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第1章 今世の無慈悲な婚約者
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顔を赤くしたり青くしたりと忙しいフェリシアを更に追いつめるかのように、イクセルは優美な仕草で封筒を開け、便箋を取り出す。お願い、やめて。
「胸を打つ内容に、美しい書体。こんな手紙を受け取っただけでも男冥利に尽きるというのに、使っている言語は公用語ではなく大陸語。しかもスペルの間違いは一つもない。アカデミーを卒業した男性でもここまで素晴らしい手紙を書くことはできませんね」
流れるように褒め称えてくれるが、フェリシアは公開処刑を受けているような気分だ。
「もう、おやめになって……お願いですから」
「謙遜なんておやめなさい」
「いえ、そういう類のものではなく……本気の”やめて”です」
「ははっ、可愛らしい。それにしてもこんなにも語学が堪能で、美しい文面を綴れる貴女が、怖じ気づいてお見合いを逃げ出すなんて……にわかには信じられません」
一瞬、イクセルから鋭い視線を向けられ、フェリシアは胃がキリキリと痛む。
だってこの手紙、大陸語で書いてはいるけれど、ちょっとでもイクセルに好感を持たれたくて、ニドラが作ってくれた文面を丸写しにしたのだ。
褒められるべきは自分ではなく侍女。そして自分は、これ以上罪を重ねることはできないから自白しなくてはならない。
「イクセル様……実はこの手紙、私が書いたことは書いたのですが侍女が下書きしたのを丸写ししました。も、申し訳ございません」
カタカタと震えながら頭を下げれば、イクセルはクスクスと笑う。気味が悪い。
「なるほど。つい見栄を張ってしまったばっかりに、いざ当日になって怖気づいてしまったと」
「は、はい!」
「嘘ですよね?」
「え?」
真顔になったイクセルに、フェリシアは息を吞む。強く肯定したのが裏目に出てしまったようだ。
「嘘を吐いてまで、見合いから逃げた理由を言いたくない。そういうことでしょうか?」
ええまぁ、そういうことです。と、イクセルに気圧されて、うっかりフェリシアはそう言いそうになった。
しかしフェリシアが違う言葉を紡ぐ前に、イクセルが再び口を開く。
「これ以上貴女が適当な嘘でごまかすというなら、私にも考えがあります」
「っ……!」
脅しではなく本気の口調に、フェリシアは何もかも諦めた。
「そうです。貴方が見抜いた通り、わたくしは別の理由でお見合いから逃げ出したんです。悪いですか?」
「悪いですね。で、理由は?」
「成人した男性のお見合いの場に、お母様が見守っていらっしゃったことに引いたんです」
「……は?」
「とぼけないでください。貴方も気づいていたでしょ?少し離れた場所でお母さまがわたくし達の様子を窺っていたことを!」
最終的には感情的になって、口調が荒くなってしまった。
息を整えたフェリシアは、ペコリと頭を下げる。
「ひどい言い方をしてしまい、ごめんなさい」
「いえ、気にしておりません」
「ありがとうございます。とにかく、わたくしは深い絆で結ばれた貴方とお母様の間に入る未来に怖気づいてしまい、お見合いから逃げ出したのです。えっと……これが、本当の理由です」
顔を上げて真っすぐにイクセルを見つめれば、なぜか彼は安堵の表情を浮かべていた。
「そうだったのか。話してくれてありがとう。これで合点がいきました」
ようやくイクセルが心からの笑みを浮かべてくれて、フェリシアはこの地獄のような時間に終わりがきたと心の中で拍手する。
だがテーブルの上に肘を置き、ちょっと前かがみになったイクセルを見て嫌な予感がした。
「ではまず、貴女の誤解を解くことから始めましょう」
……”まず”という前置きがあるということは、間違いなく続きがある。動物的な直感で、彼の話に耳を傾けるのはとても危険だと頭の中で警鐘が鳴る。
「あ、えっと……お茶が冷めてしまったので、淹れ直しますわね」
おほほっと、ぎこちなく笑いながらフェリシアは席を立つ。彼には申し訳ないが、このまま貧血で倒れるフリでもしよう。そう目論んだフェリシアだが──
「聞いていたかい?そこの君。すぐに新しい茶を淹れてくれ」
「かしこまりました」
イクセルの視線の先には、街に買出しにでかけていたニドラがいた。
「ニ、ニドラ……帰ってたのね」
「はい。つい今しがた」
驚くフェリシアとは対照的に、ニドラは外出着のままキビキビとお茶の準備をしている。
待つこと数分、フェリシアとイクセルの前に新しい湯気の立ったティーカップが並べられた。
「……フェリシア様、お望みとあれば彼を摘まみだしますが?」
去り際にニドラがそう囁いたと同時に、イクセルの冷たい視線がフェリシアの心臓を刺した。
「い、いえ……大丈夫、ありがとう」
震える声で辞退すれば、ニドラはあっさり部屋の隅に移動する。
「フェリシア嬢、できるなら二人っきりで話をしたい。扉は開けておいて構わないから」
言外にニドラを追い出せと言われ、フェリシアはニドラに退出するよう目で指示を出す。本音は傍にいてほしい。いや、侍女と一緒にこの部屋を去りたい。
しかしイクセルの青にも銀にも見える瞳は、それを許してくれなかった。
彼の片目は片眼鏡と長い前髪で隠れているから、威力は半分のはずなのに、両手両足を鎖でがんじがらめにされたように身体を動かすことができなかった。両目で射貫かれたら間違いなく死ぬだろう。
そんな末恐ろしいことを想像して、フェリシアはゴクリと唾をのむ。
「それでは少し長くなりますが、私の話を聞いてもらいましょう」
お茶を一口飲んで喉を潤したイクセルが、形の良い唇を動かし始める。
頭の中で警鐘がワンワン鳴り響く中、フェリシアは彼の語る言葉に黙って耳を傾けることしかできなかった。
「胸を打つ内容に、美しい書体。こんな手紙を受け取っただけでも男冥利に尽きるというのに、使っている言語は公用語ではなく大陸語。しかもスペルの間違いは一つもない。アカデミーを卒業した男性でもここまで素晴らしい手紙を書くことはできませんね」
流れるように褒め称えてくれるが、フェリシアは公開処刑を受けているような気分だ。
「もう、おやめになって……お願いですから」
「謙遜なんておやめなさい」
「いえ、そういう類のものではなく……本気の”やめて”です」
「ははっ、可愛らしい。それにしてもこんなにも語学が堪能で、美しい文面を綴れる貴女が、怖じ気づいてお見合いを逃げ出すなんて……にわかには信じられません」
一瞬、イクセルから鋭い視線を向けられ、フェリシアは胃がキリキリと痛む。
だってこの手紙、大陸語で書いてはいるけれど、ちょっとでもイクセルに好感を持たれたくて、ニドラが作ってくれた文面を丸写しにしたのだ。
褒められるべきは自分ではなく侍女。そして自分は、これ以上罪を重ねることはできないから自白しなくてはならない。
「イクセル様……実はこの手紙、私が書いたことは書いたのですが侍女が下書きしたのを丸写ししました。も、申し訳ございません」
カタカタと震えながら頭を下げれば、イクセルはクスクスと笑う。気味が悪い。
「なるほど。つい見栄を張ってしまったばっかりに、いざ当日になって怖気づいてしまったと」
「は、はい!」
「嘘ですよね?」
「え?」
真顔になったイクセルに、フェリシアは息を吞む。強く肯定したのが裏目に出てしまったようだ。
「嘘を吐いてまで、見合いから逃げた理由を言いたくない。そういうことでしょうか?」
ええまぁ、そういうことです。と、イクセルに気圧されて、うっかりフェリシアはそう言いそうになった。
しかしフェリシアが違う言葉を紡ぐ前に、イクセルが再び口を開く。
「これ以上貴女が適当な嘘でごまかすというなら、私にも考えがあります」
「っ……!」
脅しではなく本気の口調に、フェリシアは何もかも諦めた。
「そうです。貴方が見抜いた通り、わたくしは別の理由でお見合いから逃げ出したんです。悪いですか?」
「悪いですね。で、理由は?」
「成人した男性のお見合いの場に、お母様が見守っていらっしゃったことに引いたんです」
「……は?」
「とぼけないでください。貴方も気づいていたでしょ?少し離れた場所でお母さまがわたくし達の様子を窺っていたことを!」
最終的には感情的になって、口調が荒くなってしまった。
息を整えたフェリシアは、ペコリと頭を下げる。
「ひどい言い方をしてしまい、ごめんなさい」
「いえ、気にしておりません」
「ありがとうございます。とにかく、わたくしは深い絆で結ばれた貴方とお母様の間に入る未来に怖気づいてしまい、お見合いから逃げ出したのです。えっと……これが、本当の理由です」
顔を上げて真っすぐにイクセルを見つめれば、なぜか彼は安堵の表情を浮かべていた。
「そうだったのか。話してくれてありがとう。これで合点がいきました」
ようやくイクセルが心からの笑みを浮かべてくれて、フェリシアはこの地獄のような時間に終わりがきたと心の中で拍手する。
だがテーブルの上に肘を置き、ちょっと前かがみになったイクセルを見て嫌な予感がした。
「ではまず、貴女の誤解を解くことから始めましょう」
……”まず”という前置きがあるということは、間違いなく続きがある。動物的な直感で、彼の話に耳を傾けるのはとても危険だと頭の中で警鐘が鳴る。
「あ、えっと……お茶が冷めてしまったので、淹れ直しますわね」
おほほっと、ぎこちなく笑いながらフェリシアは席を立つ。彼には申し訳ないが、このまま貧血で倒れるフリでもしよう。そう目論んだフェリシアだが──
「聞いていたかい?そこの君。すぐに新しい茶を淹れてくれ」
「かしこまりました」
イクセルの視線の先には、街に買出しにでかけていたニドラがいた。
「ニ、ニドラ……帰ってたのね」
「はい。つい今しがた」
驚くフェリシアとは対照的に、ニドラは外出着のままキビキビとお茶の準備をしている。
待つこと数分、フェリシアとイクセルの前に新しい湯気の立ったティーカップが並べられた。
「……フェリシア様、お望みとあれば彼を摘まみだしますが?」
去り際にニドラがそう囁いたと同時に、イクセルの冷たい視線がフェリシアの心臓を刺した。
「い、いえ……大丈夫、ありがとう」
震える声で辞退すれば、ニドラはあっさり部屋の隅に移動する。
「フェリシア嬢、できるなら二人っきりで話をしたい。扉は開けておいて構わないから」
言外にニドラを追い出せと言われ、フェリシアはニドラに退出するよう目で指示を出す。本音は傍にいてほしい。いや、侍女と一緒にこの部屋を去りたい。
しかしイクセルの青にも銀にも見える瞳は、それを許してくれなかった。
彼の片目は片眼鏡と長い前髪で隠れているから、威力は半分のはずなのに、両手両足を鎖でがんじがらめにされたように身体を動かすことができなかった。両目で射貫かれたら間違いなく死ぬだろう。
そんな末恐ろしいことを想像して、フェリシアはゴクリと唾をのむ。
「それでは少し長くなりますが、私の話を聞いてもらいましょう」
お茶を一口飲んで喉を潤したイクセルが、形の良い唇を動かし始める。
頭の中で警鐘がワンワン鳴り響く中、フェリシアは彼の語る言葉に黙って耳を傾けることしかできなかった。
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