デラシネの風見鶏

端本 やこ

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本章

08

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 良太が帰ってこない。
 22時を回る頃ようやく思い出した。
 今朝、出かけに送別会で遅くなるって言っていた。
 ありえない。
 良太と乾杯して贅沢三昧するつもりだったのに。
 デパ地下の戦利品のうち、冷凍できそうなものは冷凍庫に突っ込んで、そうでないものは賞味期限を確認する。その上で、食べたいものを選ぶことにした。
 めったやたらと大きいカットのケーキ。こいつをやっつけるしかない。
 上等じゃん。かかってこいや。
 お皿に出すのも面倒で、箱を破ってフォークを突き立てる。

 イアンらしき人には出会えなかった。
 紗也加から逃げてきた。
 この分じゃ、他のふたりにだって顔を合わせられるかどうか。
 けど、良太はちゃんと挨拶しとけって言う。
 するもしないも私の勝手だけど、黙って離れるのは得策でないことは理解している。

「あっま……」

 半分食べたところで強敵を恨めしく睨みつける。フルーツの爽やかさとしつこくないクリームがウリなはずなのに、なぜだか進まない。
 白玉ぜんざいのせいかも。時間は経っているものの、一日の食事の大半がスイーツだけってどうなの。

「失敗したなぁ」

 ソファにもたれ込んで、スマホを手に取った。
 後悔先に立たずって言うもんね。
 片づけるべきことはやっておかないと。
 考えようによっては、良太が居ない今がチャンスでもある。
 通話ボタンを押してほどなく「もっしもーし」と朗らかな声が私を受け入れた。

「あ、紗也加? 今ちょっと話してもいいかな」

 今日デパートまで出向いたことは伏せて、近く国外へ出ることを伝える。
 ほらね、意外と大丈夫。なんてことない。
 紗也加は驚きつつも、応援の言葉をくれた。いつでも連絡とれるから、帰ってくるときは連絡して、そんなことを言い合って通話を終えた。
 この調子。私らしくすればいいだけのこと。
 勢いに任せて詩乃を呼び出した。
 
「大企業の生産ラインで通訳って、私みたいな個人事業主にとっては大きな仕事なんだよね。だから、挑戦してみようと思って。丁度、良太も本場で勉強したいって考えていたみたいで。上級資格が取れるらしくてさ」

 結婚じゃないんだ? と、詩乃まで。耳障りの良い声で、酷く聞きにくそうにする。
 結婚に漕ぎつけるまでの準備期間がないという答えで納得してくれたのは、先に話した紗也加も一緒だった。
 違うのは、送別会をしようと張り切るのが紗也加で、時間がとれそうにないねと思慮深さを見せるのが詩乃。

「せめてお見送りに行こうかな」
「折角だけど、激安チケットなだけあって、平日の微妙な時間なんだ」
「そっか。仕方ないね。……ねぇ、宇多。こんな時に話すことじゃないのかもしれないんだけど」

 詩乃が、ただでさえ落ち着いた印象のある声のトーンを下げた。その後に続く言葉は聴かなくても予想できちゃうから、私は内心で苦笑する。

「実は、紗也加から聞いた」
「……紗也は心配してくれてる。けど、私、どうしても」
「そりゃそうだよ。詩乃、詩乃は悪くない」

 そして理都子も、とは言わない。非は理都子にある。それが分かっていて、紗也加も詩乃も思い悩んでいる。そして、多分、張本人の理都子も苦しんでいるに違いない。

「時間が解決してくれるって思わなくもないんだけど」
「詩乃が許せなくても、それはそれだよ」
「うーんと、それもあるけど、その、私が宇多と紗也加に話しちゃったことになるから、さ」

 詩乃は公平でないと気にする。
 詩乃は団体行動もコミュニケーションも苦手だって自覚しているみたいだけど、私からしたら誰よりも周囲の状況を冷静に見ている。その上、適切な判断力がある。なまじっか真実を知って苦悩が増えるのはそのせいだ。
 もっと狡くていいのに。

「紗也加から聞いたところ、弟さんいわく詩乃の彼氏さんはベタ惚れなんだってー? 勤務中ずっと自主トレに励んでるらしいじゃん」
「ずっと筋トレ?」

 話の腰を折るような会話の切り替えに、詩乃は復唱して理解しようとしている。
 ほら、やっぱり詩乃は真面目。

「煩悩退散! っつって体動かしてるって聞いた」
「そんなわけないでしょ。健次君に揶揄われてるだけよ」

 冗談と受け取ったのか、詩乃がころころと喉を鳴らす。
 詩乃の彼氏は後輩からも慕われる一押しの人材だと聞いたのも安心材料だった。

「詩乃、幸せそう」
「急に何よ」
「違うの?」
「違わないよ」
「のろけるぅ~」
「もう。宇多こそ揶揄わないでよ」
「だって私も嬉しいからさ」
「ん。ありがとね」
「いつか紹介してよ、消防士の彼氏さんに」
「もちろん。私も会って欲しい」

 詩乃の揺るぎない返答に、胸がつまる。
 機械を通した声に自信が満ち溢れている。彼氏を信頼している証拠だ。
 やっぱり、親友の幸せに水を差すだなんてこと、あってはならない。

「詩乃は心配しなくていいよ。私と、紗也加もいるんだからさ」

 あぁ、余計な事言っちゃうなー。

「こっちに任せて」

 あーあ。
 余計なお世話が発動しておかしなことを引き受けちゃった。
 詩乃はごめんもありがとうも言わないで、代わりの言葉を選ぶ。

「……わかった」
「よし!」

 紗也加と詩乃に別れの報告を終えて、昼間のやるせなさが解消された。
 詩乃の憂いを取り払ってあげたようで、その実救われたのは私の方だ。
 持つべきものは友。
 詩乃との電話を切り上げるとほぼ同時に、良太が帰宅した。

「おかえりー」
「ただいま。電話?」
「詩乃と」
「あ、そ。これ土産」

 ばさりと渡されたのは花束。
 これは送別の品というやつで、断じてお土産ではない。
 綺麗だしいい匂いがするだけ、ありがたいような嬉しいような気はしないでもないけど。

「うち、花瓶あったっけ?」
「鍋かなんかでいいだろ」
「えー。せっかくなのに」
「荷物増やすなよ」

 良太は釘を刺してお風呂場へ消えていった。
 私は花束をどうにかすべくキッチンへ向かう。
 うっわ、最悪。
 お惣菜の山を見て、その存在を思い出した。
 花束以上の事態に頭を抱える。
 ひとまず花束は流しに置いて、食べかけのケーキを取りに戻った。
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