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第9章 終焉

12 世界の終焉

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「四郎兄者!これで次郎兄者も復活できますなあ!」

 遠藤えんどうが後方に向かって叫ぶ。

「おうよ五郎!これでやっと兄者の王国ができる!我らの世が到来するのじゃ!」

 朝霧あさぎりがそれに応じ、高笑いする。その二人の交わす言葉を聞き、浦安うらやすは背骨を引き抜かれたような衝撃を受けた。朝霧も将門まさかどの影武者の一人だったのだ。そしてこれで禍津町まがつちょうに張られた北斗七星の結界もほとんど破られたことになる。彼らの言葉から、このセフィロトの結界が特に重要だったことが伺える。その要だった天冥てんめいは先程、青井草太あおいそうたの銃弾に散った。もはや、彼らに対抗する術は無くなった。

 ヘナヘナと、腰が砕けた。前方からは大勢のろくろっ首が押し寄せる。自衛官も警察官もすでに彼らの手中にある。やつらはこのことを何年も前から計画し、ウイルスがジワジワと身体を蝕むように、中枢から末端から、その漆黒の触手を伸ばしてきていたのだ。影武者たちは妖化あやかしかした人間を操れる。もし政治軍事経済の中枢を担う人間が妖化していたなら、やつらはそれを操り、やがてその侵略は世界へと広がっていくだろう。そんな影武者だけでも十分脅威なのに、この上将門の怨霊が顕現してくるとなるともう誰にもこの世界を救えないだろう。自分はそれを食い止める大切なポイントに立ちながら、結局何も出来なかった。

(すまん…君枝きみえ直輝なおき…)

 妻に、そして息子に力無く呼びかける。自分は先に逝って待っている、と。うううと低い呻き声を上げ、両手を前に突き出して迫ってくる集団はもうそこまで来ている。浦安は自分の銃をショルダーホルスターから抜き、こめかみに当てた。

「おっさん!何してんの!?こっち!」

 急に脇を抱えられ、顔を上げると少女がこちらを睨んでいる。月輪が後光のように光り、少女の瑞々しい輪郭を神々しく浮き上がらせる。そこに引き寄せられるように立ち上がり、ハッと我に返ってダンダンダンと掴みかかってきた前方のろくろっ首の頭を撃ち抜いた。

「走って!早く!」

 少女に手を引かれて走る。半世紀以上も生きた熟年男がまるで思春期にトリップしたような格好が気恥ずかしかった。

「大丈夫、走るよ!先を行って!」

 浦安はつむぎに手を離してもらい、懸命に彼女の後ろを駆けた。ビニールハウスの横を抜け、その先のログハウスのような木造の建物に入っていく。ほんのり木の香りがし、冷気が充満していた。中は意外に広く、紬は薄暗い建物の中を迷いなく走っていく。突き当りの開き戸を開けると、そこは二階分をくり抜いた昔の講堂のような大広間で、上方の横長の窓から月明かりが群青色の線となって射し込んでいた。奥に祭壇のようなひな壇があり、その前に丸太で作った大きな鳥居がある。建物内に鳥居とは異様な気がしたが、紬はその前まで走ると、そこで拝むように手を合せ、むにゃむにゃと何やら呟いた。すると唐突に鳥居の中から黒い渦が発生し、まるでブラックホールのように祭壇の前に広がった。

「ここを抜けるよ!早く!」

 言っている意味が分からず戸惑った目を紬に向ける。少女はまた浦安の手を取り、渦の中に突進した。視界が真っ暗になり、フリーホールを落ちるような感覚が胸を締め付ける。耳鳴りがし、グワングワンという音はやがていつかのノワールの黒鐘のゴーンゴーンという重低音となる。頭が割れそうになり、紬から手を振り解いて頭を抱える。しばらくそれに耐えていると、急に音は止み、フワッとした浮遊感に囚われた。

 蒸しっとした空気が肺に流れ込む。恐る恐る目を開けると、周囲は色彩のある木立で覆われ、頭上に鳥居の影が見える。ホーホーとフクロウが鳴いている。近くに川のせせらぎも聞こえ、先程の喧騒が嘘のように静寂に包まれている。奥に拝殿と思われる重厚な建物のシルエットが見え、明らかにセフィロトの中では無いことが伺えた。

「ここは…一体どこです?」
「うん?ここは鷹田たかだ神社だよ」
「え、鷹田神社…て…」

 紬が答えるや否や、拝殿の側から人の気配がした。

「紬様!?」

 拝殿の中から段差を駆け下りる姿がある。それは男女二人のもので、月明かりに顔が判別できるまで近づいた時、そのうちの一人がよく知る人物であるのが分かった。

「あ、あなたは…沖芝おきしば管理官!?」

 いつものダーク色のスーツ姿ではなく、チュニックにチノパンというラフな出で立ちをしている。だがそのふくよかな頬は、K署で何度もやり取りをした沖芝のもので間違いない。

「紬様、ご無事で!」

 沖芝と一緒に駆けてきた男が少女に声をかけた。黒縁の眼鏡をかけ、こちらは礼服のようなカッチリとした黒いスーツを着込んでいる。年の頃は50前後、黒々とした流し髪に形の良い口髭と顎髭を生やし、眼鏡の奥には誠実そうな細い目が伺える。ふと、こんな紳士然としたいい年の男が少女を様付けで呼ぶことに違和感を覚える。

「うん、小泉こいずみも沖芝もご苦労さん」

 対する紬の口調もまるで彼らの上役のようだ。セフィロトと鷹田神社とでは距離にして20キロ以上前は離れている。今しがたの変なゲートを使いこなしたことといい、一体この少女は何者なのか…?

「紬ちゃん、君は一体……」

 目を白黒させて質問を被せる浦安が面白かったのか、紬はクスッと笑うと、

「まあまあ、落ち着いて?おっさん。こっちはね、聖蓮せいれん女子理事長の小泉、そんでこっちは…知ってるよね?警察庁捜査一課管理官の沖芝。二人はね、夫婦なんだよ」

 と二人を紹介した。

「いやいや紬様、もう何年も前に別れてますから。どうも、小泉です。お噂は妻から聞いております」

 小泉が浦安に頭を下げ、

「今朝ぶりですね。私はお役御免になりましたからね、T都に帰る前に一目、家族の顔を見たいと思いまして、こんな格好で失礼します」

 と、沖芝も「元」を強調しながら挨拶する。浦安も二人と挨拶を交わしていると、拝殿からまた二人の男が姿を現した。

「紬様、よくぞお越しになられました。立ち話も何です、奥に入られませんかな?」

 声をかけてきた男は服部はっとり神主、この鷹田神社の神主だと紬に紹介してもらう。細面に長い鼻が特徴的な顔立ちで、グレーの斎服が神主らしかった。一緒に出てきたのは栗原くりはら町長で、夕方の電話以来図らずも顔を合わすことになった。

 六人は拝殿の奥にある広間の長テーブルに着く。まず口を開いたのは沖芝だった。沖芝は顔を合わせるなりずっとそわそわしていたが、その理由が娘の陽菜ひなを心配してのことだと分かる。沖芝と小泉は一人娘の陽菜をもうけていて、離婚後は小泉が引き取っていた。そう、沖芝が言っていた娘というのは陽菜のことだったのだ。沖芝が陽菜の安否を聞くと、紬は顔を曇らせた。

「ごめん、間に合わなかった。たぶん今頃、モノノケになってしまってる」

 沖芝はそれを聞き、顔を伏せて泣いた。横にいた小泉が沖芝の背を優しく撫でる。彼の顔も苦痛に歪んでいた。その後、陽菜と紬が接触した経緯を聞く。服部神主が浦安に語った内容はこうだった。

 まずは女子高生連続首無し事件について。第一の事件であるC県で起こった国臥台こくがだい女子学園には民自党最大派閥の長であり、首相を裏で操っていると噂される森園もりぞの議員の孫が通っている。第二の事件であるT都の叡明えいめい女子高には連立政権明光党の山本代表の孫が、第三の事件のA県、光の園女学園には経企連の豊田会長の孫が。発見された首無しの身体はその孫たちのものではなかったが、彼女らにも妖化の兆候が現れていた。つまり、将門陣営は政府や経済の核とある人間の親族を人質に取っていたのだ。

 ここで、そんな回りくどいことをしなくても直接首相なりに乗り移った方が早いではないかという疑問が湧く。浦安がその疑問をぶつけると、それに服部神主が答えた。

「我々は祖先から将門の呪いと戦ってきた経緯を代々口伝で受け継いできました。それによると、将門の影武者といえども誰にでも簡単に乗り移れるというわけではないのです。おそらく親和性の高い者がターゲットとなるのでしょう。詳しい基準は分かっておりません。彼らの活動初期の動きはこうです。将門の首塚は全国各地にあり、そのうちのいくつかは影武者の首を祀っていたと考えます。近代の廃仏毀釈によってまずは陰陽師たちに抑えられていた影武者たちの力が強くなる。その顕現が今の世だったのは、きっと何かの条件が整ったのでしょう。その一つが新型ウイルスによるパンデミックであったと我々は見ています。T都、C県、A県と、自分たちの首塚のある近場で手始めに操れる手下を作る。強くなったとはいえ彼らの力もまだ心許ない。なので心が不安定な思春期の、しかも宗教的善悪の観念が強い名門女子校を狙ったわけです。それが、首無し連続事件だったわけですな。おそらく、報道はされていないが他県の首塚でも起こっていたでしょう。彼らはその後の活動をしやすいように、手始めに政治経済の要職にある人間を手玉にとっていく。そして結界の強いここ、禍津町に集結したのです」

 神主の眼光が鋭くなる。浦安はゴクリと喉を鳴らす。

「天冥さんから、禍津町には将門に取って大切なものがあると聞きました。それは一体、何なんです?」
「それは…おそらくは将門の依り代となるもの、将門がこの世界で自在に動けるようになるための何か…かと」

 服部神主は言葉を濁らせたが、それははぐらかしたのか、あるいはその正体が何か分かっていないのか…。そこからの話を、沖芝が引き継ぐ。

「私は禍津町が最終ターゲットになると小泉から聞き、もしそうなった場合の管理官として志願しました。ですが、それこそがやつらの狙いだったのです。私さえそんな行動を取っていなければ…陽菜は……」

 そこでまた悲しみに囚われた沖芝の言葉を小泉が制する。

「いや、それは違う。聖蓮は結界の一つだからね、狙われることは決まっていたんだよ。なので私は、紬様に娘のことをお願いした。だが一足遅かった。聖蓮女子はすでに将門の怨念の中に取り込まれようとしていて、その中心に陽菜がいた。そこで、陽菜のセフィロトでの浄化をお願いしていたのです」

 セフィロトの地には浄化作用があり、その状態がさっき見た虹色に発光する人の姿だった。そこまで聞き、浦安は紬を見る。紬は浦安の視線に気づき、にっこりと首を傾げる。

「君は一体…どういう存在なんだ?」
「え?あたす?あたしゃただの女子高生だよ」

 紬が変な言葉で返すのを、場の大人たちは眉毛の寄った苦笑いで見る。

「紬様は妙見菩薩の……」

 服部神主が言いかけた時、キナ臭い匂いが当たりに立ち込めてきた。広間の中に黒い煙が入ってくる。

「もう来ちゃったよ!みんな、どうするの?」

 紬が立ち上がり、大人たちを見回す。浦安以外の大人たちは顔を見合わせて頷き合うと、栗原町長が穏やかな口調で紬に自分たちの決意を告げる。

「私たちはここに残ります。きっとそうしないと、この後のことが滞り無く進められないでしょうから」

 服部神主が大きく首肯し、言葉を次ぐ。

「私たちの命で世界が救えるなら、安いもんです」
「ああ、覚悟は出来てます。だけど君は違う。将門を討伐できた暁には陽菜が元に戻るという希望もまだある。陽菜が無事帰ってきた時のために、君は生きて待っていてくれなくちゃ。紬様、どうか彼女も一緒にお連れ下さい」

 小泉理事長が沖芝を指して言う。沖芝はいやいやと大きく首を振る。

「何を言ってるの!私も何も出来なかったから!あなたと一緒に!」
「そんなのは無駄死にだ!君はここで必要な頭数に入っていない!行くんだ!」

 黒煙が立ち込め、入り口から見える廊下がオレンジに揺らいでいる。もはや一刻の猶予もない、火がそこまで迫っていた。浦安は小泉の意向を組み、沖芝の肩を担ぎ上げた。

「行きましょう!ここはもう持たない!」

 沖芝が小泉に哀願の目を向けながら立ち上がり、浦安は彼女を強引に担いで扉に向かう。扉の先では紬が、残った大人たちに最後の言葉をかける。

「ごめん!助けてあげられなくて!」
「なあに、タダでは殺られませんよ!かつて将門は叔父たちを討ち取りました。将門やその兄弟たちを次に討ち取るのは将門の子どもたちの役目です。我らがその橋渡しの役割を全うします!紬様、後のことをよろしくお願いします!」

 残った三人、栗原町長、服部神主、小泉理事長が起立し、悠然とした笑顔で見送る中、紬は泣きそうな顔を逸らし、廊下を走った。後ろ髪を引かれている沖芝の肩を担ぎ、浦安もそれに続く。拝殿の本堂はすでに炎に包まれ、漆黒の空からは無数の生首が飛来していた。




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