだ。地続きなのは床だけで、壁の向こうにゃ声も意識も届きはしねぇ。お前がどれだけ足掻いても、俺たちが何をしても、奴らには一ミリも見えやしない。ないものと同じさ。ただのんびり、ランチしてるように見えるよ」
 そういう魔法をかけた、と何気なく口にする彼。アッシュには一度たりとて使えなかった力を、あっさりと行使する男の存在に、また肝が冷える。物語でのみ語られる力は、物語ほどに夢を見せてはくれない。生まれたその瞬間に、魔法の強さも何もかも決まってしまう悪魔たちの生態は、アッシュのような弱者に、とことん優しくなかった。だから彼は、毎日毎日チンピラのような、仲間たちを悪事を働いて馬鹿騒ぎするだけの生活に逃げざるを得なかったのだ。
 けれどこの男は、違う。生まれついての強者。生まれながらの、勝ち組だ。空間を閉鎖し、切り離すなんて、そんな恐ろしい力でも容易く使いこなすことが出来るのだろう。腹立たしいけれど、無闇に逆らうべきではないと分かった。アッシュが暴れれば、きっと彼は、すぐにアッシュの命を奪えるだろうから。
「ということで、ご自分の状況は理解していただけたかな?」
 恐怖を感じて縮こまるアッシュに、軍服の悪魔が再び問いかけてきた。指をパラパラと合わせて、にこやかな笑みを向ける仕草が、この上なく恐ろしい。形だけこちらの顔色を窺うような調子は、本心が全く見えなくて、不安になる。
「私はトワイライト。こっちの彼は、エンヴィスくんだ。で、君の隣の、レディくんと、私の隣のカーリくん」
 呼ばれた順に、ちらりと目だけをアッシュに投げかける彼ら。トワイライト曰く、これで一つにチームのようだ。性別も年齢も、かなり差があるようだが、仕事をする上ではあまり関係がないのかも知れない。豊かな彼らをまとめる、リーダーさえいれば。それがこの怪しげな男、トワイライトというわけだ。額を彩る漆黒の角が、窓からの日差しを受けててかてかと輝いた。
「私たちは君と……君のお友達たちがやっている”悪事”を止めに来たんだ」
 にっこりと微笑んで、トワイライトは何でもないことのように告げる。しかしそれは、到底聞き流すことの出来ないものだ。当然アッシュは警戒心を含んだ目で、奴を胡乱げに睨む。その視線を受けてか、彼は一層穏やかな笑みを深めて両手を広げてみせた。
「と言っても、まだ君のお仲間には手を出していない。安心してくれたまえ。まずは君に話を聞いてから、彼らへの対処を考えようと思ったんだ。君が素直に協力してくれれば、お友達を傷つけるような真似はしない。約束しよう」
「あ?」
 まるで敵意はないと伝えるような仕草。だが、そんなもの如きでアッシュの心が開くはずはない。メンチを切る、という言葉がまさに相応しいような眼光で射抜けば、トワイライトは少し驚いたように目を見開いた。
「信じられるわけねぇだろ。あんた俺を馬鹿にしてんの?」
「……なるほどねぇ」
 かと思えば、また三日月を再現したような笑顔を貼り付けて、白々しくも善人ぶってくる。先程の表情は、ただ演技で見せただけのようだ。
 奴の心には、彼を観察し、いたぶる隙を見つけようとする卑しさしかない。全身から低俗さが滲み出るようなこんな男のことを、そう簡単に信じるほど、アッシュは馬鹿じゃなかった。
 じっとりと湿気の多い視線を向ければ、トワイライトは焦ったふりをして、テーブルに乗せていた両手を優しく合わせて、手を打つようなジェスチャーを見せる。
「君の言い分も尤もだ。だけど君も、もういい大人だろう?少し考えれば、自分の状況が理解出来るはずだ……ここで、我々を信じない選択肢など、ない、とね」
 長い溜めの後、明確に声色が一段と低くなる。あからさまな脅迫に、アッシュの口角は自然と吊り上がった。
「ハハハッ!あんたやっぱ本物の馬鹿だろ!」
 大声で脅しつけるように、やたらと大口を開けて笑い、大きな破裂音を響かせて手を叩く。彼らにあまり効果がないことは薄々分かっていたが、このまま黙っているのは嫌だった。
「俺がそんな脅しに屈すると思ってんの?」
 それが『大人』なやり方かよ、と二本立てた指を曲げ、揶揄う。鼻で息を吐き、嘲笑を付け加えたら、もう胸を満たすのは爽快感だけ。
 言ってやった。かつてないほど心地いい快感が足の裏から上ってくる。
 輝かしい勝利を祝して、頭の中でファンファーレが鳴り響く。鼻持ちならない、エリートアピールをしまくりの、あのムカつくおっさんどもを言い負かしてやった。その事実だけが、心を充足させる。
 何が魔界府だ。きちんとした学歴と、確かなバックグラウンドのある悪魔とはいえ、自分みたいなチンピラに、最も簡単に論破されているではないか。やはり、自称勝ち組はそんなものか。努力と根性で生きてきた自分のような悪魔に、簡単に足を掬われる。愚かなものだ。
 優越感に塗れ、アッシュは哄笑する。
 生まれつきの魔力差で、悪魔としての強さで、全てが決まってしまう悪魔の社会で、晩年落ちこぼれだった彼。生まれてこの方、一度も成功の日の目を浴びることなく、鬱屈した人生を送ってきた彼が、人生で最大の大逆転を決めた瞬間だった。
(俺はずっと、地獄に生まれながら地獄を見て、毎日毎日クソみたいな辛い思いをしてきたんだ。そんじょそこらの金持ちとは違う。何年も何年も苦労して、耐えて耐えて耐え続けて、今まで必死の思いで生きてきたんだ。やっと、俺の求める成功が近付いてきてんのに、こんなところで邪魔させるかよ)
 こんな連中に負けやしない。何の努力もしてない悪魔たちと、自分とは、何もかもが違うのだ。
 勝ち誇った気持ちでアッシュは堂々とした表情を作る。内心が顔にありありと浮き出ていることを知りながら、彼はそれを抑制しなかった。人生で初めて迎えた栄光の瞬間を、誰かに自慢したかった。そいつが、敵であれば尚更。相手に優越出来る瞬間を、1分1秒だって無駄にはしたくなかったのである。
 だが、得てして人の夢とは、儚いもの。それは悪魔であれ、同じことだ。アッシュの英雄思考は、一瞬にして現れたかと思えばこれまた一瞬にして、打ち砕かれ粉々に飛び去る。トワイライトの、哄笑によって。
「ふはっ……あははは……はっはっは!!」
 彼は、アッシュの目の前のでテーブルに突っ伏し、全身から愉快さをアピールしてみせる。実は彼は、アッシュが腕を組んで勝利を誇っていたその時から、顔を伏せ表情を隠して、精一杯抑えていたのである。腹の底から込み上げる、呼吸を乱れさせるほどの大爆笑を。
「はっ、はははっ、あっはっはっは!!」
「なっ……何だよ!」
 高揚した気分を墜落させられて、怒りというより恐怖が騒ぐ。怯えからつい声を荒げると、トワイライトはそれすら面白そうに、目の淵に溜まった滴を指で拭った。
「いや~、君。そこまで面白いこと言ってくれるとは思わなかったよ。だから、不意をつかれたんだ」
「はぁ……っ!?」
「君は、私が本当に、ただの”協力”を”要請”している立場だと思うのかい……?」
 落ち着いた大人の声が、アッシュを射抜いた。大きな黒目がじっとこちらを見据えている。そこに広がっているのは、目ではない。ただの闇だ。底のない、どこまでも続く、無限の闇。決して光の入らない深淵が、アッシュの瞳の奥深く、脳髄までもを貫くように、こちらを覗き込んできた。
「あ……ぁ……」
 逃げなければ。本能が警鐘を鳴らす。背筋を汗に濡らし、一刻も早くこの場から逃走したいと願った。けれど、実際に体を動かすことは出来ない。関節が、油の切れた機械になったように錆びつき、関節としての機能を果たしてくれないのだ。あまりに強い恐怖は、邪悪な悪魔の精神をも震わせ、逃げ足すら奪う。一生の内で一度も、気付きたくなかった真実に、アッシュの意識は嫌でも貼り付けられた。
「さて、後は頼んだよ、エンヴィスくん」
「承知しました」
 アッシュが怯んだのを確認すると、トワイライトは飽きた、と興醒めしたように呟く。そのまま、サンドイッチの付け合わせだったピクルスを齧り始めた彼に、エンヴィスは実に丁寧に恭しく頭を下げる。直後、打って変わった苛烈な目つきをして、アッシュの視線が落ちていたテーブルの天板を叩いた。
「じゃ、確認したいことが一つある」
 どこから取り出したのか、ホチキス留めされた資料の束が彼の手に握られている。彼はそれをおもむろに、数ページめくり尋問を始めた。
「お前たち”天使の屑”は、魔界首都ハデスで小さな悪事を働く、どこにでもあるような半グレ集団だった。だが、1年前、”ある男”がグループに入ったことで、お前らの生活は一変した」
 語り出されるのは、アッシュが15、6歳の頃から今までの記録。人生の大半を占める出来事だ。頭の中で、当時の状況が、映像のように蘇る。
 魔界の大都市の片隅で、燻っていた彼が親しくなったのは、決して素行の良いとは言えない集団だった。そこには自分と似たような境遇の、似たような悪魔たちが、互いの傷を舐め合うようにして、寄せ集まっていた。世間的には白い目で見られることも多かったが、それでもアッシュにとっては、あのスラム街の一角が、かけがえのない居場所となった。彼らと過ごせる日々は、薄暗かった人生の中でも、スポットライトを浴びていたような時期だった。楽しいことも辛いことも、腹立たしいことも、日常の些細などんなことだって、彼らと共に一緒に乗り越えて暮らしてきた。仲間たちはもはや、家族であり友人であり、運命共同体と呼べるような、大切な存在だった。
「違法薬物”ホーリーエンジェル”の使用、売買……そこらの低級じゃ、体が内側からぶっ壊れて、即座に命を落とすような劇薬だ。お前らはその流通ルートの仲介をすることで、莫大な金を手にし、こうして脱界をするに至った」
 エンヴィスはアッシュの内心など構わずに話を進める。彼にとって、彼は仕事上逮捕すべき悪魔。それ以上でも以下でもないのだろう。だから、きっと興味もない。尤も、興味を抱いたところで、彼のような恵まれた悪魔には、分かりっこない話なのだろうが。
「お前も知ってるだろうが、脱界ってのはそう簡単に出来るもんじゃない。お前たちには想像も出来ないような、大金が必要な行為だ。魔界府の取り締まりも厳しい。お前らみたいに、集団で脱界すれば、当然足は付きやすくなる」
 通常、世界と世界とは、見えない境界によって、完璧に隔てられている。その強固で頑丈な境界に、魔法の力でもって干渉し、術式で隙間を開けて通り抜ける。それが、越境と呼ばれる、命懸けの移動手段である。
 境界を越えるための魔法は、とても複雑で管理が難しい。そのため、技術と財力に自信のある巨大組織、つまり魔界府だけの専売特許だった。人間界、あるいは天界に移動するには、政府からの許可を取り、大金を払って魔法の儀式を依頼しなければならない。そんなものに、金も学もない、前科だらけのアッシュのような悪魔に手が届くわけはなかった。
 だが、だからこそ、厳重に張られた網をくぐり抜けて、非合法な手段で越境を試みる違法組織も現れる。それが、”組織的脱界者”。集団で脱界し、他の世界で荒稼ぎする者もいれば、莫大な金と引き換えに、依頼者を脱界させる組織も存在する。だが多くの場合、彼らが提供する術式は、成功するかどうかも怪しい術式で、当然政府の許可もない。アッシュは彼らのような悪魔たちに依頼して、この世界へと脱けてきたのだ。”あの人”がリーダーとなって、計画を実行した。
「だけど、上手くやったもんだよなぁ。表向きは、お前たちに接点はない。脱界した時期も、依頼した組織も違う。詳しく調べて、存在するかどうかも怪しい半グレ集団なんかに行き着かなければ、たまたま現地で出会って共同生活をしてるだけの謎の集団だ。感心するよ」
 エンヴィスは、おどけた調子で声を上げて、丸めた資料で机をポンと叩いた。白い紙がテーブルの角に当たって、くにょりとかすかに曲がる。”あの人”のやり方を褒められて、アッシュは場違いにも誇らしくなった。
「おかげで俺たちも騙されたよ。本当は俺らじゃなくて、もう一つの部署が来るべき案件だった。これは立派な、組織的脱界だ」
「ちょ、ちょっとエンヴィスさ……!」
 感服した風を装って、ペラペラと話し続けるエンヴィスを、カーリが慌てて諌める。まるで彼が、何か話してはいけないことを口にしたから止めたような戸惑いぶりだ。しかし彼女の制止を、彼は途中で片手を上げて遮った。カーリは驚いた様子で口をつぐみ、上司であるトワイライトを見遣るが、彼も動かないのを悟ると、再び沈黙を貫く姿勢を取った。
「そこまで分かってるんだったら、もう俺に聞く必要なくない?」
 アッシュは恐怖心を鎮め、精一杯平静を装って、半笑いしながら問いかける。ここで素早く尋問など切り上げて、会話を終わらせてしまいたかった。でないと、”あの人”を裏切ることになってしまう。全てを、洗いざらい吐かされてしまう。
 己の責任など棚に上げた、他人本位な願望が彼の精神を満たす。
「ちょっと待てよ。気が早いなー。俺はまだ、確認しかしてないよ。質問はこれからだ。ったく、薬が切れて苛立ってんのか?」
 内心焦って仕方ないアッシュの本心を見抜いたかのように、エンヴィスは揶揄うように喋り続ける。懐から大判サイズのタブレットを取り出し、彼の目の前に突きつけた。さっきの資料といい、スーツの内側に入る大きさとは思えない物体が、次から次へと現れて、アッシュは少々困惑する。
「今回のターゲットは、お前ら”天使の屑”プラス、後からやってきた謎の男X。お前を除いて総勢12名。さ、て、さ、て……質問で~す。この中で、誰がリーダーだ?どいつがXか、教えてもらおうか。半グレ代表、アッシュくんよ」
 画面を大振りな仕草でフリックしていたエンヴィスが、パタム、と音を立ててタブレットを置く。仰向けになった画面には、黒い背景に、監視カメラの映像を切り取ったものらしい写真が、合計12枚表示されていた。顔が鮮明に見えるから、誰がどれかすぐに分かる。彼らそれぞれの顔写真の下には、魔界での住所(住居がある者は)や、使う魔法の特徴、その他前科など特筆すべき点が箇条書きになって記されていた。
 全員大事な、仲間の顔だ。アッシュは彼らを助けたい気持ちに駆られながら、視線を滑らせる。タブレットの角の指を置いて、これを掴み取ってエンヴィスの顔面に投げつければ、咄嗟に逃げられるだろうかと半ば本気で考え始めた時、エンヴィスの催促がくる。
「ほら、早く言えよ。いつまでもこんなところにいたくないだろう?お前はただ、お前らのボスが誰なのか、指でも差して俺に教えてくれればいいだけだ。簡単だろ?ほら、やれよ、さっさと」
 アッシュの煮え切らない態度に苛立っているのか、わずかに早口で、言葉を重ねるように話す。
「お前には何もしないから。お前のトモダチも最低限尊重するよ。だから早くしろ」
 イライラも、交換条件のように提示される甘い言葉も、本心だろうか。それとも、アッシュから早く情報を聞き出すための演技なのだろうか。判断が付かない。
「ほら、はーやーく」
「わっ、分からないよ!」
 三度目の催促を受けて、アッシュはついに負けてしまった。急かされた焦りと、仲間を裏切った罪悪感が胸の内を焼く。
 彼にとっては誠心誠意、自分の知っていることをありのまま告げたつもりだが、エンヴィスには不満だったようだ。
「何?分からないだと?てめぇ……もしかして、まだ薬が抜けてねぇのか?」
 眉間に深く皺を寄せて、エンヴィスが不可解そうに首を傾げる。
「そんなはずは……これ以上ポーション飲ませたら、回復し過ぎて昏睡になっちゃいますよ」
「だよなぁ……じゃあ、本当に知らないのか?」
 カーリまでもが、首を突っ込んできて呟いた。エンヴィスは困惑した様子で、彼女に意見を聞いている。しかし、何だかそれも、彼らのパフォーマンスのように思えた。計算し尽くされた予定調和でもって、アッシュの話を聞き出すための作戦のような。
「アタシに任せて」
 だが、綿密に作り上げられた計画をぶち壊すのは、いつだって予想外の人物。それまで、ただひたすらに、大口を開けてパフェを食べるだけだったレディが、唐突に口を開いた。空になった器の中に、パフェ用の長いスプーンがカランと音を立てて仕舞われたかと思うと、彼女の長い足が、テーブルの上に乗せられる。ヒールに踏みつけられた天板がみしりと軋むのも構わずに、彼女はカトラリーセットの中に手を突っ込み、フォークを一本引き抜いた。そしてその手を、勢いよくアッシュ目がけて突きつけてくる。
「うわっ!」
 顔の横に風を感じたと思ったら、顔のすぐ横にフォークが突き刺さっていた。アッシュの動体視力では、捉えることも出来ない速度。座席の背もたれには穴が開き、中から綿をこぼしている。あと少しずれていたら、眼球を抉り出されていたかも知れない。これまでとは全く違うタイプの恐怖に、アッシュはたちまち竦み上がった。
「ヒッ……!」
「ほーら嘘発見器ー」
「レディ、行儀悪いぞ」
 アッシュに突きつけたフォークを再び手元に戻すと、くるくるとペンのように回し、レディは微笑む。そんな彼女を、エンヴィスが呆れた様子で窘めた。彼女と比べれば、案外この男の方が常識的なように思えてくる。
「だって、エンちゃんのぬるいジンモンじゃ、こいつ絶対吐かないじゃん?だからアタシが手伝ってあげてるのに、エンちゃんがするのは、感謝じゃなくてお説教?そんなのつまんないよ」
 明らかに年上の男に対して、あだ名を使ったかと思えば、反抗期の娘のように不満げに眉を寄せてみせる彼女。あまりにも平然と、つまらないと罵倒されて、エンヴィスは片頬を引き攣らせる。レディは構わず、再びフォークを取り出すと切っ先をアッシュに向けた。
「こーゆー尻の穴に蛆虫詰まってるみたいなクズ野郎はねー。こーするのが一番早いんだから」
「う、うわぁあああ!!」
 にっこりと、こんな状況でなければ見とれてしまいそうな美しい微笑み。それなのに、言葉遣いは最悪だし、何より鋭い凶器を見せつけてくる。付き合うならお淑やかな女の子がいい、だなんて、自分のことを顧みず妄想していたアッシュにとっては、色々な意味で衝撃的な出来事だった。身を守ろうと反射的に、フォークを握る手を掴みかければ、逆に捕らえられテーブルに叩きつけられる。手の甲に、ビリビリとした痛みが走った。皮膚が赤くなっているのが分かる。男であるアッシュの腕をいとも簡単に捩じ伏せ、ピクリとも動かさせない馬鹿力。恐ろしく思う暇もなく、新たな恐怖が追加される。派手なネイルを塗った爪で、フォークをクルクル弄んでいた彼女が、ふと何を思ったか手を止めると、いきなりアッシュの掌を凝視してきた。そして、躊躇うこともなく、もの凄い勢いでフォークを振り下ろす。掌を上にして固定した、アッシュの右手の指の間に、銀色の槍が突き刺さった。
「ぎゃあああ!やめろ!やめてください!お願いします!!」
 涙目になって、喉から絶叫を迸らせながら懇願する。もはや、仲間を守ろうだなんて格好つけた考えは、頭から消し飛んでいた。自分の指が、フォークに串刺しにされるかも知れないのだ。いや、場合によってはナイフで切断されることもあり得る。命すら危ないような危機の中で、他人のことを考えていられるほど、アッシュは優しくも強くもなかった。今の彼にあるのは、圧倒的暴力の前に跪かされる恐怖。どれほど足掻いても敵うことのない、絶対的な力に平伏する感覚だ。
「ほらほら、早く言わないと、指が千切れてウィンナーみたいになっちゃうよ。うっわ、ウケる」
 レディはあくまでにこやかに、まるで何でもないかのように言っては、自らの言葉を想像して吹き出している。口元に手を当てて目を細める仕草は、こんな状況でなければさぞ可愛かっただろう。だがこの状況では、恐怖しか生まれない。残酷なことを平気で提案して笑う彼女の様子は、まるで無垢な子供のようだった。
「言う!言いますから!!」
 恐ろしくて恐ろしくて、アッシュはついに悲鳴を上げる。これ以上、狂った連中と張り合ってなんていられなかった。強がるのも、イキがるのも、彼らの前では無意味だと気が付いたのだ。彼らは、アッシュが何をしようと、決して揺るがないのだ。邪魔になると判断すれば即座に、彼を殺すだろう。何の躊躇いもなく、それが義務だ、仕事だと割り切って。そんな奴らに、アッシュの抵抗などが通じるはずもない。
「だ、だけど……ですけど、分からないんです、本当に……」
 けれどアッシュとて、嘘をついているわけではなかった。どうにか信じてもらわなければと、冷や汗を滝のようにかいて、か細い声を絞り出す。少しでも怒られないようにと身を縮める己は、まるで子供の頃と同じだった。母のヒステリーの被害に遭わないように、一番体の大きいクラスメイトに殴られないようにと、常に周囲の顔色を窺ってビクビクしていた日々と。結局自分は、あの頃から何も変わっていない。
「だってよ、エンちゃん」
「そんなわけあるか。これだけ小さな組織だ、ボスの顔くらい把握してるだろ。脅してでもいいから吐かせろ」
 プルプルと、子犬のように震えるアッシュを眺めて、レディは興味を失ったようにエンヴィスを見遣った。彼女の片足は完全にテーブルに乗り上げ、ピンヒールがペーパーナプキンを踏みつけていた。エンヴィスは既に、彼女の無礼を咎めることすら諦めて、適当な口調で受け答えしている。これ以上拷問のようなことをされても、話すことなど本当にないのに。アッシュはどう説明したものかと、必死に頭を回転させた。
「んでもさ、」
「本当に分からないんだってば!!……あ」
「ん?」
 あの興味のなさであれば、殺されることもあり得る。焦ったアッシュは、決して嘘はついていないと弁解するが、その時発した引き攣った甲高い声と、レディの何か言いかけた言葉が重なってしまう。強者の言葉を遮ってしまった。そのことに対する怒りをぶつけられるかと臆するアッシュだったが、彼女は幸いなことに、気にしていないらしい。
「嘘はついてないっぽいよ、こいつ」
 それどころか、気付いてすらいない様子で、アッシュの味方までしてくれた。
「何で分かるんだよ」
「アタシの勘。嘘発見器ついてるんだよねー」
 エンヴィスの問いに、小首を傾げておどけた返答をする彼女。エンヴィスが怒り出さないかとアッシュはチラリと目線をやるが、彼は呆れた眼差しで、レディを見ているだけだった。案外、こんなやりとりは日常的にあるのかも知れない。アッシュは、どうか信じてくれと冷や汗を垂らして祈っているしか出来ない。
「あの……分からないってどういうことですか?」
 ふと、黙ってメロンソーダを啜っていたカーリが口を挟んだ。彼女はエンヴィスやレディを飛ばして、アッシュに直接話しかけてくる。長い黒髪を揺らし、大きな瞳に単純な疑問の色を浮かべて見つめてくる彼女の可愛らしさと言ったら。状況も忘れて赤面してしまいそうだ。
「リーダーの顔を知らないんですか?それとも、知ってるけどこの中にはいない?……聞いてます?」
「きっ、聞いてます!そのッ……ぼ、ボスは……あ、そのリーダーって人のことなんですけど」
 砕けた調子で質問をする彼女に、見惚れていたのを気付かれないよう慌てつつ、必死に説明を試みる。だが、気が向けば自分の命をも奪える恐ろしい悪魔と、可愛らしい顔の女性悪魔の両方に向かい合って喋るのは、中々に神経をすり減らされて、上手く頭が回らない。しどろもどろになって言葉を探すアッシュのことを、彼女は黒い瞳で見つめていた。
「ぼっ、ボスは、変化系の魔法を使うんです。顔とか、体型とか、全部自在に変えちゃうので、俺……僕も、毎回違う姿を見ていて……っ、それで、どれが、ボスの本当の姿か分かんないんです……」
「変化系……厄介だな」
 彼の話を聞いたエンヴィスが、面倒くさそうに眉を寄せてぼやく。
 多種多様ある魔法の系統の中でも、変化系は比較的安易に使える魔法だ。アッシュも今現在、アイテムを用いることによって、自身の見た目を変化させている。モンスターに近い低級悪魔の姿を見られれば、人間界で平穏に暮らすことは不可能だ。だが、ただ視覚的情報を騙すだけの簡単な魔法とは違って、より高位の変化系魔法は、悪魔の持つ魔力反応や気配すらも変えてしまう。アッシュは、リーダーと出会って、それを知った。あの男は、毎度会う度に全く別人に変わっていて、すぐには同一人物だと判断出来ない。
 ……そんな記憶が染み付いている。だから、彼の正体など、ほとんど知らないのも同然だ。こんな写真一枚だけで、断言出来るわけがない。下手に決めつけて、後で嘘をついたとこいつらにどやされるのも嫌だった。
「でも、あなたの仲間は全部で11人なんですよね?仲間じゃない人を選べばいいのでは?」
「それなら、こいつだけど……でも、あいつは仲間にも化けれるんだ……あ、です。それに、もう一人のこの顔も、ボスがしているの見たことないし、今日はどんな顔をしてるのか、まだ会ってないんで分からなくて……」
 仲間の一人の姿でいるかも知れないし、アッシュの見たことのない姿でいるかも知れない。だから、ボスがどんな見た目をしているかとは、一概に言えないのであった。
 そんなことを途切れ途切れにカーリに伝えれば、エンヴィスは呻めき、苦心するように眉間に皺を寄せて腕を組む。
「ま、そうか……こいつ、魔力反応すらいじれるもんな。だから俺たちですら、こうして正体を掴むためにお前なんかに尋問しなくちゃならないわけで……だが結局、手がかりはなしと」
 どうしようもねぇ、と半分笑いながら、エンヴィスが鼻を鳴らす。本当は、彼にとってはアッシュから情報を聞き出さなければならないこの状況すら、癪であるようだ。どうか雷が落ちないでくれ、と願うアッシュに構わず、トワイライトが嘆息しながら呟く。
「情報分析部の担当者様方が、対抗術式でも組んでくれていたら早かったんだけどねぇ……情報も不足しているこの状況で、ターゲットを全員捕捉しろなんて、無茶を言ってくれるよ」
 頬杖をついて、あーあと分かりやすく呻く彼。
 対抗術式、というのが何のことかは分からないが、どうやら自分たちの情報は、思ったより多くの悪魔たちに知れ渡っていそうだ。これでは、どう足掻いても逃げられない。アッシュの絶望した顔を見たのか、カーリがやや控えめながらも提言した。
「あの……トワイライトさん、それ、機密情報なのでは」
「おっと、そうだったね。脱界者の君には知らせなくていい情報だった。すまんが、忘れてくれ」
 指摘されてわざとらしく慌てる彼だが、アッシュの希望を打ち砕くためにあえて口にしたのだろうと、容易に察することが出来る。このトワイライトという男は、どこまでも嫌味な性格らしい。本人としては、相変わらず無理難題を押し付けてくるばかりの上に対して、ほぼ本気で愚痴を吐いていただけなのだが。そんな本心、会ったばかりのアッシュに分かるはずがない。
「もうさ、分かんなくていいんじゃないの?」
 解決の糸口が見つからず、停滞する空気を破って、レディのあっけらかんとした声が響いた。
「え?何言ってるの、レディちゃん」
「だからね、カーリ。もう誰がリーダーとかボスとか分かんなくていいんじゃないかなって」
「え、だから……」
 驚いて聞き返したカーリに、真面目な調子で言葉通り台詞の意味を解説し出した彼女。そして、にっこりとした笑顔でとんでもないことを言い切った。
「だってさ、もうアジトは分かってるわけだし。そこにいる奴らを、人数分捕まえてくればいい話じゃん。簡単でしょ?」
「そんな簡単にいかねぇから、こうしてここにいるんだろうが」
 さも当然の調子で語る彼女に、呆れ返ったエンヴィスがツッコミを入れる。心なしか首を後ろに反らせて、ひっくり返るジェスチャーの真似事つきだ。
「相手は自分の魔力を隠してるんだぞ。そいつがどのくらいの強さか、分からないじゃないか」
「自分で自分の魔力を隠せるだけの強さじゃないの?」
「そうだけど……っ」
「それがどのくらいの強さか、分からないよねって話なんだよ、レディちゃん。だって、もしかしたら、トワイライトさんやエンヴィスさんより強いかも知れないんだし」
 諭されても変わらず淡々と発言する彼女に、感情が先走ったのかエンヴィスは声を荒げる。怒り出しそうになった彼を宥めて、代わりにカーリが冷静に指摘した。こんな風に理知的に思考出来る彼女は、頭も良いんだなと、アッシュは関係ないことを考えるだけだが。
「うーん……確かに、トワさんたちが死んじゃったらやだな」
「縁起でもないこと言わないの!」
 頭の後ろで手を組んで、のんびりと呟くレディにカーリも少し声を高くする。
 ここまでくれば、アッシュほど学のない男でも、レディの頭の異常さは分かっていた。フォークで人を脅すことも平然とやってのける時点で大分だとは思っていたが、まさかここまでとは。なるべく彼女とは目を合わせないようにしつつ、これからどうなるのだろうと漠然とした考えを巡らせる。
 その時、トワイライトがふと自身の時計に目を落とし、諦めたように告げた。
「諸君、そろそろ時間だ。もう始めなければ、今日中に終わらせろ、という上からの命令に背くことになる」
「えー、でもまだ結構時間あるじゃん。今日中って」
「痛い痛いっ!」
「お前な、人間界とは時間の流れが違うんだぞ。魔界時間で考えるなよ。あと、カーリを離してやれ」
 仕方がない、といった調子で渋々立ち上がったトワイライトに、訝しげに反論したレディが、時計を持っていない自身の代わりにカーリの手首を掴んで時刻を示す。的の外れた意見に指摘を入れつつエンヴィスは、手首をぐりっと捻られて、悲鳴を上げるカーリを解放するよう命じた。
「あっ、ごめんね?」
パッと手を離したレディが笑いかける表情、もう、と言葉でだけ怒りを表すカーリなどを見つつ、アッシュは置いていかれそうな状況を案じて、中途半端に腰を上げる。
「あ、あの……自分はどうすれば……」
「アンタも行くに決まってるでしょ」
 あわよくばこのままここで待機、なんて言われることを期待したが、そう上手くいくはずがない。レディの手が伸びて、お気に入りのジャケットの襟を後ろから掴まれた。
「ここに置いといたら逃げちゃうじゃーん。でしょ?」
「あぁ……ウス」
 馴れ馴れしく笑みを向けられるも、この頭のおかしな女とはまともに会話が通じる気がしないので、適当に応じておく。
「んじゃ、行こうか。残業はしたくないだろう?」
 軽く手を叩いたトワイライトが、部下をまとめ立ち上がる。もう人々の目を誤魔化す魔法も、効いていないようだった。人間たちに見られないために、彼とエンヴィスの角はすっかり消えてしまっている。それもそうだ。アッシュだってアイテムの力を借りれば角と肌色を偽れるのだから、彼らが出来ないわけはない。おまけに、明らかにアッシュより強そうな悪魔たちだ。一瞬驚いた自分を恥じつつ、アッシュも彼らに従ってついていく。手早く会計を済ませ、店を出ると、真昼の太陽が、青い空の中で輝いていた。
  *  *  *
 それから、小一時間後。アッシュは他でもない、自分たちの仲間のアジトに戻ってきていた。もちろん、トワイライトたちを伴ってだ。
 だがしかし、そんなことはもはやどうだっていい。今の彼は、自らの命を守ることで、精一杯だった。
「クソッ!くそ!一体どうなってんだ……!どうしちまったんだよ、ガイル!!」
 声を荒げて上を見上げると、高い倉庫の天井に、頭を擦りそうなほど巨大な悪魔が咆哮している姿が目に入る。そこには理性など、欠片も見受けられない。ただ衝動的に、破壊を繰り返す狂った戦士と化している。かつての友人、大切な仲間の一人のガイルが、何故こんな目に遭わなければならないのか。アッシュは腹立ちのままに吐き捨てた。
  *  *  *
 遡ること、30分前。アッシュたちが訪れたのは、港湾都市の近隣に新しく増設された、巨大な倉庫街だ。魔法などで一瞬で移動してしまうのかと思っていたが、案外普通に地下鉄に乗って来てしまった。拍子抜けした表情を隠すこともなく、彼は隣のトワイライトを見つめる。彼の奥に広がる青々とした海が、ざわざわと細波を立てている。毎日ここで、行き交う船を眺めていた。船に乗って遥々海を越えてやってきた荷物が、港から上陸し収められていく。実に単調で見栄えのしないその作業が、アッシュは何故か好きだった。
「ここが、君たちのアジトだろう?」
 トワイライトが、何故か得意げに尋ねる。肯定するのも何か違う気がして、彼は黙っておいたが、トワイライトは気にしなかった。
 彼以外には、仲間たちは誰もいない。他の部下たちは全て、地下鉄の駅を出てここに来るまでに途中で別れてしまった。
 今アッシュは、奴と二人きりだ。倒すなら今だろうか。この、腹の中の読めず本当の実力も定かでない、怪しげで不審な、中年悪魔を。自分の力でねじ伏せる。正面からでは歯が立たなくとも、不意をつけばあるいは、勝算もあるかも知れない。そんな心の囁きに、従うかどうか迷っている間、忙しなく揺らしていた視線を、うっかりトワイライト本人にぶつけてしまう。
「?どうかしたかい?」
 まずい、と思った時には、優しさを装った猫撫で声がアッシュの鼓膜を揺らしていた。
「いっ、いえ、何でもないです……」
 慌てて首を横に振り、追及を逃れるように目線を下に落とせば、トワイライトは一拍の間を置いて、こちらを覗き込むような目を送った後、おもむろに笑い出す。
「ははは、まぁやることが何もなくちゃ暇だよね。少しばかり世間話に付き合ってくれないか」
 砕けた話し方をされるのも、目を細めて遠くの海を眺めている風な表情も、全てアッシュを懐柔するための作戦に思える。そんなに怯えなくてもいいと言い聞かせているようだった。
「魔法というのは便利なものでねぇ……人間たちには理解出来んことも多いだろう。あるいは、君のような魔法をあまり使わない悪魔にもね」
 世間話と言っても、何を話されるのか少しドキドキしていたアッシュだったが、トワイライトの口から出てきたのは案外普通の話題だった。魔法については、”あの人”に教えてもらった程度の知識しかない。ここで学べるならそれもいいものかと、警戒心をやや緩めて話を聞くことにする。
「でも、より便利な魔法を使おうとすれば、その分手間がかかるというのも分かるだろ?有能な電化製品が、高い値段するのと同じことさ」
 角のない状態の額を触るのが珍しいのか、トワイライトの手はさっきからずっと己の額と前髪の辺りをいじっている。
 風に吹かれた黒髪を一房なでつけて、彼は笑った。
「まー、だから今は、準備時間だよ。便利な魔法を使うためのね」
「アンタが何かやってんのか?」
 アッシュはつい、好奇心のままに口を開く。もう敬語も意識していなかったが、トワイライトは気にしなかった。
「いーや私は何も?部下に任せてありますよ。何だって上の者が率先してやってしまうのは、下の者の居場所を奪うことになるだろう?」
「そうかぁ?俺は……強いリーダーほど自分自身でガンガン突き進んでくと思うけど」
 格好つけているのか分からないが、やたらともったいつけた調子でトワイライトは話す。その、余裕のある偉そうな口調がやけに癪に触って、アッシュは知らず声色を刺々しいものに変えた。
「アンタみたいな奴がいるから、下の奴らはいつまでもこき使われて貧しいまま、上にいる連中だけが、ブクブク醜く肥え太って、馬鹿なままのさばる。だから、世界はこんなにクソなんだ。アンタもそう思うだろ!?」
 話している内に更に怒りが昂って、思わず感情的に喚き散らしてしまう。でも、これ以上黙っていられなかった。権力に目が眩んで、本当に人々のことを考えていない、奴みたいなおエライさんがいるから、アッシュはいつまでも恵まれないまま。負け犬の人生から逃れられないままなのだ。
「……あるいは、そうかも知れないね」
 自分たちを苦しめているのは、アンタらだ。アンタらが、いつまでもバカだから。自分みたいに一生懸命生きている悪魔が割を食う。
 アッシュが瞳にこれでもかと燃え滾る炎を詰め込んで睨み付けるのに、トワイライトはただ静かに、穏やかに頷くだけだった。
「でも私は、これも一つの形と思ってるんだよ。ある程度、部下を信頼して任せる。それは彼らが、私の都合の良いように動く駒だからじゃない。彼らを適切に評価しているからだ。仕事というものは、誰かから誰かへ託されるものだと、私は思うからね」
 アッシュから憤怒と、包み隠さない罵倒の言葉が向けられていてもなお、彼は表情一つ変えることがない。むしろ彼との議論を楽しむかのように、微笑みさえ浮かべている。幼い子供に言い含めるような言い方は、まるで学生の前で話す教師のように、アッシュの意思を無視して心の内に入り込んできた。いや、場合によってはそんな大人たちよりもタチが悪いかも知れない。アッシュの知る大人というのは、いつも必死に自分の信じた主張にしがみつき、その正しさを何としてでも子供に認めさせようとする、傲慢で暴力的な連中のことだった。自分を認めぬ者のことは、卑怯な手段を使って従わせ、全てを自分の都合の良いように支配しようとする。アッシュは、そんな彼らが大嫌いだった。
 でも、トワイライトは違う。彼は、無理矢理にでも自身の意見を認めさせようとはしなかった。アッシュがどれだけ、反発しても、毒を吐いても、全て肯定した。単なる子供のわがままだと切り捨てることなく、他人の主張として、尊重した。こんな大人に、アッシュは今まで、出会ったことがなかった。彼の中をじんわりと驚きが満たす。この広い世界に、こんな悪魔がいたなんて、思いもしなかった。どんな相手であれ、決して自分と比べない彼の姿勢は、確かにアッシュにとっては意外で、嬉しいものですらあった。
 しかし、それと同時に、この関係の成立は、非常に限定的なものであると思い知る。つまりは、彼にとってはこれが仕事で、アッシュはただの捕まえるべき犯罪者に過ぎないということだ。彼らの間には、決定的な隔たりがある。だからこそ、相手の言い分を聞くことはあれど、そこに何か感情を抱くことはない。ただ”理解”のみを表して、それ以上は距離を詰めてこない。自分たちは決して、互いの中身を教え合うような、仲の良い関係にはなれないのだと、言外に伝えてくるようだった。アッシュにはその冷たさが、何より憎らしく感じられた。
「ま、君はまだ若いから、分からないのかも知れないな、私みたいな中間管理職の苦悩は」
「分かりたくもないね」
「ハハハハ!それが一番だ」
 冷酷に突き放す大人なんて、力で捩じ伏せてくる輩よりもっと嫌いだ。アッシュは、自覚したばかりの嫌悪を思い切り言葉に込めて吐き捨てる。明らかな憎悪に気が付いても、トワイライトは気にせず、豪胆にも笑って済ませた。あるいは、何とも思っていないのかも知れない。アッシュが彼を嫌おうと、どう思おうと、彼には関係のないことなのだから。
「で、君、逃げないのかい?」
「!!」
 本当に、何事にも興味のない男なんだなと思っていたら、突如として鋭いところに切り込まれた。アッシュは咄嗟に、目を見開き返す言葉を失くしてしまう。声を詰まらせるアッシュを見て、トワイライトはしてやったりと得意げな目をしてほくそ笑んだ。尤も、それもどうせ計算された演技なのだろうが。
「逃げようかなーどうしようかなーって目をしてたから。とりあえず適当に声をかけてみたけど、こんな話じゃつまらなかったよね。じゃ、こうしよう」
 急にフランクな調子で、提案らしき言葉を紡いだ彼。何を言い出すつもりかとアッシュが彼の方を向けば、手首の辺りでがちゃんと音が鳴る。右手に感じる、確かな重量と金属の冷たさ。
 はっとして見ると、ミサンガを巻いた右手首に、謎の金属製の輪が付いていた。何かの電子機器なのか、掌側には赤く光る小さなランプがついている。反射的に指で触れても、引っ張っても、びくともしない。アッシュの手に合わせて特注したかのように、ピッタリとサイズの合ったそれは、簡単には外れそうになかった。
「何だよこれっ!取れない!!何したんだ!?」
 危ない機械だったらどうしよう、と慌てふためいて外そうともがく。だが、強く力を込め過ぎて手首が痛くなってきた。硬い金属製の輪に擦れた皮膚が、赤くなってきている。
「手錠だよ。といっても、どこかに拘束されるわけじゃない。君は私の、半径50メートル範囲から逃れられなくなった。位置情報も分かるから、隠れても無駄だよ」
「な……!」
 まるでさっきのレディとかいう女みたいに、何でもないことのようにあっけらかんと真実を告げるトワイライト。しかし、手錠なんて、アッシュからしたら絶望の具現化のようだ。隙を見て逃げようと思っていたのに、これで逃げられなくなった。トワイライトの周囲から、離れることが出来なくなってしまったのだ。アッシュにこれから取れる手があるとすれば、トワイライトを気絶させて、彼と共に逃げること。だがそれも、彼が圧倒的強者である以上、至難の業だ。
「さて、準備も整ったみたいだし、行こうか。”悪を正す”お仕事だ」
 顔面を蒼白にして、沈黙しているアッシュに、魔法の通信を済ませたトワイライトが声をかける。何かの映画の真似だろうか、天を人差し指で指して、背をわずかに後ろに反らせて歩き出す仕草は、コミックの登場人物のようだ。黒い背中が50メートル離れると、アッシュの体は自動的に地面の上を滑り、後を付いていく。もがくなど抵抗をしても、一切意味がないない。少しは自由に動ける分、余計に拘束されているという事実が神経を苛立たせた。
 発散出来ないフラストレーションを溜めたまま、強制的に連れて行かれたアッシュは、倉庫街の構成物の一つ、寂れかけた廃倉庫の前に辿り着く。アッシュたちが、最近溜まり場にしている建物だ。外壁のモルタルは剥がれかけ、派手な落書きがいくつか、未完成のまま残されている。小さなトラックならそのまま入れる大きさの入り口は、珍しくドアが両側とも開けられ、そばに軽トラックが停まっていた。荷台に積み込まれた、数少ないインテリアはアジトの生活スペースを構成していたものだ。
「随分荷物が少ないなぁ……引っ越し準備、思ったより手こずってるみたいだね」
 近くのコンテナの影に隠れて、様子を窺っていたトワイライトが独り言をこぼした。彼が言うのも当たり前だ。アッシュの仲間たちなど、基本的にアッシュと似たような性格、人格をしている。つまりは、毎日遊び暮らしているばかりの存在。荷造りや物の運搬など、労働に近しいことはほとんどやったことがない。やる気が出ないか、何をしたらいいのか分からないか、努力をしても要領良く出来ないかのどれかなのだろう。ただ出ていくだけの作業に、きっと丸1日潰すことになる。”あの人”は、こうなることも見越して昨夜から準備をさせていたのだ。それなのに、肝心なところで、魔界府の連中に尻尾を掴まれてしまった。ツイてないなんて言葉じゃ、語り切れないだろう。いや、彼らはきっと、今日でターゲットたちが移動してしまうことが分かったから、行動を起こしたのだ。逃げられる前に、捕まえることにしたのだ。多少の情報不足は、現場に補わせることにして。
 物陰に身を潜めながら、どうにかして仲間を救い、逃げ出す方法を考えようとする。この悪魔たちから逃げ延びる術を。しかし、元々馬鹿な頭は、こんな非常事態に置かれては更に空回りするばかり。ちっとも有効な作戦を思い付いてくれない。
(クソっ……!)
 苛立ちだけが胸の中に降り積もって、アッシュは舌打ちを漏らした。
「アッシュくん。一つ頼みたいんだが、いいかね?」
 別にそれに怯えたわけでもないだろうに、トワイライトがこちらを窺うように尋ねかけてくる。眠そうに半分塞がった大きな垂れ目は、まるでやりたくなさそうに濁っていた。元から、あまり活力の感じられない瞳ではあったが、今は更に気怠そうに淀んでいる。
 面倒くさそうな態度を思い切り表に出した彼は、おもむろにズボンのポケットから一台の携帯端末を取り出すと、アッシュに手渡した。彼の私物かと思いきや、よく見えると見慣れたデザインだ。紺のプラスチックのカバーに、人気のバンドのステッカー。アッシュの携帯である。
「俺のスマホ!盗ってたのか!?」
「人聞きが悪いなぁ、借りてただけだよ」
 白々しく答えた彼は、取り返そうと伸ばすアッシュの手を避け、ポチポチとスマホを操作する。かかっていたはずのロックを解除し、通話アプリを開くと履歴の中から”天使の屑”メンバーの名を見つけ、躊躇うことなく通話ボタンを押した。間の抜けたコール音を発し始めたそれを、トワイライトはアッシュの耳に近付けた。そしてこう言う。
「君のボスに、電話を一本入れて欲しいんだ」
「はっ!?な、何で」
「何でもだよ。いいから適当なことを言って、彼に倉庫の入り口に来てもらうよう誘導してくれないか。一応ダメもとで、やってみようという話になったんだ」
 まんまとつられて出てきてくれれば、ボスを捕らえ、逃げられる心配がなくなる。
 そんなことを彼は独り言めいてぶつぶつ呟いているが、言いながら本人も信じていなさそうだ。
「でも、ボスはそんなことに引っかかる人じゃないぜ」
「だからダメもとだって言ってるだろ?一応、試みましたって事実が大事なんだよ。誰も上手くいくなんて思っちゃいない」
「じゃあ何でやるんだよ」
 こんな子供騙しが通じるなんて、アッシュだって思っていない。絶対上手くいきっこないと、トワイライトに伝えるが、彼はそれでも形だけ試みようと携帯を押し付けてくる。
「それが必要だからさ。建前ってものが、大人の世界では重んじられる。君にだって、損な話じゃないぞ」
「建前かよ……」
 大人のルールを、これほどはっきりと告げられたことはなかった。奴らはいつも、言葉にしてはいけない規則に縛られている生き物だと思っていたから。しかしトワイライトは、正面切ってその存在を認めた。ただそれだけのことが、アッシュの心にかすかな信用の芽を生やす。
「ほら、ただ電話するだけだ。上手いこと言って、すぐに切ってくれていい。そうしたら、君の刑罰について、情状酌量してもらえるよう、掛け合ってみようじゃないか。約束するよ」
「ほ、ほんとかよ……絶対だからな」
 学もあまりなく、単純なアッシュは、簡単に流されてしまう。大人は、目的のためなら平気で嘘をついて人を騙す存在であることも忘れて。
 受け取ったスマートフォンを耳に当て、鳴り続ける呼び出し音を聞きながら、ふと気が付いた。ここで上手く、暗号などを使って危機を知らせられないだろうか。こいつらに気付かれることなく、仲間を逃がせるような方法で。そして、捕まえるべき対象に逃げられて、戸惑っている奴らの隙をついて自分も逃げるのだ。
 まるで天からの啓示のようなアイディア。だけど、ドラマや漫画じゃあるまいし、暗号なんてそう短時間で思い付けるわけもない。どうしたものかと悩んでいる内に、コール音は途切れ、電波の向こうから、聞き慣れた仲間の声が飛んでくる。
『もしもし?アッシュか?どうした?』
 アッシュは慌てて、声の持ち主の名前を呼ぶ。結局何も思い浮かばぬまま、ただ命令通りに話を進めていた。
「い、いやルーク。話があるんだ。ボスに代わってくれるか?」
 冷や汗をダラダラかきながら、一言一言考えて紡ぐ。本当は逃げろと伝えたい。しかし、トワイライトの監視がある以上、迂闊なことは出来ない。
『あぁ?ボスに?お前変なこと言うのな。今引っ越し作業中で忙しんだ。おい、ゴーガスタ、フィリップ!サボんな!!あぁすまない……で、ボスに代わって何て言ってほしいんだ?』
 やはり引っ越し作業は順調でないらしく、電話の向こうはざわざわと騒がしい。”あの人”が来る前は暫定リーダーを務めていたルークが、仲間たちに叱責を飛ばしている声が入ってくる。
「そうじゃなくて、ボスに……”ラード”に直接、話したいんだけど」
 ボスがここにいると、トワイライトたちに示すためには、彼に直接話してもらうしかない。ルークでは駄目だと告げると、彼は訝しげに声を上げる。
『はぁ?お前、そりゃ無理だろ。あの人がどんな人か、お前が一番分かってるはずじゃねぇか。つか、仮に話すとして、何言うんだよ。何かあったのか?』
 ラードが忙しいということは、アッシュにも分かっている。今だって、隙あらば仕事をサボる仲間たちを、怒鳴りつけて働かせている最中だろう。グループを飛躍的に発展させた彼に、一々アッシュたちの意見を聞いている暇などない。当然分かっていることだ。
 だが、今日ばかりは駄目だった。今日ばかりは、ラードでなければならないのだ。けれどそんなことを、ただ倉庫で引っ越し準備を進めていただけの、ルークには分かりはしない。
『お前、まさか……魔界府の連中にでも、勘づかれたんじゃねぇだろうな?』
「違うよ!俺がそんなヘマするわけないだろ!?」
 あろうことか、何かトラブルに巻き込まれたのではないかと心配すらされてしまう。その言葉は、まさに現状を的確に表していて、アッシュは慌てた。トワイライトにもこちらの会話は聞こえているはずだ。彼らに察知されたことが分かれば、きっとアッシュは酷い目に遭う。
「んでもルーク、あの人のこと、探してでも連れてきてくれよ。今アジトの近くにいんだけどさ、ちょっと他の奴の周りじゃ言いにくいんだ。なぁルーク、俺たち親友だろ?助けてくれよ。じゃないと俺……頼むよ」
『お前……本当に何言ってんだ?何があった?話なら俺が聞くから、言ってみろよ。ほら。言えないなら切るぞ?忙しいんだ』
「待ってくれって!ラードじゃなきゃ駄目なんだよ!ラードじゃなきゃ俺は……俺っ」
 精一杯誤魔化して、怪しまれないよう落ち着いた調子で、ラードと話させてくれと頼み込む。だが、隠し切れない必死さが、電話越しにも伝わってしまって、ルークがあからさまに眉を顰めるのが分かった。何かを疑っている時の彼は、いつだって声が一段と低くなって、相手の返答を急かすように冷たくなる。このままではあっさりとあしらわれてしまいそうで、アッシュは焦った。ここで電話を切られてしまったら、終わりだ。トワイライトの命令に逆らうことになる。強者の言葉に逆らったらどうなるか、アッシュが一番理解している。重い罰を一人だけ課せられるなんて、嫌だ。何とかしなければ、と思わず声を荒げて追い縋れば、いよいよ本格的にルークは、彼を疑い始めた。
『お前……どうした?何だかいつもと様子が違うぞ。息も荒いし、そんな大声出さなくても……』
 メンバーの中でも比較的冷静で頭も回るルークだ。もう安い誤魔化しは効かないだろう。アッシュの背中を、一筋の汗が伝う。もはや気付かれないように努力することは無意味だ。だったら、やるしかない。今この時が、最大で唯一のチャンスだ。
『お前、もしかして………』
「ルーク、魔界府だッ!今すぐ逃げ、グッ!!」
 訝しげな声色を発し続けるルークの言葉を遮って、アッシュは息を吸い込み怒鳴りつけるように一気に告げる。最後まで言う前に、唐突に襟首を引っ張られ、コンテナの硬い金属壁に抑えつけられた。頬に冷たい金属の感触が伝わる。手錠を付けられているために、手を動かして抵抗することも出来ない。トワイライトの身長はアッシュよりわずかに低く、比較的小柄なはずだが、その力は圧倒的に強かった。
 必死にもがくアッシュの手から、トワイライトはスマホを抜き取り、自分の耳に当てる。
『何だって!?魔界府か!クソ、気付かれたっ』
 アッシュの耳にも、ルークの上擦った声が聞こえてくる。トワイライトは騒ぎに構わず、未だ繋がっている電話の向こうの彼に、馴れ馴れしく話しかけた。
「あー、もしもしルークくん?私はトワイライト。たった今、君のお友達を一人制圧したところだ」
『んだと!?テメェ……アッシュをどうする気だ!』
 ルークの怒鳴り声が飛んでくるが、音量が大き過ぎて音割れが生じている。あまりの騒音に、トワイライトは不快げに顔を歪め、携帯を耳から離していた。そして気を取り直すと、ルークの怒りを無視し、無理矢理続け出した。
「……この際だから、言っておこう。君らはもう、我々の術中だ。せいぜいそこで、大人しくしていたまえ。以上だ」
 身勝手な宣戦布告を一方的に告げると、彼はすぐに通話を切ってしまう。役割を終えたスマートフォンは、アッシュのズボンのポケットに返された。同時に、押さえられていた手首も解放され、一先ず自由を得る。トワイライトに捕まれた箇所が、若干赤くなっていた。
「まぁ、こうなるだろうとは予想してたけどね。やっぱり電話なんて逆効果だったよなぁ……上の奴ら、ちっとも現場の苦労を分かっちゃいない」
 溜め息を吐いたトワイライトが、呆れた調子でぼやく。彼の視線が指す倉庫の中からは、壁を突き破るほどの喧騒が漏れ聞こえていた。ルークから情報が伝わったらしい仲間たちが、皆逃げ惑って騒いでいる。ここから見ると、本当に要領が悪く、もどかしいものに見えた。建物から出ようとする者が何人か目に入る。しかし、出られた者は一人もいない。開け放たれた入り口に、まるで見えない壁のようなものがあるようだ。外へ出ようとする者はそれにぶち当たり、反動で背中から倒れ込んでいる。
「無駄だよ。奴らはもう、エンヴィスくんの張った結界の中だ。彼を倒さない限り、決して外に出ることは出来ない」
 理解出来ない事態に、目を見開いているアッシュに気が付いたのか、トワイライトが簡単に解説をした。恐らく、この魔法を使うために、彼らは待機していたのだろう。強力な結界とやらが張られた倉庫内は、実質鉄壁の牢獄だ。誰一人として、逃げることは出来やしない。術者である、あのメガネの男を下さない限りは。
「中はきっと、大盛り上がりでパーティーをしているだろうね。踏み込むのは野暮だし気が引けるけど……やるしかないね。安全第一で遂行しよう」
 トワイライトの言葉が耳に入って、反射で目を向けると、彼はどうやらこの場にいない仲間たちに話しかけているらしかった。こめかみを押さえて、魔法の通信を繋げている。
「エンヴィスくんは結界の管理と、妨害してきた悪魔の撃退。カーリくんはその助手だ。レディくんは、非常階段から各階を回って、上に逃げようとする連中を潰してくれ。いいね?」
『『『了解!』』』
 耳にはめた通信機、ワイヤレスイヤホンのような機械から、3人分の声がする。了承を示した彼らとの通信を切り、再びアッシュと二人になったトワイライトは、心底嫌そうに愚痴を吐いた。
「で、私が入り口から突入と……我ながら、一番嫌な役回りで嫌になるよ……まぁでも、こればっかりは部下に任せられないからなぁ。仕方ないか……」
 まるで、自分を納得させるために無理に絞り出しているような声だ。しかしながら、迷いなくカツカツと闊歩する背中に、強制的にアッシュも引っ張られてしまう。本当に、最悪な魔法をかけられたものだ。
「いやいやいや!死ぬって!やばいって!やめた方がいいよ!てか絶対!!」
 中では仲間たちが、恐らく銃などを構えて備えているだろう。ラードの力で手に入れた魔界の武器は、アッシュのような低級悪魔など、弾丸一発で殺せるほどの威力を持っている。万が一、巻き込まれて被弾したら、その場で命を落としかねない。
「私だってやめたいよ、こんな仕事……だけれど、これが仕事なんだ。サラリーマンたる者、己の業務には責任を持たねば。全く……責任なんて、この世で一番嫌いな言葉だがね」
 懸命に言い返すアッシュに、トワイライトは気乗りしない調子で答える。死ぬかも知れないという場合ですら、ユーモアを忘れない彼に、アッシュは恐ろしさを覚えた。
「さ、いつまでもうじうじしてちゃ時間の無駄だ。今日は残業せずに終わらせて、飲みに行くと決めてるんだからね」
 怯むアッシュに構わず、トワイライトはさっさと進んでいく。仕事終わりの一杯なんて、割とどうでもいいことを大切そうに言う彼は、本当に危機感というものがないようだ。躊躇いもなく飛び込む倉庫の内部には、完全武装した悪魔たちが、うようよひしめいているだろう。この男が一人で、余裕ぶったまま死ぬのは構わない。しかし、自分はまだ死にたくないと、アッシュは喉が焼き切れそうなほど咆哮した。
「嫌だぁあああ!!誰か、助けてぇえええーーー!!!」
 悲痛な叫びが辺りに木霊する。直後、一斉に注がれる銃声が、彼の悲鳴をかき消した。
  *  *  *
「うーわ、凄いとこ……」
 トワイライトやエンヴィスたちと離れ、一人で倉庫に先行しようと試みるレディが、ひっそりと呟く。
 倉庫の外壁に取り付けられた、鉄製の非常階段は、非常に古びていて今にも崩れ落ちそうだ。どこかの部屋の窓ガラスは、バキバキにひび割れていて、少し指で押せば簡単に外れた。彼女の細身でも入れない小さな窓だが、内部の様子を窺うには十分だ。そっと、息を潜めて覗き込む。
 何年も前に放棄された倉庫は、埃やゴミが降り積もり、クモやネズミの住処のようになっていた。あるいは、ゲームセンターで子供たちが興じるような、安っぽいサバイバルゲームの舞台だろうか。廃墟内を探索し、しょぼい銃を振り回して、蠢くゾンビどもを掃討するゲーム。あんな幼稚なおもちゃ、彼女だってとっくに卒業済みだ。たま~に、気が向けば数時間プレイするくらい。別段何の感動もない、ただの暇潰しに過ぎない。物によっては、物凄く楽しい時もあるけれど。
(何かゲームみたい。冷めるけど、そのサムさが楽しい~)
 エンヴィスやカーリが聞いたら、理解出来ないと眉を顰めるだろうなと想像しつつ、階段から建物内へ侵入しようとする。だが、その前に行手を塞がれた。
「あっと……」
 エンヴィスの張った結界のおかげで、倉庫からの脱出は不可能になった。しかしながら、建物の外壁に張り付くように設置された、非常階段は建物の内部と同等に判定されるらしい。つまるところ、発見されたら、そのまま襲われてしまうということ。今レディの目の前には、武器を携帯した屈強な男たちが、大勢待ち構えていた。こいつらを倒すのは、別段難しくはないが、いささか面倒ではある。後でエンヴィスに文句を言おうと、レディが思った次の瞬間。一階下の階段にいた、一際背が高くいかつい男が、手にした小銃で、こちらを狙ってきた。
 撃鉄を起こす音が聞こえたと同時に、彼女は即座に思考を中断する。あり得ない身体能力でもって、自身の身軽な体を大きく跳躍させると、飛んできた銃弾を回避することに成功した。火薬の爆発により発射された、小さな弾丸が鉄製の手すりを掠め、金属音を立てる。しかしその頃には、彼女の姿はそこにはなく、六段飛ばしで階下の踊り場に着地していた。まるでアクション映画のワンシーンのような立ち回りを見せ付けられて、驚く男二人を容赦なく拳で殴る。一撃で昏倒し、意識の途切れた肉体が、力なく崩れ落ちた。その片方を盾にして、次の銃撃からも身を守る。そして、軽々と振り回すと階段から一気に蹴り落とした。成人男性一人分の重量を操っているとは思えない、身軽な動きだ。銃を構えていた男たちも流石に冷静ではいられず、凶悪な顔つきを一瞬にして怯えに染め、慌てふためいて逃げようとした。だがその前に、筋肉の乗った屈強な背中に、鋭い回し蹴りが叩き込まれる。ピンヒールを食い込ませた、強力な蹴りだ。だが、一人はギリギリの状態で耐え抜くと、素早く体勢を整え、反撃を仕掛けてくる。姿勢を低くして、タックルをするように、レディの細い肉体に飛び掛かってきた。彼女は怯むこともなく、軽く身体を捻ってかわす。男は勢いのままに、階段の手すりに額から激突した。強烈な衝撃に、目の前に星が散る。痛みに目を回し硬直する男の尻ポケットに、銃があるのを見つけたレディは、すかさずそれを奪い取った。軽く弄ぶように回転させた後、グリップ部分で男の禿げた後頭部を強打する。二度目の強い衝撃に脳みそを揺さぶられ、男は呆気なく失神した。そのまま階段を転げ落ちる男を、レディは飛び退ってかわすと、くるりと空中で一回転し、いとも簡単に着地。
 身を翻すとすぐさま、建物内へ逃げていった残りの数人を追って、ドアを蹴飛ばし突入する。即座に弾丸が飛んでくるも、ドアを盾にして防御する。そして、大男から奪ったままだった銃を、前も見ずに適当に発砲した。あらぬ方向へと放った銃弾が、天井に向かい蛍光灯を破壊したのか、舞い落ちるガラス片に男の驚いた声が響く。その音がどこから発生したのか、彼女は鋭い聴覚で機敏に拾い取って、もう一度引き金を引く。見事、銃を弾き飛ばされ、手を負傷した男の呻き声を耳にしながら、足早に接近する途中、物陰に隠れた男を発見。明らかにチャラついた服装の襟を引っ張り、強引に引き寄せると、馬鹿な男が足に見惚れているのをいいことに、顔面に膝を食い込ませる。簡単に気絶した彼を放り出し、もう一人ぐらいいるだろうと警戒を張り巡らせるが、予想に反して、辺りには誰もいなかった。
 ふぅっと軽く息を吐いて、追撃がないことを確かめると、再びのんびりした調子を取り戻す。
「カーリ~」
 気の抜けた声で、魔法の通信越しの監視・通信要員に呼びかけると、すぐに応答が来た。
『右側の奥の部屋。多分……ボイラー室?レディちゃん、気を付けて』
「はいは~い、と」
 淡々と、敵の位置を把握しながら教えてくれた後に、いつも必ず付け足される心配の言葉。少し過保護だと思うけれど、友達だから別にいい。
(友達じゃなければ、おかーさんとかだったら、ウザくてやだけどね。ま、アタシ、ママなんていたことないけどっ)
 心の中でジョークを飛ばす。トワイライトを見習って、面白さを追求した言葉だ。彼女以外の者にとっては全く笑えない話なのだが、レディがそれに気付くことはない。
「ひゅ~!」
 薄暗い、埃の溜まった汚い階段を2回の跳躍で飛び越す。広い倉庫の、二階部分に到着したようだ。一階から一部吹き抜けが続いていて、それ以外の部分は、鉄製の廊下が渡されている。その先にあるのが、空調や電気などを供給する機関室のようだ。カーリが言っていたボイラー室も、近くにある。
 本当にあそこに誰かが隠れているのだろうか。気を付けて、ということは、何か強力な武器や魔法でも用意しているかも知れない。
「まぁ、行ってみればいっか!」
 深く考えず、彼女はぴょんぴょんとスキップするように気軽な足取りで部屋へと近付いた。
 途中、下から轟音が聞こえ、足元に弾丸が衝突する。金網を破壊するほどの威力を持ったものではないものの、伝わった振動と甲高い金属音に、わざとらしい驚きの声を上げた。
「うわっとっと!」
 おどけたように片足立をして、くるりと回る。手すりから身を乗り出し、階下を見下ろせば、銃撃戦の舞台と化した、倉庫一階の様子がよく見下ろせた。ドラム缶や木箱を並べて、簡易な防御壁を築き、そこに身を隠したチンピラ悪魔たちが、おもちゃのような銃を向け、入り口の方へと一心不乱に銃弾を注いでいる。雨霰と降り注ぐ弾丸の先にいるのは、彼女の上司トワイライトだ。彼の近くには、頭を抱え縮こまるアッシュの姿もある。
「頑張れ~、トワさん」
 エンヴィスが聞いたら、失礼だと怒るような声援を、彼に向ける。チンピラには興味がないが、あの人の圧倒的な強さには心惹かれるものがあった。現に、飛んでくる銃弾全ての射線状にいながら、彼は未だかすり傷一つ負っていない。一体どんな魔法を使えば、あんなことが可能になるのか。優れた動体視力を目一杯働かせても、看破出来たことはない。
「ほんと、あの人どうやってんだろ。いつか勝てるかなぁ、アタシ……」
 錆びついた手すりに組んだ両手を乗せ、顎を乗っけて観察している彼女だが、その背後には、巨大な刃物を振りかぶった、大男がいた。彼が手にしているのは、剣先がバターナイフのように太く丸みのあるフォルムに作られた、いわゆる中国刀と呼ばれる武器。まさしくおもちゃのようなそれが、空気を切ってレディの後頭部を切り裂こうとする。
「ぽーん!」
 しかし、少し前から男の存在に気が付いていたレディは、攻撃を機敏に見切って、回避した。ふざけた声と共に素早く身を翻し、側転をして通路の反対側へと移動する。切り裂く対象を失い、空振りした刃が、手すりに強くぶつかる。金属と金属が衝突する、嫌な音が響き渡った。それと同時に、辺りの空気が不自然に揺らぎ、超音波のような不快な音が、レディの耳を直撃する。
「いた……何それ。魔法の武器?」
 耳を押さえ、わずかに顔を歪めて男に問うが、彼はどうやら聞いていないようだ。相手を殺すことが唯一生き延びる道だと信じて疑わないらしい。息を荒げ、興奮し切った顔で、レディを見据えゆらりと刀を構えている。恐らく、あの薬でもキメたのだろう。
「わっ!わっ、わ」
 理性を失った男は、なりふり構わず刀を振り回す。刃が鋭く空気を切り裂く度、嫌な振動が空気を揺らして、地味にストレスを与えた。
「もう!」
 苛立ったレディは、多少強引にでも男の手から刀を奪うべく、身を屈めると一気に突っ込んだ。ヒールの踵で彼の足を踏みつけ、痛みに動きが一瞬止まった隙をついて、刀を振るう右手に手刀を食らわせる。それと同時にもう片方の手も捻り上げれば、拘束は完了だ。痛みに呻く彼に構わず、刀を足で払い、遠くへ飛ばしてから、男に向き直ると首筋にチョップをお見舞いした。ズルリ、と気絶した男が床に伸びる。
「ふぅ、危なかった」
 多少ムカついただけで、ちっともピンチではなかったのに、わざとらしく呟く。ついさっきまで、激しい戦闘音が響いていたはずの下の階も、今は水を打ったように静かだった。
「カーリ、こっちもうこれ以上いないんだけど。そっち行った方がいい?」
「ううん、こっちは二人しか来てないし、もうエンヴィスさんが倒してくれたから」
 通信をオンにして同僚に尋ねれば、彼女の優しげな声が、任務の大半が終了したことを告げてくる。大して苦戦しておらず、運動しきれていない彼女には、消化不良だ。
「な~んだ、エンちゃん、酷い奴~」
「仕方ねーだろ、術式の妨害してきたんだから」
 カーリに向かって愚痴を吐いたつもりが、まさかの本人が登場し、軽く叱られる。うげ、と口だけ開けて呻けば、手に付着した赤錆に目がいった。汚い汚い、と眉を顰め手を振るう。
「いいから、さっさと戻って来い。トワイライトさんと一緒にな」
「は~い」
「レディちゃん、でもあと一人残ってるから、気を付けてね。リーダーかも知れないし、強いかも知れないから」
「わぁ~かってるってぇ。心配性カーリ。じゃあ後でね~」
 汚れた手をパンパンと払いながら、適当に答える。結局、錆はちっとも落ちなかったが、気持ちだけ綺麗になればよしとする。通信を切って、ふんふんと鼻歌を歌いながら、階段へと続くドアを開けようとノブに触れたところだった。
「!!」
 肌を突き刺す、何かの気配。彼女は咄嗟に、床を強く蹴ると、バック転をしながら大きく退がった。だが十分な距離を取る前に、金属製の重たいドアが弾け飛び、彼女へと飛んでくる。反射的に腕で顔をガードするも、衝突の衝撃を完全に殺すには至らない。運の悪いことに、彼女が着地しようとしたのは、通路の手すりの上だ。ドアに跳ね飛ばされ、バランスを崩した彼女は、足を滑らせ細身の体を頼りなく空中へ投げ出す。
 はずが。
「おっと。大丈夫かい?」
 白く細い手首を、誰かが力強く掴んだ。彼女は手すりに尻を乗せたまま、大きく仰け反らせていた上体を元に戻す。すると、茶目っ気のある黒い瞳と視線がかち合った。トワイライトだ。角を隠していた魔法が解けたのか、何もない額付近の空間に、黒く艶のある塊が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
「トワさん!」
 いつの間に一階からここまで来たのかは分からないが、非常にタイミングのいい登場に、レディは歓喜した。後ろにはあのチンピラもついてきていたが、彼女にとっては空気に等しかったので、無視する。
 飛びついてくるレディに構わず、トワイライトは目線を下に落とし、無惨にひしゃげた金属製のドアを見遣った。
「これは……相当厄介な奴がいるようだね」
 流石の彼も、いつもより多少真剣な声色だった。とはいえ、多少で留まっているのが彼の異常なところだが。
 その言葉に応えるように、がらんとした空虚な踊り場を破壊して、巨大な悪魔が顔を出す。ドア枠にかけた手は、レディの胴体くらいあるだろうか。鋭い爪が壁に食い込み、硬い金属製の枠を簡単に切り裂いている。
「グオォオオオオ!!」
 およそ、悪魔とは思えない、獰猛な咆哮が響き渡った。狭い隙間に無理矢理巨体を押し込んで、その凶悪な見た目が顕になる。
 上半身裸の、醜悪で巨大な外見の悪魔だった。
 どす黒い、太い血管がボコボコと這い回った不気味な赤い肌。腕は太く、地面に擦りそうなほど長いのに、巨体を支える足は非常に短い。同じように、あり得ないほど幅のある肩や、小山のように盛り上がった筋肉のついた上半身に比べて、上に乗っている頭は小さ過ぎてお飾りのように見えた。瞳は顔の肉に埋もれるほど小さく、鼻はゴブリンのように丸く不恰好な形をしている。分厚い唇を割って飛び出す牙は、やたらと長い。そのせいで、顎がしゃくれているように見えるのも滑稽だった。
「何あれ……キモっ」
 まるで、一部分だけ丹念に考えられ、他は全く考慮されずにデザインされた創作モンスターのよう。ゲームでだって、ここまで醜悪な外見にしたら、クレームがくるだろう。気持ちの悪い見た目に、レディは思わず本心を漏らす。トワイライトが苦笑しながら宥めた。
「まぁまぁ、そう言うなよ。見た目はあれだが……多分かなり強いぞ」
「でもキモいじゃん」
「そんなこと言ってる場合か!?」
 二人が下らないやり取りをしていると、二人の後ろに隠れていたアッシュが堪らずツッコミを入れた。その大声を拾ったのか、巨大な悪魔は太い腕を振るって岩のような拳をぶつけてくる。二人はそれを、軽々と跳躍して回避した。トワイライトにつられて引っ張られたアッシュも無事のようだ。
 だが、悪魔の攻撃は終わらない。殴り飛ばすものを失った腕は空振りすると同時に、通路の手すりや、壁に固定していた支えなどを薙ぎ払い、破壊する。支えを失った廊下が傾き、変に負荷のかかったボルトが、音を立てて弾け飛んだ。
「掴まって、レディくん」
 トワイライトは、早くレディの肩を引き寄せ、自分の魔法の効力範囲に入れると、あっさりと通路から飛び降りた。ふんわりと、まるで空から舞い降りてきたかのように柔らかく着地する。彼らの隣に、がしゃんとけたたましい音を立てて、大量の金属物質が落下してきた。瓦礫の積み上がるコンクリート製の床を、ぼんやり眺めていたトワイライトは、突然思い出したようにレディを抱えた腕を離した。
「おっと、すまんすまん。咄嗟だったから、ついね。セクハラだったかな」
 おどけて両手を広げてみせる彼に、レディが応じる応じる間もなく、重量のある物体が再び上から降ってくる。あの巨大悪魔だ。巨体が落ちてくる振動で、倉庫全体が揺れた。
「ヒェっ……」
 勝てっこない。怯えたアッシュは、くるりと背中を向け、情けなくも逃げようとした。ところが、彼に付けられた手錠が効力を発揮し、彼は途中で何かにぶつかったように、逃走を阻まれてしまう。逃げられない、そう判断した彼は、少しでも身の安全を確かめられそうな場所を探し、近くにあった木箱の影に隠れる。
 コソコソと身を隠したアッシュをチラリと一瞥してから、トワイライトは呆然としたように、目の前の巨体を眺めた。
「どうする?アレ……正面からじゃ力負けするぞ」
 まさしく、凶暴な暴力の権化とも呼ぶべき存在の登場に、まともに相手をする気力が削がれていく。人間たちにとっては、悪魔なんて存在が既にファンタジーかも知れないが、それならばこの状況は、更に非現実的で空想的だ。
「う~ん、そうだねぇー……逃げちゃおっか!」
 レディも同じ気持ちだったのか、選択不可能な選択肢を提示してガッツポーズを作る。唯一常識的な対応を保有していたアッシュだけが、やる気のない二人を非難した。
「そんなこと出来るわけないだろ!?アンタら、何とかしてくれよ!ガイルは一番の怪力だ!それにあいつ、今はまともじゃない!ほっといたら、倉庫自体が崩れるかも知れないんだぞ!?」
 そういって指差す巨大な悪魔は、かつてはアッシュの仲間の一人だった男だ。名前はガイル。最も戦闘経験が高く、仲間たちの内でも頼りにされていた。ラードだって、あのパワーと正面からぶつかったら、苦労するはずだと、冗談めかして話していた。トワイライトとレディだって、例外じゃないと思う。いつまでもふざけたことをぬかしていると、簡単に負けてしまうだろう。そうしたら、巻き込まれた自分も、仲間の手で殺されるかも知れない。
「うるさいなー。黙っててよ」
 命の危機だ、と告げるアッシュの怯えた声は、レディの冷たい一言ですぐさま遮られた。トワイライトも、彼女に同意するように言葉を付け足す。
「大丈夫。我々はこんなところで引き下がったりしないよ……逃げたら、職務放棄で懲戒解雇だからね」
 絶対に勝つ、とか漫画にあるような格好良い台詞が来るのかと思いきや、冗談めかしてそんなことを言う彼。いや、彼からしたら、仕事をクビになるのだから冗談ではないのだろうが、この局面で口にする言葉としては、かなりピントがずれている。それなのに本人は大真面目な顔をしているから、本当に彼の思考が分からず、アッシュは顔を歪めた。
 (何なんだ、あいつ……)
 心の声を遮るように、突如ガイルが巨大な腕を振るう。辺りの物を手当たり次第に薙ぎ払う攻撃を、トワイライトはしゃがみ込み、レディは大きく跳んで回避した。肘で崩された木箱の山が、破片をこぼしながらコンクリートの床に注がれる。
「うわー!!」
 アッシュは、悲鳴を上げて頭を抱えた。
 背筋を伸ばしたトワイライトが、頭についた木屑を払い、呟く。
「どうやら、逃してはくれないようだ……仕方がないね。一戦交えるとしようか」
「いえーい!トワさん最高!!」
 スーツの袖を捲るような仕草をする彼の隣に、降り立ったレディが両の拳を突き上げて歓声を上げる。余程、強い相手と戦えることが嬉しいようだ。トワイライトは喜びに飛び跳ねる彼女を見て苦笑い、それから少し冷静さを増やした目でガイルを一瞥する。
「とりあえず、有効打を探りながらやるとしようか。無理はせずに。あぁ、カーリくんに遅れると連絡を入れてくれ」
「はいはーい」
 ご機嫌なレディは、そんな雑用すら気軽に、そして簡単に済ませると、トワイライトと同じく敵を見据えた。彼女の雑な報告を受けて、きっとカーリは戸惑っていることだろう。
 アッシュは、巻き込まれないよう物陰から彼らの様子を窺う。仲間が自分を狙うとは考えにくいが、さっき倉庫に侵入した際も、トワイライトの近くにいたせいで撃たれかけた。トワイライトが謎の魔法で対抗しなければ、自分は今頃ただの肉片と化していたはずだ。相変わらず、他人のことを気遣えない連中だ。アッシュは自分のことを棚に上げて、粗野な仲間たちを恨む。
 同じくガイルも、敵味方問わず無差別に攻撃してくるようだった。薬でもキメたのか、完全に理性を飛ばしているように見える。自分だって、もしこの手にあれば摂取していたところだ。気持ち良くトリップ出来ていたら、こんなイカれた状況も、少しは楽しめたかも知れない。それが出来ないことを悔やみながら、戦闘の状況を物陰から見守る。自分を捕まえにきたトワイライトたちと、自分を殺すかも知れないガイル、一体どちらを応援したら良いのかと迷いながら。
 トワイライトたちは、ふざけた調子を保ちながらも、冷静に状況を見ていた。振り回される巨大な大木の如き腕を、的確に回避しながら、彼を倒す術を探している。明らかに自我を失って暴走状態にあるガイルを前にして、ああも微動だにしない相手は、人間でも悪魔でもいなかった。魔界府の巡査などは、いつも片手に拳銃を握りしめて威嚇する割に、背中は震え一発殴られただけで簡単にやられていたものだ。少し仕事が違うだけで、あそこまで差があるものなのだろうか。確実に余裕のありそうな対応をしているトワイライトたちを、アッシュはじっと見つめる。
「私が気を引こう。レディくん、頼めるか?」
 何かアイディアを思い付いたのだろうか。それとも、弱点を探るための一手なのか。トワイライトがそんな提案をする。問われたレディは、本当に分かっているのかと尋ねたくなるような気軽さで、頷いた。
「オッケ~、じゃあ行くよ!」
「あっ、おい!」
 トワイライトの状況も確認してから行動すべきだろうに、勝手に走り出す彼女。トワイライトは若干驚いたように声を上げていたが、次の瞬間には再び冷静さを取り戻して即座に行動を始める。魔法を使って跳躍を少し高くした後、木箱の山の一つに足をかけ、よじ登り始める。山と積まれた荷物の、一番上にまで到達すると、彼は両手を広げ、ガイルを呼んだ。
「お~い、ガイルくんだっけ?こっちに来たまえ」
 声をかけられたガイルは、焦点の合わない目をぼんやりとトワイライトの方に向ける。振り向きざま、閉じ切らない口の隙間から涎が垂れるのが見えた。ガイルは、声をかけてきたのが、自分の半分ほどしか背丈のない、この男だとは信じられないようだ。およそ肉弾戦とは無縁そうな体格の中年男を前にして、怪訝そうに目を瞬かせ、軽く首を捻っている。一体何の目的でこいつはここにいるのか、と問いかけたいようだった。
「私が相手しよう。かかってきたまえ。もちろん……出来るもんならね」
 トワイライトは彼としっかり目を合わせると、わざと無防備な姿勢を晒し、顎を上げた勝ち気な表情を見せる。あまりにも分かりやすい挑発だったが、頭の回転の悪くなったガイルは、簡単に乗せられてしまった。トワイライトの言葉を間に受けた彼は、怒り狂った咆哮を響かせると、大きな拳を振り翳し、重たい足音を鳴らして一気にこちらに突っ込んでくる。
「おっと」
 巨体が走る振動で揺れる足場に、トワイライトは多少慌てた調子で呻くものの、鍛えられた体幹はそう簡単に崩れない。不安定な木箱の山に、平然と立ったまま、広げた両手の先を曲げ、何かを掴むような仕草をした。見えない何かを思い切り、力強く握り込むように。
 その動作がきっかけなのか、アッシュには分からないが、彼がその動作をした直後、何か不思議な力が辺りに満ちるのを感じた。周囲の空気が揺れて、それまで鳴りを潜めていたエネルギーが、突如として膨れ上がるような感覚。驚いて必死に目を凝らすが、何も見えやしない。けれど、確かだ。確かに、莫大な力が集まっていく。人間とさほど変わりのない、平凡な手の中で、みるみる大きくなっていく。それが、それこそが、魔法。悪魔の、悪魔たる力の所以。この世界の物理法則をひっくり返し、常識を覆す、理解不能な力。それが、いよいよ効力を発揮する。
 トワイライトの足場を構成する、山のように積み上がった木箱や、周辺に散乱する瓦礫、落下して壊れた通路の残骸など、あらゆる物体がガタガタと不規則に動き出した。まるで、別の意志を与えられて震えているみたいだ。やがてそれは、数瞬と経たない内に、振動をやめ静かになると、ふわりと軽く浮き上がった。まるで、重力など存在していないかのように。誰の手にも触れられることなく、自動的に浮遊し、空中に漂い始めたのだ。
「え!?」
 アッシュは目を見張る。それもそうだろう。彼が今目にしているものは、到底言葉にしては信じられない出来事。常識ではあり得ない事態だ。直接この目で見ていなければ、現実だと思わなかっただろう。
 だが、これが現実だ。世の理を歪め、世界に干渉する力は実在する。信じ難いことだが。
 アッシュが瞠目し、事態の理解に必死に努めている間に、トワイライトは自身の魔力を余すことなく的確に使う。大量に浮かばせた物品を、一気に倉庫の天井近くまで持ち上げると、途端に魔法を解除した。そのまま自然の摂理に任せて、重量のある荷物や金属塊などが、一気に落下し始める。
 再び轟く、衝突音と衝撃。魔法などまともに見たことのないガイルは、浮遊していく物体の行く先をぼんやりと眺めたまま、立ち尽くしていた。だから簡単に、落ちてくる物体を避けることもなく、圧倒的重量の下に押し潰される。
「ガァアアア!!」
 獣のような咆哮が、辺りを劈いた。その音の波の影響なのか、彼の全身から立ち上る暴力と狂気の気配なのか、周辺の空気はビリビリと震え、アッシュの肌に刺激を与える。
 そこへ、落ちていく瓦礫の山を踏み台にして、高く高く跳躍する小さな影が一つ。心の臓まで震え上がらせる悪魔の轟など意にも介さず、細くしなやかな身体を使って、巧みに障害物を避けると、スピードを更に加速させながら、倉庫の天井近くまで一気に飛び上がる。3メートル越えのガイルの身長より、もっと高く。そして、胎児のように丸めた体をくるくると回転させながら、大胆に伸ばした長い足だけを一本、鋭く突き出して。
「きゃぁあああーーー!!!」
 ジャングルで鳴く鳥のような、甲高い奇声を上げるレディ。ピンヒールを履いた足が、ガイルの頭部に踵落としを決めようとする。
 だが。
「レディくん、ダメだ!」
 瓦礫の向こうから、トワイライトの制止が響く。レディはそれを耳にするが、どの道もう止まれない。勢いと重力に乗って落下し始めた彼女の体は、横から巨大な質量に叩かれ、いとも簡単に吹き飛んだ。
 大量の重たい荷物に下敷きにされたガイルだったが、彼は倒れることなく、依然として戦意を保っていたのだ。反射的に腕で顔を覆って身を守ったものの、頑丈な彼の体には傷一つつかなかった。だから、隙をつこうとしたレディのことだって、条件反射的にその巨大な岩のような拳で殴り飛ばせたのだ。まるで、虫が近寄ったから叩くように。
「ッ!!」
 かろうじて悲鳴を飲み込んだレディは、打撃を食らった勢いで、一気に弾き飛ばされる。トワイライトが咄嗟に魔法を発動して、彼女にぶつかりそうな瓦礫を避けてくれたが、それでは当然止まらない。アッシュは己でも知らない内に、声を上げていた。
「危ないっ!」
 そのまま、金属製の壁へと、勢いよく衝突するかと思った彼女だったが、間一髪誰かが受け止める。もちろん、トワイライトだ。
 一足飛びに瓦礫の山に駆け上がった彼は、魔法を使って彼女の勢いを殺すと、細身の体を抱き込むようにして受け止める。殺しきれなかったスピードに流され後ろに倒れ、彼女を抱えたまま、背中から山を転がり滑り落ちた。しかしおかげで、レディは無傷だ。
「ぅっ……うわわっ。いたっ……あぁー」
 とはいえ、トワイライトの方はそうはいかない。一気に坂を転がり落ちた彼は、痛みに小さく呻きながら、両腕を投げ出して仰向けに床に転がった。彼に抱え込まれていたレディは、一瞬ポカンとした顔を見せたものの、すぐに立ち上がってトワイライトの上から退く。殴り飛ばされたダメージなど、微塵も入っていないような身軽な動きだ。あれだけの暴力を受けたら、普通は骨が折れたり内臓が破裂したり、最悪ミンチになっていてもおかしくはないのに。
 彼女の頑丈さに、アッシュは目を剥く。一体、どんな強力な魔法を使ったら、あんなことが可能になるのだろう。
「ありがとートワさん!」
「いいんだよ、君が無事なら……あいっててて。腰の骨打ったな……」
 あざとく可愛こぶった、語尾にハートマークをつけたような言い方で、レディは礼を言う。トワイライトはそれには動じず、型にはまったようなセリフを吐きながら、立ち上がった。打ち付けたという腰をさすってはいるが、本当はそんな痛みも覚えていないんじゃないだろうか。そう疑いたくなるような演技くさい動作だ。
「いや~しかし、あれは思ったより頑丈だねぇ。並大抵の力じゃ崩せない……さてさて、どうしたものか……君、何か知らないかい?彼、何か特殊な魔法を使ってるとか」
 案の定、数秒後には平気な顔をして話し始めたトワイライトに、話を振られてアッシュは戸惑う。
「い、いや何も知らないっ、知らないよ!」
 言葉尻が震えてしまうのは、完全に恐怖によるものだった。ガイルも確かに恐ろしいが、あいつと真っ向から張り合えるトワイライトは、もっと恐ろしい。何しろ彼は、まだまだ強さを隠していそうだからだ。本気を出せば、ガイルなんて簡単に薙ぎ払えそうな余裕を醸し出している。そんな相手に、舐めた口を利けば即座に殺されるかも知れない。だからアッシュは、もはや彼に逆らうことはせず、素直に情報を渡すことにしていた。
「ガイルの力は、巨大化と身体能力の強化だ。だけど、あそこまでのデカさを保つためには、相当の魔力がかかるはずなんだ。だからいつもは数分しか持たない……なのに、今日はおかしいんだ!」
「あれ、意外とあっさり教えてくれるんだね。さっきまであんなに反発していたのに。反抗期は終わりかい?」
 トワイライトは彼の反応の変化を素早く察知し、訝しそうに問いかけてくる。一見、ただの疑問を表しているようだったが、内心は面白がっているのではないかと、アッシュは肝が冷えた。
「あ、あんなのが暴れてたらまともに動けるわけないだろ?今のあいつ、おかしいよ。まともじゃない!さっさと止めてくれよ!」
 ガイルのことを伝えている間も、恐怖が倍増してきて、悲鳴のような声を上げてしまう。情けないことだが、ガイルの声を聞いてしまったら、格好つけるだなんて考え、頭から抜け落ちていた。本当の恐怖の前では、自分はただ惨めに震えることしか出来ない悪魔なのだ。
 残酷な現実を突きつけられて、目の淵に涙を浮かべるアッシュ。トワイライトたちはそんな彼の隣にしゃがみ込んで、木箱の影に身を隠した。狭い範囲しか見えていないガイルが、敵を見失っている間に、作戦を立て直すつもりだろう。
「理性を失ってる原因は分かるよ。彼は恐らく、己の中で魔力を暴走させてる。多分、意図的にね」
「魔力の暴走?」
「そんなこと出来るの?」
 アッシュの右横に座ったトワイライトが、人差し指を一本立てて、それらしく解説する。アッシュとレディは聞き慣れない単語に、首を傾げて聞き返した。トワイライトは生徒に教授する講師のように、もったいつけた口調で続ける。
「理論上はね。普通は、そんなことしたら体が壊れるからやらない。だけど、知識のないチンピラが相手だったら、あり得る話だ。例えば、どこかの悪魔に唆されて、危険性も知らないまま、言われた通りに自ら暴走を……とか。違うかな?」
「ラードを貶すのはやめろよ!むぐっ」
 尊敬するリーダーを陥れるような言い方に、アッシュは堪らず反論する。しかし途中で、レディに口を塞がれた。もはやビンタと言っていいような勢いに唇がヒリヒリと痛んだ。
「でも、じゃあ……どうすんの?あいつ今、相当危険な状態ってことでしょ?」
 アッシュを黙らせたレディが、代わりに口を開く。意見を求められたトワイライトは、腕を組んで唸った。
「う~んん……選択肢は色々ある。だけど、もう早めに終わらせてしまいたいしね。ここは思い切って、賭けに出てみようかと思うんだが……」
「賭けって、そんなこと、危険じゃないのか?」
 聞き捨てならない単語に、堪らずアッシュはレディの手を引き剥がして口を挟んだ。それを不快に思ったのか、彼女から肘が飛んできて、再び黙らされる。
「危険だよ。だが、やるしかないんだ。非常に、気の進まないことだけどね」
「アタシは、何すればいい?」
 平然と答えるトワイライトに、レディも同じように何も身構えず尋ねた。涙目になったアッシュは、彼らのやり取りを眺めることしか出来ない。
「基本的には、先ほどと同じ手法で構わない。私が隙を作るから、君はそれを見て攻撃するんだ。出来るね?」
「もちろん!」
「おい……本当に、出来るのかよ?」
 痛みに息を詰まらせながら、かろうじて掠れた声を絞り出すと、トワイライトは誤魔化すように、頭を左右に振って笑った。
「さぁ、どうだろうねぇ。私の攻撃力と、彼の防御力の正面衝突ってことだから……結果は、どうなることやら」
 のらりくらりとした態度に、アッシュの体内は不安でいっぱいにさせられる。ところが、突然トワイライトは目を輝かせると、凄い勢いでアッシュの方に顔を向けてきた。
「そうだ!君も、協力してくれないかい?」
「はぁ!?」
 告げられた突飛な提案に、彼は声を裏返し、当たり前の反応を見せる。トワイライトは、そんな彼を宥めるように、ぽんと軽く肩を叩いた。
「大丈夫。君はただ、私の言う通りにしてくれたらいい。そうすれば、君の身の安全は保証するよ。約束だ。いや……”契約”でもしてあげようか?」
 言葉の上では軽々しく聞こえているが、肉体にかかる負荷は重たい。ずしんと胸奥が澱むような感覚と共に、脳みそには妖しく蠱惑的な言葉が渦巻く。”契約”。それは、悪魔にとって最も魅力的で、最も渇望するもの。それを結ぶことが出来たら、悪魔としての一生の名誉だろう。
 だが、そんな大事なものを、こんな男と交わすはずはない。
「ふざけるなッッッ!!」
 ふつふつと、腹の底から迫り上がってくるマグマを、思い切り噴出させる。”魂の契約”なんか、絶対にごめんだ。甘い甘い蜜には、それ相応の毒があることくらい、の危険性くらい、アッシュだって理解している。
 だけれど、この男に協力するしか道はないのだと、どこか冷静な自分が訴えてもいる。感情での反発なんて馬鹿らしいと、現実を見ろと、頭の中で煩く喚く、もう一人の自分。
「でなければ、君も私も、ここで死ぬだけだね。それでも良いのかい?」
 トワイライトは彼の葛藤を見抜いているかのように、黒い瞳で、覗き込んでくる。彼の言葉は、依頼と装った、実質命令だ。そして、脅迫でもある。従わなかったら身の安全は保証しないと言っているのと同じことなのだから。もしここで突っぱねて、言うことを聞かなければ、自分は味方であるガイルに殺されて終わるだろう。
 こんなところで同士討ちに遭い、惨めったらしく死ぬか。それとも彼に協力するか。答えは一つしか出ない。だが、言葉にしようとすると、はらわたが煮えくり返って、上手くいかなかった。
「さぁ、もう時間がないぞ。早く決めるんだ。この話、乗るか?それとも………断るのか?」
 理性と感情に翻弄されるアッシュ。トワイライトは、彼の内心を分かっていて、尚彼を急かすような言葉を、ゆっくりと紡ぐ。背後では、ガイルの咆哮と、爆発音と間違うような打撃音が響いている。早く決断しなければ。気持ちばかりが焦っていく。ストレスだけが、湧水が溜まるように蓄積されていく。ガチンと、撃鉄を起こすような音が、耳の内側で鳴った。
 あいつは、脱界者の命など何とも思ってはいない。ただ逮捕すべき対象としか、認識していないのだ。奴にとって、自分のような立場の弱い者は、ただの駒。そこら辺に落ちている、いつ壊れても無くなってもいいような、道具の一つに過ぎない。ここでアッシュが死んだとしても、彼はきっと、明日も明後日も、何ら変わりない日常を送っていくのだろう。アッシュという悪魔がいたことなど、すぐに忘れて。
 怒りが煮え立つ。こんなところで、死ぬのはごめんだ。魔界府の犬なんかに、見下されたまま、墓に入ることも出来ないなんてあまりに横暴だろう。自分は、まだ、生きていたい。
「分かったよ、やればいいんだろやれば!」
 少しでも、生存確率の高い方があるのならば、そちらを選ばない選択肢はなかった。
 戦うしかない。例え、こんな男と手を組むことになったとしても。自身の生存には変えられないのだから。
 大声で協力を約束したアッシュを見て、トワイライトはほくそ笑む。彼の肩に触れていた手を離すと、小さく手を合わせて音を鳴らした。
「ご協力感謝するよ。それじゃ、手筈通りに」
 打ち合わせた掌の間に、小さなメモが出現する。ノートを破り取ったような紙切れに書かれた、3行ほどの丸っこい手書きの文字を読むと、アッシュは舌打ちをする。何故こんな、危険な役目を自分が担わなければならないのか。失敗すれば、命を落とす危険な任務を。
「くそ……くそ!」
 抗議しようとしても、トワイライトは既にこの場にいない。白々しい男だ。こちらが同意をしたら、平然と厄介な仕事を押し付けるだなんて。くそったれと吐き捨てて逃げ出したいが、それは出来ない。やるしかないのだ。呻きながらも、彼は腹を括る。生きるためだと、己に精一杯言い聞かせて、大きく息を吐く。覚悟を決めると、一歩を踏み出した。
 一方でガイルは、グルルル、と野蛮な呻き声を上げながら、小さな頭を巡らせて、トワイライトたちがどこに隠れているのかを探していた。ちびちびと、無謀にも接近しては攻撃を当てていくレディのことは、もはや煩わしいだけだ。有効な対処法が思い浮かばないことが尚更苛立ちを加速させる。アッシュは、物陰から顔を出してその様子を窺う。
 もう一度、トワイライトから与えられたメモに目を落とす。こんなことを本当に実行するなら、重要なのはタイミングだ。下手なことをして、あいつを刺激することだけは避けなければならない。アッシュにもそのくらいのことは分かる。だからこの数分間、じっと動きを止めて、それを待っていたのだ。そして、好機は訪れる。今だ。本能と直感が囁く。アッシュは素早く立ち上がり、両手を口元に開けると、大きく声を出した。
「おぉ~い、ガイル!」
 名前を呼んで、積み上がったドラム缶の影から姿を現す。両手を上げて、無防備な姿勢を見せながら、敵意はないとアピールする。こんなことしても意味はないだろう。完全に理性を失ったガイルには、逆効果に思える。だが、これがトワイライトの指示だった。ガイルに話しかけて、注意を逸らすこと。もし上手くいけば、奴がガイルを倒してくれるはずだ。その可能性に賭けて、今は行動するしかなかった。
「俺だよ、俺!アッシュだ!助けに来たんだ!お前、ピンチなんだろ!?ボスに聞いてきたんだよ!」
 精一杯、高い位置にある小さな頭に届くように声を張り上げる。ガイルの、焦点の合わない充血した目が、アッシュを捉えた。肥大した瞳孔に自分が映るのが見えそうだ。凶悪な牙の隙間から垂れる涎は、酸性を持っているのかコンクリートの床に落ちるとかすかな音を立てて表面を溶かしている。
 怖い。本能が悲鳴を上げる。膝が、あまりの恐怖でガクガク震えてきた。今すぐにでもここから逃げ出したい。頭の中で誰かがそう叫んでいる。このままでは死んでしまうと。だが、そのに従うことは出来ない。もう決めたのだ。己の生きる道は、己の力で切り拓く。
 そうやって、必死に自分で自分を鼓舞しながら、足を前に進める。視界の端で、トワイライトが何やらコソコソしているのが見えた。
「俺たち、魔界府の連中に目をつけられてたんだ!早くここから逃げなきゃ、全員捕まっちまうよ!ボスが逃走経路を用意してくれたから、一緒に行こう!後はもう俺とお前だけだぜ!?さぁ、急げよ!」
 今まで、こんな低レベルの脳みそが役に立ったことなどなかったのに、アッシュの口から咄嗟にこぼれた嘘は、実に現実味のあるものだった。自分で喋りながら、感心してしまうほどだ。この劇的な進化は、かつてないほどの危機的状況に置かれていることに、起因しているのだろうか。頭の片隅でそんなことを考えかけるも、慌てて意識を目の前のガイルに戻す。ともかく、今は奴の視線をこちらに張り付かせなければ。責任という重圧に、押し潰されそうになる。大声を出すのも、喉が痛くて嫌だ。だが、これ以上近付くのは危険だ。今この場から、何とか言葉を捻り出すしかない。もう少し。あと少しの辛抱だ。
「こんな連中と戦うことないって!早く逃げよう!ガイル!!」
 魔界府のいる前で、逃走の算段なんて、頭のおかしな話だ。それに、逃げられないことを知っているから、ガイルも暴れ出したのだろう。自ら言い出しておきながら、矛盾しかない言葉だ。やはり、元々地頭の悪い奴がどれだけ頑張っても、急成長は出来ないのである。
 しかし、ガイルはアッシュの話の不整合性に、気が付きもしなかった。ただぼぅっとして、彼の声を聞いている。どうかそのままでいてくれ、とアッシュは心から願いながら、続きを紡いだ。
「お前一人だけ置いて逃げたくないんだよ!俺たち、仲間だろ!?一緒にバカやったじゃないか!”ホーリーエンジェル”売ったりさ!あれ儲かったよな!ああいうの、もう一度やろうぜ!ここで終わらせる必要なんかねぇよ!」
 必死のあまり、ついうっかり、違法薬物の販売のことまで認めてしまった。だが、今ばかりはトワイライトたちも口を出せないはずだ。ここで彼らが発言すれば、計画は全て狂う。
「なぁガイル!返事をしてくれよ!!俺のこと……忘れちまったのか?もうお前の中には、破壊しかねぇのかよ?」
 アッシュの台詞は、もう大詰めだ。どこかの少年漫画で読んだような、胸を打つ感動的な言葉を、大根役者ばりの棒読みで発する。情に訴えるなんて古風なやり方だ。自分でも思う。しかし、ガイルはいつの間にか、完全に動きを止めて、ただ静かに、アッシュの話を聞いていた。レディやトワイライトも、気配を消してまるでこの場には二人しかいないようだ。
(もしかして……)
 アッシュの胸に希望が灯る。自分の言葉が、届いたのだろうか。暴走状態で、人の話を聞く状態じゃなかったガイルの心をも、揺さぶったのだろうか。自分には、誰かの心に響くスピーチをぶち上げる才能があったのかも知れない。
 そんな子供じみた淡い期待は、ガイルの腕の筋肉によって、脆く儚く砕け散る。
「ブッ殺シてやルゥウううう!!」
 辺りの空気を震わせる雷鳴の如き咆哮。ガイルは、巨大な棍棒のような腕を振り上げ、アッシュの頭上へと持ち上げていた。
「ヒェエっ!!」
 これ以上は、無理だ。アッシュは情けなく悲鳴を上げると、無防備に背中を見せて、一目散に走り出した。少しでも奴から遠ざからなくては。大して運動などしたことのないひ弱な足を、全力で前に出す。ここまで早く走れたのは生まれて初めてだ。やはり、危機に瀕していると身体能力が飛躍的に上昇するのだろうか。脳の働きもかつてないほど秀逸で、周囲の光景をあり得ないほど鮮明に、まるで時間の流れがゆっくりに思えるほど、詳細に認識し始めた。
 ガイルとの距離を測ろうとして、振り向くと、自分の背のすぐ後ろに、奴の巨木のような手があった。拳も巨大で、まるで岩のようだ。拳先が触れるまで、後数センチしかない。1秒ごとに1ミリずつ、アッシュに近付いてくる。高速回転した脳のおかげでかなり遅く見えるが、アッシュの走るスピードは残念ながらそれより遅い。もう少しで拳が完全にヒットしそうだ。
(……死ぬ)
 そう思った時、どこからか誰かの囁き声が聞こえてきた。耳にした者を惹きつける、印象に残る低い声。トワイライトが左手を無造作に前に出して、何事か呟いているのが視界の端に映る。彼の声だろうか。一体何をするつもりだ。疑問が湧き上がった瞬間、脳細胞が限界に達したのか、時間的流れが急に元の速さに戻った。その瞬間、突如として鼓膜を震わすのは、けたたましい金属音だった。同時に、何か不思議な力に背中を押されたように、アッシュはコンクリートの床に不恰好に倒れ込んだ。
「うわっ!」
 驚きで声が漏れたものの、反射的に伸ばした手で床を押し、無理矢理体勢を立ち直す。よろめきながら数歩前に出て、後ろを振り向くと、いつの間にやら景色は一変していた。
 足元に、ガラガラと煩い音を立てて、金属片が転がってくる。光沢のある、銀色の金属だ。よく見れば細かな装飾が施されている。ドラマでよく見かける、貴族が使うカトラリーのようだ。正体を探ろうとそれらを凝視すると、中には本当にナイフのように、刃のあるものも見つけられた。だが、そのサイズは、明らかに食事用のナイフなんてものではない。まるで、ファンタジー漫画の騎士が持つ、剣だ。
「グワァアアア!!」
 ガイルが苦痛に満ちた呻き声を上げて、がっくりと膝をつく。見ると、筋骨隆々とした凶悪な肉体に、無数の傷が付いていた。血を滲ませる赤い皮膚から、緑色の半透明の膜のようなものが、剥がれ落ちては消えていく。あれが、恐らく彼が使っていた、強力な防御魔法とやらだったのだろう。飛んできた謎の金属の物体は、彼を背後から強襲し、その鋭さとスピードで、鉄壁の守りを完膚なきまでに打ち壊したのだ。
「やぁあああーーー!!」
 防御魔法がなくなれば、彼の戦闘能力は大幅に下がる。
 いつの間にやら階上に上がっていたらしいレディが、天井につけられた荷物運搬用のフックにぶら下がり、飛んできた。相当勢いをつけたのか、ワイヤーが軋むほどのスピードでガイルに接近した彼女は、弱体化した彼の頭部に、文字通り飛び蹴りを決める。ピンヒールの踵が、ガイルの額の中央に思い切り食い込んだ。
 脳髄を揺らすような衝撃に、ガイルは呻くことも許されず、呆気なくバランスを崩す。白目を剥き、完全に意識を飛ばした彼は、ゆっくりと背を反らすと、ガラガラと辺りの瓦礫を崩しながらどっと硬い床に仰向けに倒れ込んだ。
 軽く地震が起きたような振動。アッシュも足を取られて、たたらを踏んだ。未だフックに両手をかけてぶら下がっていたレディが、ゆらゆらと振り子のように揺れている。トワイライトが彼女を讃えるように無言で拍手を送ると、得意げに笑みを浮かべた彼女は、手にしていたリモコンを押し、ワイヤーを伸ばしてこちらへと降りてきた。呑気にピースサインなんかやっている彼女を見ながら、一気に気が抜けたアッシュは、立っていられずへたり込んだ。
「お疲れ様、レディくん。これで、一先ず任務完了だな」
 敵を倒した喜びを味わうこともなく、トワイライトは淡々と仕事の話を始める。アッシュを協力させておきながら、感謝も労いもなしだ。
「カーリたちんとこ戻るー?」
 レディも、別段ピース以上のアピールをすることもなく、普段通りの声で尋ねている。あぁ、と頷いたトワイライトと共に背中を向けて歩き出している。置いていかれそうになったアッシュだが、未だつけられたままの手錠に引っ張られ、床の上を滑り出した。
「ま、待てよ!」
 ガイルにドアを吹き飛ばされた入り口を通り、屋上への階段を上り始める彼ら。アッシュが慌てて立ち上がって発した声は、白く無機質な空間に木霊した。
「さっきの、一体どうやったんだ!?あんなデカい奴倒しちまうなんて、凄ぇんだな魔法って
!どうやったか教えてくれよ!!」
「……だってよ、トワさん」
 興奮のままに叫ぶアッシュを見て、レディも視線を彼へと向ける。二人から好奇の眼差しを受けたトワイライトだが、質問に答えることはせず、すかしたように肩を竦めた。
「さぁね。自分の手の内を正直に明かすほど、私が優しい悪魔じゃないことは、君ももう分かっているだろう?」
 そして、例の感情の読めない余裕の笑みを浮かべている。本当に、腹の中の読めない男だ。
「あ、あぁそうだな……」
 不敵な表情を見せられても、アッシュは何故か苛立つことがなくなっていた。今感じているのは、静かな興奮と、自分の中の何かが変質する感覚だ。トワイライトとレディの戦闘に触発されたのかは分からないが、どこかから、いつもと違う歯車が噛み合う感覚が湧き上がってくる。体内にあった、古い何かが溶け、新しいものへと変容していく。頭部の辺りが熱を持ち、意識が、一段と冷静に覚醒していく。
 この現象を形容するならば、パワーアップ。それ以外に、的確な言葉は思い当たらなかった。自分が全く新しい段階へと、進化していくようだ。
 スボンのポケットに、上から手を触れる。中に感じる、金属製の硬い感触。倉庫の一階から階段へと向かう途中、偶然見つけたものだ。咄嗟に忍ばせてきて良かった。しかしよく、機転が効いたと自分で自分が信じられなくなる。
 これならば、あるいは。いけるかも知れない。
 先程のような希望ではなく、願望でもない。確信出来る勝利の事実が、アッシュの脳裏を強く焼いた。
 これならば、自分より上位の悪魔たちを出し抜ける。千載一遇のチャンスだ。
「お待たせー、エンヴィスくん、カーリくん」
 屋上へと続くドアを、トワイライトは無造作に開ける。使い慣れた、自分でものんびりしていると思う口調で。
「トワイライトさん!」
 ドアから顔を出すと、すぐさま声が飛んでくる。長い黒髪を風に靡かせる姿は、まるで雑誌のモデルのようだ。隣に立つエンヴィスは、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて、足元の何やら複雑な図形をいじっていた。意味のよく分からない文字や、記号の描かれた、円状の図形だ。一番外側の円が、淡い光を放ちながらゆっくりと回転している。これが、いわゆる魔法陣なのだろうと、アッシュは直感した。
「大丈夫でしたか!?凄い音が何度もしてましたけど……」
 軽い足音を立てて、カーリが駆け寄ってくる。心配そうに眉を下げる彼女に向かって、レディが腰に手を当ててふんぞり返った。
「だいじょーぶだいじょーぶ!アタシとトワさんがサクっと倒しといたから!心配しないでよ、カーリっ」
 軽い調子で胸を張る彼女。ピンヒールを履いた足でくるくるとスピンを決めると、金色のハーフツインテールがぴょんぴょんと跳ねた。
「こちらも問題はありません。2名ほど、無謀な半グレどもが突っ込んできましたが、この通りですよ」
 問われるまでもなく報告を始めたエンヴィスのそばには、消化用のホースで拘束された、男二人が転がっていた。アッシュの仲間たちだ。ここから逃げたい一心で、実力差も考えずに突撃したのだろう。アッシュの胸がざわつく。彼らのことを語るエンヴィスの口調に、若干の侮蔑が混じっていることが、いつもなら堪らなく腹立たしいはずなのに、今は何も感じなかった。むしろ、当然の報いだとすら思えてしまう。勇気という言葉の意味を履き違えた、浅はかで愚かな行動への罰だと。こんな冷徹な思考、自分の中のどこに眠っていたのだろう。それとも、彼らと連んでいたこれまでの方が、寝ぼけた行動だったのだろうか。
「流石はエンヴィスくんだ。これで、脱界者たちは全員捕まえたかな?」
 アッシュが考え込んでいる間、トワイライトはいかにもな褒め言葉などを発し、部下の功績を讃えている。彼の指示を受けて、何やらタブレットの画面に目を落としているカーリに、アッシュはそっと接近した。あまりにも、無防備な背中だ。華奢で非力なその姿は、簡単に頽れてしまいそうに思える。彼女ならば、アッシュでも、倒せるだろう。
「!!きゃあっ!?」
「動くなっ!!」
 素早く、腕を彼女の首に巻き付けて拘束する。彼女が悲鳴を上げるのも構わず、ポケットから引き抜いた銃を、ガチャリと突きつけて彼らに見せつけた。一瞬にして硬直した彼らを、冷徹な目で睨み付ける。
「動くなよ……いいか、誰も動くな。そのままだ」
 腕の中でカーリが、恐怖に身を縮こまらせて絶句しているのが分かった。咄嗟に彼の腕を掴んだ手は、冷え切っている。彼女の様子を目にしたエンヴィスとレディが、低く声を発した。
「てめぇ……やりやがったな」
「カーリを返して……!さもないと!」
「止めるんだ、レディくん。エンヴィスくんも」
 感情に駆られ、無理矢理にでもアッシュを制圧しようと試みたレディを、トワイライトが素早く制した。
「大丈夫。私に任せなさい」
 ゆっくりと発言すると、両手を頭の高さに上げて、アッシュに向き直る。その緩慢な動きを、アッシュは目を血走らせて、じっくりと観察していた。
「まずは、彼女を離してくれないか?人質が必要なら、私でいいじゃないか。そうだろう?」
 彼から告げられる言葉を聞いて、カーリはひゅっと息を飲む。確かに、誰かにこの状況を助けて欲しかったが、だからといって、誰かを身代わりになどしたくない。自分の代わりに、トワイライトが危険な目に遭うなんて。緊張と不安のあまり、彼女は呆然として、自身の服の胸元を強く握り締めた。トワイライトはそれを見て、更に数センチ前に出ると、アッシュを急かす。
「別に、彼女じゃなくてもいいだろう?あまり、私の部下を怖がらせないでほしい」
 でなければ、何をするか分からない。彼の言葉の中には、そんな意味が含まれているようだった。これには流石のアッシュも、考えを改めざるを得ない。トワイライトというこの男だけは、他の悪魔たちと違って、唯一油断ならない相手だった。
「仕方ない。なら、人質交換だ……動くなよ。大人しく、黙って俺に従え」
 アッシュは、低いどすの利いた声を出して、トワイライトを威圧する。そして、彼の眉間に銃口を向けると、代わりにカーリを離した。子ウサギのように焦って逃げ出していく背中を、片手で強く押す。転びかけた彼女を、レディが慌てて抱き留めた。その様子を横目に見たトワイライトは、彼人質にされた男の態度とは思いがけないほど、余裕の表情を保っていた。
「礼を言うよ……しかし君、随分雰囲気が変わったね。イメチェンかい?」
 にっこりと、まるで場違いにも程がある満面の笑みを向けて、尋ねてくる。自らの命を握る男に投げかけるには、あまりにも気の抜けた、見当違い過ぎる質問だ。相変わらずの行動で、自分のペースに引き込もうとするやり方は変わらないらしい。アッシュは冷静に分析をすると、気を引き締めて、警戒に当たる。
「黙れ。余計な口を叩くな。話しているのは俺だ」
 銃を油断なく構えたまま、トワイライトの減らず口を遮った。流石の彼も、武器を額に向けられていては、偽りの余裕を貼り付けたままでいることは不可能だろう。時間をかけて、じっくりと、その仮面が剥がれるのを待ってやればいい。アッシュの中で、嗜虐的な感情が膨れ上がった。
「……お前、こんなことしてどうするつもりだ」
 そんな彼を宥めるように、エンヴィスがおもむろに話しかけてきた。のんびりしているトワイライトは、大して役に立たないと判断したのだろう。だが、彼もまた、意識して自らを落ち着かせているのは明らかで、その声はやや上ずっていた。少しでも何かきっかけがあれば、簡単に崩壊しそうな頼りないものだ。その右手から、いつ武器が振るわれるかと、アッシュは期待を込めた目で見つめる。
「今更抵抗したって無駄だぞ。お前はもう、俺たちの結界の中だ。逃げられるはずがない」
「うるせぇな。お前、俺を、脅す気か?こいつがどうなってもいいのか」
 わざとらしく、銃を揺らして音を立てれば、エンヴィスは驚いたように息を飲み、一瞬口をつぐんだ。アッシュはわずかに得意になるが、しかしエンヴィスの話は続けられる。アッシュの行動を値踏みでもしているつもりなのだろうが、随分悠長な対応だ。
「……これも、リーダーって奴の指示なのか?俺たちを脅して、そいつの逃げる時間を稼げとでも言われたか?そんなの、ただ利用されてるだけじゃねぇか」
「違うんだよエンヴィスくん」
「ふはっ!」
 明らかに悔し紛れの挑発を、トワイライトが遮る前に、アッシュは吹き出した。嘲笑の色が濃く出た笑い方に、エンヴィスが即座に眉を顰めて反発する。
「何がおかしい」
「はっはは……お前、何にも分かってねぇんだなぁ!」
 苛立ちを露わにしたその表情すら面白くて、アッシュは腹を抱えて爆笑した。
(何が、中級悪魔だ。俺の正体にも未だ辿り着けてねぇくせに。そのオツムは何のためにあるんだよ、バーカ)
「エンヴィスくん、違うんだ」
 一人だけ、全てを知っているトワイライトが、彼を宥めようと口を開いた。人質の分際を弁えろよ、とアッシュは思ったが、未だに止まらない笑いが、彼の発言を阻害する。
「彼は、誰にも利用されてなどいない。全て、彼自身の意志でやったことなんだよ。私たちの、協力者のふりをしてな」
 トワイライトは彼らしい直球を避けた表現で、しかし簡潔に、真実を述べ始める。
 まさか、と背筋を這いずる嫌な予感に、エンヴィスは瞠目した。
 アッシュは、精神を繋ぎ止めていた糸が切れたかのように、突如として声音を切り替える。
「だァれが協力者だ!俺は、お前らに手を貸すつもりなんかなかった!だが、バカな野郎が足引っ張りやがるから、仕方なく隠れていただけさ!上手いこと隙をつくタイミングを狙ってたんだ!!」
 まるで、それまでの彼とは、全くの別人が体内にいるような変化だった。アッシュは顔を凶悪に歪めると、ここにいない誰かへ向かっての、激しい罵倒と軽蔑を語り始める。
「あいつは、ただ自分の意志ばかりが強くて、まともに考えるということを知らなかった。自己主張だけ強い能無しなんて、道を塞ぐでかいゴミみたいなもんだ!俺はあいつが、ずっと邪魔だった!だけど、この体はあいつのもの……間違っても、俺が勝手に乗っ取るなんて許されない。だから、あんたらを利用させてもらったんだ!」
 圧倒的強者への不安と、それ故の憧れ。相反する二つの感情を抱いたアッシュの精神状態は、非常に危うくなった。荒波の上でぐらぐらと揺れる、小船のようなものだ。そこに、少しでも高い波が来れば、簡単にひっくり返る。
 そうして”彼”は、自らの計画の邪魔者を、排除することに成功したのだ。
「その意味では、俺はあんたらに感謝しなくちゃならないな。あのバカを、思わぬところでさっさと始末出来たんだから」
 下卑た笑みを浮かべて、吐き捨てる彼に、カーリは困惑の眼差しを向ける。まるであの男は、さっきまでのアッシュと別人だ。外見だけが同じで、中身だけが違う。
「どういうことですか!?あの悪魔は……あの人は、一体誰?」
 彼女の言葉を耳にしたアッシュは、流石、見た目通りの聡明さだと笑う。魔力反応などほとんど感じられない低級だが、よく回る頭と気の利く便利な人格は、評価に値する。もしも、自分に従い大人しくするというのなら、可愛がってやってもいいかも知れない。だが、あの三人は別だ。何としてでも、ここで殺さなければならない。
「アッシュくんは、いわゆる多重人格者だ」
 アッシュの思考を遮るようにして、トワイライトの説明が、静かに響いた。
「アッシュくんの体には、アッシュくん本人の人格と、もう一人、全く別の人格が存在する。中級悪魔にも劣らない魔法の腕と、狡猾な知能を持った、凶悪な悪魔だ。それが誰だか……もう分かるね?」
 アッシュの体には、生まれつき、もう一人の”彼”がいた。頭が悪く、周りの顔色を窺うことでしか生きられない、愚かなアッシュの、その反対を生きるような人物。それが、ラードだ。”天使の屑”のリーダーでもある。
 幼い頃より、アッシュの中に閉じ込められてきた彼は、ずっと己の人生を嘆いて生きてきた。アッシュという、愚かな男の内側に隠れて、彼が眠っている時にしか、外に出られない苦痛。男が起きている間の出来事は、全て知覚することは出来るのに、決して自らの思考を現実へと反映させることは出来ない。まるで、全てを檻の中から体験しているような感覚は、途方もない苦痛をもたらした。だから、彼は歪んだ。アッシュのような、薄汚い生活をする悪魔を見下し、自分こそは勝つべき存在と信じ込むようになったのだ。
 そして、ある裏の組織に出入りするようになり、違法薬物の売買に手を出した。アッシュにもその薬物を摂取させれば、身体に異常が起きて、意識が混濁するようになる。そうして、彼の体を、より長い時間奪っていられるようになった。
 その頃には既に、”ホーリーエンジェル”が流行するしていた。ラードはそれを生産する巨大組織に接触し、雑用でも何でもこなして、コツコツと信頼を勝ち取ってきた。そして、ついに脱界のサポートを請け負うというグループにもコンタクトを取ることが出来たのだ。半年かけて築いた、理想の人生、彼だけの新たな人生の第一歩が、ここから始められる。そんな期待が、胸の中に渦巻いていた。脱界に成功しさえすれば、人間界で、完璧に洗練された自分だけの命を生きられる。
 ラードの心は喜びに満ち溢れ、その時だけは、自身の境遇を恨む気持ちも、アッシュを見下す気持ちも、癒されていた。辛い人生を耐え抜いてきた報酬が、与えられたのだと歓喜した。
 はずだった。
 魔界府なんぞが、首を突っ込んでくるまでは。
 希望が、一瞬にして砕け散る。それと同時に湧き上がる、殺意。こんなところで終わるわけにはいかないのだ。あいつはともかく、自分だけは。
「情報分析課の連中が、中々正体を暴けなかったのも当然だ。ラードくんたちの場合は、それぞれの人格が有する、魔力反応までもが違っていた。二つ以上の魔力反応が、一人の肉体に宿っていたんだ。そんなこと、誰も想像しない。別々の個人だと、断定してしまうだろうね」
 トワイライトの滑らかな口調で、真実が語られる。その声には、アッシュを含め、誰一人として答えを返さない。
「そんな……そんなことが……」
 ただ一人、カーリだけが口元に手を当てて、声にならない声を漏らしていた。だがすぐに彼女も、次ぐべき言葉を見失って、絶句してしまう。他の面々も、同じだった。ただ黙って立ち尽くすばかりだ。トワイライトはそんな彼らを叱咤するかのように、すらすらと話を続ける。
「恐らく彼らは、元々双子だったのだろうね。それぞれ別の悪魔として生まれ落ちるはずが、何らかの異常が原因で、融合した。二つの生命が一つとなって、一人の悪魔に変わったんだ。けれど、その体内では二人分の人格と魔力が、失われずに残存し続けたんだ。まぁ常識ではあり得ないことだが……」
「”星の異常”……なら」
 長い語りを聞いている内に、多少は冷静になれたのか、エンヴィスが口を開く。独り言のようにこぼされた言葉に、カーリは再び目を見張った。
「それって……」
「詳しい説明は後だ」
 トワイライトの、打って変わった硬質な声が、彼女の言葉を遮った。アッシュを見据えるその瞳は、暗く深い深淵を抱えている。そして、皆の意識を再び現状に戻させると、分かりやすい簡潔な言葉で尋ねかける。
「私を脅しても、君は交渉を始めるどころか、私たちにのんびり議論する暇まで与えた。そんなことをしていたら、反撃をされるリスクが上がるのに、だ……それなのに何故、こんなことをする。一体君は、何を狙っているんだ?」
 トワイライトの言う通りである。本来であれば、自分の正体など明かさないでいた方が、逃げやすく、また交渉もしやすかったはずである。だがしかし、彼はトワイライトによる一切の説明を許可した。これが、いかなる目的によるものなのか、トワイライトには皆目見当もつかない。さっぱり分からない、と言いたげな目線を向けられて、アッシュはにやりと勝ち誇った笑みを浮かべた。
 偉そうに踏ん反り返った中級悪魔のくせに、自分の意図に気が付けぬなど、愚かなことだ。やはりあの男も見かけ倒しで、本来の実力はそれほどでもないのではないだろうか。アッシュの中に、油断が渦巻く。初めは警戒していたが、案外徒労だったようだ。この男もまた、大したことのない悪魔のようだから。
「分からないか?……こうするんだよッ!!」
 そんな風に見下しながら、唇の端を持ち上げる。直後、自らの背後に腕を回し、銃口を下げると躊躇いもなく引き金を引いた。直ちに射出された弾丸が、屋上のコンクリートに着弾し、小さく傷を付ける。床のある一点が、損傷し破片を飛ばす。それは、エンヴィスによって作られた、結界の術式が描かれた場所だ。
「!!」
 咄嗟の奇妙な行動に、対応出来なかったエンヴィスが瞠目する。彼の目が捉えるのは、必死の思いで作り上げた、結界の魔法陣。時間をかけて緻密な魔力回路を形成し、大量の魔力を巧妙に流し込んである、貴重な術式だ。その回路の一部分が、床と共に弾け飛び、切断されてしまっている。通り道を破壊されたエネルギーは、上手く循環せず、一箇所に留まってはショートを起こす。電気回路と同じだ。そして、溜まった魔力が膨れ上がるとどうなるかと言えば……
「伏せろ!」
 エンヴィスは反射的に、声を張り上げ、近くにいたカーリとレディを引き倒した。直後、鼓膜を突き破らんばかりの派手な爆発音が鳴り響く。それこそが、ラードが狙っていた事態。状況を混乱させるため、あえて大きな爆発を起こして、自身が逃げる隙を作ろうとしたのだ。
 強い衝撃を受けて、建物全体がギシギシと軋むような音を立てる。凄まじい熱風が全身に吹き付けて、風圧に軽い体を吹き飛ばされそうになる。悲鳴を上げるカーリとレディを、エンヴィスとトワイライトは助けようとするのだが、舞い上がる粉塵に視界と呼吸を妨げられて、とてもではないが動けない。
 ラードは、うつ伏せになって呻く彼らを見るなり、大きく口を開けて高らかに哄笑した。今が、チャンスだ。悪魔たちは皆、爆発の衝撃に怯んで動けなくなっている。おまけに、大量の魔力が周囲に飛散した影響で、彼の手首につけられた手錠も機能しなくなっていた。ガチャリと音を立てて、外れるそれをラードは蹴り飛ばす。そして、優越の表情を浮かべたまま、衝撃に備えて隠れていた通気口のダクトから這い出すと、足早に駆けていった。屋上のフェンスを掴むと、勢いよく飛び越えて、数メートル下の非常階段へと大胆にジャンプした。
「ゲホッ……ごほ」
 彼が飛び降りた、ガァンという音を耳にして、カーリは慌てて我に返る。激しく咳き込みながら、上体を起こすと、長い髪が前に垂れ下がると共に、大量の砂がこぼれ落ちてきた。不快感に眉を顰める暇もなく、はっと辺りを見回し、逃げていくラードを追いかけようとしたが、足が痺れていて動けない。
「ごほっ……大丈夫か?皆」
 咳を堪えた声で、トワイライトが心配の声を飛ばしてきた。カーリは間髪を容れず、ターゲットの背中が消えた位置を指し、訴えた。
「大変です!逃げられました!!」
 だが、誰も追いかけられる状況ではない。そもそも、未だ立ち込める砂煙のせいで、彼女の指先がどこを指しているかすら、把握出来なかった。
「くそっ、やられた!」
「えっ、何!?」
 がばりと、砂を撒き散らしながら勢いよく起き上がったエンヴィスが、悪態を吐きながら床を拳で叩く。その音に驚いて声を上げたレディも、どうやら無事のようだ。ハーフツインテールが風で乱れ、解けかかっている。
「よし、総員無事だな」
 部下の安否を確認し終えたトワイライトが、冷静に状況を分析し始めた。腕時計に目を落とすまでもない。時間が、ない。
「エンヴィスくん、術式の破損は?」
「盛大に爆発しましたが……破損率は30パーセント以下です。弱点を叩かれたわけではないので。流石の奴でも、術式の仕組みまでは、分からなかったようですね」
 未だ感情と折り合いを付けられていないながらも、脊髄反射で仕事モードに入ったエンヴィスが、タブレット画面を見ながら安堵の声を上げる。その画面は、派手にひび割れてスクリーンに白い線が何本も入っていた。トワイライトはつい、買い替えにかかる経費を考えてしまうが、今は備品の破損など細かいことを気にしている場合ではない。すぐに意識を目の前の状況に戻すと、素早く指示を出した。
「なら、急いで復元してくれたまえ」
「了解です。5分もあればすぐに」
 出し抜かれた悔しさがやる気に繋がっているのか、エンヴィスの返事は頼もしい。彼の気概を確かめたトワイライトは、次に女性二人に顔を向けた。
「レディくんは、もう一度倉庫内を探索して、逃げ出そうとしている悪魔を捕まえてくれ。くれぐれも気をつけてな」
「おっけー、トワさん!」
「カーリくんは、一度本部に連絡して、状況の説明を。”清掃班”に、残業お疲れ様とでも言っといてくれ」
「分かりました。任せてください!」
 ハキハキと応じるレディに合わせ、カーリも気丈に返答する。クレーム対応なんて、決して自ら進んでやりたい仕事ではなかったが、緊急事態に直面している今となっては、些細な問題だった。
 トワイライトは、嫌な顔一つせずに追加の仕事を請け負ってくれる、優秀で善良な部下たちを内心誇りに思いながらも、表向きは冷静に、自身の担うべき役割を告げる。
「私はこれから、逃走したラードくんの跡を追う。適当なところで捕まえるから、連絡をするまで、それぞれの任務を頑張ってくれ」
「えっ!?そんなの、大丈夫なんですか!?」
 当然の如く、カーリから心配の声が飛んでくる。このくらい、無事に仕事を済ませるためならば何でもなかったが、彼女にとっては違うようだ。
「相手はきっと、結構強いですよ。トワイライトさん一人じゃなくて、誰かと」
「大丈夫。一人の方が、やりやすいこともある。君らは、安心して私に任せてくれたまえ」
 言い募る言葉は、トワイライトの片手で制止され、彼女は口ごもる。任せろと言った相手を更に案じれば、不信とも取られかねない。尊敬する上司を、疑っているように思われることは嫌だったので、彼女は何も言えなかった。
 トワイライトはそれを了承の証と受け取ると、他にも話しかけられる前にさっさと背中を向けて歩き出した。カーリはその背中に、かける言葉の見つからないまま手を伸ばす。
 無論、発されていない声など気がつくはずのないトワイライトは、ラードがしたのと同じやり方でフェンスを飛び越え、眼下に見える非常階段へと降り、見えなくなってしまった。
「トワイライトさん……」
「だーいじょうぶだって。トワさんなら上手くやるじゃん。いつもそうだったでしょ?」
 彼を止められなかった手を降ろし、不安げに呟けば、倉庫内へと戻ろうとするレディが呼びかけてくる。階段へと続くドアを開けながら彼女は、手を振って彼の無事を信じる声を上げていた。己の上司が負けることなどないと、心底確信しているような調子だ。
「そうだぜ。あの人はああ見えて、恐ろしく強いからな」
 エンヴィスが、魔法陣を修復しながらカーリに断言する。その手には、どこからか取り出したのか、長い金属製の杖が握られていた。先端に丸い輪がつき、更にその中に小さな輪が、左右4本ずつ通っている。修行中の仏教徒などがよく持つ、錫杖と呼ばれる道具だ。エンヴィスにとっては、魔法を行使するための媒体となる。
「カーリ、タブレットでこの計算してくれ」
「はい、ただいま」
 錫杖を陣の中心に突き立て、魔力を少しずつ流している彼が、魔法陣から目を逸らさないまま依頼する。カーリは慌てて立ち上がると、服についた砂を払ってから、手渡されたタブレットを操作した。入力した計算が終了するのを待つ間に、本部とコンタクトを取り、状況を説明すると共に、トワイライトから明示された対応策を告げていく。その間に、レディの報告を聞き逃げた脱界者がいないことを確認する。忙しなく働いている内に、意味もなく湧き上がってくる不安は、彼女の頭からすっかり抜け落ちていた。
  *  *  *
 彼ら魔界府職員たちが奮闘している一方で、人気のない路地を、一心に駆け抜けている男がいた。彼は、何故こんなことになったのか、まるで理解していない。気が付いた時には、粉塵を上げる倉庫から逃亡し、一目散に大通り目掛けて走っていたのだ。
 唐突に人格が切り替わったことで、事態を上手く把握出来ていないのだ。それでも、逃げろと本能が叫ぶままに、足を動かしていた。休みなく疾駆する合間に、何があったのかと自身の記憶を手繰る。しかし、トワイライトたちに銃を突きつけた辺りから、記憶が曖昧だ。何かをしようとした意識は残っているのに、それが別の誰かによって為されたような感覚がする。胸がムカムカするような感じだ。体の内側で、誰かが叫んでいる。外へ出たい。外へ出たい。自分の意志で、自分の足で、歩きたい。この世界を、自分の色に塗り潰したい。全て、壊したい。そんな、衝動。アッシュなんかの軟弱な精神では抑え込めない、破壊と暴力に飢えた、凶悪な欲望だ。
 鼓動が高鳴り、息が苦しくなる。走っているからだろうか。それとも、内側から膨れ上がる莫大な衝動に、耐えかねているのだろうか。分からない。
 子供の頃から、自分が普通じゃないと感じることは多かった。いつも、そばに”誰か”がいる感覚。大して気にしたことはなかったが、今になってようやく、己の異常性に意識が向く。自分の体の中で眠る、もう一人の自分。頭が良く、冷徹な性格で、魔法の力も強い、自分とは全く異なった存在。
 ”それ”は、分かりやすく言うならば、もう一人の自分だった。もう一つの人格だ。だが、多重人格なんて言葉で語るには、二人の関係は、少々逸脱が過ぎている。肉体を同一としながら、魔力の量や反応までもが異なるなんて、もはや人格という定義では語れないだろう。それは、間違いなく、この世界に訪れた”異常”の一つ。一卵性双生児として生まれるはずだった彼の、存在しない兄弟だ。
 彼らの母親は、ごく一般的な低級悪魔だった。彼女の胎内で、彼ら二人は順調に成長していた。ある一つの、決定的な異常が現れるまでは。
 双子の内一人が保有する魔力は、低級悪魔同士の血を引きながら、一般的な低級悪魔のそれを遥かに超えていた。母体より遥かに強い力を持った子供だ。自分より強い魔力が胎内にあって、母親が無事に生きられるはずがない。彼女は日に日に衰弱し、出産を迎える前に命が尽きるだろうと思われていた。
 ところが、そこで奇跡が起こった。魔界に発生するに相応しい、大して素晴らしくもない最悪の奇跡が。
 双子の片割れ。母を苦しめた、強大な力を持つ彼が、ある日突如として消失した。バニシングツインとも取れる現象だ。普通、臨月に入った母体で発生するものではないが、それ以外にこの現象への適切な説明をつけられなかった医師は、安易な判断で現実と向き合うことから逃げた。そして、母は助かった。
 しかし、子供の一人を失ったショックは、自らの生存で癒える傷ではなかった。母親は失意のまま、子供の消失現象を、生き残った片方、つまりアッシュのせいだと決めつけた。きっと、そうでなければ、自分を保っていられなかったのだろう。子供を殺したのは自分だと、息絶えるまで責めてしまいそうだったのだろう。だからアッシュは、生まれた瞬間からまるで罪人のように扱われた。ろくに食事も与えられず、毎日暴力を振るわれた。典型的な虐待行為。実の母親からの、憎悪と拒絶の感情は、子供が一人で受け止めるには難し過ぎる荷物だった。そして、アッシュの人生は決定的に狂った。
 否、最初から狂っていたのだろう。圧倒的魔力差を持って誕生した双子と、その一方の消失現象。生まれるはずだった命は、煙のように忽然と姿を消してしまったのだ。”異常”が身近にありながら、”普通”に生きることなど許されなかった。
 けれど彼は、死んだわけではなかったのだ。あの日、医師たちも誰も発見しなかったことだが、彼は生きていた。いや、もし気が付いたとしても、誰一人信じなかっただろう。
 二つの生命は、融合した。正確には、アッシュの体がもう一人を飲み込んだのだ。どうしてそんなことが可能だったのか、今となっては誰も分からない。だが、事実として、彼はアッシュの中に姿を消した。平均的な低級悪魔の魔力量しか持たないアッシュの肉体に、強力な魔力を持った片割れが潜むことになったのだ。彼はいつの日か、目を覚まして自分の人生を生きられることを夢見て、自身の身体を失った。もちろん、生まれる前の胎児が、自らの意思で出来ることではない。これもまた、”異常”に歪められた運命の所業であろう。そして誕生したのが、二人の悪魔の人格を持つアッシュと、彼の中で眠る彼の兄弟、ラードだった。
 彼はある日、ついに目覚めた。そして、驚愕したのだ。圧倒的力を持つ自分には、到底相応しくない、惨めで見窄らしい生活を目の当たりにして。こんなところからは、一刻も早く抜け出したい。低級悪魔らしからぬ凶暴さを持った彼が抱くには、当然過ぎる感情だった。
 こんなところで終わりたくはないと思った彼は、懸命に、努力を始めた。アッシュの肉体を乗っ取り続けることは、困難を極めたが、それでも諦めなかった。長く意識を保てない中でじっくりと時間をかけて、少しずつ自分の人生を築いてきた。そして、ようやく己の憧れに、目標に、近付けたのだ。
 こんなところで、愚かな片割れに託したくはない。自分の人生を邪魔されてなるものか。
 ラードは、アッシュの内側で暴れる。
 何年もずっと、こいつの中で虐げられ続けてきたのだ。実に愚かで、取るに足らないクソみたいな存在の中で。さっさと肉体を譲渡してくれればいいだけなのに、こいつはいつまでも赤子のように、母親の虐待に泣いて、必死にイキがって紛い物の強さにしがみついていた。本物の悪夢も絶望も、苦しみも知らないで、上部だけの努力を積み重ねて報われたいと嘆いていた。
 実に下らない男だと思った。こんな奴の体を借りなければならない自分が情けなかった。
 運命を恨みたいのはこちらだというのに。こんな男の中に閉じ込められて、自由を制限され、身の丈に合わない貧しい暮らしをしなければならない自分の方が、よほど苦痛に塗れた人生を送っているはずだ。まともに生まれていれば味わうこともなかった暗闇を経験し、知らなくてよかった汚い知恵だけ身に付けて。本当ならば手にしていたはずの成功も、勝ち取ることは出来なかった。その上、ろくに戦いもせず勝手に周りに責任を転嫁して、クソみたいな人生に甘んじているこの男に飼われなければならないなんて。
 どうして、こんなことになったのだろう。
 いくら嘆いても、答えは見つからなかった。だから、嘆くのはやめて前へ進み続けてきた。こんなところで、止まらないために。
(だから、返せ。俺の体を、俺の意識を、返せ!)
 アッシュの内側で、ラードは怒鳴る。それは彼の、精一杯の存在の証明だ。己が生きていることを、他の誰かに知らしめるための咆哮。運命に傷付けられたことへの嘆きと、怒りと、抵抗である。
「うるさいなっ!!」
 薄暗い、倉庫と倉庫の隙間の路地。人一人分が通れるだけの細い道を、アッシュは駆ける。体内で叫ぶ誰かに、黙れと怒鳴りつけながら。頭の中で、見知らぬ誰かの罵倒が聞こえてくる。
(ここから出せ!お前なんかに、俺の人生任せてなるものか!低級め!お前はどう足掻いても、何も出来やしない!今までだって、そうだっただろう!お前には、何も出来ないんだ!!)
「うるさい……うるさいうるさい!」
 頭蓋の内側で鳴り響く、己への否定と嫌悪。腹立たしさのあまり、つい声に出して反論してしまう。
 ずっと自分は、誰かの代わりじゃないかと思ってきた。命を繋ぐだけ繋いで、肝心なところはいつも別の誰かに持っていかれると。自分の役割は、ただこの身体を健康に保つことだけのような気がしていた。ずっと、自分より強い存在に、虐げられている気が。今まではそれが、自分より格上の悪魔や、権力者、他人の仕業によるものだと思っていた。だが、違ったのではないだろうか。もしかして、敵はもっとずっと近くに、長いこと潜んでいたのじゃないだろうか。自分の内側に。心の奥底に。ひっそりと隠れ忍んで。
「お前……お前なんだろ。俺の中にいるのは。ラード!」
 大型ゴミ箱の影に隠れて、己の内側に語りかける。鼻を突く異臭など気にならなかった。
 本当は、ラードというリーダーに会ったことなどなかった。彼に関する情報は、いつも教科書や本で知るような、通り一遍の知識ばかりで、実際に対面した経験がほとんど記憶になかった。トワイライトたちには変身系魔法だ何だと適当に捲し立てたが、あれは実のところ真実ではなかった。ラードによって思い込まされた、偽りの記憶。彼の洗脳が解けた今は、はっきりと言える。アッシュは、リーダーの顔も、性格も、どんな悪魔であるのかさえ、全くと言っていいほど知らないのだ。頭に靄がかかったように、思い出せなくなる。当たり前だ。奴は、自分の中にいる別人格。対面することはおろか、言葉を交わすことさえままならない相手だったのだから。
(分かっているなら話は早い……さっさとてめぇの身体、俺に渡せ。さもないと、魔界府に捕まるぞ)
「分かってるさ。でも、お前の助けは借りない。これは、俺だけの人生だっ!」
(何だと!?)
 頭の中で彼が喚くのを聞きながら、物陰から飛び出して走り出す。暗闇で足元が悪くても、構わず駆け続けた。汚い水溜まりを飛び越えて、道の端にあるゴミ箱やコンテナを倒しながら、必死に逃げ続ける。
 こんなところで、負けたくない。魔界府にも、ラードにも。自分は、生きるのだ。何としてでも、成功を掴み取ってやるのだ。
 決意を胸に、走る。走る。元々足は速くないし、体力もないから、すぐに息が上がって、全身が痛んできた。自分が思っているよりも自身の肉体は重さがあって、思い描くイメージの通りに動けない。心臓が、肋骨を内側から叩く。その振動が、あいつに心の奥を殴られているようで、痛みを感じると共に闘志も燃え上がった。いつまでも、地べたに倒れ伏しているばかりの人生など嫌だ。絶対に、生き延びるのだ。
 生存本能と、決意が、彼の体を前へと進める。
 アッシュは、ひたすらに足を動かして、もうそれ以外のことは何も考えなかった。
 やがて、どれだけ走っただろう。何回も角を曲がる度、曲がりきれずにぶつけた肘や肩が痛む。汗で濡れた前髪が、額に張り付いた。
「くそ……っ!」
 やはり、どれだけ気合いがあっても、努力しても、低級悪魔は低級悪魔なのだろう。後ろからどんどん、追手が近付いている気配がする。焦りが湧くが、これ以上速くは走れない。疲れだけが、体の節々に塵のように少しずつ、確実に積もっていく。
 苛立って、悪態を吐き捨てた。また、曲がりきれずにビルの壁に体の側面をぶつける。ザラついたコンクリートに擦れた皮膚が剥け、血が滲んだ。ピリリとした痛みが走るが、減速するつもりはない。どこまで続くのかも分からない、倉庫街の迷宮を、いつまでも迷い続け駆け抜けていく。
 突如、視線の先に光を見つけた。倉庫街の近くに存在する、商店街のアーケードへと繋がる道だ。車一台が通れるほどの大通りに沿って立ち並ぶ店へ、ぞろぞろと向かっていく人々の姿が見える。こじんまりとしてはいるが、地元住民によりいつも繁盛しているあの場所に逃げ込めば、あの悪魔たちも手出しは出来ないだろう。人間たちの前で、大っぴらに魔法は使えないはずだ。そして、魔法を封じられた彼らとなら、低級悪魔のアッシュでも、十分渡り合える。
(よし……!!)
 絶対にあそこまで辿り着く。アッシュは決心し、痛む足に鞭打って、残りの直線を一気に駆け抜けようとした。
 あの場所へ。光の下へ。薄暗い、路地の先へ。
 回り続ける足が、小汚い路地の地面を踏み、蹴り付ける。
 大通りまで、あと10メートル。9メートル。8メートル。
 適当な目測ながらも、そう間違ってはいないだろう。アッシュが一歩大きく踏み込む度に、そことの距離は縮まっていく。それと共に、アッシュの夢が、希望が、自由が、近付いてくる。
 あと、7メートル。
「いける!!」
 息苦しいのなんか忘れて、歓喜の声が出た。だがその声が、その時立てた音声が、彼の未来を決定的に断ち切る、絶望のきっかけとなってしまう。
 あと6メートル。
 商店街の賑わいを、こんなにもありがたいと思ったことはない。人間たちの波に飲まれることが、こんなにも嬉しいことだと思ったことはなかった。アッシュにとって人間は、自分とは何もかも違う、全く別の世界の存在だったから。だけどこんな風に、生存のチャンスをくれるなら、案外上手くやっていけるかも知れない。これからは悪いこともやめて、どこかのファミレスでバイトをして、恋人を作って、大学に通って、そして仕事をして、家庭を持つ。誰かを虐げたり、傷つけたりしない、平和な生活を送るのだ。一般的な人間たちと同じように暮らすのだ。
 数瞬間の間に、興奮したアッシュの脳は、高速で将来の展望を妄想し出す。それは、絶対に叶わない、実現のしない、夢物語だというのに。
 あと5メートル。
 もう数歩踏み込めば、あの中に逃げ込める。人間たちの群れの中で、平穏に暮らす生活に、手が届く。
(自由だ……!!!)
 アッシュの顔が、ようやく訪れる人生の転機に、圧倒的喜びの瞬間に期待して、大きく笑みを形作る。最後の数メートルが、希望の道に見える。そこを、疲れなんか忘れて一気に駆け抜けようとした時だった。
「行かせないよ」
 どこからか声が降ってくる。信じられないほど、耳の近くで。
「!?グッ!」
 アッシュが耳を疑った次の瞬間、胸付近に強い衝撃が走った。予期しない痛みと、疾走を無理矢理止められたせいで、重力が一気に体を襲った。肺腑の空気が、押し潰されて逃げていく。息が詰まる。潰れた蛙のような呻き声を上げて、彼は暗い路地裏の地面に転がった。
「ぐうう……いってぇ~」
 衝撃の走った箇所を押さえて、痛みを叫ぶ。パンパンと手を払う音と、軽い調子の謝罪が聞こえてきた。
「あぁ、すまない。肩を掴もうと思ったんだが、少し外してしまったよ。ごめんごめん」
 のんびりした調子を保ち続ける、撫で付けたような優しげな声。考えるまでもなく、トワイライトのものだと分かる。どうやったのかは知らないが、彼はアッシュに追いついたと同時に、彼の胸を突き飛ばし、転倒させたらしい。走ることに無我夢中でいたアッシュは、トワイライトの接近に気が付かなかったのだ。
「大丈夫かい?」
 息を荒げ、話すことも出来ない彼に、トワイライトは服が汚れないよう気を付けながら身を屈め、目線を合わせる。
 今まで全力疾走を続けていた相手に追いついたにしては、微塵も息が乱れていない様子だった。魔法を使ったのだろうとは思うが、あまり魔法に明るくないアッシュには、まるで何もない暗闇から突如出現したように思えてくる。こちらを覗き込んでくる、真っ黒で底がなく、見つめ返すだけで暗黒に引き摺り込まれそうだ。
「ッ!!」
 目を合わせるだけで気圧されているような自分自身の状態が恥ずかしく、アッシュの頭にカッと血が上る。脳みそが熱くなったような感覚を覚えながら、咄嗟に近くに落ちていた汚らしいゴミ袋を引っ掴み、トワイライトに投げつけた。
「うわっ!」
 突然謎の物体が顔面に飛んできたトワイライトは、間の抜けた声を上げながら、両腕で頭をガードする。
 あれだけ強そうな態度を取っておきながら、情けない反応をするものだとアッシュは口元に笑みを浮かべた。そして、何か武器になりそうなものはないかと、さっと周囲に目を走らせる。
「びっくりしたなぁ、もう……急に物を投げるんじゃないよ」
 トワイライトは、辟易した様子で、アッシュに文句を言っている。彼がパンパンとスーツの袖をはたくと、ゴミ袋の中から出てきたと思しき黒っぽい土が、さらさら落ちてきた。
「汚いな……っ」
 正体不明のそれを見るなり、トワイライトは不快げに眉を顰める。だが、次の瞬間、はっとしたように黒い目を大きくすると、素早くしゃがみ込んだ。
 ブン、と頭のすぐ上を、何かが高速で通り過ぎ、風を切る音がする。アッシュが振るった鉄製のパイプが、近くの建物の外壁に衝突した。
「……ッ!」
「何だい、そんなもの持ち出して。危ないぞ?」
 勢いが全て弾かれて、その衝撃にアッシュは顔を歪める。まさか、あの状況下で回避されるとは思っていなかった。あっさりと身を屈め彼の攻撃をかわしたトワイライトは、全く危機感のない調子で、溜め息を吐いている。
「はぁ……参ったな。まだ抵抗を続ける気かい?」
 凶器を突きつけられた人物の反応とは思えない、余裕綽々とした態度で、ゆっくりと口を開く彼。牽制するような言葉を差し向けてくるその表情は、笑んでいるけれども奥の瞳が、全く笑っていない。むしろアッシュの愚かな行動を見下すかのように、冷徹な視線を向けていた。追い詰められた彼が、こんな行動に出ることも、予想の一つとして考えていたのだろうか。そう勘繰ってしまいたくなるほどに、トワイライトからは何の驚きも、動揺も見えない。それはまるで、分厚い壁が立ちはだかっているようで、アッシュの背筋を冷たいものが流れた。
「まさか、君………それで私を殴るつもりじゃないだろうね?」
 わざとらしく、トワイライトが指を差して尋ねかける。アッシュが言葉に詰まる姿を眺める顔には、何の表情も浮かべていない。まるで、テレビゲームの中の映像を見ているような、無感情な様子だ。その中で何が起ころうとも、関係がない。自分はただの傍観者に過ぎないと、信じ込んでいるような顔。途轍もなく、冷たく慈悲のない悪魔の顔をしている。
「う、うるさい!俺は……俺はこれで、自由になるんだ!」
 精一杯、胸の中の恐怖と萎縮を押し殺し、アッシュは叫んだ。言葉に出して宣言することで、自身の闘う心を鼓舞するかのように。
「俺は、もう逃げない!戦う!例えアンタが相手でも、俺はもう諦めたくない!!」
 己の中の覚悟を、思い切り吐き出してトワイライトにぶつけた。それと同時に、振りかぶっていた鉄パイプを、渾身の力で彼目掛けて叩き付ける。
 だが、トワイライトは再び、俊敏な動きでそれをかわす。空振りした鈍器が、今度は窓ガラスを叩き割った。硬い物質同士が衝突する、派手な音と共に、見事に亀裂の入ったガラスが、弾けるように飛散する。ほんのわずかな、細かな破片が、キラキラと薄暗い床にこぼれ落ちた。
「おっとぉ……これはまずいね。本気みたいだ」
 殺意に満ちた表情を浮かべるアッシュを見て、トワイライトはおどけるように肩を竦め、笑う。相変わらず他人事のような態度を貫いているが、それもやがて、消えていくのを感じた。この危機的状況を脱するべく、策を巡らせているのが分かる。
「そんな怖い顔しないでくれよ。いいかい?悪魔は常に”笑顔”だ。じゃなきゃ、かっこよく見えないだろう?」
 あえて的外れな発言を繰り返しているのは、恐らくアッシュを煽るためなのだろう。感情的になった彼が、理性を失い闇雲に襲ってくるのを待っているのだ。だが、そんな誘導に、乗るような彼ではない。
(冷静に……奴の言葉に乗せられるな……)
 自らを内側で宥めながら、鋭い目で彼を捉え続ける。どれだけ頭に血が上っても、決して冷静さを捨てるなと、心の内で唱えながら。
 本当は、もう背中を向けて逃げ出したい。低級悪魔である自分が、中級悪魔相手に戦って勝てるわけがないのだ。
 でも、ここで戦わなければ、この先一生自由になる日は来ないだろう。生まれ落ちた人生から逃れられないまま、己の境遇を恨んで終わるのだ。そんなのは嫌だ。何よりも、この男に負けたくなかった。こんな風に、何に対しても深く感情移入しようとはせずに、世の中の全てを斜めから見るような男に。自分以外の全ての悪魔を、軽蔑しているような悪魔に、膝を折りたくはない。こんな自分勝手な男に、負ける自分でいたくないのだ。自由を得るために、今こそ戦う時だと、自分自身に言い聞かせる。もう、立ち向かう前から諦めるのは止めるのだ。
「絶対、負けない。アンタみたいな奴………絶対、勝ってやる!」
 決意と共に、宣戦布告を叩き付ける。
 対するトワイライトは、まだやるのかと言いたげに、片眉を上げて面白そうにアッシュを眺めていた。どこまでも続く、闇の深淵のような目だ。だがもうその漆黒を、アッシュは恐れない。魔法の腕も、悪魔としての強さも、大事なことではないのだ。重要なのは中身。絶対に負けないという心持ちである。気持ちの上では、こんなやる気のなさそうな悪魔、簡単に超えられる。だから、勝てる。そう、信じ込もうとしていた。
「俺は、アンタに勝って、自由になるんだ!!」
 怯みそうな心を叱咤して、足に力を込め、強く地面を蹴る。筋肉に溜めた力をバネのように射出し、弾丸のように飛び出した。踏み込む足は、目測通り3歩。大きく武器を振りかぶり、最後の踏み込みと同時に、思い切り振り下ろす。
 トワイライトはピクリとも動かない。まるで、アッシュの攻撃スピードについていけていないかのように、呆然と立ち尽くして、放心していた。その額に乗った、立派な角を目がけて、強烈な一撃が叩き込まれる……
「食らえぇええええッ!!」
 ……ことはなかった。
 ガキン!と、硬質な金属音が響く。鉄パイプを伝って、腕にわずかな痺れが走った。視界に映る、ひしゃげたパイプと、それと十字を描くようにして交差される、銀色の剣。柄の部分に美しい装飾がされた、ロングソードだ。
「っと。流石に、苦しいか」
 危ないところだった、などと独り言をこぼす、トワイライトと目が合った。彼の片手が、素早く横に払われたかと思うと、強い力をかけられて、アッシュは堪らず武器を握る手を緩めてしまった。弾き飛ばされた凶器が、ガラリと音を立てて地面に落下する。得物を失い、それによって、戦う手段も潰えた。アッシュは愕然として、声もなく崩れ落ちる。
「いや~……久々に作ったよ、これ」
 その様子を横目に見ながら、トワイライトがへらりと笑みをこぼす。慈しむように、その手が撫でているのは、どこかで見たことのある武器だ。アッシュの脳裏に、ガイルと対峙した時の記憶が蘇る。あの時、どこからか降ってきた大量の金属片が、ガイルの防御魔法を突き破り、彼にダメージを与えていた。何が起きていたのか、ようやく分かった。あれは、トワイライトの仕業だったのだ。彼が行使する、現実へと干渉し常識を覆す力。
「魔法……」
「その通り!これは、魔法の中でも特別な、”創造系”と呼ばれる魔法さ」
 呆けたような声音で漏らした言葉を、トワイライトは聞き咎め、誇らしげに肯定してみせた。彼がその手に握った剣を軽く振るい、手を離すと、銀色の輪郭が揺らいで、空気中に溶けていく。やがてそれは、完全に、姿を消してしまった。まるで、初めから存在などしていなかったかのように、忽然と。
 それは、魔法に大して明るくない、アッシュにとって衝撃的過ぎる光景だった。確実に、質量を持ちこの世に存在していたはずの物体が、一瞬にして気体となり消失した。そんな理に反したこと、理解出来るはずもない。むしろ、簡単に理解出来る方が、異常というものだ。
「お前……っ!何なんだ!」
 アッシュは唖然として、口を開けたまま、震える声で問う。トワイライトはそれを見て、何故か不思議そうに、小首を傾げる。
「えぇ?さっき自己紹介はしたじゃないか。私はトワイライト。魔界府警察部門の職員だよ」
 非常に穏やかな、敵意など皆無に思える優しい声色が聞こえたと感じた途端、アッシュの腹に、鈍い痛みが突き抜ける。トワイライトの重たい手刀が、彼の腹部に見事に食い込んでいた
「カ、は……っ!?」
 あまりの衝撃に、彼は息を詰まらせて地面にうつ伏せになって、倒れる。突然の事態に、脳みそが全く追いついていなかった。
「ア”、っ!?なに、が……っ」
 自身の身体に何が起きたのか、把握することも出来ない。ただ、鳩尾の辺りに強い打撃を受けたことだけは、かろうじて理解出来た。
「ガッ……!!」
 呆然としながらも、反射的に起き上がろうと腕に力を込めれば、途端に、息も出来ないほどの激しい痛みが襲ってきた。腹を抱えてうずくまる彼の口元から、飲み込み切れない唾液が一筋垂れた。
「おや、大丈夫かい?ちょっと強くやり過ぎたかな……」
 今にも飛びそうな意識を必死て繋ぎ止めて、顔を上げると、トワイライトの訝しげな表情が目に入る。あれほどの力を見せつけておきながら、それを自覚していなさそうな反応は、心底恐ろしかった。同時に、頭が沸騰しそうなほどの腹立たしさを覚えるも、急所を強かに叩かれた後では、まともに動くことはおろか、立ち上がることすら出来ない。アッシュは悔しさと怒りに任せて、強く地面を掴むが、ただ爪の中に砂が入り込むだけだった。
(だから言ったのに……お前には何も、出来やしないって)
 頭の中で、ラードがこちらを罵り嘲る声が、木霊のように響く。その声が巨大な木槌となって、アッシュの希望や将来への展望、夢といったものを、全て粉々に打ち砕くイメージが浮かんだ。結局、彼の言う通りであった。どれほど足掻いても、何も変えられなかった。
 目の前の光が、どんどん小さくなっていく。視界が次第に暗くなり、やがて完全なる暗黒に包まれた。深い絶望と、無念を抱えて、アッシュは意識を手放した。
「はぁ~~~……全く、今時の若者は、理解し難いよ」
 一人取り残されたトワイライトは、思い切り疲れの滲んだ嘆息をこぼすと、ビルの壁に背をつけてずるずるとしゃがみ込んだ。
 足元に、アッシュが手にしていた鉄パイプが転がっている。あんな風に、自暴自棄になって非合法的な手段に訴えなくとも、彼にはまだ未来があった。彼はただ、勝手に自身の終わりを信じ込んで、限界を決めただけだ。もう何もかもお終いなのだと、ヒステリックにさえならなければ、他に道はいくらでもあったはずである。
 それなのに彼は、自分自身にもう活路はないと諦めた。早計過ぎる判断だ。驚くべきことだが、きっと誰も、彼の意見を否定しもしなければ、止めることもなかったのだろう。アッシュは非常に小さな世界の中で、混迷しきって誤った決断を下したのである。
「もっと大きな世界を見れば、もっと他の選択肢を知れば……チャンスはあったはずだ」
 彼はただ、知らなかった。自分の想定している道とは、違う生き方がいくらでもあることを。知らなかったがために、罪を犯した。知識の欠如が、致命的なダメージを彼の人生に与えたのである。
 それは、金銭的な問題によるものなのだろうか。それとも、何か他に事情があってのことなのか。残念ながら、トワイライトには分かりかねる話である。彼に出来ることはただ、失神し倒れ伏したアッシュの姿を、同情と憐れみの念でもって見つめることだけ。彼が今度、正しい罰を受けて更生することを、祈るばかりである。
「こんなことをしなくても……いや、こんなことでもしなければ、生きていけない運命を得たが、結果か……」
『俺は、あんたには、絶対負けない!!』
 脳内に、彼の叫びがリフレインして、トワイライトは頭を振った。姿勢を変えようと足を引くと、ザリ、と靴底で荒い砂が擦れる音がする。
 社会の理不尽に虐げられ、歪んだ運命に翻弄された、不遇な彼。一体何が、彼を狂わせたのだろうか。いくら考えども、答えの出ることではない。仮に出るとしても、それはトワイライトが取り組むべき問題でも、やり遂げるべき仕事でもないのだ。
「全く……愚かな低級だよ、君は」
 薄暗い路地の中で、トワイライトは独り言つ。そんな言葉しか、彼にかけるべきものは見つからなかった。きっと、彼は怒り狂って、トワイライトの身勝手を非難するのだろうが。
「私だって……好きでこんなことしてるんじゃないんだがねぇ」
 救えるものなら救いたい。だが、簡単に出来ることでもないのだ。手からこぼれ落ちる砂を拾うより、先にやるべきことがある。
「目には目を。歯には歯を……なんて、ね。ベタ過ぎるか」
 こんなことをぼやいても、壊れていく世界の呪縛から、解き放たれることはない。それ以前に、そもそも彼は組織人なのだ。どこにいたって、上からの命令には逆らえない。ごく一般的なサラリーマンには、手も足も出ないのが、現状である。
「さて……そろそろ、エンヴィスくんたちに連絡を入れねばな」
 思考を切り替えて、彼はパンと一つ手を叩くと立ち上がる。
 男の名前はトワイライト。魔界という悪魔たちの世界の住人にして、その社会秩序全てを統括する唯一最大の政府機関《魔界府》の警察部職員だ。
  *  *  *
「トワイライトさん!」
 五分ほどして、商店街の方から女の声が入ってきた。人間たちの波に飲まれることなく、するするとこちらに歩み寄ってくる様は、まさに都会慣れした人物そのものだ。
「お疲れ、カーリくん」
「お疲れ様です、トワイライトさん。結界の復元は全て完了しました。先ほど、魔界への送還が始まったところです」
 トワイライトが声をかけると、彼女は長い黒髪を手で押さえ、大きな黒目をぱちぱちと瞬かせながら報告を上げてきた。
「誰も逃げてなかったよー!ってか、ブッ倒れてた!」
「お疲れ様です。無事、ラードも確保出来たようですね。流石です、トワイライトさん」
 彼女の後ろから、エンヴィスとレディも、めいめいに発言しながら合流する。薄暗い路地裏に、四人の悪魔が集った。
「今日は皆、よく働いてくれたよ」
 トワイライトは顔を上げて、微笑みを浮かべると彼らを労う。本当に、大変な一日だった。想定外の過酷な業務が連続して、結局また定時を過ぎてしまっている。
「魔界時間は、今何時だ?かなり残業しちゃったな……」
「トワさんが一番大変だったんじゃない?あいつ、どうだった?強かった?」
「うん?まぁね……生命力に溢れていたという点では、厄介だったかな」
「そっか~」
 腕を伸ばして肩を回しながら呻くトワイライトに、レディが興味津々の様子で話しかけてきた。チラリと彼女が一瞥して示すのは、未だ意識を失ったまま、倒れているアッシュのことだ。トワイライトが答えると、満足した表情でうんうんと頷いている。彼女の肩を、エンヴィスが軽くはたいた。
「おい、レディ。上司には敬語。ヘンなあだ名もやめろって、何回言わせるんだ」
「いたっ。いいじゃんちょっとくらい。エンちゃんのケ~チ」
「何だとっ」
 顔を合わせれば取るに足らない言い合いばかりを繰り返すエンヴィスとレディは、早速下らない喧嘩を始めている。いつもの調子を保ち続ける彼らを、トワイライトは微笑ましく思いながら眺めていた。
「トワイライトさん」
 そこへ、カーリが背後から声をかけてくる。彼女は、会話の中には加わらず、タブレットを操作して本部に連絡を取っていたのだ。そして、無事帰還の算段がついたのか、トワイライトを促す。
「おぉ、早いね。やはり、本部もこの事態を放ってはおけなかったか」
 トワイライトは驚きながらも、納得した顔つきで、首を縦に振った。そんな彼の後ろで、何やら誰かが動く気配がする。
「ひっ!」
 突如カーリが、恐怖に顔を引き攣らせて後退りする。彼女の視線の先を見ると、意識を飛ばしていたはずのアッシュが、立ち上がっていた。頭を押さえ痛みに呻きながら、何が起こったのか必死に把握しようとしている。
「う……」
「……っ」
 のろのろと動くアッシュの一挙一動を、カーリは恐怖に満ちた目で凝視している。彼女が怯えるのも無理はないだろう。一度自分を人質として拘束した男のことを、そう簡単に許せるはずはない。
「カーリくん」
 トワイライトはそんな彼女を背中に庇い、出来るだけアッシュの視界に入らぬようにした。だが彼は、彼女のことなど気に掛ける余裕もないようだ。ただぼんやりとしながら、呆然とした調子で、トワイライトたちを見つめる。
「くっそ……何なんだよ、お前ら……」
 掠れた声が、トワイライトの耳に届く。それは、自分たちより何枚の上手の、得体の知れない男に対する驚愕と嫌悪。アッシュとラード、一体どちらからの言葉なのだろう。だが、そんなことはどうでもいい。
「だから、言ったじゃないか。私はトワイライト。魔界府警察部門職員……ごく一般的な、悪魔だよ」
 理解も出来ずに惚けるだけの相手など、取るに足らない存在だ。わざわざ、詳細な自己紹介までしてやる必要はない。
「くそ野郎……っ」
 相も変わらずに、核心をつかない返答ばかり繰り返す男に、アッシュは口の悪い罵倒を投げかけた後、再び意識を失って転倒する。エンヴィスが彼に近付くと、ポケットから出した新たな手錠をかけてやった。その時、トワイライトの背後からいきなり、眩い光が発現する。
「!やった、転移ゲートだよ!」
 指を差したレディが、はしゃいだ声を出した。
「これで帰れるじゃんね!」
「お~、やっとだな。全く、今日は一日、大変だったぜ」
 彼女の言葉を受けて、エンヴィスも疲れの滲んだ顔を明るくする。ぐるりと肩を回して、凝りをほぐすトワイライトに、カーリが話しかけてきた。
「トワイライトさん」
「ん?」
「その……ありがとうございました」
 一瞬、何を言われているのか理解しかねたが、すぐに、今し方のことだと察知する。庇ってもらったことを指しているのだと。
「あぁ!あんなこと、別に大したことじゃないよ」
「え、で、でも……」
 懇切丁寧に礼を言われるほどのことではない。そう片手を振って、彼女の言葉を受け流すが、カーリはまだ不安そうな目を向けていた。
「気にするな。部下を守るのは、上司として当然の責務だからね」
 そう告げるトワイライトは、もはやカーリの顔も見ていなかった。さも当たり前のことであるかのように述べる彼を、カーリは尊敬の眼差しで見つめる。一体どうすれば、彼のような素敵な大人になれるのだろう。どれほどの長い時間を生きれば、あんな風に成熟した精神を持てるのか。
(ほんと、トワイライトさんって凄い人……)
 内心で感動しているカーリのことなど気にも留めずに、トワイライトは皆に向かって声をかける。
「さて、諸君。帰還の時だ。残業ご苦労だった。これで、本日の業務は全て終了だ。報告書の作成は、明日からで構わん。この男をさっさと担当者に引き渡して、今日はもう帰ろうじゃないか」
「え、本当ですか?」
「やったぁ!トワさん神ってるぅ~!」
「お疲れ様です、だろ、レディ」
 労いの言葉を交えながら、簡潔に必要事項を伝達する。話を聞いたカーリ、レディ、エンヴィスが順に反応を示すのを耳にしながら、トワイライトは転移の魔法陣に足を踏み入れる。淡い光を放つ円形のそれは、アッシュを含め五人で入っても、まだ余りあるほどの大きさだ。シュワン、と形容し難い不思議な音を立てて、効果を発揮し始める魔法陣を眺めながら、トワイライトは一人、ほくそ笑んだ。漆黒の瞳が光に照らされて、周囲の光景が鏡のように映り込む。
 果たしてこの目に、悪魔たちの世界はどう映っているのだろうか。カーリが訝しむと同時に、魔法が発動し、彼らの姿はかき消えた。彼らの存在は、人間たちに決して知られることはない。人の目の届かぬ地底の奥深くで、ひっそりと、今日を楽しく生きている。これは、そんな彼ら”
悪魔”たちの、物語だ。
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