76 / 100
第四章
ハサミ女 15
しおりを挟む
三原家の一軒家は、怪異研究施設からそれほど遠くない。横長の角ばったアタッシェケースを手に持ち、煌津は住宅街の中を行く。
「作戦を説明する」
先を行く那美が振り返って言った。
「三原さんの家に着いたら、稲の部屋まで真っ直ぐ行く。たぶん、母親に妨害されるだろうけど、それは無視する」
「……妨害?」
那美の目つきが険しくなる。
「ええ。三原の家にとって、九宇時の人間は〝失敗〟した人間だから。たぶん、言いたいだけ罵倒されるだろうね」
「失敗って、それ……」
那美は一瞬足を止め、空を見るように顔を上げた。
「別に義兄さんがしくじったわけじゃない。元々三原稲は、大学でいじめに遭ったせいで二年ほど引きこもり生活だった。悪い事に、彼女に憑りついた我留羅はトラウマを刺激するタイプでね。義兄さんは三日がかりでそいつを祓ったけど、霊感が覚醒してしまった三原稲は、もう元の生活に戻れなかった。外を歩けば、そこら中に浮遊霊やら地縛霊やらを見つけてしまう。我留羅によって傷つけられた心は辛い記憶をリフレインし続け、生涯憎悪を抱えさせる。祓いが終わったあとも、義兄さんは何度も何度も三原の家に通っていたよ」
煌津は目の前の道を見た。
この道を那岐は通ったのだ。何を思っていたのだろう。千恵里の魂を慰めるために難波さんの店に通っていたように、自分が助けようとした相手を、最後まで救おうとしていたのだろうか。
「ねえ、穂結君。私は義兄さんが許せないんだ」
歩みを再開した那美が、ぽつりと呟く。
その顔は、前を向いていて、決してこちらを見ようとはしない。
煌津は、アタッシェケースの取っ手を握り締める。
「逃げたように見えるから?」
「見えるんじゃない。逃げたんだよ。何だかんだ言っても、結局やるべき事を投げ出してあっちに行ってしまうなんて、許せなくて当然じゃない?」
「何か事情があったとしたら? その、何か、俺たちではわからないような理由を抱えていたとか」
那美が浅く笑う。
「その事情は、私たちには話せないようなものだったの? 話してくれたっていいでしょ。死ぬよりかましだよ」
「それは、そうだけど」
「だいたい穂結君は、怒ってないの? 義兄さんはあなたに特に何も言い残していかなかったんだよ。何一つ。一緒に幽霊見た仲でしょ? それでいいの? 友達として」
那美の声に怒気が混ざる。
いや、きっと。那美はずっと怒っていたのだ。ずっと。那岐がいなくなってしまってから。
「……俺は、九宇時の選択をジャッジ出来ない」
雲を掴むかのような、言いようのなかった自分の感情を、煌津は何とか言葉にした。
「やっぱり九宇時には九宇時の考えや、事情があったんだと思うし。それがわからないのに俺が何かを言うのは違うと思うんだ」
「ずいぶんと物分かりのいい事を言うね」
「そうだね。でも……」
煌津は足を止めて言った。
「言えないのをわかってやれるのも友達でしょ?」
那美が、振り返った。
その目は、魔力の通っていない、普通の目だった。髪と同じような、銀に近い灰色の目。真っ直ぐ受け止めるにはあまりにも強く、複雑な感情が込められた目。煌津はその視線から逃げないようにするので精一杯だった。
「……私は言って欲しかった」
那美の言葉は、まるで煌津の喉元に迫ってくるかのようだった。
「穂結君だって、本当はそうでしょ?」
まるで、那美の指の一本一本が喉に食い込むかのような迫力だった。彼女は答えが知りたいのだ。もう絶対に答えが得られない事を理解しているのだ。
「うん。本当は、俺も知りたい」
ありもしない那美の指が喉を締め付けるままに任せて、煌津は言う。
「だったら――」
「でも九宇時を責めたくはないんだ。一番辛いのはきっと、選択をした張本人だと思うから」
幻想の指がいっそう深く食い込んだような気がして、それからふっと軽くなる。
那美は怒ったような、しかし、怒りは一度引き下がったような、そんな顔をしている。
「君を評する言葉をずっと探していたんだけどね。今わかった。君は偽善者だ。都合の良い優しさを振りまく偽善者だよ」
「都合が良くてもいいよ。その瞬間だけでも人生は救われるんだから」
「一生それをやっていくつもり? はあ、まったく……」
呆れたようにため息をついて、那美は言った。
「作戦を説明する」
先を行く那美が振り返って言った。
「三原さんの家に着いたら、稲の部屋まで真っ直ぐ行く。たぶん、母親に妨害されるだろうけど、それは無視する」
「……妨害?」
那美の目つきが険しくなる。
「ええ。三原の家にとって、九宇時の人間は〝失敗〟した人間だから。たぶん、言いたいだけ罵倒されるだろうね」
「失敗って、それ……」
那美は一瞬足を止め、空を見るように顔を上げた。
「別に義兄さんがしくじったわけじゃない。元々三原稲は、大学でいじめに遭ったせいで二年ほど引きこもり生活だった。悪い事に、彼女に憑りついた我留羅はトラウマを刺激するタイプでね。義兄さんは三日がかりでそいつを祓ったけど、霊感が覚醒してしまった三原稲は、もう元の生活に戻れなかった。外を歩けば、そこら中に浮遊霊やら地縛霊やらを見つけてしまう。我留羅によって傷つけられた心は辛い記憶をリフレインし続け、生涯憎悪を抱えさせる。祓いが終わったあとも、義兄さんは何度も何度も三原の家に通っていたよ」
煌津は目の前の道を見た。
この道を那岐は通ったのだ。何を思っていたのだろう。千恵里の魂を慰めるために難波さんの店に通っていたように、自分が助けようとした相手を、最後まで救おうとしていたのだろうか。
「ねえ、穂結君。私は義兄さんが許せないんだ」
歩みを再開した那美が、ぽつりと呟く。
その顔は、前を向いていて、決してこちらを見ようとはしない。
煌津は、アタッシェケースの取っ手を握り締める。
「逃げたように見えるから?」
「見えるんじゃない。逃げたんだよ。何だかんだ言っても、結局やるべき事を投げ出してあっちに行ってしまうなんて、許せなくて当然じゃない?」
「何か事情があったとしたら? その、何か、俺たちではわからないような理由を抱えていたとか」
那美が浅く笑う。
「その事情は、私たちには話せないようなものだったの? 話してくれたっていいでしょ。死ぬよりかましだよ」
「それは、そうだけど」
「だいたい穂結君は、怒ってないの? 義兄さんはあなたに特に何も言い残していかなかったんだよ。何一つ。一緒に幽霊見た仲でしょ? それでいいの? 友達として」
那美の声に怒気が混ざる。
いや、きっと。那美はずっと怒っていたのだ。ずっと。那岐がいなくなってしまってから。
「……俺は、九宇時の選択をジャッジ出来ない」
雲を掴むかのような、言いようのなかった自分の感情を、煌津は何とか言葉にした。
「やっぱり九宇時には九宇時の考えや、事情があったんだと思うし。それがわからないのに俺が何かを言うのは違うと思うんだ」
「ずいぶんと物分かりのいい事を言うね」
「そうだね。でも……」
煌津は足を止めて言った。
「言えないのをわかってやれるのも友達でしょ?」
那美が、振り返った。
その目は、魔力の通っていない、普通の目だった。髪と同じような、銀に近い灰色の目。真っ直ぐ受け止めるにはあまりにも強く、複雑な感情が込められた目。煌津はその視線から逃げないようにするので精一杯だった。
「……私は言って欲しかった」
那美の言葉は、まるで煌津の喉元に迫ってくるかのようだった。
「穂結君だって、本当はそうでしょ?」
まるで、那美の指の一本一本が喉に食い込むかのような迫力だった。彼女は答えが知りたいのだ。もう絶対に答えが得られない事を理解しているのだ。
「うん。本当は、俺も知りたい」
ありもしない那美の指が喉を締め付けるままに任せて、煌津は言う。
「だったら――」
「でも九宇時を責めたくはないんだ。一番辛いのはきっと、選択をした張本人だと思うから」
幻想の指がいっそう深く食い込んだような気がして、それからふっと軽くなる。
那美は怒ったような、しかし、怒りは一度引き下がったような、そんな顔をしている。
「君を評する言葉をずっと探していたんだけどね。今わかった。君は偽善者だ。都合の良い優しさを振りまく偽善者だよ」
「都合が良くてもいいよ。その瞬間だけでも人生は救われるんだから」
「一生それをやっていくつもり? はあ、まったく……」
呆れたようにため息をついて、那美は言った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる