夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第八章

心の在り処②

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 ぐ、っと。自分の胸に添えられていた手に力が篭る。
 だけどそれは一瞬で、すぐにまた自分の胸の熱に小さな手の平が寄り添った。

 拒まれなかった安堵と行きつく先の不安に、それでも引きずり出される欲の底に、思考が溶かされてしまいそうになるのを必死に堪る。
 触れた唇は柔らかく、どこか甘い匂いが鼻先を掠めた。これまでセレナに触れた時に何度か感じたことのある、だけど初めての感触を伴うそれに眩暈がする。感じ取るそのすべてが今のディアナスには刺激でしかない。
 一瞬だけ離した唇は角度を変えて、また熱を求めて重なった。それから何度も、貪るように。

 以前、触れる寸前のところまでいって、それは叶わなかったものが今。触れている。自分から求めるだけのそれでも。
 なのにどうして泣きたいくらいに胸が痛むのか。分からないのではなく目を背ける自分が居る。
 “はじめて”に幻想めいた憧れがあったわけじゃない。だけどこれほど心の伴わないかたちでなされるとは思っていなかっただけだ。

 ようやく唇を離して、ほんの少しだけ空けた距離の先でセレナに問いかける。互いの濡れた吐息が唇を掠めた。

「…拒まないの、セレナ」
「…拒んだら…やめちゃうでしょう、ディアナスは」

 小さく零して薄く笑う。困ったような苦笑い。そこに彼女の意思はない。
 近くで見るとセレナはとても綺麗だ。なのにその影にはいつも寂しさが付き纏う。
 自分の感傷がそう見せているだけなのか、それを振り払うことのできない自分の力量の無さに胸が捩れる。やっぱり彼女は受け容れるだけ。

 ――『セレナは、どうしてか…夜伽自体への抵抗は、あまり無いように感じました。むしろ自ら望んで受け容れることすらある』

 ゼノスがそう言っていた言葉を思い出す。
 おそらくゼノスの感じていたものと同じものが目の前にあった。聞いた時は上手く理解できなかったそれが今まさに。決して拒むことのしない聖女がここに。

「…お願い、セレナ…答えて。そうしたらボクはまだ、止められる。ボクたちの呪いは…あなたの体を蝕むものなの…?」

 確かめなければいけない。
 自分はその役目を担ってここに来た。

 だけど目の前のセレナの体に、唇に、触れたままの肌に。いやでも体の芯から熱は嵩む。
 会話するのにもものすごい忍耐力と労力を強いられている気がする。ほんとうはこのまま押し倒してしまいたい。
 きっとセレナは黙ってそれを受け容れて、そこで自分たちの関係は終わるのだろう。その最悪の結末だけを拒みながら、必死にセレナに縋る自分はひどく惨めだ。まるで呪いの鎖に繋がれた、本能には抗うことのできない弱くて惨めな獣のようだ。いっそ全部繋げて欲しいのに、そうしたら自分が自分でなくなる気がした。

 こつんと額をあわせると、その瞳に自分の情けない顔が映っていた。
 苦しい。心も体も全部。
 
「それを確かめにきたんでしょう?」

 そうだけど。そうなんだけど。止められる内にセレナの口から真実ほんとうのことが聞ければ、まだ引き返せるような気がしてしまうのだ。
 だけど上がる息を必死に抑えようともがくのは自分だけで、セレナはまるで余裕の素振り。それに小さく傷ついて怖気づく。自分は初めてでも、セレナは違う。その現実は少なからずディアナスの心に棘となって痛みを訴える。

 しっかりリードしろ、主導権手離したら終わりだぞと、アレスに一応のアドバイスをもらったけれど、その具体性の無さは何も役には立たなかった。
 だからせめてディアナスは、自分のできる限りの精一杯の男を演じて、セレナに迫ってみせたのだが。

 だけど敵うはずもなかったのだ。最初から。
 わかっていたはずなのに。
 自分のほうがどうしたって弱いってことくらい。

「ディアナスの目的は、わかった。いいよ、全部、見せてあげるから…だからちゃんと見ていて、ディアナス」

 セレナの声に、その言葉に。ひと際大きく心臓が脈打った。
 そっとセレナの指先に力が篭る。ひかれるように顔を離して自分のはだけた胸元に視線を向けた。
 傷痕の下、そしてセレナの手の下から這い出る呪いの痣が見えた。視界の端でそれを確認してディアナスは思わず息を呑む。
 自分の呪いの痣を見たのはその時が初めてだった。実際に動いているさまを見るのも相当衝撃的な光景だ。
 本当に、動いている。まるで意志を持った生き物のように。
 茫然と見守る体の主を置いて、肌を滑る痣はやがてディアナスの予想から大きく外れる動きをした。

「…!」
 
 痣が、ゆっくりと肌を伝う。薄い腹を、臍を辿って。
 そして行き着く。まだ布で隠されたその先にある欲望の根本へ。
 彼女セレナの熱をまるでそこに導くかのように。

 それを確認してディアナスは、血の気がひくのと頭が沸騰するのを同時に感じた。半ばパニックにも近い。
 なんなのこれ、ほんとなんなの。正直過ぎる、欲望に。

 咄嗟に腰を退くもセレナは容赦なく追ってくる。しかも先ほどより距離を縮めて。
 そんなセレナに慌てて思わずその肩を掴んだ。だけどセレナは退くつもりは微塵も見せない。
 そして当然のように痣の後を辿るセレナにぎょっとしてその手をもう片方の手でとっさに掴んだ。なに平然と脱がせようとしているの、ひとのズボンを。

 もう体面も体裁も取り繕っている余裕など微塵もない。まさにディアナスは逃げ腰だった。半分くらい本当にこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
 いつの間にか立場は入れ替わっている。もしかしたらもうとっくに。

「ま、待って、いったんやめる。出直してくるから」
「だめ、だってわたしは、欲しいから」
「……!」

 瞳を合わせたまま彼女の吐く台詞は、まるで都合の良い物語のようにディアナスを煽って制止する為の力を奪う。
 急ごしらえのディアナスの性の知識は巷で流行りの少し大人向けの恋愛小説だけだった。それしか入手できなかった。そろそろ本当に自分の世話役か近侍が欲しい。目の前の現実が非現実的過ぎて思考が逸れる。

 汗ばむ肌と肌着の隙間にするりとセレナの冷たい指先がはいりこんで、ディアナスは大げさなくらい体を揺らした。
 今だけなけなしのプライドが、やはり禊をさっさと済ませておけば、本番いまこんな情けない思いはしなかったのだろうかと後悔する。リードするどろこではない。もう自分の意思では上手く体すら動かせないのだ。

 これまで自分を女として扱ってきた。だからこそ男の欲望に不慣れな自分が腹ただしい。体だけはこんなにも欲望に正直で忠実なのに。
 でもきっと、イリオスの言う通りだ。選べるとしたら他の誰でもない。
 彼女セレナでなければ、きっと駄目だった。

 その相手がいま、自分の一番弱い部分に触れようとしている。欲と熱を絡ませて。
 それだけで頭がどうにかなりそうだ。

「わたしも…本当はずっと、確かめたかった」
「…ッ、なに、を…?」

 未だ離れない鼻先で、セレナはディアナスから目を離さなかった。それなのにその手はディアナスのすべてを暴こうと自分の腹の下で蠢いている。
 淡い期待と恐怖に震えているのはディアナスだけ。帯革ベルトも緩めないまま密着する肌はいやでもその感触を直に伝えた。
 
 触れる。その指先が。
 はじめはそっと。自分でも満足に触れたことのない自分の男の性に。

「……っ!」

 びくりと思わず腰が撥ねて、咄嗟に息を詰める。
 呼吸を思い出させてくれたのはセレナから触れた唇だった。
 食いしばっていた歯の隙間から、ぬるりとした感触の熱が咥内をこじあける。
 本能的に求めるように、ディアナスはそれを迎えて絡めて息をした。
 それを確かめてからセレナがまた囁く。唇の先で。

「ディアナスは…あなた達は。わたしで良かったの…?」

 たぶん、セレナが思う以上に。
 この行為に意味を求めているのは、王子たちであるとセレナ自身も解っていた。
 利害の関係。互いの目的の為。差し出すものと手に入れたいもの。
 いつからかその均衡は崩れ始めていた。
 自分の心はどこに行ってしまったんだろう。きっと当分戻ってこない。一度粉々に砕けてしまったから。

「これじゃあ、わたしだってひとの事言えない。むりやりディアナスを襲っているのと同じようなものだもん」

 呪いの性質をただしく理解しているセレナが、その痣を追いながら哀しそうに囁いた。
 否応なく引きずれ出される快楽。逆らえないのは圧倒的に男のほうだ。特にセレナに呪いが移るまでは、セレナ自身に快楽は拾えない。
 だけど今その快楽をわざと煽っているのはセレナ自身だ。自分自身の目的の為に。

 そっと握りこむ熱の塊はセレナの手の中で容赦なく質量を増していく。ディアナスが苦しそうに喘いで呻いた。唇の端だけ繋げたまま。

「…っ、まって、今もう…なにも、考えられない…!」

 ディアナスがその綺麗な顔を歪めて苦しげに吐き出した。
 色欲を含んだ吐息と声音。熱に溺れた顔もやっぱり綺麗だ。
 彼の異性をこの手で感じているのに、それでも女性相手にいけないことをしている気分になってしまう。
 僅かな罪悪感と背徳感。まっさらな彼を汚そうとしているのは他らなぬ自分だ。

 もう片方の手でようやく帯革ベルトを緩めてズボンと下穿きを寛げた。そこから窮屈そうなディアナスのものを取り出して、両手で包み込む。
 ディアナスが更に眉根を寄せてふるりと一度だけ首を振る。だけどそれは拒絶にはなりえない。

 セレナは外気に震える屹立したその先端から滲む汁を指先で掬って、絡めて、ゆっくりと手の平に馴染ませた。いつの間に離れた口の端から垂らしたセレナの唾液を絡ませて更にそれを塗りつけると、ぐちゅりと卑猥な音がした。
 ディアナスの耳が、頬が、頭が。かっと焼けるように赤く染まる。

「…っ、ぅ、」
「痛くない…?」

 セレナの気遣わしげな問いに、力なくディアナスは首を振る。その頬も首筋も赤い。少女のように初心な体。だけど初めて剥き出しになる本能は、ただしく快楽を拾い集めていた。

 手の平の中のセレナにだけ見える欲情の証の赤の色も、続きをねだっていたセレナの指先にまとわりついて、触れる度にディアナスの欲情を昂らせる。
 セレナは止めていた手を再びゆっくりと動かした。
 びくりとディアナスの腰が撥ね、目の前の吐息が更に熱いものになった。
 ぎゅっと互いの手に力が篭る。

「だ、め…、もう…!」
「いいよ、ちゃんと、受け止める」
「……ッく、…!」

 その言葉にディアナスは固く目を瞑って。
 すべて見られて晒しながら、その手の中に熱を放った。
 初めての、欲を。

 上がる息を整えることもままならないディアナスの目の前で、セレナはそっと自分の手を持ち上げる。
 薄く見開くディアナスの視線の先で、指先から滴る白い欲のなれの果てを、セレナは徐に口元にもっていった。
 その光景にディアナスは思わず目を瞠る。余韻と衝撃に弾けた頭は上手くまわらないのに、殆ど無意識に叫んでいた。

「ま、待ってセレナ! なに、して…!」

 つい先ほどディアナスが放ったそれを、セレナは。
 なんの躊躇いもなく舐めとって、それから喉に流し込む。

「……!」

 理解が及ばないのに体だけは素直に反応するから不思議だ。腹の奥の甘い痺れに腰が疼いて、思わず唇を噛み締める。目の前の光景はありえないくらいに衝撃的で、なのにどうしてだか目が離せない。

 こくりと幾度か喉を鳴らしたセレナは、一度だけぎゅっと目を瞑ってから再びディアナスと向き合った。その瞳にどきりとして思わず目を逸らす。文句だってもう出てこなかった。

「見て、ディアナス」

 言われて泣きそうになる気持ちを堪えて促されるままに視線を上げる。
 セレナが指したのは、自分の喉元。
 それに気付いてディアナスは再び目を見開いた。

 その細い喉元に、ふと現れた黒いもの。はじめ小さな黒い痕でしかなかったそれは、やがて量を増して見覚えのあるかたちになった。
 つい先ほどまで自分の体にあった、呪いの痣。
 それが今目の前でセレナに吸い込まれていく。
 自分の自由と引き換えに。解放と、共に。

「……どうして」

 今度こそディアナスは、泣いていた。
 知りたかったはずなのに。その事実を知ったのに。
 本当は知りたくなかったのだと思い知る。
 自分の欲が彼女を穢すのその事実をとうとうその目で確認して。
 彼女を犠牲にしたのだと見せつけられた気がした。

 泣きじゃくるディアナスを、セレナはそっと抱き締めた。その腕には若干の迷いが見える触れ方だった。さんざん自分の弱い部分を好き勝手触っておいて、そこで躊躇する意味が分からない。
 だけど抱かれるままにその胸で、必死に声を押し殺した。
 
「聞いて、ディアナス。わたしはもう痛くもないし、傷つきもしない。本当に自分からこれを望んだの。欲しかったの、これが」

 痛みはいつの間にか消えていた。
 今はもう募る熱と印だけが、自分が夜伽聖女である証だ。
 自分がまだその役割を担う以上、自分の存在意義も価値もまだここにあるはず。

 初めて自分がそう呼ばれるようになったあの頃と今は確実に違う。
 今の自分には明確な意志と目的がある。
 求める理由ができた。あの頃なにも知らずに焦がれた自由よりずっと、意義も価値もあるものだ。
 

「もう何もこわくない」


 全部集める。
 そうして今度は自分から、きっと必ず会いに行く。

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