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賑やかな旅路

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 馬車はキャンスケットへと進んでいた。
 このまま順調に進めば、昼前には町へ到着出来る予定だった。
 ―――が、しかし。



 キャンスケットは目前、という道中。
 一本道の林道を進んでいた馬車は、突如静かに足を止めた。
 そこに休憩所があるわけでもなく。乗客―――といってもアスレイたち4人のみであるが―――たちはどうしたのかと窓の外を見遣る。

「どうしたんですか?」

 うたた寝状態だったアスレイも開いていた口元を拭いながら御者へ尋ねる。
 前方に設置されている窓の方を覗き込むと、馬車の前には一人の男性が立っていた。
 二十代から三十代と思われる男性だ。
 軽装とはいえ鉄の胸当てや肩当て。腰には剣が携えられている。
 ケビン同様の傭兵スタイルであるが、たくましいその体つきはケビン以上と思われた。
 止まった馬車に近づく彼は、すまないと頭を下げて見せる。

「我等の乗っていた馬車が故障してしまってな…なので、同乗させて頂けるとありがたい」

 突然の申し出に困惑気味でいた御者であったが、車内にはまだ客を乗せられる余裕もあり、金なら出すとの言葉に乗車を許可した。

「ありがとう」

 そう言ってもう一度頭を深く下げた男性は何故か直ぐには乗車せず、林の奥へと駆け出していってしまう。
 一体どうしたのかとアスレイが首を傾げていると、その隣で窓を覗き込んでいたレンナが声を上げた。

「あれってもしかして…」

 彼女は窓ガラスに顔を押し付けながら必死に男性を目で追う。

「知り合いか?」
「知らない…けど、ひょっとして…」

 尋ねるアスレイに彼女は明確な返答をしない。
 と、何か見つけたらしく、またもや声を大にして言う。

「やっぱり!」

 その声に驚きながらも、彼女の見つめる方向にアスレイも視線を向けた。



 林道の奥から出てきたのは、先程の男性。その後ろには若い男女の姿。
 ウェーブがかった金髪を一つに束ねた青年と、黒髪を三つ編みに結っている女性。
 先程の茶髪の男性とは違い、その二人は如何にも貴族とメイドといった容姿をしていた。
 馬車へと近付いてくる三人を眺めながら、レンナは歓喜の声を上げた。

「目的の人物にまさかこんな場所で出会えるなんて!」
「だから誰なんだよ」

 一人喜ぶレンナへ、突っ込む様に尋ねるアスレイ。
 するとレンナは呆れた顔を浮かべ、それからわざとらしく深いため息を吐いた。

「やっぱり…さっきの話、聞いてなかったんでしょ」

 予想外の返答に「え」と返すことしかできないアスレイ。
 彼女はもう一度ため息を漏らすと仕方なく説明を始めた。

「あの人はキャンスケット領、領主のティルダ・キャンスケット様よ」

 領主という言葉にアスレイは反応を示す。

「領主?」
「そう。若くしてこのキャンスケット領を治める領主様。その容姿端麗に併せて穏和で器量良しの才色兼備!」

 人徳もあり、それゆえに領外からも人気が高いという。
 レンナは観光がてらそのイケメン領主を一目見ようと遙々やってきた。というのが、先程アスレイが上の空であったときにしていた話しだったらしい。



 と、そんな会話をしているうちに領主たちが馬車内へと乗り込んできた。
 華やかな香水の香りが車内に広がっていく。

「ご迷惑おかけしてすみません。そしてありがとうございます」

 爽やかな笑顔を浮かべながら煌びやかな衣装の男性が告げる。
 軽く頭を下げると、彼は続けて口を開いた。

「申し遅れました。僕はキャンスケット領領主、ティルダ・キャンスケットと言います」

 既にレンナから聞かされていた情報であったため、自己紹介をされても申し訳ないことにアスレイの反応は薄く。ネールとケビンも似たような反応を見せている。
 唯一、レンナだけが黄色い声を上げていた。

「それと彼女はメイドのユリ。そして彼は僕の用心棒をしているカズマ・カムラン」

 ティルダはそれから自分の両脇に立つ二人の紹介をする。
 丁寧に手のひらを向ける彼に合わせ、二人は深々とお辞儀をした。
 紹介が終わると、待っていましたとばかりに動き出したのはレンナであった。
 彼女は隣にいたアスレイを強引に突き飛ばすと、自分の隣へ来るように声をかける。

「ここへどうぞ、ティルダ様!」

 促されティルダたちはレンナの隣へと腰掛ける。

「ありがとう」
「どう致しまして!」

 先ほどまでとはまるで違う猫撫で声を出すレンナ。その顔には満面の笑み。
 と、新たな乗客が席に座ったところで、馬車はゆっくりと進み出した。



 レンナによって席を奪われたアスレイは、仕方なく空いている他の席へと移動する。

「女性ってやっぱり、ああいう男性が好きなものなのかな…?」

 独り言としてぼやいたつもりだったのだが、隣にいたネールに聞こえてしまっていたらしく。
 彼女はアスレイに視線を向け答えた。

「それが女の子、というものなのだろう」

 その言葉は、昨夜アスレイが言った台詞に対する皮肉が含まれており、彼は閉口するしか出来なかった。
 その後、馬車が町に到着するまでの間。
 車中では終始レンナの甲高い声と領主の歯の浮くような台詞の雑談が繰り広げられ続けた。






   
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