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第二章 アリスは不思議の国にて待つ

第十四話 奇妙な再戦(10)

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   ◆◆◆

 ニコライの叫びは届かなかった。

「シャロン!」

 オレグはある感情に突き動かされるままに目標の名を叫んだ。
 オレグの感知は既にシャロンを完全に捕らえていた。
 さほど遠くない。
 興奮のままに足を前に出す。

「っ!」

 瞬間、銃声と共にオレグの視界は揺らいだ。
 味方の壁の隙間を縫って通してきた狙撃。
 されど崩れない。痛みも無い。
 もう何度も狙撃されている。
 鎧は穴だらけ。鎧の下は真っ赤なのがわかる。鎧の隙間から血がたれ落ちている。
 体の中に何個も銃弾が埋まっている。痛みは無いが感覚でわかる。
 筋肉だけでなく、神経もあちこちやられている。
 しかし身体能力はあまり下がっていない。
 自分の体にまとわりついているものが自分を補助している。
 仲間の死体から抜け出してきたものが自分にまとわりついている。
 神経の代わりとなって繋ぎなおしてくれている。
 そいつらが叫ぶ。
 もっと前へ、と。
 もっと死を、と。
 もっと戦いを! もっと混乱を! もっと魂を! と。
 大合唱のように響き続けている。
 それだけならば我慢できた。
 余計な小言をいれてくるやつらがいた。
 入れてくれ、と。
 さらなる力をお前に与えてやる、と。
 確実な勝利のために我々を受け入れよ、と。
 そんな言葉を耳元でささやくものだから、

「黙れ!」

 オレグは思わず叫んだ。
 その叫び声はシャロンの心に強く響いた。
 だからシャロンは口を開いた。

「何があったか知らないけれど、あなたの心は変わっていないのね」

 嬉しいわ、その言葉をシャロンは飲み込んだ。
 不謹慎だと思ったからだ。
 しかしシャロンの悪い癖は止まらなかった。
 記憶に焼き付けるために、シャロンは感知を全力で使ってオレグを視た(みた)。
 体から血をしたたらせながら突き進んでくる。
 撃たれてもかまわずに走り続けている。
 破れたわき腹からは臓物が少しはみだしている。
 鬼気迫るとはまさにこのこと。
 だからシャロンは思った。
 この男が私を楽しませてくれる最後の相手になるかもしれない、と。
 だが、このままだとその機会すら無いかもしれないと、シャロンは思った。
 そしてその声はオレグの心に響いた。
 だからオレグは、

「シャロンッ!」

 行ってやる、待っていろ、すぐに行くと、叫んだ。
 素敵な答えね、シャロンはそう思った。
 だからシャロンはその思いに応えた。

(もしも、私のところまで来ることができたら、逃げずに相手をしてあげるわ)と。

 そしてシャロンは強調するように重ねて言った。

(本当に来られたら、ね)と。

 その声が響いた直後、銃声と共にオレグの体に新たな穴が開いた。
 位置は胸。
 右肺がやられた?! それを認識した直後に肺は血で満たされた。
 右肺から血が逆流し、気道を塞ぎ始める。
 その息ぐるしさにオレグの体が前に倒れ始める。
 が、

(まだだ!)

 オレグは足に活を入れた。
 口から血の泡を吹きながら踏ん張る。
 そして視線を前に戻すと同時にオレグは再び地を蹴った。
 まだやれる、やってやる、オレグはそんな思いを響かせた。
 だが、そんな思いに水を差す声があった。
 まとわりついている悪霊達の声であった。
 悪霊達は声を上げ続けていた。
 我々に任せてくれればもっと効率良く戦える、と。
 我々を受け入れろ、と。
 その声は耳障りでしか無かった。
 直後、オレグの心をさらに逆撫でする事が起きた。
 前方に邪魔者が現れたのだ。
 先行する仲間達を瞬く間に切り捨て、立ちふさがったその男はサイラスであった。
 オレグはサイラスに向かって突進しながら、いまの心境を叫びに変えてぶつけた。

「邪魔をするなあッ!」
「!」

 その叫びと共にサイラスは感じ取った。
 オレグの思考が突然途絶えたのを。
 怒りや焦りの感情は機能している。感じ取れる。
 しかし思考は働いていない。攻撃が読めない。
 ならば目に頼るしかない。サイラスは最速の高速演算でオレグの動きを見た。
 踏み込みと同時に、ぼろぼろになった盾を突き出してくる、そう見えた。
 重量と筋力の差は圧倒的。受けられない。
 ならば左に回りこんで反撃、そう考えたサイラスは足に力と魔力を込めた。
 盾が突き出され始めると同時に両足の中で星を爆発させる。
 急加速したサイラスの影と大盾がすれ違う。
 ここで反撃! サイラスはそう思ったが、

「っ!」

 瞬間、サイラスの背に怖気が走った。
 兜のせいで見えないが、視線が向けられている、そう思えた。
 いや、間違い無い! 顔が少しこちらに向いている! 目で追われている!
 やはりこちらの思考だけ一方的に読まれている!
 直後にオレグは動いた。
 こちらに向き直りながら盾でなぎ払う、その初動はそう見えた。
 だからサイラスは即座に距離を取るように地を蹴った。
 しかしこの思考も読まれていた。
 ゆえにオレグも同時に地を蹴った。
 距離がまったく離れない。
 盾が迫る。回避不能。
 咄嗟にサイラスは魔力を込めていた左手で防御魔法を展開しようとしたが。

「!?」

 瞬間、兜の下でオレグは驚きの色を浮かべた。
 サイラスの思考が突然途切れたからだ。
 されどサイラスの体は動き続けていた。
 静かになったサイラスは左手に込めた魔力を防御魔法に使わず、刃に押し当てた。
 刃の輝きが瞬時に強まる。
 かすかに振動するほど。
 そしてサイラスは無の心のまま、押し当てた左手で刃の向きを調整した。
 その輝く切っ先はある箇所に向けられていた。
 それは盾の亀裂。ぶどう弾で出来た損傷。
 間も無く盾と刃はぶつかり合い、その先端は亀裂の中に埋まった。

(何?!)

 その異質な手ごたえから異常を察知したオレグは『驚きの声を響かせた』。
 刺さった?! その事実をオレグは瞬時に受け入れ、弱い箇所を狙われたことにも即座に気付いた。
 そして直後に新たな衝撃が盾に叩きつけられた。
 サイラスが盾を蹴ったのだ。
 亀裂に突き刺した剣を棒代わりの支えにしながら衝撃を殺し、盾を蹴って剣を引き抜きながら離脱。
 そして距離を取り直したサイラスは、

「……?!」

 少し間の抜けたような驚きの表情を浮かべた。
 何が起きた?! 思考力を取り戻して最初に浮かんだ疑問はそれだった。
 混乱は無かった。
 なぜなら、先の一連の回避行動についてなぜそうしたのか、それが説明されたからだ。
 しかも自分の声で。
 まるで『自分の思考が遅れてやってきた』かのように。まるで答え合わせのように。
 しかしなぜそんなことが出来たのか、その疑問が残っていた。
 その答えは直後にオレグが心の声で響かせた。

(こいつ、我と同じ?!)

 何が――その答えは聞かずとも分かった。
 共通点があったからだ。
 思考が止まる直前からある声が響いていた。
 あの雑音のような、大工と呼ばれている連中の声だ。
 しかしサイラスの疑問は晴れなかった。
 どうして自分にそんなことが出来たのか、次も出来るのか、出来るとしてそのやり方、条件は? わからないことが多すぎたからだ。
 そしてその迷いと戸惑いの感情をサイラスは垂れ流しにしてしまっていた。
 だからオレグは先手を取って踏み込んだ。
 その迷いが晴れる前に終わらせる、そんな思いを堂々と響かせながら。
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