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⑤ 先輩side
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「詩乃ちゃん、本当に帰っちゃうの?」
「帰りますよ。筑前煮、ちゃんと食べてくださいね」
昨日の夕飯になるはずだった筑前煮は、今日のオレの夕飯として冷蔵庫にいれられている。
テキパキと家事をこなし、仕事が終わったから家に帰るという詩乃ちゃんを背中から抱きしめて、オレは大人げなくゴネているのだ。
「やっぱりさ、ここで一緒に住もうよ」
「ダメですよ、先輩。ちゃんと線引きはしないと」
「そんなのしなくていいじゃん。
オレ、詩乃ちゃんがいないとダメな体になっちゃったんだよ?」
「もう、なに言ってるんですか。
明日また来ますから」
詩乃ちゃんはオレの腕をぽんぽんと叩く。
オレは本気で言ってるのに、まだ伝わっていないようだ。
「なにか食べたいものありますか?」
「詩乃ちゃんが食べたい」
「散々食べたじゃないですか!
そうじゃなくて、明日のご飯のことです!」
「……豚肉の生姜焼き」
「わかりました。明日、材料買ってきますから。
キュウリの浅漬けもまたつくりますね」
帰したくなくて、ぎゅうぎゅう抱きしめて頬ずりすると、詩乃ちゃんはちょっと困った顔で、でも嬉しそうに笑う。
そんな顔するなら帰らなければいいのに、とオレはいつも思う。
「では、私はこれで失礼します」
詩乃ちゃんはオレの腕の中からするっと抜け出し、帰っていった。
「あーあ、まだダメかぁ……」
一人玄関に残されたオレは、深い溜息をついた。
オレは、小学生になる前から女によくモテた。
モテるというのは、いいことばかりではない。
面倒なトラブルを引き寄せてしまうことも少なくないのだ。
大学を卒業した後、それなりに名の知れた企業に就職したのだが、そこでの上司と同僚が最悪だった。
パワハラとセクハラと嫌がらせのオンパレードで、最終的に干支一回り年上の女性管理職から「査定を下げられたくなかったら私とホテルに行きなさい」と迫られたことで見切りをつけた。
胃痛に耐えながらも証拠をしっかりと集めて人事部に提出し、一網打尽にしてから退職した。
この時、根気よくオレの話を聞いて手助けをしてくれたのは、大学時代の友人だった。
慰謝料や退職金でそれなりにまとまった金を手にすることができたが、オレはすっかり落ちこんでしまった。
そんなオレに、学生の時のようにまた漫画を描くことを勧めてくれたのも友人だった。
しばらく絵を描くことから離れていたが、オレが子供のころに抱いた最初の夢は漫画家だったことを思い出した。
オレは家に引き籠って漫画を描き続け、また友人の手を借りてコンテストに応募したり投稿サイトに登録したりしているうちに、いつのまにやら漫画で食べていけるようになっていた。
前職のように、大勢の人の中で働くのはもう嫌だと思っていたオレにとって、それはとても有難いことだった。
正直、友人がいなかったら、オレはどうなっていたかわからない。
友人には足向けて眠れないくらい感謝している。
誰もオレを知らない場所に引っ越し、そこでほとんど人に会うことなく漫画を描くことにした。
今はインターネットがあるから、仕事の面で困ることはなにもなかった。
仕事はそれでよかったのだが、実生活ではそうはいかない。
生きている以上、食事をしなくてはいけないし、掃除をしないと家が汚れるし、洗濯をしないと着る服がなくなるし、ゴミ出しもしないといけないのだ。
元々そういうのが得意ではないオレは、困り果てた。
このままでは、ゴミ屋敷一直線だ。
そして、相談にのってくれた友人のアドバイスに従い、正直あまり気はすすまなかったが家事代行スタッフを雇うことにしたのだった。
そして、オレは初日から、もっと早く雇えばよかったと後悔した。
どこから手をつけていいかわからないような状態だったキッチンが、たった一日できれいになったのだ。
家政婦さんは、よく見ればまだ若い女性だった。
控え目で落ち着いた印象で、オレに色目を使うような気配はない。
その時のオレの風体からすればそれも当然のことなのだが、オレはなんだかそれにほっとしたものだ。
翌日も家政婦さんはやってきて、オレがリクエストした通りの料理をつくってくれた。
久しぶりの手料理は涙が出るほど美味しくて、それなりの量があったのに全て平らげてしまった。
家政婦さんの手料理は、塩分控えめの優しい味付けで、バランスもよく考えられていることがわかり、食べているだけで健康になるような気がした。
家も劇的にきれいになり、あれだけ荒れていたのが見違えるようになった。
美味しいご飯ときれいな住空間。
家政婦さんのおかげで、信じられないくらい快適な生活になった。
だが、その頃のオレは、別の問題に直面していた。
所謂、スランプというやつだ。
どうにもこうにも、いいネタが降りてこないのだ。
オレは外見から誤解されがちだが、女遊びのようなことはしない。
恋人にはいつも真摯に向き合うし、浮気なんてキモチワルイと思っている。
セフレをつくったこともなければ、ワンナイトラブなんてもっての外だ。
だから、実は経験人数もそんなに多くないのだ。
それまでに培った限られた経験の全てを糧に創作していたのだが、その糧がついに尽きてしまったような、そんな感じだった。
このままではマズいと思いつつ、家を出て恋人を探す気にもなれず、とりあえず官能小説を読んだりしていた。
せっかく平穏な暮らしを手に入れたのに、また女性絡みのトラブルに巻き込まれるのは避けたかった。
この家の中は安全地帯だと、オレはすっかり油断していた。
ピカピカに掃除された風呂場でシャワーを浴び、久しぶりに髭を剃ってさっぱりしたオレは、いつも通りだらしない恰好でなにか飲もうかとキッチンに向かった。
まだ家政婦さんがいる時間であることを、すっかり忘れていたのだ。
その途中にあるリビングで、目を大きく見開いた家政婦さんを見て、オレは失敗したと思った。
今のオレは、顔を完全に晒してしまっている。
面倒なことになるかもしれない、と舌打ちをしたい気分だったのだが、家政婦さんはなんとも懐かしい響きの言葉を呟いた。
「岸野先輩……?」
最後にそう呼ばれたのは、いつのことだったか。
胸の奥がムズムズするような、不思議な気分がした。
「そう呼ばれるのは随分と久しぶりだなぁ。
オレのこと知ってるの?」
「……同じ高校に、通ってました。私が一学年下で……」
「へぇ、そうなんだ。偶然だね、こんなところで会うなんて」
ここは、オレたちが通っていた高校からは飛行機の距離にある。
それなりに進学校だったから、この娘もきっとどこかの大学に進学したのだろうに、なぜこんなところで家政婦のバイトをしているのだろう。
なんだか、俄然興味が湧いてしまった。
それに、さっきの「岸野先輩」呼びは、オレの琴線に触れた。
サッカー部で青春を楽しんでいた頃のように、若く純粋だった昔のオレに少しだけ戻ることができたような気がしたのだ。
こういうタイプの女性は、オレを遠巻きにするだけでまず近づいてこない。
料理上手で、根気よく真面目に仕事に取り組むことは、ここ数日でよく知っている。
派手さはないが、健気で家庭的な雰囲気は好感を持つのに十分だった。
久々にオレの中で眠っていた雄が目を覚ました。
オレは家政婦さん、もとい詩乃ちゃんを全力で誘惑した。
ここまで頑張ってそんなことをしたのは、生まれて初めてだったかもしれないというくらい、全力をぶつけた。
その結果、詩乃ちゃんは最初は迷うそぶりをみせたが、すぐに熱にうかされたような顔で陥落した。
そこからはオレの独壇場だった。
漫画を描く時の参考のためにと、避妊具を買っておいてよかったと心から思った。
詩乃ちゃんは不慣れながらもオレの愛撫に蕩け、甘い声を上げてオレを締めつけてきた。
オレも女性に触れるのは随分と久しぶりのことということもあり、手加減することなどできず夢中になって貪った。
長く続いた行為の後、やっとオレが満足した直後に、詩乃ちゃんは気を失ってしまった。
ヤりすぎたかな、とは思ったが後悔はしていなかった。
むしろ、今まで頭にかかっていた靄が晴れて、スッキリとしたような気分だった。
オレは詩乃ちゃんの体を清めてからシャワーで汗やらなにやらを流し、寝室ではなく仕事部屋に戻った。
今ならいいネタが降りてくるような気がしたのだ。
そして、その直勘は正しかった。
詩乃ちゃんとの最初の夜のことを下敷きに描き上げた新作は、久々のヒット作となった。
それからは、オレはネタ出しに困ることはなくなった。
健康的な美味しい料理を食べて、きれいな家で仕事に集中することができる。
全部詩乃ちゃんのおかげだ。
オレはもう、詩乃ちゃんを手放すことができなくなった。
詩乃ちゃんがいないとダメな体になったというのは、嘘偽りない事実なのだから。
それなのに、オレをふりきって、詩乃ちゃんは今日も帰ってしまった。
だが、オレにはよくわかっている。
オレがああやって甘えて誘惑するたびに、詩乃ちゃんの理性がぐらぐら揺れていることを。
もう一息、ってとこかな。
あと少しで、詩乃ちゃんの全てが手に入る。
それが楽しみでしかたがない。
仕事部屋に戻り、なにげなくネットサーフィンをしていると、旅行代理店のバナーが目についた。
そうだ。詩乃ちゃんを旅行に連れ出すのはどうだろうか。
北海道でジンギスカンを食べて、乗馬体験をしようか。
沖縄でソーキそばを食べて、シュノーケリングをしてもいいかもしれない。
京都で和服を着て、古刹を巡るのも風情があっていいだろう。
もうずっとこの家に引きこもっていたのに、旅行に行きたいと思うようになるなんて、オレ自身でも驚きだ。
だが、今は詩乃ちゃんが隣にいてくれたら、どこに行っても楽しそうだと思えるのだ。
詩乃ちゃんにも楽しんで、たくさん笑ってほしい。
そんな詩乃ちゃんを、一番近くで眺めていたい。
そうだ、もしかしたら、非日常の旅先の方が口説きやすいのではないだろうか。
そう思うと、やる気が漲ってきた。
旅行に行くことは決定だ。
そのためにも、しっかり仕事をしなくては。
詩乃ちゃんのためだと思えば、オレはもっと頑張れる。
またヒット作がうまれるかもしれない。
そんな予感に、オレの気分は高揚した。
俺はブラウザを閉じてネットサーフィンを切り上げ、昨日の詩乃ちゃんとの戯れを脳裏に思い描きながら仕事にとりかかった。
=========
これにて完結です。
読んでくださってありがとうございました!
「帰りますよ。筑前煮、ちゃんと食べてくださいね」
昨日の夕飯になるはずだった筑前煮は、今日のオレの夕飯として冷蔵庫にいれられている。
テキパキと家事をこなし、仕事が終わったから家に帰るという詩乃ちゃんを背中から抱きしめて、オレは大人げなくゴネているのだ。
「やっぱりさ、ここで一緒に住もうよ」
「ダメですよ、先輩。ちゃんと線引きはしないと」
「そんなのしなくていいじゃん。
オレ、詩乃ちゃんがいないとダメな体になっちゃったんだよ?」
「もう、なに言ってるんですか。
明日また来ますから」
詩乃ちゃんはオレの腕をぽんぽんと叩く。
オレは本気で言ってるのに、まだ伝わっていないようだ。
「なにか食べたいものありますか?」
「詩乃ちゃんが食べたい」
「散々食べたじゃないですか!
そうじゃなくて、明日のご飯のことです!」
「……豚肉の生姜焼き」
「わかりました。明日、材料買ってきますから。
キュウリの浅漬けもまたつくりますね」
帰したくなくて、ぎゅうぎゅう抱きしめて頬ずりすると、詩乃ちゃんはちょっと困った顔で、でも嬉しそうに笑う。
そんな顔するなら帰らなければいいのに、とオレはいつも思う。
「では、私はこれで失礼します」
詩乃ちゃんはオレの腕の中からするっと抜け出し、帰っていった。
「あーあ、まだダメかぁ……」
一人玄関に残されたオレは、深い溜息をついた。
オレは、小学生になる前から女によくモテた。
モテるというのは、いいことばかりではない。
面倒なトラブルを引き寄せてしまうことも少なくないのだ。
大学を卒業した後、それなりに名の知れた企業に就職したのだが、そこでの上司と同僚が最悪だった。
パワハラとセクハラと嫌がらせのオンパレードで、最終的に干支一回り年上の女性管理職から「査定を下げられたくなかったら私とホテルに行きなさい」と迫られたことで見切りをつけた。
胃痛に耐えながらも証拠をしっかりと集めて人事部に提出し、一網打尽にしてから退職した。
この時、根気よくオレの話を聞いて手助けをしてくれたのは、大学時代の友人だった。
慰謝料や退職金でそれなりにまとまった金を手にすることができたが、オレはすっかり落ちこんでしまった。
そんなオレに、学生の時のようにまた漫画を描くことを勧めてくれたのも友人だった。
しばらく絵を描くことから離れていたが、オレが子供のころに抱いた最初の夢は漫画家だったことを思い出した。
オレは家に引き籠って漫画を描き続け、また友人の手を借りてコンテストに応募したり投稿サイトに登録したりしているうちに、いつのまにやら漫画で食べていけるようになっていた。
前職のように、大勢の人の中で働くのはもう嫌だと思っていたオレにとって、それはとても有難いことだった。
正直、友人がいなかったら、オレはどうなっていたかわからない。
友人には足向けて眠れないくらい感謝している。
誰もオレを知らない場所に引っ越し、そこでほとんど人に会うことなく漫画を描くことにした。
今はインターネットがあるから、仕事の面で困ることはなにもなかった。
仕事はそれでよかったのだが、実生活ではそうはいかない。
生きている以上、食事をしなくてはいけないし、掃除をしないと家が汚れるし、洗濯をしないと着る服がなくなるし、ゴミ出しもしないといけないのだ。
元々そういうのが得意ではないオレは、困り果てた。
このままでは、ゴミ屋敷一直線だ。
そして、相談にのってくれた友人のアドバイスに従い、正直あまり気はすすまなかったが家事代行スタッフを雇うことにしたのだった。
そして、オレは初日から、もっと早く雇えばよかったと後悔した。
どこから手をつけていいかわからないような状態だったキッチンが、たった一日できれいになったのだ。
家政婦さんは、よく見ればまだ若い女性だった。
控え目で落ち着いた印象で、オレに色目を使うような気配はない。
その時のオレの風体からすればそれも当然のことなのだが、オレはなんだかそれにほっとしたものだ。
翌日も家政婦さんはやってきて、オレがリクエストした通りの料理をつくってくれた。
久しぶりの手料理は涙が出るほど美味しくて、それなりの量があったのに全て平らげてしまった。
家政婦さんの手料理は、塩分控えめの優しい味付けで、バランスもよく考えられていることがわかり、食べているだけで健康になるような気がした。
家も劇的にきれいになり、あれだけ荒れていたのが見違えるようになった。
美味しいご飯ときれいな住空間。
家政婦さんのおかげで、信じられないくらい快適な生活になった。
だが、その頃のオレは、別の問題に直面していた。
所謂、スランプというやつだ。
どうにもこうにも、いいネタが降りてこないのだ。
オレは外見から誤解されがちだが、女遊びのようなことはしない。
恋人にはいつも真摯に向き合うし、浮気なんてキモチワルイと思っている。
セフレをつくったこともなければ、ワンナイトラブなんてもっての外だ。
だから、実は経験人数もそんなに多くないのだ。
それまでに培った限られた経験の全てを糧に創作していたのだが、その糧がついに尽きてしまったような、そんな感じだった。
このままではマズいと思いつつ、家を出て恋人を探す気にもなれず、とりあえず官能小説を読んだりしていた。
せっかく平穏な暮らしを手に入れたのに、また女性絡みのトラブルに巻き込まれるのは避けたかった。
この家の中は安全地帯だと、オレはすっかり油断していた。
ピカピカに掃除された風呂場でシャワーを浴び、久しぶりに髭を剃ってさっぱりしたオレは、いつも通りだらしない恰好でなにか飲もうかとキッチンに向かった。
まだ家政婦さんがいる時間であることを、すっかり忘れていたのだ。
その途中にあるリビングで、目を大きく見開いた家政婦さんを見て、オレは失敗したと思った。
今のオレは、顔を完全に晒してしまっている。
面倒なことになるかもしれない、と舌打ちをしたい気分だったのだが、家政婦さんはなんとも懐かしい響きの言葉を呟いた。
「岸野先輩……?」
最後にそう呼ばれたのは、いつのことだったか。
胸の奥がムズムズするような、不思議な気分がした。
「そう呼ばれるのは随分と久しぶりだなぁ。
オレのこと知ってるの?」
「……同じ高校に、通ってました。私が一学年下で……」
「へぇ、そうなんだ。偶然だね、こんなところで会うなんて」
ここは、オレたちが通っていた高校からは飛行機の距離にある。
それなりに進学校だったから、この娘もきっとどこかの大学に進学したのだろうに、なぜこんなところで家政婦のバイトをしているのだろう。
なんだか、俄然興味が湧いてしまった。
それに、さっきの「岸野先輩」呼びは、オレの琴線に触れた。
サッカー部で青春を楽しんでいた頃のように、若く純粋だった昔のオレに少しだけ戻ることができたような気がしたのだ。
こういうタイプの女性は、オレを遠巻きにするだけでまず近づいてこない。
料理上手で、根気よく真面目に仕事に取り組むことは、ここ数日でよく知っている。
派手さはないが、健気で家庭的な雰囲気は好感を持つのに十分だった。
久々にオレの中で眠っていた雄が目を覚ました。
オレは家政婦さん、もとい詩乃ちゃんを全力で誘惑した。
ここまで頑張ってそんなことをしたのは、生まれて初めてだったかもしれないというくらい、全力をぶつけた。
その結果、詩乃ちゃんは最初は迷うそぶりをみせたが、すぐに熱にうかされたような顔で陥落した。
そこからはオレの独壇場だった。
漫画を描く時の参考のためにと、避妊具を買っておいてよかったと心から思った。
詩乃ちゃんは不慣れながらもオレの愛撫に蕩け、甘い声を上げてオレを締めつけてきた。
オレも女性に触れるのは随分と久しぶりのことということもあり、手加減することなどできず夢中になって貪った。
長く続いた行為の後、やっとオレが満足した直後に、詩乃ちゃんは気を失ってしまった。
ヤりすぎたかな、とは思ったが後悔はしていなかった。
むしろ、今まで頭にかかっていた靄が晴れて、スッキリとしたような気分だった。
オレは詩乃ちゃんの体を清めてからシャワーで汗やらなにやらを流し、寝室ではなく仕事部屋に戻った。
今ならいいネタが降りてくるような気がしたのだ。
そして、その直勘は正しかった。
詩乃ちゃんとの最初の夜のことを下敷きに描き上げた新作は、久々のヒット作となった。
それからは、オレはネタ出しに困ることはなくなった。
健康的な美味しい料理を食べて、きれいな家で仕事に集中することができる。
全部詩乃ちゃんのおかげだ。
オレはもう、詩乃ちゃんを手放すことができなくなった。
詩乃ちゃんがいないとダメな体になったというのは、嘘偽りない事実なのだから。
それなのに、オレをふりきって、詩乃ちゃんは今日も帰ってしまった。
だが、オレにはよくわかっている。
オレがああやって甘えて誘惑するたびに、詩乃ちゃんの理性がぐらぐら揺れていることを。
もう一息、ってとこかな。
あと少しで、詩乃ちゃんの全てが手に入る。
それが楽しみでしかたがない。
仕事部屋に戻り、なにげなくネットサーフィンをしていると、旅行代理店のバナーが目についた。
そうだ。詩乃ちゃんを旅行に連れ出すのはどうだろうか。
北海道でジンギスカンを食べて、乗馬体験をしようか。
沖縄でソーキそばを食べて、シュノーケリングをしてもいいかもしれない。
京都で和服を着て、古刹を巡るのも風情があっていいだろう。
もうずっとこの家に引きこもっていたのに、旅行に行きたいと思うようになるなんて、オレ自身でも驚きだ。
だが、今は詩乃ちゃんが隣にいてくれたら、どこに行っても楽しそうだと思えるのだ。
詩乃ちゃんにも楽しんで、たくさん笑ってほしい。
そんな詩乃ちゃんを、一番近くで眺めていたい。
そうだ、もしかしたら、非日常の旅先の方が口説きやすいのではないだろうか。
そう思うと、やる気が漲ってきた。
旅行に行くことは決定だ。
そのためにも、しっかり仕事をしなくては。
詩乃ちゃんのためだと思えば、オレはもっと頑張れる。
またヒット作がうまれるかもしれない。
そんな予感に、オレの気分は高揚した。
俺はブラウザを閉じてネットサーフィンを切り上げ、昨日の詩乃ちゃんとの戯れを脳裏に思い描きながら仕事にとりかかった。
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これにて完結です。
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