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第93話 検査技師の送迎会にて

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 腕のない者、徘徊を繰り返し、体液を垂らしながら、うごめいているアルコール性認知障害者たちを目の当たりにした。

 病院内での飲酒は絶対に不可能だから身体の中から、というより脳みそからアルコールが消え去っていく。長い年月、アルコールに浸り切っていた脳は酔いの状態が正常であって、アルコールが切れると禁断症状に襲われる。

 私の場合は最後の飲酒から半日も経過すると、悪寒と振戦に襲われる程度であったが、なにしろ発汗が凄かった。仕事をしている時から気付いていたが、室内にじっとしていられないのである。常に外気に吹かれて体温の上昇を落していないと働く事ができない。

手の震えで文字を書くこともままならず、焦れば焦るほど手先が激しく揺れてしまう。

 入院して数日後には新入りが入ってきた。新入りと言っても六十歳代の中頃だろうか。この患者が朝、起きてきて朝食を食べようとした時に味噌汁を持つ手が激しく震えて椀を左右に大きく揺すぶった。

『アチィ』と叫んだと同時に、そのままうしろ向きに倒れてしまった。卒倒というものである。

 アルコール性癲癇(てんかん)には2種類ある。動けなくても意識だけはしっかり保っていられれば命に別状はないのだが、卒倒した時に心停止や呼吸が停止してしまうことがある。

この新入りのおじさんは意識を失わず、おまけに倒れた真後ろに別の患者がたまたまいたので、事なきを得られた。この一週間後だったと思う。泥酔による極度の衰弱者が入院してきて、そのままナースセンター隣の部屋に連れていかれ、ベッドに寝かされていた。

なにを思ったのか、突然『ムクッ』と立ち上がると、そのままベッドから転げ落ちた。呼吸を復活させようとアンビューを使って蘇生を試みていたが心肺は停止したまま戻ってくることはなかった。

アルコール性てんかんは突然死を招くのである。

 およそ三ヶ月間の禁断症状と禁酒を乗り越えて、翌年の二月に退院するのであるが、私はこの退院時に間違った解釈をしてしまった。

 ➖あれだけ大好きで飲み続けていたアルコールを3ヶ月も断つことができたのだから、この先は普通の人のように呑める身体になったのだろう➖

 そう思って退院してしまったのである。

当然、退院した当日に久しぶりのビールを味わい、行きつけのスナックに顔を出して「俺ってアル中なんだってさ、3ヶ月も禁酒させられていたんたぜ。凄いだろう。」と自慢げにカウンターを陣取り、タバコを燻らせながらグラスを傾けていた。

 二月十五日に退院して、翌月にはアルコールの連続飲酒が止められなくなっていた。

三月末の土曜日だった。同僚であった検査技師の志村さんが退職する事になり送迎会がおこなわれた。この方は母の採血がおこなわれた時に腫瘍マーカーであるCEAの数値を相談させていただいた女性である。

私は当初、出席する予定だったが、朝からアルコールに浸ってしまい、行くに行けない状況になってしまっていた。仕方がないから夕刻の終業時間を見計らって電話を使い、欠席を伝えたものの『今夜、会わなかったら2度と会う機会がない人だろう。』という思いが先立ち、十九時を過ぎてからタクシーを自宅に呼びつけて所沢の送迎会場に向かった。


 タクシー代金だけでも一万円は超えたと思うが、なにしろ金はある。母が残していった普通預金の通帳の額だけでも270万円もあったし、定期預金や生命保険の死亡保証金を手に入れてしまったので現金が2000万円以上もあった。

 だから、たかが一万円札1枚くらい無くなってもどうでもよい。

 出席の意向を伝えておきながら当日にキャンセルして、さらには『宴もたけなわ』の時間を過ぎたころ突然、姿を現した酔っ払いは会場に着くや否や、自らの飲み物を追加で注文して顰蹙(ひんしゅく)をかった。自分の飲み代を別途で支払うつもりになって一万円札を3枚、ウエイトレスのようなアルバイトらしき女性に手渡し宴席に着いた。

 「3ヶ月間もアルコール依存の治療で休んでおきながら、またお酒を飲むなんて悲しくなるわ。」

廻りからの忠告なんて聞く耳を持たない。

 「俺の金で飲むんだから勝手だろう。飲みたりない奴がいたら注文していいぞ。2次会もあるのだろう、俺が払ってやるよ。」

 アルコール依存症は何ヶ月、いや何年、何十年飲むことを断っていても、たったひとくちを口に入れてしまえば元のアル中に戻ってしまうのである。

 この年の七月、再び入院になってしまった。
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