戦国九州三国志

谷鋭二

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【第二章】耳川合戦2

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    島津義久は、途中霧島神社に立ち寄り、神仏に必勝を祈願した。厳かに祈りの儀式を終えると、
 「よいか皆、敵は今大軍をもって高城を囲んでいる。高城を失うは日向を失うも同じであり、数日のうちに大友の大軍薩摩まで到達することとなる。我等命にかえてもこれを阻止する。この度の戦は、各々十日分の食料の携行のみ許す。誰一人といえど生きて薩摩に戻ること思うな」
  と集まった将兵達に、大友勢との決戦を訴えた。
  この時、島津義久のもとに集まった兵の数およそ三万。これは当時の島津家の動員可能兵力の限界をはるかに超える数で、参集した将の数は、実に七十人にものぼったといわれる。このことからも耳川の合戦が、島津方にとって、総力戦であったことをうかがわせるのに十分である。
   だが決死の覚悟であったにも関わらず、島津軍の行軍は雨に祟られることとなる。十一月三日から七日にかけて、終日雨で行軍は難渋を極めた。この間大友方は諸将の間の足並みが揃わず、高城攻略に手間取っている。大友宗麟自身は、はるか後方の務志賀の地にあり、キリスト教の理想郷建設に尽力し、新たに建設した教会において祈りの日々を送っていた。大友方は以前にもみたように、補給に問題をかかえていた。また遠く筑後などから徴発された兵もおり、士気はふるわない。さらに通過する先々で神社仏閣を焼き払いながらの行軍であったため、将兵達はささいなことでも祟り、呪いと勘違いし大いに恐れた。これらによる諸将間の不協和音は、島津義久の着陣以後いよいよ顕在化することとなる。

 
「諸将、何をしておる! 敵本隊は目の前だというに! 何故討ってでて敵を殲滅しようとせぬ」
  軍議の席上、大友方において主戦派の田北鎮周はついに不満を爆発させた。田北鎮周はまだ三十半ばといえ、覇気だけは他の大友方諸将の誰にも劣っていない。
 「まあ待たれよ田北殿、御館様はまだ務志賀におる。ここは御館様の着陣を待ってからでも遅くはあるまい」
  軍議を仕切る田原紹忍は、田北鎮周をなだめすかすようにいった。
 「御館様? あの方は当てにならん。我等ここにいて敵とにらみあってる最中にあっても、切支丹寺にこもり、祈りの日々を送っておると聞く。あの方は合戦のことなど眼中にないのだ」
 「無礼であろう! 御館様に向かってなんというもののいいようじゃ!」
  と怒りを露わにしたのは、慎重派の佐伯惟教だった。
 「ならば各々方好きになされよ。この鎮周一人でも敵と斬り結び、討ち死にしてごらんにいれる。各々それがしの戦ぶり後方にて、とくと観望なさるがよろしかろう」
  こうして決戦を前に、大友方の陣における軍議は決裂しようとしていた。


「兄上に申し上げたきこつがあると、軍師の川田義朗が申しております」
  と、島津軍の陣で義久に告げたのは歳久だった。
 「ここに通すがよい」
  この場合の軍師とは、いわゆる戦略家ではない。祈祷、占い、呪術を専らの業とする者のことである。
 「恐れながら、明朝高城川を渡って攻めてくる一隊あり。我等兵を三手にわければ、各々に軍神降臨して勝利は疑いありませぬ」
 「確かに間違いないか?」
  義久は念をおした。そのとき敵の動きを探っていた物見が、急ぎ陣にかけこんできた。
 「申し上げます。敵方の動きが慌しくなりました」
  島津方諸将の間に驚きと興奮がおこった。島津勢はただちに軍議を開き、島津義久本隊が根白坂に布陣し、高城川の西、それに川下に伏兵を配置することとなった。
 「急げ!」
  義久の下知により、諸将が配置につくため陣を後にする。最後に残った歳久が義久のもとを去ろうとしたときである。
 「待て歳久」
 「なんでごわすか兄上?」
 「いや……もしやしたら明日が、我等兄弟にとって長う別れになるやも知れぬと思うてな……」
 「なにを戦を前に不吉な、もし明日の合戦で討ち死にしても、来世でまた兄弟として会いましょうぞ」
  そういうと歳久はかすかに微笑んだ。

  
 欲十二日早朝、果たして大友方は田北鎮周を先陣として一斉に川を渡る。これを見て佐伯惟教等も決戦を覚悟し高城川を渡河した。これを迎え討つのは島津義弘の部隊である。この年島津義弘は四十二歳、義弘は若いころは色白の美男だったといわれる。しかし今はその面影も消え、皺深い顔に、両の眼光だけが静かに闘志をたたえている。その皺の一つ一つが、倒した敵の数をものがたるかのようにも見える。
  義弘はかすかに根白坂の義久の陣の方角を見た。
 「兄上さらばでござる」
  義弘は心中密かに義久に別れを告げた。
  やがて数万の大軍が川を渡る馬蹄の音が、まるで島津方を威嚇するように響く。さしも勇猛な島津兵の間にも、息をわすれるほどの緊張が通りぬけた。

  
 この時、地を揺るがさんばかりの大友勢の前に、一人立ちはだかる若武者がいた。身長約六尺、二十三貫ほどのゆうゆうたる体格で、重厚な鎧に身を包んだ若武者は、単騎で大友勢のただ中へと消えた。誰もが討ち死にかとおもったその時、敵陣に乱れがおき、若武者は敵の首級を片手に島津方の陣へと帰還した。後に薩摩示現流の開祖となる東郷重位は、この時が初陣でまだ十八歳だった。
 「あの者に続け! 遅れをとるな!」
  島津義弘の下知により、島津勢は一斉に槍を横一列にならべ大友勢に突進した。だが、すでに死をも覚悟した田北鎮周の部隊の突撃は凄まじく、ほどなく島津勢は劣勢になり後退を始めた。

  
 この時大友宗麟は務志賀にあり、教会でろうそくの灯がともる中、磔のイエス像の前にひざまずき祈りを捧げていた。宗麟は耳川の野に展開している島津勢ではなく、自らの心中に潜む何者かと戦っていた……。

  
 大友勢は逃げる島津勢を追っていた。この合戦には佐伯惟教の嫡子佐伯惟真も参加していた。
 「追え! 敵を一人として討ちもらすな!」
  また若い惟真は、逃げる島津勢にさらなる追い討ちをかけようと、執拗な追撃をおこなった。
 「待て敵に何か策があるかもしれん。ここは自重せよ惟真」
  馬上敵兵をなぎ倒しながら奮闘する惟真に、惟教は騎馬で近づき、敵の動きに気をつけるよううながした。
  惟教の予感は的中した。不意に左側面から、島津以久率いる伏兵部隊が強襲をしかけたのはこの時だった。
 「面白い島津兵どもめ! わしが相手だ!」
  惟教の制止を振りきって、惟真は以久の軍勢の方角へ向かって突進した。やがて気がついた時には、丸に十字の旗の島津兵に周囲を取り囲まれていた。それでもなお惟真は蛮勇を奮ったが、ついに島津方の足軽・雑兵の手にかかって無念の最期をとげた。
 「己! よくも惟真を!」
  惟教が馬をとって返し島津以久の軍に挑もうとしたその時、不意に一発の銃弾が惟教の脇腹を貫通した。続いて無数の銃弾がくまなく惟教の全身を貫いた。惟教は馬上意識を失い地に伏した。

  
 この側面攻撃により、大友勢はもろくも崩れた。だが次第に劣勢になっていく中においても、田北鎮周はよく戦った。
 「我こそは田北鎮周なり、島津の将に我と一騎討ちに及ぶ者はおらんのか」
  その大音声に応じたのは、あの東郷重位だった。
 「そなたは先程我が陣に一騎で向かってきた命知らずか、面白い相手に不足はない」
  重位と鎮周は渡り合うこと数合、だが重位の膂力は人間業ではなく、鎮周は重位の重い槍を受けるごとに肩で息をした。やがて重位は気合とともに鎮周の槍を真っ二つに叩きわった。
 「チェストォォォ!」
  瞬時重位の髪も全身の毛も逆立ち、鎮周は重位の槍で喉を刺し貫かれ絶命した。
 「田北鎮周討ち取ったり!」

  
 島津家久は、高城で戦況をじっと見つめていた。一振りの長剣をとりだすと、
 「この剣は我祖父日新斎様が兄達を助けるようにと、それがしに授けられたものだ。わしも兄者達とともに戦うぞ」
  こうして島津家久に率いられた高城城兵達も、大友勢の側背を突く。これにより大友勢は崩壊寸前となった。

  
 だが大友勢は指揮系統の乱れから、味方が討ち取られても、討ち取られても、無謀な敵前渡河を繰り返した。もはやそれは、一軍の集団自殺といっていい惨状だった。高城川が大友勢の流した血で赤く濁り、血の匂いをかぎつけたからす達により天空がどす黒くなろうと、大友勢の無謀な突撃は繰り返された。
  やがて雨になった。大将である田原紹忍の姿はすでにない。紹忍は一目散に逃走したのである。この少々小太りの男は、まるで羽でもあるかのごとく俊敏に逃走した。島津勢の勝ち鬨の音がすでにはるか遠くになっても、なお逃走を続けた。

  
 大友宗麟は、この時に至ってもなお務志賀において磔のイエス像の前に対座していた。やがて味方の劣勢や、名のある将達の討ち死にを告げる使者が、次から次へとかけこんでくる。だが、やや不精ひげを生やした宗麟は、石のように動こうとしなかった。やがて幾度目かの使者が、
 「お逃げ下さりませ。味方は総崩れにございます」
  と宗麟に大友方の敗北を伝えた。
 「事は終わった。切支丹は自殺を禁じられておる。そなた達わしの首を斬り落としてはくれぬか」
  宗麟が力なくいうと、
 「何を申されます。早くここをお立ち退き下されませ」
  と側近達は宗麟を必死に説得する。宗麟はふらりと外に出た。激しい雨に打たれながら、
 「主よ何故我を見捨てたまうか!」
  と大音声をあげ、額を地にこすりつけ嗚咽した。

  この合戦における大友方の敗因については、後世多くの議論がなされた。だがそのようなことを議論しても仕方がない。確かなことは、この合戦により大友家は衰退の一途をたどり、宗麟の息子義統の代において断絶してしまうのに対し、島津家は九州制覇に向かい躍進し、はるか幕末まで家名を存続するという冷酷な歴史の事実だけである。




  
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