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不穏の風が吹く
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しおりを挟む一夜明け、朝を迎えたキャンスケットの町は相変わらず濃霧に包まれている。
山の向こうに姿を出しているだろう太陽さえも覆うかのような霧の街並みを、アスレイは歩いていた。
向かう先は数日前に行った、職業斡旋所だ。
斡旋所では長期就労者に対して履歴書を作成し保管していると言っていた。
アスレイはその履歴書から居なくなったファリナの情報を得ようと考えたのだ。
それに彼女の履歴書があれば、それがこの町から彼女が居なくなったという証明になるかもしれず、衛兵団や領主もそれによって動いてくれるやもしれない。
そう確信し、軽い足取りで向かったアスレイであった。
―――が、しかし。
彼の予測は軽々と覆されてしまう。
「え、履歴書はない?」
斡旋所で受け付けをしている眼鏡の男性から突き付けられた言葉は、『ここにはない』の一言であった。
「はい、言葉の通りです」
淡白な口振りで男性はそう答える。
怪訝そうに眉を寄せているその表情は、明らかにアスレイを鬱陶しいと思っているようだ。
朝一番にやって来た客人の第一声が『履歴書を見せてくれ』であるのだから、彼が気を害するのも無理のないところではあるだろうが。
「此処はあくまでも仕事先の斡旋をする場所なので、作成された履歴書は次の日には別の場所で保管されるシステムになっているんですよ」
「べ、別の場所…って何処?」
男性は眼鏡を押し上げてから冷淡な口調で答えた。
「領主様の屋敷ですよ」
話によると斡旋所で作成された履歴書は領主の屋敷に移され、担当の役人によって保管されるとのことだった。
つまり、履歴書を閲覧したい場合は領主かもしくはその担当者である役人から許可を得なくてはならないということだ。
その説明を聞いたアスレイは単なる無駄足だったと肩を落とす。
「結局は領主に直談判するしかないのかー…」
そう呟き、落胆しながら帰ろうとするアスレイへ、男性は更に冷静な言葉で彼を刺していく。
「それに、先日も言いましたがそんなものを見ても時間の無駄ですよ」
彼の言葉にアスレイは足を止め、彼の方へ視線を向ける。
「そもそも…昨日職に就いたばかりだというのに、仕事が嫌になって明日には逃げ出しているという者は少なくないんですよ。最近ではそれを魔女のせいだと囁く者もいますが、結局は仕事から逃げた者が良いように作った言い訳です」
男性の台詞には、『黄昏誘う魔女』に対する否定と、『失踪者』の否定が含まれていた。
彼のその決めつけた言い方に、アスレイは眉を顰める。
「逃亡者なのか、魔女のせいなのか、違う理由なのか…それについては必ず俺が証明して見せます」
ついムキになり強い口調でそう返すと、アスレイは大きな足音を鳴らしながら斡旋所を出て行った。
ファリナ捜索に当たって、衛兵団が動いてくれそうにないとなるとやはり頼みの綱は領主への直談判という結論になる。
しかし、肝心の領主にはそう簡単に会うことが出来そうにない。以前、領主を追っかけているレンナが『中々お話しするチャンスがないんだよね』とぼやいていたくらいだ。
「結構大変な道のり選んじゃったかな…」
空に向けてそう嘆いたところで何かが変わるわけもなく。
仕方なくアスレイは、とりあえず領主の屋敷へと足を向けた。
領主の屋敷は中央通りの突当り、小高い丘の上に建てられている。
元々この町自体が山の麓にある起伏の多い街並みのため、こういった丘や坂道は至る所にある。
多少息を切らしながら丘を登り終えると、そこには広々とした公園のような広場が存在していた。
色とりどりの花が花壇に植えられており、その中央には噴水。来た道を振り返れば町を一望できるという絶景の場所であった。
「これは眺めが良いな」
ポツリとそう独り言を呟き、それからアスレイは広場の奥に建つ屋敷へと向かう。
鉄柵が張り巡らされた正面玄関には、傭兵らしき屈強な男が二人、並んでいた。
部外者は誰一人として入れまいという、もの凄い気迫まで漂わせている。
メルヘンチックな公園とは不釣り合いのその傭兵には、どんな人間も気圧されてしまうだろうなとアスレイは内心思う。
「あ、あの…」
先ずは勇気を持って近付き、声を掛けてみる。
が、男たちはアスレイを睨みこそすれ、それ以上話しかけることも耳を貸そうとする気配さえ見せない。
「領主様に会いたいんですけど!」
と叫んだところで男たちが動く素振りもなく。
諦めずにそんなやり取りをしばらく続けてみたアスレイであったのだが、最終的に根負けしたのはアスレイの方であった。
「そんなことしても意味ないっての」
微動だにしない男たちに嫌気が差してきた頃、突如背後から彼女の声が聞こえてきた。
振り返れば案の定、そこにはレンナの姿があった。
「そのおっさんたち絶対に動かないし話そうともしないの。石なんじゃないかってくらいにね」
そう言いながら近付く彼女は目を細めながらただただアスレイを眺めている。
彼女の瞳は、どうして此処に居るのかと訴えているようであった。
それを察したアスレイは、かいつまんで自身の事情を説明する。
「―――ふうん、随分と面倒なことに首突っ込んだじゃん」
レンナは呆れ顔でそう言い、深いため息もついでに漏らす。
興味がないのか態度は軽薄だが、どうやらこのまま話は聞いてくれるらしい。
「なんとか領主様に会えないかな」
何かしらの助言を貰うべく彼女に頭まで下げたアスレイだったが、レンナの返答は「無理」という一言であった。
「ティルダ様ってばかなりの多忙みたいでさ。朝から夜まで屋敷にはほぼ居ないみたいだし。移動中も最低一人ずつメイドと用心棒を付けてるし…隙がないんだもん」
彼女の言葉から脳裏に過ぎるのは、先日ティルダと初めて出会った時のこと。
確かに彼はその傍らにメイドと傭兵を連れていた。
名前はユリとカズマだったよな、とアスレイは思い返す。
「おかげで二人きりになれる時間なんて全然ないんだから。あたしが知りたいくらいよ…!」
ぶつぶつと独り言のように文句を言うレンナ。
足先でドンドンと地面を叩く様は、少女とは思えない気迫を漂わせている。
何か一言返すべきかと口を開けたアスレイだったが、それよりも先にレンナが喋り出す。
「でもそれも今だけよ。ティルダ様の行動範囲を毎日調べて…近いうち二人きりになれる時間を絶対手に入れるんだから!」
まるで彼女の背中から炎でも出ているのではと思うような叫びと闘志。
門番をしている傭兵たちに聞かれていたらどうするんだと一抹の不安を抱きつつ、アスレイはレンナの肩を叩いた。
「…本当、尊敬するよ」
そう言ってから、彼は浅いため息を吐き出した。
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