所詮、狗。

はちのす

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はじまり

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手の甲にするりと這った指が、何か紙のような質感のものを握りしめていることに気が付いた。

チラリと視線を配ると、薄暗さの中に少しの反射光が目に入る。

(ツヤのある紙……もしかして写真か?)

「どうせ、依頼者はあの女ですよね」

「俺からは何も言えないな」

「今更手出ししてくるなんて、あの女しか有り得ないので答えは要らないです」

俺を通して依頼者を見ているのだろうか。ツグミは憎々しい物を見るように俺を睨む。
何故そこまで拒否反応を示すのか、全くもって理解出来ない。
仮にも、片割れの選んだ婚約者なのに。

「頼み事ってなんだ?聞いてから判断したい」

「この写真をあの女に渡してもらえれば、それで良いんです。それで解決しないなら、僕は憎しみにしか頼れない」

「は?解決って……」

「お兄さん、この写真に写っている物が見えますか?」

ぼんやりとした間接照明の光源の下に、写真を差し出す。

すると、ただの暗い風景に見えたその写真の中心に、二人の高校生が仲睦まじく抱き合う姿がぼんやりと浮かび上がった。
話の流れから、きっと五月兄弟なのだろう。

「何故これを依頼者に?」

「あの女、まだハジメの幻想を追ってるんですよ。あんなにもハジメを追い詰めておいて」

「……は?」

「お兄さんは、ハジメとあの女の馴れ初めを聞きましたか?」

俺が小さく首を振るのを見て、苛立たしげに息を吐いて床に座り込んだ。

「あの女、ハジメが高校生の時に街で声を掛けたんですよ。困ったフリをして純粋な心に漬け込んで、家に引き込んで……果てには襲いやがった」

「……」

「ハジメには僕しか居なかった……僕にもハジメしか要らなかったのに」

「ハジメは混乱して僕を遠ざけたがったし、逆に不安定になると繋がって安心したがった」

ツグミは純粋で歪な感情を言葉にしながら、自らの身体を抱き締める。
自身から溢れ出た大切な部品を、掻き集めて取り込むように。

「あの女を許せなくて、僕も何度か接触したんです。でも遂に、最期まであの女は僕をハジメだと誤解したままでした。きっとこの顔ならなんでも良いんでしょうね」

「婚約も、あの女が責任を果たせだのと迫って取り付けたんです。ハジメは、関係を持った日からずっと監視されて束縛されて……精神的にコントロールされていきました」

「あの女が現れてから……何もかもが壊れちゃいました」

僕達は欠けちゃいけなかったのに。

最後にそうポツリと呟いて、ツグミは背を丸めて塞ぎ込んでしまった。

── 怒涛の告白に目眩がした。

全てを信じるには裏が取れていない事が多すぎる。

だがどうしても、涙を堪えながら言葉を選ぶ姿を前にして、可能性を頭ごなしには否定できなかった。
それに、あの依頼者の言動の端々から感じ取っていた傲慢さが、この恐ろしい話に真実味を帯びさせる。

……そして、この話が真正なのだとすれば。

「アンタ……いや、ツグミさん。多分その写真を見せたところで何の解決にもならねぇよ」

「え?」

「こう言っちゃなんだが、その女って奴はもう一人愛でる相手が残ってたって喜ぶだけだ」

「……ぅ、おえ」

思わずと言った様子で嘔吐いた華奢な背をさする。

背を振るわせて縮こまる男……ツグミは身体的な年齢とは相容れない幼さを感じさせた。
話す言葉の選び方や、何かを解決する際に持ち得る術が、まだ成熟しきっていなかった。
それが元来の物なのか、同一視していた片割れを失った反動で不安定になっているのかは分からない。

きっともう、随分前から限界を迎えていたのだろう。

「俺にはその女とやらが依頼者と同一人物なのかは明かせない……が、仮に今の話を先に聞いたとしたら受ける依頼内容も違ったはずだ」

「……?」

「なあ、その写真の事は伏せておいてくれ。もっと覿面てきめんに効く手立てを探る」

意味が分からないと訴えかける視線を尻目に、紙の束を指差す。

「あの紙束、結局何が書かれているんだ?多分ハジメさんの大切な物なんだろ」

「……手紙。同棲を始めてからはスマートフォンも常に監視されていたから、僕への連絡は専らこれです。最近あったこと、嬉しかったこと、悩み……そんな他愛もない内容です」

上から一枚取り上げて手渡されたその紙は、何度も何度も読まれているのか皺が寄っている。

「死にたいとは、一言も書いてませんよ。どんなに追い詰められても、そんな事は言わなかったから」

「……あの日のことを聞いても良いか」

「今すぐにでも忘れちゃいたい、けど」

そう呟くと、当時の記憶を辿るようにポツリポツリと言葉を溢し始めた。
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