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二人きりの世界

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「これから君と散策したいのだがどうだろう」

 昼食を終えた後、セブさんがそう切り出した。

 薬の足りない材料を探す為一度王都に帰るセブさんと、出来ることがなくなり自宅のあるハービルに戻るだけとなった俺は、効率を優先するのであれば、ここカガリナですぐ分かれるべきだ。特に、セブさんは一時でも早く出立した方がいい。王都までは、乗り合い馬車を主体にして向かった場合、たぶん七日程度はかかるだろう。なので、てっきりこの後すぐ馬車のりばに向かうものかと思っていた俺は少しばかり驚いた。

 だが、やはりあまり容易く遠出出来ない身の上なのかもしれない。その貴重な息抜きの機会の、その付き添いに俺は選んで頂けたということか。きっと隻腕の今の状態では不自由もあるだろう。少しでも手助け出来ればと二つ返事で頷いた。



 セブさんの手助けをしたいという名目だったはずなのに、実際ついて行ってみれば、自身の無能さに打ちのめされた。

 衣料店で彼自身のものを揃えるついでだという素振りで俺のシャツとズボンを新調され、髪結い紐まで贈られてしまったり、そこで身綺麗になったらそのまま劇場につれていかれて上席で観劇してしまったりと、これでは役に立つどころか接待されてしまっているではないか。

「あの、セブさん…」

 劇場から出た俺は、目抜き通りをセブさんに手を引かれて歩いている。とても機嫌がいいらしく、時折合う視線が常に柔らかい。

「どうした、ハバト。活劇はあまり気に入らなかったか?」

「いえ!それは、とても楽しかったです。観劇、初めてだったので、すごく感動しました。ありがとうございます」

「そうか。それは良かった。喜劇と活劇で少しばかり悩んだのだが、君の年頃なら活劇の方が退屈しないかと思って選んだ。ぜひハバトと王都の劇場にも行きたい。仕掛けが大掛かりで見栄えがいいと聞く」

「すごく観てみたいです!……でも、そうじゃなくて、観劇のお代もこの服もセブさんに支払いをさせてしまってすみません。お金払わせてください」

「その服、気に入らないか?」

 悲しげな微笑みですら絵になる。窓辺にでも立たせればそれだけで絵画になりそうだ。

「そんなことないです!とても良い生地で着心地もいいです」

「そうか。ハバトによく似合っている。君の髪はよく跳ねるようだから、髪油を付けるより結ってしまった方が楽だろう」

 繋いだ手を引き寄せられ、頭のてっぺんにセブさんの顔が触れる。たぶん、つむじにセブさんの唇が押し付けられた。そう気づいたら、恥ずかしいのに嬉しいような気持ちがむずむずして、頬も温かくなる。

「わたしは、セブさんのお役に立ちたいんです…」

 俺がおずおずと見上げると、彼は「君はまたそんな健気なことを考えていたのか」とくすりと笑われた。

「共にいてくれるだけで、十分役に立ってくれているよ。こんな顔を隠した大男一人では、買い物一つ行くにしても不審がられる。私の都合に君を付き合わせて心苦しいばかりだ。せめて支払いは私に持たせてくれ」

「……そう、なん、ですか…?」

 セブさんが一人のところを想像してみると、そうなのかもしれない。顔を隠した傭兵や冒険者もいないわけではないが、セブさん程の長身はきっと悪目立ちしてしまうのだろう。そう考えると、今日の浮ついた俺の存在にやっと意味を与えることが出来て、ゆっくりと得心がいった。


「さて、もうこの時間では乗り合い馬車も無いだろう。これから宿を取ろうと思うが、何か不便があるかもしれない。人助けだと思って、また付き合ってくれるか?」

 フードの隙間からにこりと微笑まれて、こんな優しい人の願い出を拒絶するすべなど俺にはなかった。





 惜しみ無い彼は、案の定、たぶんカガリナで最上級だろう立派な宿屋に着くと、先払いで部屋を俺の分も追加でもう一つ取ってしまった。その鍵を当たり前のように俺に渡すこの人が、他所で金銭目的の人間に利用されてしまったりしないか不安になる。

「ここの隣が酒場になってるようだ。そこで夕食を食べようか」

「はい」

 昨日出会ったばかりの人なのに、手を差し出されて、ついその手を取ってしまう俺もどうなのだろう。いつの間にかセブさんと手をつなぐことに抵抗がなくなっている。嫌な気持ちなんて欠片もなくて、彼と手をつないでいるとそれだけで幸せな気持ちで満たされる。他の人と手をつなぐことなんてないけど、こんなに幸せな気持ちになれるのはたぶん彼の手だからだと思う。不思議だ。

「ハバトの手は華奢だが、よく働いている手をしているな」

 セブさんの指先が、俺の荒れた指先をさらりさらりと撫でる。変装魔法で顔と声は繕っているが、指先までは気にかけていなかったことを後悔する。
 そして、撫でられながら気付く。彼の手も身分ある人のものにしては硬く無骨なことに。

「セブさんの手のタコは、もしかして剣を握るからですか?」

 彼の手のひらのたこをさわりと撫で返すと、柔和な笑みで見つめられる。

「仕事柄な。剣術、槍術、弓術、体術、馬術ひと通り修めた」

 腰の剣は飽くまで護身用だろうと思っていた。まさか剣を振るう仕事をしているとは。だからこんなに均整の取れた体をしてるのか。とても長身だけど、程よく体に厚みがあるので、細長いという印象は受けない。

「セブさんは何でもできるんですね。かっこいいです」

 騎乗もして、様々な武具を使うだなんて、まるで騎士のようだ。馬を駆って戦うセブさんはきっと軍神のようにかっこいいだろう。

「君にそう言ってもらえるのなら、苦労した甲斐がある。だが、利き手がこうなってしまっては、鍛錬でどこまで扱いを元通りにできるかわからないな」

「えっ、えっ?あの、もしかして、セブさん左手が利き手なんですか?」

 俺の挙動不審な様子が面白いらしく、セブさんは珍しくクツクツと少し意地の悪い笑い方をして、「左手はもっとタコだらけで硬かったんだが、今の方が断然硬いな」と笑えない冗談を言う。全然笑いごとなんかじゃないのに。
 
 セブさんは、ずっと利き腕の利かない状態でひとりで自分のことをこなしていたのか。優しいセブさんはつらくてもきっと言い出せないだろう。腕の事情を知っている俺が気を遣わなければいけないのにとんでもない大失態だ。役に立ちたいも何も、俺の気が利かなければ意味がないじゃないか。
 俺が足を止めると、すぐに察して彼は柔らかい視線で何如を問うてくる。

「ごめんなさい、セブさん。ご飯は外じゃなくお部屋 で食べましょう。わたし、カトラリーを使わなくても 食べやすいもの探して来ます。セブさんはお部屋で待 っててくれますか?」

 何も考えてなかった自分を恥じて言い募ろうとするが、セブさんはゆったりと首を横に振った。

「気を使わせたかったわけじゃない。 私は大丈夫だ。昼食も問題なかっただろう」

「…そうですが、お嫌でなければ、食事のお手伝いをさせてくださいませんか」

 つないだ手に力を込めると、まるでとても大切なものを扱うかのようにそっと握り返された。

「では、店で食事を包んでもらい、部屋で二人きりで食べるか。店には共に行こう。宵の口とは言え、君をひとりにしたくない」

「はい。セブさんが一緒なら心強いです」





 多めに買ってきた料理を、セブさんの部屋に持ち込んだ。食べる間もセブさんは酷く上機嫌で、隣に座る俺の頭を何度も撫でてくれる。彼は自身の右手を食事をとる為に使う気はないようで、俺の頭を撫でた後は、俺の頬や肩を軽やかに掠めたり、俺の膝を上にしっとりと置かれていた。つまり、セブさんの口に料理を運ぶのは俺に一任されてしまったわけだ。俺が必死にあれこれ給餌するものを、セブさんは文句ひとつこぼすことなく、心底楽しそうに全て平らげた。

 俺はうまく出来ているか気を揉んではしまったが、初めて人に甘えてもらえたことが果てしなく嬉しかった。しかもその相手が優しくて強いセブさんだということがたまらなくて、彼と一緒になってずっとにこにこしていた。

 出来るなら、このまま一晩楽しい気持ちが続けば良かったのに。
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