王子とチェネレントラ

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36話

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「飽きた」

 隼がいないのもあって彼女のところへ行っていた雅也に、彼女ははっきり言ってきた。

「……は」

 雅也はまたいつもの彼女の遊びかと思った。よく雅也をからかっては楽しそうに笑う彼女の遊びか、と。だが違った。

「別れようね」
「な、んで……」
「だって私、飽きた。それにマサは違う子が気になってるでしょ」
「っそんなヤツ、いねぇ」
「……そう? でも私はもうマサに構ってあげない」
「何で……」

 雅也は混乱し、動揺していた。彼女のことは本当に好きだと思っていたし、彼女のおかげでこうして今の自分があると思っていた。

 でも、嫌われてしまった、の……だろうか。

「あーもう。ほんとあんたはわんこなんだから」

 不意に彼女はそう言って雅也の頭を撫でてきた。ふとその時に思い出すのは、隼のこと。
 雅也が無表情になり俯いていると、頭を撫でていた彼女がそのまま抱きしめてきた。

「飽きたってのはあんたを飼うことね」
「かう……って」
「マサは別の子に飼育してもらいなさい。でも私、犬好きなの。だからあんたのこと嫌いになんてなってないわよ。でももう私は飼えないの。ごめんね」
「お前は、謝るな……」

 雅也が言えたことはそれだけだった。脳内ではぐるぐる色んなことが回っているのに、上手く言葉にできない。情けないと思った。

「俺、お前のことほんと好きだったし、凄く感謝、してる」

 最後に何とかそう言えた時、彼女は何でもわかっているといった表情でまた頭を撫でてくれた。そして「ゆーや」と初めてちゃんと名前を呼んでくれた。
 寮へ戻ってきた後、雅也は呆然としていた。そこへ隼がいたらまさに「捨てられた犬……」と思ったかもしれない程度には所在なさげだった。
 本当に彼女は大切だと思っていたし、今まで一度だって裏切ったことはない。彼女はああいった性格なので、たまに他の男と食事に出かけたりと雅也をハラハラさせてはきたが、雅也は他の女と出かけたことなどなかった。
 変わり者なのか、たまに好きだと告白をしてくれる女子もいた。告白してくれているわりにどこか怯えているのがとても微妙な気分にさせられたが、なるべく怖がらせないよう「ごめん」とだけ返していた。
 ああ、だけれども……と雅也はさらに落ち込む。

 ……なるとメシを食う時、俺はどれほどそれを待ち遠しいと思っていた? なるといる時どんだけ落ち着かなかった? ……そして俺は……この間、何で……抜いた?

 酷い裏切りを自分はしていたのじゃないのか。雅也は自室に籠り、ベッドの上で体育座りになってさらに落ち込む。
 隼は友人だし、だからもちろん浮気とかそんなつもりなんて全然なかった。そもそも男だ。

 だけれども……。

 雅也はこれ以上ないほど落ち込んでいた。かといって彼女に「ごめん」と改めて謝るのも失礼な気がした。
 ふらりと部屋を出て、隼が作り置きしてくれていた煮物を食べる。何となく妙に寂しくなってきた。洗い物をした後で、雅也は隼の部屋に今度は恐る恐る入る。
 主人のいない部屋が何となく今の自分とリンクして、雅也はさらに寂しい気持ちになった。そのまま隼のベッドにころりと転がる。ここにはいない、隼の匂いがする。
 雅也は妙に切ない思いがこみ上げてきた。意味がわからないそんな思いに戸惑いつつも、うつ伏せて枕を抱き寄せた。
 そこでまた雅也は抜いてしまった。隼の匂いを吸い込みながら、どうしようもなく高ぶった自分の熱を出した後で顔が引きつる。最低だと自分を罵ったくせに、結局その日は隼の部屋で眠った。
 自分はどこかおかしくなってしまったのかもしれない。彼女と別れ、その後呆然としたまま友人相手に何を考えているのか、自分でもわからないままぼんやり数日過ごした。ただ、ぼんやりしつつもどこか怖かった。
 その日は隼が帰って来ると思っていなかった。つい誤ってシーツを汚してしまったが、先に何となく部屋の換気をしていた時に隼が帰ってきた。
 あれほど焦ったことはなかったかもしれない。中学の頃、喧嘩していて鉄パイプで殴られそうになった時ですらそんなに焦らなかった。
 焦った雅也ができた行動は机に置いていたペットボトルの水をそこへこぼすことだった。もちろんわざとではない。焦りすぎての結果だった。
 罪悪感にまみれながらも、だが隼が帰ってきた事は純粋に嬉しかった。そして彼女と別れたと告げた雅也の頭を隼が撫でてくれた時、雅也は迂闊にも泣きそうになった。何とか堪えるためにも、勢いよく顔を上げた。
 自分は本当におかしくなったのかもしれない。

 ……なるが……、
 …………好きだ…………。

 こんな風に自覚するなんて。彼女はとうの昔にわかっていたのだと、今ようやく理解した。
 誤魔化すため「トイレ」と言って実際トイレに逃げ込み、情けないことに今頃になって少し泣いた。
 彼女にはずっと支えられたままだった。自分は彼女を少しでも支えることができたのだろうかと思う。そしてこれからは自分もしっかり支えられるような男になれるだろうかと願った。
 初めて思いきり、誰かを「好き」だと実感した。男でそれも友人に。
 彼女に対する好きと違う好きだと今わかった。きっと彼女はそれもわかっていたのかもしれない。自分の情けなさと最低具合に吐き気がした。

 俺はこれからちゃんとそんな存在の人の支えになれるような人間になれるだろうか。

 あんなことして、しかも焦って相手のベッドをびしょ濡れにしてしまうような色々小さい男に。
 洗面所で目が赤くなってないか確認してから雅也はテーブルへ戻る。

 なれるだろうか、じゃない。そんな風に考えるなら俺はまだまだ父親に反抗してグレていた痛い男のままだ。

 なればいい。支えになればいい。小さいなら大きくなればいい。
 雅也は先ほどまで抜いていて汚してしまったのがバレないかと耳を垂らしていたとは思えないほど堂々とした様子でテーブルへ戻ったつもりだった。
 だがまた頭を撫でられた。そして言われたことに固まった。

「まあ、あれだ。彼女に振られた同士、一緒に寝ようよ」

 最初から何その試練。

 夜、横に自覚したばかりの好きな相手が眠っている状況に、雅也は大混乱中だった。童貞でもないというのに、心臓が壊れるかというくらいドキドキしていた。聞こえたらどうしようと背を向けて息を殺していると、あっという間に寝息が聞こえてきた。

 寝るの、速……。

 雅也がそっと隼を窺おうと寝返りを打つと、思いもよらないほど近いところに顔があった。途端、雅也の顔が沸騰しそうになる。だが雅也は隼の顔をジッと見た。

 ……やっぱり、俺は男で友だちのこいつのこと、好きだ。

 改めて実感すると落ち着かないまま雅也はそっと顔をさらに近づけた。軽く、頬か額に軽くだけキスしようとしたのだ。
 だができなかった。なのでそのまま静かにこつんと隼の額に自分の額をくっつけた。
 胸が締めつけられそうな気持ちになる。爆発しそうだった心臓は今度はキリキリと痛み出す。

 好きになるって、喧嘩で殴るよりも殴られるよりも痛いんだ。

 額をくっつけたまま、雅也はきゅっと目を閉じた。
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