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10話
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柊がベッドで灯のことを考えている頃、灯はアルバイトに勤しんでいた。
今日は残念ながら梓は出勤ではない。梓がいれば、柊が梓から曲を聴いたことを話したかった。
柊に詞と曲を聴かれたのは、前に一度ノートを見られていてもやはり恥ずかしい。だが話したかったのは聴かせたことを責めるためではない。梓は、柊があまり接してくれないと以前から嘆いている。だが昨日は一緒にいて、そばで演奏していたことになる。それについて、よかったですねと言いたかった。
柊は仲のいい友人だが、家庭内のことをあれこれ言うのはやはり控えてしまう。
真面目で無口で照れ屋なところもある柊はとてもいいやつだ。兄である梓に対して、恐らくだが意味もなく酷い態度は取らないと灯は思っている。だからきっと柊なりに何かあるのだろうけれども、それを根掘り葉掘り聞くことはできなかった。そのため、少しでも兄弟仲よくしているらしい話を耳にすれば灯もなんだか嬉しくなる。
アルバイトを終えると、いつものように恋を迎えに行った。
「お兄ちゃん」
「何?」
「ひーちゃんはつぎ、いつね、くるかなぁ」
「いつだろうね」
ギュッと手を握りながら見上げてくる恋がかわいくて、灯はニコニコ笑みを向ける。
「れんは柊が好きだねえ」
「うん! だってね、れん、大きくなったらひーちゃんをむかえに行くの」
恋はキラキラした目を向けてくる。
「れんが迎えに行くの? シュウが来るんじゃなくて?」
「そーだよ。れんはひーちゃんの王子さまだからね、むかえに行ってあげなきゃ!」
「うん?」
恋の言葉に、灯はニコニコしたまま怪訝な気持ちになる。
聞き間違えだろうか。もしくは恋の言い方が少しおかしかったのかもしれない。柊が王子様だから恋を迎えに来る、と言いたいのを間違えたのかもしれない。
「シュウが王子様、じゃなくて?」
「ちがうよ、れんがひーちゃんの王子さまなの。れんの王子さまはね、べつにいるの。れんをお姫さまにしてくれる王子さま」
間違ってなかったらしい。
スーパーに着いたので、カートにカゴを乗せてから恋にもカートを一緒に押してくれるよう頼む。恋は嬉しそうにカートのカゴが乗っている辺りを持ってきた。
三角関係か、と灯はおかしくなりながら「れんの王子様は誰?」と聞く。心の中で柊に「シュウ、お前れんのお姫様らしいぞ」と楽しげに呟いた。
「れんの王子さまは……えっとね、いまはナイショ!」
灯を見上げながら、恋は少しもじもじしつつそんなことを言ってくる。妹第一である兄としては少々気になるところだった。例え小さな子どもだとしても、自分以外に恋をお姫様にするなどと言うヤツが気にならないわけがない。
「今はってことは、また今度教えてくれる?」
「れんがはずかしくないときならいーよ」
今は恥ずかしいらしい。柊に対しては堂々と「れんが王子さまだからむかえに行く」などと言っていたのにと、やはり気になりつつも微笑ましくてかわいくて、灯はつい、今日は恋が好きなイカの刺身を追加しようかなどと考える。
灯としては小さな子どもはハンバーグが好きだのスパゲッティが好きだのといったイメージを持っているのだが、恋は何故かイカの刺身が大好きだった。
ただ、鮮魚売場を覗くとイカの刺身は安売りをしていなかった。恋に心の中で「ごめんね」と謝りつつ、おかずは煮物にしようと決めた。そこに恋がやはり好きなコンニャクを入れようと灯は思った。恐らくイカにしてもコンニャクにしても、感触が好きなのかもしれない。
……やっぱり安定した収入のある仕事だなぁ。
必要なものを吟味しつつカゴへ入れていきながら灯は思う。
夢はある。音楽関係の仕事につくことだ。でも夢は夢だ。
こうして起きて生活をしている状況では見られない。現実をちゃんと見なければいけない。なれるかどうかわからない仕事をしようとするよりも、安定した収入のある仕事に就いて、母親やまだ幼い妹のために働くべきだと思う。
どの鶏肉を買うか見比べていると、恋がふらりとどこかへ行ったのに気づいた。またかとため息つきながら探すとすぐに見つかった。試食販売をしているお姉さんと何やら話している。
「れん! 勝手に離れちゃ駄目だって言ってるだろ」
「だってね、お姉ちゃんがジュースくれたからせけんばなししなきゃって思ったのよ」
「どこからそんなルール出てきたの? お姉さんのお仕事の邪魔しちゃ駄目なの!」
試食販売は乳酸飲料だったようで、値段も安かったので、お詫びの意味も込めて灯は一パック買うことにした。
「邪魔してすみませんでした」
「いえいえ。ありがとうございました」
お姉さんはニコニコ恋に手を振ってくれた。恋も嬉しそうに手を振っている。
「れん、買い物してる間ここ持っててって言っただろ? お兄ちゃんを手伝ってくれないならこのジュースはお兄ちゃんとお母さんで飲むからね」
「もってるよー」
恋は必死になってカートをつかみ出す。灯は苦笑しながら会計を済ませた。
家へ帰ると手を洗わせた後、恋一人で着替えさせてからテレビを許可した。灯も着替えると夕食の準備を始める。
収入を考えると、大学はやはり行くべきかなとは前から思っている。奨学金を考えるならいい成績も修めたい。そう考え、早くから真面目に勉強はしていた。
俺も柊みたいに頭、よかったらなぁ。
決して悪いわけではないが、とてもいいとも言い難い。柊は必死に勉強しなくても成績よさそうだった。
そういえばあずさんも頭、いい大学行ってるよなぁ。
兄弟揃って頭がいいなんて羨ましいなと笑みを浮かべながら、手際よく調理を進める。
曲は梓が形にしてくれただけで十分嬉しかった。
本当に嬉しかったんだ……俺は。それで満足なんだ。
そう思うと、灯は煮込んでいた火を一端止め、玄関から聞こえてきた音に反応した。
「れん、お母さん帰ってきたみたい。お帰りってしてきて」
「してくる!」
今日は残念ながら梓は出勤ではない。梓がいれば、柊が梓から曲を聴いたことを話したかった。
柊に詞と曲を聴かれたのは、前に一度ノートを見られていてもやはり恥ずかしい。だが話したかったのは聴かせたことを責めるためではない。梓は、柊があまり接してくれないと以前から嘆いている。だが昨日は一緒にいて、そばで演奏していたことになる。それについて、よかったですねと言いたかった。
柊は仲のいい友人だが、家庭内のことをあれこれ言うのはやはり控えてしまう。
真面目で無口で照れ屋なところもある柊はとてもいいやつだ。兄である梓に対して、恐らくだが意味もなく酷い態度は取らないと灯は思っている。だからきっと柊なりに何かあるのだろうけれども、それを根掘り葉掘り聞くことはできなかった。そのため、少しでも兄弟仲よくしているらしい話を耳にすれば灯もなんだか嬉しくなる。
アルバイトを終えると、いつものように恋を迎えに行った。
「お兄ちゃん」
「何?」
「ひーちゃんはつぎ、いつね、くるかなぁ」
「いつだろうね」
ギュッと手を握りながら見上げてくる恋がかわいくて、灯はニコニコ笑みを向ける。
「れんは柊が好きだねえ」
「うん! だってね、れん、大きくなったらひーちゃんをむかえに行くの」
恋はキラキラした目を向けてくる。
「れんが迎えに行くの? シュウが来るんじゃなくて?」
「そーだよ。れんはひーちゃんの王子さまだからね、むかえに行ってあげなきゃ!」
「うん?」
恋の言葉に、灯はニコニコしたまま怪訝な気持ちになる。
聞き間違えだろうか。もしくは恋の言い方が少しおかしかったのかもしれない。柊が王子様だから恋を迎えに来る、と言いたいのを間違えたのかもしれない。
「シュウが王子様、じゃなくて?」
「ちがうよ、れんがひーちゃんの王子さまなの。れんの王子さまはね、べつにいるの。れんをお姫さまにしてくれる王子さま」
間違ってなかったらしい。
スーパーに着いたので、カートにカゴを乗せてから恋にもカートを一緒に押してくれるよう頼む。恋は嬉しそうにカートのカゴが乗っている辺りを持ってきた。
三角関係か、と灯はおかしくなりながら「れんの王子様は誰?」と聞く。心の中で柊に「シュウ、お前れんのお姫様らしいぞ」と楽しげに呟いた。
「れんの王子さまは……えっとね、いまはナイショ!」
灯を見上げながら、恋は少しもじもじしつつそんなことを言ってくる。妹第一である兄としては少々気になるところだった。例え小さな子どもだとしても、自分以外に恋をお姫様にするなどと言うヤツが気にならないわけがない。
「今はってことは、また今度教えてくれる?」
「れんがはずかしくないときならいーよ」
今は恥ずかしいらしい。柊に対しては堂々と「れんが王子さまだからむかえに行く」などと言っていたのにと、やはり気になりつつも微笑ましくてかわいくて、灯はつい、今日は恋が好きなイカの刺身を追加しようかなどと考える。
灯としては小さな子どもはハンバーグが好きだのスパゲッティが好きだのといったイメージを持っているのだが、恋は何故かイカの刺身が大好きだった。
ただ、鮮魚売場を覗くとイカの刺身は安売りをしていなかった。恋に心の中で「ごめんね」と謝りつつ、おかずは煮物にしようと決めた。そこに恋がやはり好きなコンニャクを入れようと灯は思った。恐らくイカにしてもコンニャクにしても、感触が好きなのかもしれない。
……やっぱり安定した収入のある仕事だなぁ。
必要なものを吟味しつつカゴへ入れていきながら灯は思う。
夢はある。音楽関係の仕事につくことだ。でも夢は夢だ。
こうして起きて生活をしている状況では見られない。現実をちゃんと見なければいけない。なれるかどうかわからない仕事をしようとするよりも、安定した収入のある仕事に就いて、母親やまだ幼い妹のために働くべきだと思う。
どの鶏肉を買うか見比べていると、恋がふらりとどこかへ行ったのに気づいた。またかとため息つきながら探すとすぐに見つかった。試食販売をしているお姉さんと何やら話している。
「れん! 勝手に離れちゃ駄目だって言ってるだろ」
「だってね、お姉ちゃんがジュースくれたからせけんばなししなきゃって思ったのよ」
「どこからそんなルール出てきたの? お姉さんのお仕事の邪魔しちゃ駄目なの!」
試食販売は乳酸飲料だったようで、値段も安かったので、お詫びの意味も込めて灯は一パック買うことにした。
「邪魔してすみませんでした」
「いえいえ。ありがとうございました」
お姉さんはニコニコ恋に手を振ってくれた。恋も嬉しそうに手を振っている。
「れん、買い物してる間ここ持っててって言っただろ? お兄ちゃんを手伝ってくれないならこのジュースはお兄ちゃんとお母さんで飲むからね」
「もってるよー」
恋は必死になってカートをつかみ出す。灯は苦笑しながら会計を済ませた。
家へ帰ると手を洗わせた後、恋一人で着替えさせてからテレビを許可した。灯も着替えると夕食の準備を始める。
収入を考えると、大学はやはり行くべきかなとは前から思っている。奨学金を考えるならいい成績も修めたい。そう考え、早くから真面目に勉強はしていた。
俺も柊みたいに頭、よかったらなぁ。
決して悪いわけではないが、とてもいいとも言い難い。柊は必死に勉強しなくても成績よさそうだった。
そういえばあずさんも頭、いい大学行ってるよなぁ。
兄弟揃って頭がいいなんて羨ましいなと笑みを浮かべながら、手際よく調理を進める。
曲は梓が形にしてくれただけで十分嬉しかった。
本当に嬉しかったんだ……俺は。それで満足なんだ。
そう思うと、灯は煮込んでいた火を一端止め、玄関から聞こえてきた音に反応した。
「れん、お母さん帰ってきたみたい。お帰りってしてきて」
「してくる!」
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