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都合とか事情とか 6

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~水無瀬side~


無自覚は、おっそろしい。

恋人かセフレなのか分類の方向性がわからないけど、彼と一晩限りの関係になりたくなくてした提案。

手のひらを彼の頬にあてていると、男になりたての可愛い子猫がすり寄ってきた……みたいな感覚になる。

おずおずとしつつも、甘え下手そうなのに自覚なしにすり寄せてきたその頬が、たまらなく可愛く思えてしまう。

それはきっと、ある意味小悪魔だろうな。

(あー……、おっそろしいな。きっと今後もこうやって無自覚に俺を煽るんだろ?)

自分がした提案を飲んでもらえたら、それに翻弄される俺の姿が見えそうだ。

彼の方が経験値が低かろうが何だろうが、その手の人間には経験値ってものが必要ないんだ。

(体が勝手に動く、ってやつだ)

これまでその手の人間と付き合ったことがないわけじゃない。

けど、小林くんのこれからが未知数すぎて…振り回されそうで、怖い。そして、俺自身が振り回されたくてそれに見合った行動をしそうで、俺って人間が変えられてしまいそうで…ぞくぞくする。

その関係を持つ前の彼の中での俺という人間の印象は、特に性的なところに特化して考えてといえば軽そうだとか言われるのだろう。職場での印象という意味じゃなく、完全プライベートという部分だけの話。

…とはいえ。実際、誘ったのは俺の方だし。下準備も率先してやってたわけだしな。その手のことにいろいろ詳しそうで手馴れていそうとは、俺だって思う。

なんて思いながら小林くんの返事を小首をかしげて、すこしだけあざとく待っていると、どこか困った風にこう話しだす彼。

「そう言われても、俺……体の方だけじゃなく、男女かかわらずで誰かと付き合ったこともなくて。だから…その……、どっちの関係になるとしても、今までとどんな違いがあるのかよくわからない…かも。小説じゃどういうものかを読んだことがはあるけど、体験がないと本の中の話は所詮曖昧な想像止まりでしかなかったから」

言いたいことはなんとなくわかる。

小説の中の男女間や、同性同士の付き合いってものが、自分に経験が全くなかったから本という物の中だけの話で留まっている…と。で、文章化された“お付き合い”ってものがどういうものかを読んだことはあっても経験したことがないから理解が追いつけていない……と。まぁ、うん。

「ようするに、文字だけの知識だから不安です…ってことで?」

オケ? と聞きたげに、親指と人差し指で輪を作り示してみれば、彼がうなずく。

「何も考えずに、水無瀬さんの提案に乗ることは容易いんでしょうけど、体の関係という部分を抜けば今とあまり大差ない気もしてしまって」

「んー…まぁ、そっか…うん。そうだよね。付き合うとどんな特典があるかなんて、カップルごとに違うんだろうし、小説の作中でそれぞれのカップルが付きあってからこうなると嬉しいとか楽しいって思うことだって、必ずしも自分らに該当するかというと…きっと違うんだろうしねぇ」

「いや、その…そういったことも想像に及ばなくて。だからか、今までいろんな小説を読んできていて、経験が少なすぎてふわっとした感じでしか情景とか心情を感じられなくって。これからいろんなことを経験していけば、きっともっといろんなことが楽しめたりするのかなと思ってはいたんです。…思っては」

その話を聞きながら、あれ? と思ったことを聞いてみる。

「小説という文字だけの限定された世界のみで、テレビとかでドラマっていう…想像するためのいい材料になりそうなものは見ずに来たの? 今まで、その手の物は見たことがなかった?」

俺がそう聞けば、苦笑いをして「あんまり」と返す彼。

「入院生活をしていた時は、入院していた病院が見た分の料金制だったので見るのを控えてて。退院して回復期に入ったあたりは、学校関係というか入試とかそっち方面でバタついて見たことがなくて。唯一まともに見たと思うのが」

と、そこまで言いかけて彼の顔が急にこわばった。

目が泳いで、うつむき、一瞬こっちを見たかと思えば目を見開き泣き出しそうになって、すぐさま目をそらす。

まばたき数回分の時間で、彼の表情が悪い意味でコロコロと変わっていった。

このわずかな時間で、彼の頭の中に何が浮かんだのか。

「困ったことでもあった? なんなら、話…聞くけど?」

やんわりと声をかけただけなのに、肩先がビクリと揺れて体を縮こませた。

思い出したくないことを思い出した。←この線が濃厚。直感でそう思い浮かべて、彼の言葉を焦れつつも待つ。

(せっかちな俺がここまで相手に合わせようとするなんてね。…変な感じだ)

せっかちさだけで言えば、さっきの告白あたりはそういう性格がチラッと見えてしまったかもしれない。

自分を選んでくれるよね? と圧にも近いものを言葉に乗せていたんだから。

仕事上はそこまでせっかちにはならないけど、プライベートは即決にしがちなことが多い。すぐに答えが出せないことはしない方針。のんびりと何かの結果が出るまで待つとか、待っている時間ですら次の何かに回そうとしがちだったから。

職場だったから、後輩を育てるとかも待ちの態勢でいただけの話。

恋人といえば恋人っぽい相手との付き合いだって、これまでは付き合ってと言われたらいいと思えばうなずき、別れてと言われたら理由も大した聞きもせずに、執着もせずに相手への気持ちを捨てた。

捨ててしまえば、過去を振り返るなんて手間はかからないとわかっていたから。

面倒は、面倒。1+1は、2。ほら、簡単だろ? って感じでいいかなと思って生きてきたから。

仕事だけは、生きるために仕事をして稼いでいく。必要性というわかりやすい理由で働いてきただけ。

(だから尚のことで、不思議だ。…彼が、もしも…自分を頼って甘えてくれるかもしれない隙があれば、いつかその隙が出来る可能性があるのなら…待ってみたい。待って…彼の唯一で、一番の人間になりたい)

今まで抱いたことがない感情が、ゆっくりと胸を満たしていく。初めての感覚に、不快感はない。

俺の言葉にうつむきがちな顔が上がっては、口を開け、またうつむいては目が合ってもいないのに顔をそらすように彼の肘付近へと視線が泳ぐ。

「――悠有にい」

電話の相手を思い出し、弟くんが呼んでいた彼の呼称を呟く。

うつむいたまま、両手をこぶしの形に握って肩を震わせる彼。

「って、呼ばれていたんだね」

俺がそう言えば、かなり長い間の後に「はぁ」とため息みたいな相槌を打たれる。

そしてまた長い間の後に、「どうして」と切り出す彼。

「ん?」

なんてわざとらしく首をかしげてみれば、彼の表情があからさまな程に歪んでいた。

「…ワザと、ですか。アレもコレも顔に出てますか、俺。…童貞卒業したての男は、からかってて楽しいですか。傷を抱えた人間の胸の内をクイズみたいにして、何があったのかを興味本位で知りたいだけですよね? …告白だってその一環なんでしょ?」

そこまで一気に言ってから、彼がため息と一緒に終わりを告げた。

「お世話になりました。おかげで、男になれました。今後は職場だけのお付き合いに留めますので、お気になさらず。……ありがとう…ございました」

淡々とした口調で告げられたそれは、彼がもう帰りますということで。しかも、かなり怒っているに他ならない状況だ。

「ま、待ってくれない? そんなつもりなんか、一切ないんだけど。からかってもいないし、興味本位でどうこうでもないし、告白だって」

初めてだ、こんなことは。

バッグをソファーの方に取りに行った小林くんの腕を、背後から勢いよくつかんだ。

「痛いんですけど」

そこまで力を入れたつもりはないのに、彼がまるで拒むようにそう訴える。

「違…っ」

なのに、彼は俺の手を思いきり振りほどく。

「明日のシフトは確か一緒でしたよね。…また明日、よろしくお願いします」

「小林くん!」

あわてて追って、玄関ドアと彼の間に入り込む。

「待ってって!」

らしくなく、体裁なんか繕うこともなく、誤解させたまま彼を帰したくない気持ちだけで体が動いた。

裸足のまま立つ玄関の土間がヒンヤリしていて、冷静になれと言われている気になる。

ゴクッと唾を飲み、腕を目いっぱい伸ばして彼と距離を取る。

「小林くん。…落ち着いて?」

彼の様子がおかしいのは、彼の義理の弟が絡んだ話をした後。弟くんが目の前の彼をどう呼んでいたか、の後。

(…いや? もう少し前、か。映画とかドラマの話?)

その話のどこに、小林くんの中にあるなにかのスイッチを押すワードがあったというのか。

普通の会話じゃないのか? よくある話だよな? 見たことがないの? ってだけの。

たったいま彼に指摘されたことを、結局脳内でやってしまうんだ。

(彼本人が語ってくれないんだから、手の中にある情報だけで予想しなきゃどうしようもないんだから。…そうするしかないだろ? それとも…話してくれるって?)

イラつきながらも、目の前の彼を知りたい欲求と自分が深めたかもしれない傷に気づきたい焦燥感に背を押され、わずかな情報だけで考える。

目の前にはうつむきがちにしつつ、左へと視線を流している彼がいる。右手で左腕の肘あたりを強く握りながら。

下唇を強く噛み、眉間には深いしわが寄っていた。

どこか…苦しそうで、辛そうな表情を浮かべては、時々俺の方をチラッと見ては泣き出しそうになっている。

ふ…と、彼の唇が本当に血がにじんできそうで心配になり土間から一歩だけ家の中へと踏み出す。

「口、切れちゃうよ?」

右手をゆるくこぶしにして彼のあごの下へあててから、親指を下唇の下にグッと軽く力を込めてその皮膚を下げる。

自然と彼の唇が薄く開き、噛んでいた上唇から解放される。

「ダメだよ、こんなに強く噛んじゃ」

赤く歯形が残るほど噛んでいたってことは、よほどの力だ。

「自分大事にしなきゃ」

歯形の痕を親指で撫でると、小林くんの肩先が大きく揺れた。

すこし色素が薄めの彼の目が潤んで、一瞬で大粒の涙がこぼれ落ちてくる。

俺の手に、床に、彼の頬に。

「どうしろ…って、いう……で、す…か」

何への答えだろう。彼が涙と一緒に何かを吐き出すかもと、黙って彼を見つめた。

「俺は…何も知らな…い。みんなみたいな時間…を、過ごして…ない。恋も…家族も……友達も…勉強も……全部……出遅れて…。親にだって…迷惑と負担だけ……だ、ったか…ら」

左手の肘をギュッと握ってる手に、さっきよりももっと力がこもる。

「好意には、好意しか…返しちゃ……ダメなんで、すか? 俺の気持ちは…置き去り? 全部受け入れなきゃ? 拒否は…許されない? どうして? 俺だけ…どうして?」

そこまで吐き出すと、表情を失くした彼の目から涙の勢いが増してこぼれていく。胸が痛くなるほどの彼を見て、気づけば俺は彼の後頭部に腕を回して抱きしめていた。

「いいよ、吐き出しちゃいなよ。俺は小林くんの今までの人生に無関係の人間だから、なにがあったとか聞いたって…無関係。気にしないで吐き出しちゃいなよ」

俺がそう言うと、呼吸3回分ほどの間の後に彼の腕が俺の肩の方へ回された。

「うん…いいよ。泣いちゃってもいいよ。誰にも言わないし、余計なこと質問もしない」

俺の肩先に頭が乗った格好の彼が、かすかにうなずいた気配がした。

「とりあえず一旦…あっちに戻ろうよ。ゆっくり聞かせて?」

背中をトントンとゆっくり撫でるように叩き、抱きしめる腕に力を込めてギュッとする。

「さ、行こう」

抱きしめた腕を解き、彼の腕を取って体を反転させる。

ふらふらとおぼつかない歩き方で、手を引かれるがままに付いてくる彼。

ソファーまで誘い、先に彼を腰かけさせてからティッシュをテーブルの上に移動させ、それから俺は彼の横に腰を下ろす。

「まだ今日は始まったばかりだから、ゆっくり…話そう?」

今までこんな風に誰かの話を聞こうと思ったこともなきゃ、涙を拭いたいと思ったこともない俺。

ふわふわの髪で、人懐っこく笑う顔が子どもみたいだなと思ったことがある彼。

病気で長く闘病していた時期があるとは聞いていたけど、他は幸せな時間を過ごしたんだろうなとどこかで勝手に思っていた俺。

――でも現実はそればかりじゃなく、彼には彼が抱えていた重たいナニカが在って。俺は彼が見えないようにしていたそれを、ほんのすこしだけ蓋を開けようとしてしまった。

偶然かかってきた義理の弟の電話から始まったことだけれど、目の前の彼がその重さを下ろしたいのなら…その重さを理解わかりたいと思った。


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