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 地獄には小鳥がいない。故に朝、ちゅんちゅんというさえずりで目を覚ますこともない。湿気といつも何かがくすぶったようなこの匂いのせいで動物には暮らしづらい環境なのだろうか。
「門の向こうにはいるがな」
 と一心さんが教えてくれる。
「へえ」
 確か罪人は鳥についばまれたり、獣に食われたりする場所があるらしい。死んでいるのに痛みがあって苦痛のみを感じるなんて本当に地獄だ。地獄の動物は閻魔様のペットなのだろうか。
 仕事にも地獄の環境にも慣れつつあったが、大女将はまだ私を一心さんの嫁にしようと考えているらしく、その気のない一心さんと私の間に入ってくれて心角さんは大変そうだ。

 花が咲いたから結婚なんておとぎ話じゃあるまいし。地獄のほうが別世界? 異世界とはまた違う。死んでいるけど人間がいるからだろう。
「私の昔の婚礼着をあっちの世界で天日干ししなくちゃ」
 大女将、それは何千年前のお話でしょうか。病で臥せっていることが多いと聞いていたがたまに姿を現しては強引に事を進めようとする。そして誰も大女将を止めることはできない。
 私は仕事が忙しいと大女将を振り切って逃げた。
「ああ、頭痛い」
 客室の掃除をしながら、こめかみではなく眉間をぐりぐり押した。
「瑠莉ちゃんは生身の人間だもんね。すっごい悪人が来ると瘴気が漂うらしいわ。きっと清しん亭よ。向かいは客を選ばないもの。お金第一主義。面倒な客に居座られたら厄介なのに用心棒もいないのにどうやってるのかしら。はい、これ」
 麻美さんが着物の帯の隙間にこっそりと隠したいちごの飴をくれた。子どものときによく食べた懐かしいパッケージ。
「ありがとうございます」
 それは祖母を思い出させた。
「私も好きなの」
 と三角形のそれを麻美さんも口に放り入れる。
「こっちにもあるんですね」
 忙しくて行けてないが、コンビニのような商店もあったからあそこで買えるのだろう。
「うん。昔よりも格段に現世との交流が盛んね。前は搬入が週に一日だったけど今はほぼ毎日」
「へえ」
 人間界の物流業界が大変なのはこっちの配送もあるからかもしれない。
 客室ならまだしも、私たちが縁側で話しながら掃除をしているのが仲居頭の文子さんには気に入らなかったらしい。
「そこ、口じゃなくて手動かしなさい。今の子はすぐサボるんだから」
 注意というよりも小言だ。死んでまでこんなに怒る人がいるんだと思いながら私の目は文子さんの腕の4という数字を捕らえた。
 あと4年でここを出られるのか。

 芯しん亭はこの界隈でも高級らしく、つまるところ死んだときに棺桶に入れられるお金が多い人でないと宿泊できない。預貯金額ではない。地域によってはだめなところもあるそうだが死に人が困らぬようにお金を入れる風習は残っているようだ。三途の川の船の渡し賃は昔も今も六文銭と決まっている。死んだ人間が地獄に来ることが決まると、役所のようなところでこっちに来る手続きが行われ、そのときに泊まる宿も決定する。地獄に行けばお金の価値はないので、門の手前の宿で使い果たそうと多くの人が思うらしい。
 そんなわけで、今日も芯しん亭は空室なし。
「ろくに休みもないんだからお喋りくらいいいじゃないね」
 文子さんの小言から解放されるや否や麻美さんが毒を吐く。
「まぁ、私たちの声も大きかったし」
 と宥めて、私は庭の掃除を始めた。
 麻美さんは日焼けを気にして薄曇りでも外掃除を嫌がる。もう死んでいるくせに。あと70年もここにいなければならないのに。
 その頃には私は生きていないだろう。いや、今の現代の医療技術では生かされてしまうのかもしれない。
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