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第45話 刺繍と花嫁の加護 1

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第5話 祝福の花嫁の儀 →  祝福の花嫁の義

上記のとおり修正いたしました。

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まことの話か」 


アルムウェルテン国王ゴットハルトは、クリストフが見たこともないほど険しい顔でローゼン公爵の娘アレクシアの報告にそう返した。 アレクシアは全く怯えることもなく美しく礼をし、そして落ち着きを払った調子でそれに答えた。 


「毒につきましては宰相閣下と父に報告いたしましたので、しかるべき手続きで調査されるかと。針を仕込んでいた点につきましては間違いございません。

父の刺繍の話が出た際、あの男は他の者を押しける勢いで第三王子殿下に近づいておりました。そのとき、あの男の手元に僅かばかりですが光るものを見たように思い、もしや何か武器を仕込んでいるのではと。

逃げ出したところを捕らえて身体あらためましたところ、この指ほどの長さの針が袖口に仕込まれておりました」


アレクシアは自らの人差し指を立ててみせた。


「よくぞ気づいてくれました、ローゼン公爵令嬢。『王家の守護神』たるローゼン公爵家に相応しい勇敢な行為です」


王妃エリザベートが労いの言葉をかける。


「お褒めにあずかり光栄でございます。ですが、わたくしがいた場所がちょうど男の針に反射する光が見える位置だったのでしょう。まだまだ未熟な身でありますため捕縛するにあたり手間取りまして、このような見苦しい姿を御前に晒すこととなり……」

「良い。日を改めて褒美を贈りたい。其方の髪の色に合う生地で仕立てた品を用意しよう」

「恐縮でございます」

「しかし……」


王妃は今度は怒りと呆れを同時にその顔に滲ませた。


「夜会という場でこのような暴挙に出る愚か者がいるとは」 


国王からもため息が漏れる。しばしの静けさが訪れたあと、発言の許可を求めたのは顔色の悪いアルベルトだった。 


「私の落ち度です」 


アルベルトは真剣な面持ちで国王と王妃に礼を取った。 


「シュヴァル男爵家が五男アルベルトと申します。ローゼン公爵閣下のもと、侍従のお役目をいただいておりますが、今宵は第三王子殿下のお側にいるようローゼン公爵閣下の命を受け、護衛も兼ねようと帯剣の許可も取りました。しかし私はあの者の接近の意図に気づくことができませんでした。もし、あの豚が現れていなければ、第三王子殿下は……」 


そんなことはない。クリストフはそう言いたかった。

アルベルトや近衛騎士を振り切ってバルコニーに出てみたり、ローゼン公爵に注意しろと言われていた令嬢ミルシュカと勝手に踊ってみたり。誰かの責を問うのであれば、アルベルトの忠言や制止を振り切って思うままに動いてしまったクリストフ自身が責められるべきであろう。


「ち、違うよ。俺が自分勝手に」

「我がバルトル侯爵家の落ち度でございます。あのような無頼な輩が夜会に紛れ込んでいたにも関わらず、事を起こす前に気づくこともできませんでした。また、捕縛すらローゼン公爵令嬢のお手を借りることとなり……」


クリストフがなんとか発した小さな声は、夜会の主催者であるバルトル侯爵の謝罪にかき消された。

彼は夜会では豚に対処できなかったが、この場では侯爵家の当主として重々しい態度で国王と王妃に頭を深々と下げた。だがその表情は、侯爵という立場にある者としての威厳はなく、ただひたすらに憔悴したものだった。

クリストフはもっと何かを言おうとした。

夜会に招待された人々の中では、不参加を翻し参加した異母兄である王太子レオンハルトに次いで身分が高いのはクリストフだ。身分が高いということは責任があることだ。そのことはもう、実感が伴わずとも頭の中に入ってはいる。

だからクリストフは自分自身こそが発言する必要があると考えていた。だが、口を開こうとしても何を言えばいいか分からず、クリストフは結局次の言葉も言えないまま周囲の流れに任せるしかなかった。

自分の稚拙さと傲慢さが引き起こした問題と、この毒針の事件を切り離して考えることができずに考えをまとめられないばかりか、アルベルトをどのように庇えば王族として問題がないのか、いくつかの言葉の中から選びきれなかったのだ。


「良い」 


国王は片手を挙げてバルトル侯爵とアルベルトを制した。 


「バルトル侯爵、其方に聞きたいことは他にもあるが……。まずは仔細を確認するとしよう」 






夜会の会場から場を移し、ここは王宮内のとある一室。 

クリストフやローゼン公爵が住む白花はくかの館の玄関ホールよりも少々広いと思われるその部屋は、奥に少し高い檀のようなものが設けられ、そこに置かれた背もたれの高い椅子に国王が座っていた。その隣に国王の椅子よりも僅かに小さな椅子があり、王妃が座っている。部屋の中央の大きな長テーブルにクリストフやレオンハルト達それぞれの席が用意された。




あれから一行は王宮へ急ぎ赴いた。

クリストフとローゼン公爵、アレクシアとアルベルト。レオンハルトとベルモント公爵に、夜会の主催者であるバルトル侯爵。

総勢七名はそれぞれ馬車に乗って速やかに王宮へと向かった。各々の侍従や護衛達は馬やバルトル侯爵家の手配した馬車で彼らの後を追った。


クリストフを嘘で陥れようとしたミルシュカやバルトル侯爵の弟であるユリウス、バルトル侯爵の娘オティーリエの婚約者であるにも関わらずミルシュカと懇意にしているドゥネーブ伯爵令息カミーユ、ミルシュカとの婚約を発表するはずだったマルラン伯爵令息オラースは、夜会の会場となっていたバルトル侯爵家の屋敷に残されて、詳しく事情を聞かれているらしい。

また、クリストフの侍女エレナや、彼女の教育係としてクリストフ達に同行しているアルベルトの姉イルザも、バルトル侯爵家で一旦待機してすることとなった。エレナとイルザは侍女や侍従専用の控え室にいるため、まずはオティーリエから今回の件の概要を説明してもらい、その後クリストフ達の住まいである白花の館へと送ってくれるよう手配してくれるらしい。




王宮へ向かう間、ローゼン公爵は片時もクリストフから離れなかった。

ローゼン公爵よりも背の低いクリストフを守るようにぴったりとくっついていて、 クリストフは歩くのに邪魔だと感じたぐらいだ。しかし、ローゼン公爵を見上げてもクリストフを見もしない。周囲に厳しい視線を走らせて、時折何か思案しているその顔は、人々が『冷血公爵』だと揶揄する姿そのものに見えた。

さらに、ローゼン公爵は愛娘であるアレクシアの姿さえ見もしなかった。

大捕物で夜会のためのドレスが破けてしまったまま、ともに王宮についてきたアレクシアだが、そんな娘を心配する言葉も不審な男を捕らえたことを労う言葉すらかけない。祝福の花嫁選定の儀の際は娘に微笑みを向けるローゼン公爵の姿を目にしているが、まるであれが夢だったのではないかと思えるぐらいだ。

いくらなんでも娘に対して酷い態度なのではないか。 クリストフはにわかにローゼン公爵とアレクシアの父娘としての関係が心配になったが、アレクシアはそんな父親の様子を全く気にしていないようだった。 




一行が王宮に着くと、例の男はレオンハルトの指示で衛兵達に引きずられ、尋問のために牢屋へと連れられていった。


ローゼン公爵は男を牢屋へ入れる前に尋問したいと申し出たが、レオンハルトがそれを許さなかった。国王と王妃が緊急のための場を設けるので、そこに加わるようにとのことだ。だが、ローゼン公爵はかなり食い下がった。クリストフの目の前で何度もレオンハルトに掛け合った。招待者名簿がある夜会に隠れて侵入できたのだから、あの男の他に首謀者がいるはずだと訴えた。

尋問前に自殺するか暗殺される可能性があるとまで言ったが、王宮の警備を疑うのかとレオンハルトが不快を示したところで、宰相であるハーパライネン公爵がやってきてローゼン公爵を手招きしたため、ローゼン公爵は引き下がるしかなかった。

そしてなんと、つい先ほどまでは暑苦しいほどにクリストフに身を寄せていたくせに、ローゼン公爵はハーパライネン宰相と言葉を交わしたあと彼に同行し、さっさとどこかへ行ってしまった。

立ち去る前に、夜会にも護衛としてついて来てくれた近衛騎士二名の他に、近衛兵を三名も呼び寄せてクリストフにつくように指示を出していったため、クリストフは自分よりも大きな男五人に周囲を囲まれてしまい、居心地が悪かった。何しろレオンハルトの護衛すらクリストフの護衛より人数が少ないのだ。

それにしても、危ない目にあったクリストフを置いてあっという間に消えてしまうとは。クリストフは少し不貞腐れたが、重い表情のアルベルトを見てすぐに気を引き締めた。彼を励まさなければならない。
 
散々迷惑をかけたのに、アルベルトはクリストフを責めるどころか自分自身を責めているのだ。とはいえ、実感が湧かないほどの重大な問題に臨んでいる今、彼にどのような言葉をかければいいというのか。

クリストフが頭を悩ませている中、今回の騒動についての報告が始まった。





「して、その男が我が……」


国王はクリストフに視線を向け、目が合うと頷いてみせた。クリストフはその意味が分からず、自分以外の誰かへの合図かと思いきょろきょろと周囲を見た。ひと席開けてクリストフの横に座っていたアレクシアが軽く咳払いをしてクリストフをたしなめる。


「その男が我が息子に近づいたとき、魔獣のような生物が現れたという話だが」 


聞き間違いかと思ったが、どうやらそうではないようだ。国王はクリストフのことを「我が息子」と呼んだ。クリストフの向かいに座るレオンハルトの口元が、今にも何かを言おうと僅かに動いたように見える。彼の心中など想像するまでもない。父親である国王がクリストフに向けた言葉が不快なのだろう。

この父親面をした男が余計なことをしたせいで、またレオンハルトがクリストフに噛み付いてくるかもしれない。クリストフはいきなりげんなりとした気分になった。黙ってやり過ごすということなどできない重大な話し合いだというのに、いちいちレオンハルトに喧嘩を売られでもしたらどうするのか。

しかしさすがにこの場で事を起こすことはないらしい。レオンハルトは一礼して話し始めた。 


「はい。どこからともなく現れました。あの豚は」 


「ドラゴン」 


クリストフはぼそりと呟いた。その呟きを拾ったレオンハルトは戸惑う視線を一度クリストフに向けてから「ドラゴンは」と言い直した。 


「夜会の会場でいきなり火を吹き、皆を危険に陥れたのです」 


レオンハルトは今度はクリストフを睨みつけた。 ローゼン公爵が「自分の刺繍だ」と説明したにも関わらず、まだクリストフが元凶だと思っているようだ。


「何故夜会に侵入できた?」 

「そこなのですが、異母弟おとうととセドリックが妙なことを口にしております」 

「妙なこと、とは」 


国王がさらに問いかけたとき、部屋のドアがノックされ、ハーパライネン宰相とローゼン公爵が部屋へと入ってきた。 二人の後に一人の文官らしき男が続き、国王と王妃に向けて深く礼を取った。 


国王が目線で促して、ハーパライネン宰相が話し始めた。 


「いやはや。私の妻も刺繍を好んでおりますが、まさか愛を込めた刺繍にこのような効果が付与されるなど、誰が想像できましたでしょうか」 


挨拶や説明も抜きにいきなり刺繍の話に及んだハーパライネン宰相は、白い頭を掻きながら笑った。唐突に話が始まり誰もが顔を見合わせる。 


「宰相閣下」 


ローゼン公爵が先を促した。 


「これは失礼」 


ハーパライネン宰相は一度白い髭を触ると、連れてきた文官らしき男を手招きして国王の御前へと呼び寄せた。 


「古文書官か」 


王妃の言葉に古文書官の男は低く礼を取った。 


「陛下、まずは私から。よろしいでしょうか」 


ローゼン公爵の言葉に国王が頷く。 


「はじめにお詫び申し上げたいのは、此度こたびの夜会の騒動は全て私の責任であることだと言うことです」 

「ちっ、違うよ!」 


クリストフは思わず立ち上がった。集まる視線に内心たじろいだが、引き下がるわけにはいかない。責任はクリストフにあると、そう言わなければ。

しかしローゼン公爵から冷たい視線が注がれる。「黙っていろ」ということだ。自分の妻になるはずの男からつれない態度を取られてしまい、クリストフはしょんぼりと腰を下ろした。


「その気概は悪くはございませんわね」


アレクシアから小声で告げられたが、褒められている気も励まされた気もしない。そんなクリストフを他所よそに、ローゼン公爵は言葉を続ける。


「第三王子殿下の護衛につきまして、然るべき人物をと考え目星をつけておりましたが、事情により手配が遅れておりました。 私の思う人物であれば、あのような輩は第三王子殿下に近付けもしなかったはずです。それに……」


ローゼン公爵は一度言葉を切って視線を下げ、それから国王と王妃へと視線を戻した。


「あの生物の損害も私の責任です。あれは……あれは、私の刺繍です」


しばし沈黙が場に訪れ、やがて王妃が困惑した声でローゼン公爵に言った。


「今一度述べよ」

「あの生き物は、私の刺繍です」


王妃は夫である国王へと視線を移した。国王は難しい顔をしたまま、ハーパライネン宰相を見た。一同の間に流れる重々しい空気を意に介する様子もなく、ハーパライネン宰相は少し微笑んだ。


「この度、祝福の花嫁様が選ばれたことにより、改めて過去の文献より祝福の花嫁様に関する記述を探しておりましたところ、興味深いものを発見いたしました」 


ハーパライネン宰相はまた白い髭をひと撫でしてから、古文書官の男を促した。 古文書官の男は一礼してから説明を始めた。


「今まで確認できておりましたのは、祝福の花嫁様がもたらした恵みの記述のみでございました。我々文書管理室では、花嫁様が実際に花婿様とお過ごしになられるにあたってご不便等がないようにと、過去の文書より花嫁様のご生活についての記述を探しており」

「さっさと結論を言え。報告の場での前口上は無駄だ」

「あっ……、あ、は、はいっ」


古文書官の男はレオンハルトの言葉に慌てて手元の文書をめくろうとして、数枚を落としてしまった。レオンハルトの隣に座るベルモント公爵が「やれやれ」と呟き、妙な角度で上に向かっている自分の髭を軽く引っ張った。


「要は、この刺繍は花嫁様が花婿様へと与えた祝福、または加護のひとつであるということです」


ハーパライネン宰相が簡潔に述べた。その横で古文書官の男はまだ書類を拾っている。

誰も彼を助けないので、見かねたクリストフが席を立とうとするとアレクシアに止められた。報告の場の失態から立ち直るのも彼の仕事なので見守るようにとのことだ。あとでハーパライネン宰相が上手く労うだろうというアレクシアの見解だが、彼が書類を無事拾い終えるまで、クリストフは気になって仕方がなかった。


「祝福……、加護とな」 


国王の言葉にハーパライネン宰相は頷いた。 古文書官の男はやっと書類を全て拾えたらしく、大きく呼吸を入れてから改めて説明を始めた。


「どうやら、ご婚約の儀と同時に花嫁様が花婿様へと与える祝福や加護があるようです」 

「どのようなものだ」


レオンハルトが問いかける。古文書官の男が硬い表情で答えようとすると、ハーパライネン宰相がその前にひと言告げた。


「それでは、ちと長くなりますが、前口上とやらを聞いていただきましょう。よろしいですかな」


人の良さそうな笑みを向けられたレオンハルトが苦々しい顔をする。


「君、しっかりとご説明して差し上げなさい」

「はい」


古文書官の男はハーパライネン宰相に言われて書類に視線を落とした。クリストフは少し身を乗り出し、耳を傾けた。

花嫁の加護。思い当たることがないではない。





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