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第四階層「山岳エリア」
しおりを挟む次に私が訪れたのは、第四階層である山岳エリアだった。
このエリアには、険しい山岳が連なっている。
その山岳の山頂付近ともなれば、一年中雪に覆われる極寒の地であり、このエリアには山岳を好む所属の他に、寒冷地を好む種族も多数暮らしている。
そして、このエリアの纏め役もまた、寒冷地を生息域とする種族である。
彼の名前はフロドラーくん。彼はドラゴン、それもドラゴンの中でも数少ないフロストドラゴンの若者であった。
私は魔素で自分の周囲に耐寒障壁を張り巡らし、吹雪の中をゆっくりと進む。
今、私がいるのは山岳エリアの中でも最高峰であるフルフラスト山の八合目付近である。
この辺りは既に雪深く、とても徒歩では進めない。そのため、私は自身の身体を宙に浮かせて小走りする程度の速度で進んでいた。
荒れ狂う吹雪で視界が極めて悪い。そのため、これ以上の速度を出すのは危険なのだ。
時折、吹雪の中を巨大な影が通りすぎていく。
影の正体はこの雪山に棲む動物だろう。そして、その動物はこの雪山に暮らす住民の食糧でもある。
今も私のやや前を横切る影が存在するが、その影に上空から何者かが襲いかかった。
私の身長よりも更に高い体高の影。そしてその影に襲いかかった者は、更に巨大な体躯をしている。
吹雪の中にちらちらと見えるのは、純白の鱗に覆われた巨躯。長い首の先には巨躯に見合った大きな頭があり、その頭には日本優美な角を有していた。
大きな口には、鋭い牙がずらりと生え、その牙が捕えた動物の肉を食いちぎり、そのままごくりと嚥下する。
巨大な身体には不釣り合いな、短い四本の脚。だが、その脚には鋭い爪があり、決して侮ることはできない。
長い尾と巨大な皮膜の翼。そのどちらもが純白で、躍動する生命力に満ち溢れている。
巨大なその生物は、狩った動物を瞬く間に食べ尽くした。そして、長い首を巡らせると、その金の瞳でじろりと私を睨み付けた。
「あれ? 大家さん? 大家さんじゃないッスか? どうして大家さんがここにいるンス?」
「やあ、フロドラーくん。ちょっと君に用事があってね」
「あ、そうなンスか。じゃあ、こんな所で立ち話も何ッスから、オイラの塒にでも来ませんか?」
「そうだね。お邪魔させてもらうとしようか」
彼──フロストドラゴンのフロドラーくんは、その場で踞ると私に彼の背に乗るように促した。
「ここからオイラの塒まで、ちょいと距離があるッスからね。ま、大家さんなら別に問題ないとは思うッスけど、ここはオイラが運びますよ」
「そうかい? では、お言葉に甘えるとしようか」
私は彼に歩み寄ると、そのまま彼の背中に跨った。
フロドラーくんは私が背中の棘の一つにしっかりと掴まったことを確認すると、その巨大な翼をばさりと広げる。
「じゃあ、行くッスよ!」
彼はそう宣言すると、私を背に乗せたまま吹雪が吹き荒れる雪空へと舞い上がった。
山岳エリアの最高峰、フルフラスト山。その頂上付近に存在する巨大な洞窟。それがフロドラーくんの塒である。
洞窟の中は外に比べるとかなり温かい。このフルフラスト山は休火山であり、地下の溶岩の熱がこの洞窟を快適な温度まで温めてくれていた。
どうやらこの場所は、フロドラーくんの塒の中でもいわゆる「応接間」らしく、寒さに強くない種族の来客があった場合は温かいこの部屋を使うことにしているらしい。
ちなみに、フロストドラゴンであるフロドラーくんにはこの部屋は少々温かすぎるそうで、彼にとって快適な温度の部屋が他にあるのだそうだ。
私は目の前で丸くなったフロドラーくんに、先日のボウケンシャの一件を伝えた。
「へー、また連中が入り込んだッスか。でもまあ、人間にはここまで来るのは難しいッスよね」
確かに、彼が言う通りこのフルフラスト山は人間にはかなり厳しい環境だろう。私とて、耐寒障壁がなければ、それほど長くは留まれないのだから。
「君の言うように、この山の山頂まではさすがに人間も来ないだろう。だが、『扉』はどこに開くか分からないからね。もしも、この付近で『扉』が開くようなことがあれば……」
「分かっているッス。迷い込んだ人間が凍死しないよう、しっかりと保護しておくッス」
「そうしてもらえると助かるよ。まあ、連中が君に害をなそうとするようなら、適当に脅しておいてくれ」
「承知したッス。殺さない程度に可愛がってやるッスよ」
フロドラーくんの口に端がにぃと持ち上げられた。彼はドラゴンにしては妙に人間のような仕草をする。
人間にドラゴンであるフロドラーくんを傷つけるようなことは、まず不可能だろう。
だが、時に人間の中には、突出した力を有する者が現れることがある。そのような者は、ドラゴンでさえ害することができるのだ。
人間は我々魔族に比べると、比較にならないぐらい弱い存在である。だが、時に我々さえ凌ぐ才能を秘めた者が現れる。
人間の世界では、そのような者を「ユウシャ」などと呼ぶらしい。
その後、フロドラーくんから近況などを聞きつつ、世間話に興じた。
と、私は彼に土産を用意していることを、ようやく思い出したのだ。
「おお、そうだった。今日は君にこれを用意していたのだった」
私が手近な空間を自室へと繋げると、そこから彼のために用意したものを取り出す。
「ほら、これが最近帝都で有名な菓子だ」
「おお、それが噂に聞いた例のお菓子ッスか!」
フロドラーくんの目に喜びの輝きが浮かぶ。
実は彼、大の甘い物好きなのだ。
常々、彼からもしも帝都まで行くことがあれば、手に入れて来て欲しいと頼まれていた。
彼のような魔獣たちも、帝都の中に入れないわけではない。
帝都に入る時には身体を小さくする魔道具が貸し出されるので、それを使えば巨大な魔獣たちも帝都には入ることができる。
だが、彼らの身体はその構造上、物があまり持てない。そのため、買い物に必要不可欠な貨幣をあまり持ち運ぶことができないのだ。
中には首から財布をぶら下げて、帝都で買い物する魔獣の姿も見かけられるが、それでも財布の中味を彼らが自ら取り出すのは難しい。
彼らが買い物をする時には、店員が彼らの財布から貨幣を取り出すのが暗黙の了解となってはいる。それでも時には手数料だとばかりに割増料金を要求される場合もあるそうなのだ。
人間界に比べると平和な魔界だが、それでも住人が善人ばかりではないのは人間界と同様なのである。
私が菓子の箱を開けると、周囲にバニラの甘い香りが充満する。
「おおっ!! これこそは帝都で開業三百年の老舗、ラグラーポ亭の一日百個しか作られない幻のシュークリームっ!!」
「さすがに一人でいくつも買い占めることはできなかったのでね、数はそれほどないが勘弁してくれ」
「いやいや、幻のシュークリームにようやくありつけるンスから。大家さんには感謝感謝ッスよ!」
フロドラーくんが大きく開けた口の中へ、私はシュークリームを一つ、放り込む。
巨体の彼からすれば、食べた気にもならないような小さな菓子だが、それでも彼は満足そうに目を細める。
「くぅぅぅぅ、この蕩けるようなクリームの舌触り! それでいて甘さはあくまでも上品。ガワも香ばしくて絶品だし、さすがはラグラーポ亭の幻のシュークリームッスねっ!!」
フロドラーくんは、私が買ってきた六個のシュークリームをじっくりと味わいながら食べた。
「また、機会があれば買ってこようか」
「お願いするッス! あ、そうだ。今月の家賃、ついでだから今払ってもいいッスかね?」
「無論、構わないとも」
「じゃあ、申しわけないッスけど、付いてきて欲しいッス」
彼は身体を起こすと、背後にある別の部屋へと通じる通路──もちろん、彼の身体に合わせた巨大なもの──へと向かう。
私も彼の後に続きながら、巨大な通路の中を進む。
次第に周囲の気温が下がってくる。向かう先はフロドラーくんの寝室であり、彼が過ごしやすい気温の部屋なのである。
私は再び耐寒障壁を展開する。
そうしてフロドラーくんの後ろを歩くことしばらく、私たちは広い空間へと出た。
ここは彼の寝室である。部屋の中央には文字通りの金銀財宝が積み上げられた山が存在した。
この金銀財宝の山こそが、フロドラーくんのベッドなのである。
彼に限らず、ドラゴンという種族はこのように金銀財宝を寝室に貯め込むみ、その財宝の山の上で寝ることを好む。
一説によると、ドラゴンの腹は他の部分に比べると幾らか柔らかいらしく、寝ている時にその弱点でもある腹を攻撃されないよう、腹の下に金銀財宝を敷くのだとか。
これに関してフロドラーくんにその真偽を尋ねたところ、確かに腹は他に比べると柔らかいらしいが、それでもその腹を守るために金銀財宝の上で眠るわけではないらしい。
彼らが財宝の山を築き上げるのは、それが彼らの習性だからという実に単純な理由からだった。
ちなみに、彼らがどのようにしてこれらの財宝を手に入れているかと言えば、それは彼らが鱗や脱皮した皮、時にはその血などを売って、これらの財宝を入手しているらしい。
鱗や皮は、様々なものへと加工されるし、その血もまた各種の薬の原材料となる。
しかもドラゴンの鱗や皮、そして血はそれぞれが最上級の素材であるため、どれも高額で取引されるのだ。
「じゃあ、大家さん。ここから家賃分の金貨を持っていってもいいッスよ」
「ああ、そうだった。家賃の半分は金貨でもらうが、残りは君の血を少し分けてもらうってことでいいかね?」
私の言葉に、フロドラーくんは快く頷いてくれた。そして、彼は前脚の先をその鋭い牙で僅かに傷つける。
傷口から滴る真紅の血。私は魔素を操作して、血が床に滴り落ちる前に結晶へと加工した。
「ありがとう、フロドラーくん。君の血は魔素回復薬のいい材料だからね」
「そういや、その魔素回復薬って、第五階層に住んでいるヴァンさんからの依頼ッスよね?」
私は彼の質問に頷いてみせた。
「いや、実はオイラ、ヴァンさんの大ファンなンスよ。別に血の代償ってわけじゃないッスけど、できればヴァンさんのサインをもらえないッスかね?」
このヘルヘイム荘の第五階層に住む、ヴァンパイアのヴァンさんは魔界でも指折りの人気俳優なのだ。どうやら、フロドラーくんも彼のファンだったらしい。
「そうだね、頼んでみよう。だが、ヴァンさんが頷いてくれるかどうかまでは確約できないよ?」
「そ、それでいいッス! もちろんッス!」
フロドラーくんは、こくこくと何度も嬉しそうに首を縦に振る。
どうせこの後、第五階層のヴァンさんの元へと行く予定なのだ。
そこで彼にサインがもらえないか頼んでみよう。
私はそう考えながら、フロドラーくんの塒を後にした。
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