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#80 第四のツテ
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訪れた夜明けが外壁の白を際立たせる。
ニュナムの誇る白壁加工は内側にも施されているようだ。
そんな時間だというのに街のあちこちからは陽気に歌や騒ぎ声が途切れることなく聞こえている。
まだ祭りの最中なのだということを五感で感じる。
馬のいななきが聞こえ、割れた人混みの中から俺たちの馬車が現れた。
御者席に座っているのは、ニュナムに入る時に一緒だったライストチャーチ白爵領の領兵、プラさんだ。
その後ろには同じく領兵のムケーキさんが、ロッキンさんとエクシの馬も連れてきてくれている。
「残念だな。祭りはまだ終わっていないというのに」
ムケーキさんが手綱をロッキンさんたちへ渡しながら眉尻を下げる。
「でも、十分に楽しめました」
「そうかい。また来てくれよ。ニュナムはいつでもあんたら、ルージャグ討伐の英雄たちを大歓迎するよ」
対ルージャグ戦ではこちらにも得るものがあった。
メリアンにおんぶに抱っこだった今までと違い、自分一人でもそれなりに戦えることがわかったし、瘴気への対処法も体感できた。
それに困っている人たちの助けになれたことは素直に嬉しい。
俺自身がこの世界に居てもいいのだと思える一助となった。
「こちらこそ、馬や馬車を預かってくださって助かりました」
その馬車から、ナイトさんの指示のもとメリアンとレムとが馬を外す。
「じゃあ、早速、ショゴちゃんに馬をつなぎ替えてくれ」
ショゴちゃん――ナイトさんの「バス号」作成前の試作機「ショゴウキ号」――見た目は普通の馬車と変わらないものの、板バネによるサスペンションと、藁クッション付き椅子、床下隠し収納、魔力を流すことで御者も馬もなしでブレーキをかけられる機能はじめ様々な制御が可能なコントローラー付きのスグレモノ。
この通称ショゴちゃんを俺たちの旅にと提供してくれたのだ。
ニュナムまで乗ってきた馬車についてはナイト商会で預かってくれるという。
「じゃあ、リテルくん。くれぐれも……」
ナイトさんが手渡してくれた板表紙の使用マニュアルだが、このデザイン、どこかで見覚えがある。
何かの古い人気アニメだったような。
「はい。ドクロボタンは最後の武器だ、ですね」
御者席とは別に、ショゴちゃんの内側右前あたりに進行方向を向いた座席が一つあり、その手前にいくつかのボタンが設置されている。
一番目立つ場所にある、どう見ても自爆ボタンっぽいデザインのドクロボタンには、間違って押さないようにと木製のカバーが取り付けられている。
このドクロボタン以外は、レトロゲームのコントローラーみたいな十字キーと二つのボタンで操作するらしい。
操作魔法に必要な魔法代償が足りなくなった場合、ドクロボタンの右にはめられた魔石に触れて消費命を注ぎ込むことで補充できるという機能までついている。
ゆくゆくはゴーレム系の魔術と融合させて遠隔操作できる「ナイトニセン号」も作りたいとか、人型に変形する「トランスフォーマー号」も作りたいとか意気込んでいたのを思い出す。
「就職のこととは別にさ、落ち着いたら遊びに来いよ。一緒にテーブルトークしようぜ。それが、君がオレにできる最高のお礼だからさ」
「はい! 是非とも!」
騎馬組のレムとマドハト以外の全員が次々とショゴちゃんに乗り込んでくる。
「では出発します」
この屋敷の門までは操作魔法で動かしてほしいと運転席の魔石を満タンにしてもらっちゃったので、消費命の無駄使いに罪悪感を覚えつつも、十字キーと二つのボタンを操作する。
この運転席以外は、地球の電車の横長座席みたいな形状で、つり革みたいなのまで幾つか付いている。
サスペンションに加え、座席自体にも取り付けられた藁クッションが、ニュナム大通りの石畳から来る衝撃をかなり和らげてくれる。
「なんだ、この乗り心地! 他の馬車に乗れなくなっちまうな!」
メリアンが上機嫌なのは、昨晩のレーオ様との再会で盛り上がったテンションがまだ継続しているのかも。
再会のあと一ホーラほど、レーオ様がいろんな話を俺たちにしてくださったのだ。
レーオ様はかつて、メリアンが傭兵として参加した戦場でメリアンたちを率いた元上司であり、メリアンがタイマン模擬戦で勝ち越せていない数少ない相手なのだという。
レーオ様から与えられたリベンジ模擬戦の機会を、さすがに祭りの最中だからとメリアンは辞退してはいたが、体を動かさずに寿命の渦だけに行動意志を反映させるという、脳内で行う達人の模擬戦みたいなのをやっていたのを横で『魔力感知』していたときは、それを感じ取っていただけなのに俺まですごい疲れてしまった。
ただ観戦だけでもとても勉強になったし、気がついたら拳を握りしめていたほど熱かった。
「勇猛なる雷姫」という二つ名を持っていたというレーオ様にも驚いたが、「噛み千切る壁」というメリアンの二つ名や実績を聞いて改めてその凄さを思い知った夜だった。
ナイト商会の門を出てしばらく進んだところで、メリアンが御者席へと移動する。
ショゴちゃんが北門前に到着すると、ここまでついてきてくれたプラさんとムケーキさんが北門前に控えている領兵さんたちへ合図する。
朝日を横から浴びた白亜の北門がゆっくりと開かれる。
レーオ様のお付きだった猫種女性の領兵さんも一人、見送りに来てくれていた。
彼らと、どさくさ紛れに集まった祭りを楽しむ人たちとに手を振りながら、俺達が門の向こうへと出ようとしたとき、一人の男が駆け寄って――来ようとしたのをプラさんたちに取り押さえられた。
「あ、兄貴ぃ! あっしのことも連れてっておくれよぉ!」
兄貴?
明らかに俺よりも年上に見える山羊種の男に見覚えなんて――あああっ!
ウォッタやカーンさんたちに酷いことした四人組山羊種の唯一の生き残りか!
「つ、罪はちゃんと寿命を提出して償っただろぉ?」
「許可が出ているのは彼らだけだ」
「兄貴ぃ! 兄貴からも一言お願いだよぉ! あっし、兄貴に命を助けてもらって感謝してるんだっ! 何でもするから! 心を入れ替えるから! あっしも連れてってくれよぉ!」
落ち着いて、首を縦に振る。
ホルトゥスでは否定の意味。
そんな俺を待たずにメリアンはショゴちゃんを進ませ、北門を通り過ぎる。
「兄貴ぃ! きっと追いついて! お助けに参りやすぅぅぅ! あっしの名前はファウン! 以後お見知りおきをぉぉぉっ!」
ファウンの絶叫を閉じ込めるかのように、北門は再び閉じた。
これでいい。
ドマースやウォッタが同行していた時だってかなり神経をすり減らしたんだ。
気を使わないといけない相手は増えないにこしたことはない。
「リテル、この馬車は、揺れないのだな」
「いやはや、ナイト商会の技術とやらはすごいのですね」
ルブルムもロッキンさんも、ファウンのことなどなかったかのようにショゴちゃんの乗り心地を確かめている。
元の世界での乗り物の乗り心地からしたらまだかなり揺れている方なのだが、こちらの普通の馬車に比べると格段に極上に感じる。
ナイトさんはいずれ貴族用の馬車も作ると言っていたが、これは絶対に需要あるだろうな。
「なあ、ルブルム、リテル……ラビツのことは黙っていたわけじゃないんだが……その、なんか言い出せなくてすまないな」
メリアンが、ようやくいつものテンションに戻った。
そういやラビツとの関係については傭兵仲間としか聞いてなかったな。
「なぜ謝る? メリアンには感謝してる」
ルブルムが言う通り、俺もメリアンには感謝しかない。
ラビツがしたこととメリアンとは別なんだ。
つーか、婚約者が居るのに娼婦宿で遊びまくるとかホルトゥスの価値観は乱れているのかと一瞬思いもしたが、恋人のためにヴィルジナリスの誓いを立てているロッキンさんとかもいるし、ただ単にラビツが節操のないスケベなだけっぽい。
ちなみにヴィルジナリスというのは、処女とか童貞みたいな意味なんだけど、地球の同様の言葉とはちょっとニュアンスが違っていて、こちらの世界における一般的な妊娠期間である三十とミンクー週の間、性行為をしなければ再び獲得できる称号のようなものらしく、ただ単に「よそで子作り行為をしていませんよ」的な感じのようだ。
あと、このミンクー・ネレラスタというのは十進換算すると四十七。ホルトゥスの一週は六日間なので、十進の日数換算だと二百八十二日。地球の妊娠期間と変わら――えっと。同じなのか?
十月十日って一ヶ月は何日で計算するんだろうっていう話を丈侍の家でしてたとき、丈侍のお母さんが妊娠期間の場合は一月を四週で計算するから二十八日って言ってたんだよな。となると二百九十日になるからほぼ同じか。
脳内で十進と十二進との違いに苦労しながら計算しているうちに、ニュナムの白壁ももう見えなくなっていた。
ショゴちゃんは順調に街道を北上する。
この先、北部戦線を管理するトゥイードル濁爵領の領都ギルフォドへは、ニュナムから馬車で四日ほど。
とりあえずここも四日の行程を三日で追いつこう大作戦で進めている。
昼食は、リリさんに持たされた蒸しジャガイモ。
乗ったままの食事にも、揺れの少なさは大いに貢献してくれている。
本当にありがとうナイト商会!
しかも付け合せって渡された木製の小さな容器に入っているの、自家製マヨネーズ!
手渡されるときに「昼で食べきってね」と言われてたから皆、たっぷりめに付けて堪能している。
すごいな。マヨネーズってこちらでも作れるのか。
俺は料理はさっぱりだから素直に感動。
元の世界で読んでいた異世界モノとかでも、食べ物で儲けたり活躍したりする内容のを見てたときは普通の学生とか一般人にあのレベルの細かい知識なんてないだろ、なんてツッコんでたけどさ。
実際にこうして口にすることができると、外部検索に頼らない人の知識には感動を覚えるし、俺は元の世界で何をぼんやり生きていたんだろうって思ったりする。
帰りに寄ったときにはマヨネーズの作り方を是非とも教えてもらおう。
「そういえば、私の父の治めるフライ濁爵領もここからそう遠くない。時間にゆとりがあれば、寄っていってもらいたかったのだが」
ロッキンさんが指についたマヨネーズをなめながらそんな話をすると、ロッキンさんの婚約者にも会わせてよと盛り上がる。
「どんなところなんですか」
「平原と丘が多い。騎乗用の馬を育てているよ。私の上下の兄弟も皆、騎士としての修練を積んでいて、ここだけの話、弟たちも私よりずっと戦闘に慣れている。私はね、本当は騎士ではなく世界図書館で働きたかったんだ」
世界図書館は、ナイトさんの奥さん、リリさんのお父様、ハドクス紫爵様が司書長をしていると教えてもらったところ。
ロッキンさんが珍しく自分語りをするなーと思っていたら、そういうことか。
ラトウィヂ王国北部に位置するルイース虹爵領は、トゥイードル濁爵領の西に位置し、ギルフォドがまだギルフォルド王国領だった頃はラトウィヂ王国の最前線だったらしい。
ギルフォドから馬車で一日半の場所に城塞都市ゴルドアワが、そこからさらに二日行くとルイース虹爵領の領都アンダグラがあって、アンダグラの世界図書館の蔵書量は王都の王立図書館以上との噂もある――ロッキンさんの熱弁が止まらない。
昨晩、皆で夕飯をいただいたとき、既にリリさんがハドクス紫爵様のご息女だということを知っていた俺たちが特に触れなかったがために、ロッキンさんがその事実を知ったのは出発間際だったのだ。
どれだけ自分が世界図書館へ思い入れがあるのかと語り続けるロッキンさんを見ていると、ちょっと申し訳ない気持ちにすらなる。
もしもラビツに早めに追いつけたなら、そして問題が解決したならば、ストウ村へと戻る前に世界図書館へ寄るというのも素敵だよな。
俺みたいな魔術特異症から魂を分離して別の体に片方だけ移す方法とか、せめてヒントだけでも見つけられるかもしれない。
そのときはロッキンさんに引き続き護衛をお願いしてみようかな。
「馬車が見えた。追い抜くぞ」
御者席のメリアンの声によりロッキンさんのトークタイムが終了した。
御者席側の幌を少しだけ開けて確認する――遠目でも分かる。かなりのオンボロ馬車。
「ラビツたちが乗っている可能性ってあるかな?」
「王冠祭を避けて脱出したってんなら、しかも馬車に乗ってるんなら、あれは別物な可能性が高い。念のためあたしが声かけしてみるよ」
どんどん近づき、追いつき、並ぶ。
間近で見ると、どれだけ激しい戦地をくぐり抜けてきたんだろうと驚かされる大傷があちこちに付いているのが確認できる。
幌にまで大きな裂け目があるし、雨が降ったらびしょ濡れだろうな。
そんなボロ馬車の御者は猿種。
中にはもう一人、猿種、それから馬種が二人、あとは両生種。
『魔力感知』を使わずとも肉眼でも確認できそうなくらいだが、隠れている可能性と感知を気付かれる可能性を考慮して『魔力微感知』で。
伝わってくる寿命の渦の緊張した感じが一般人っぽくない。
しかも馬種の片方には不自然な気配を感じる。
感情が乗っていないというか――まさか獣種を偽装の渦している?
自分の偽装の渦を確認する。
あんなあからさまに作り物感は出ていないよね?
普通の猿種。時折、感情は乗せるようにしている。
ともあれ、こんな歴戦のツワモノ感がある馬車に、恐らく魔術師も乗っているだろう事実も含め、気を引き締め直す。
「お先に失礼するよ」
メリアンが向こうの御者に挨拶し、ショゴちゃんの速度が上がる。
こちらはレムの騎馬、ショゴちゃん、マドハトの騎馬と一列になって街道の端っこに寄りつつ、追い越しのために速度をさらに上げる。
ところが、俺たちが抜いたと思ったタイミングで向こうも突然スピードを上げてきた。
ロッキンさんは後ろ幌の隙間からマドハトに前側へ回るように指示し、後ろ幌の内側に矢避けの板を起こして留める。
「メリアン、俺が御者を代わる」
エクシが御者席に移動すると、ロッキンさんも一緒に御者席へと移動する。
ロッキンさんの馬をショゴちゃんへと並走させ、マドハトの手を持って御者席へと引っ張り上げると、今度はロッキンさん自身が馬へと飛び移る。
並走での騎馬の乗り手交換か。これ、ゆとりが出たらちょっと練習させてもらいたいな。
「攻撃の気配はまだ感じないが、ちょっと怪しい万が一ってこともあるからな」
御者席から戻ってきたメリアンがルブルムと俺の顔を見ながら装備の確認を始める。
確かに向こうの寿命の渦からは攻撃の意志は感じられないのだが、怒りというか悲しみというか、そういう感情は感じるんだよな。
そして実際、向こうはさらにスピードを上げている。
何かの意図があるはずなんだ。
俺も弓をいつでも使えるよう位置取りをすると、軽く矢をつがえてみる。
緊張が高まる中、オンボロ馬車は少しずつショゴちゃんを追い抜いてゆく。
ただ明らかにオーバーペースだ。
あの速度だとすぐに馬がバテそうなのが目に見えている。
馬の寿命の渦にはもう疲労が現れているし。
当然のように、一瞬だけリードしたオンボロ馬車の速度が落ち始める。
結果的に再びこちらが追い抜く形になる――と、また頑張って抜かしに来る。
向こうの馬たちが可哀想だ。
痛々しい馬車チェイスが何度か行われたあと、向こうの御者席にもう一人の猿種が出てきた。
「すまんね! くだらねぇ遊びで無駄に馬を疲れさせちまった! お詫びに酒の一杯でも奢るから、休憩でも取らねぇか?」
こちらも御者席の所から顔を出し、男の顔をちらりと覗いてぎょっと――しかけたがなんとか表情は平静を保てた――と思う。
というのも男が変なものを被っていた。
それはまるで、折り紙で作った兜のように見えた。
こちらの武器防具についてはルブルムが学んだ知識を『テレパシー』で分けてもらっているが、少なくともその知識の中にはあんなのはなかった。
というか、あのデザイン、やっぱり折り紙の兜だよな?
材質は金属ぽかったけど。
ショゴちゃんの中へと引っ込み、小声でルブルムに告げる。
「またツテかもしれない」
俺、レムのお母さん、ナイトさんに続き、四人目。
しかも折り紙ときたらまた日本人転生者かもしれない?
「ツテを見つけたのに、リテルの表情はどうして暗い」
ルブルムが俺の顔を見つめながら小声で尋ねる。
兜を被っていた猿種、表情は笑顔だったのだけど、さっきから寿命の渦に怒りや悲しみが混ざっているというのが、まさしくその人なのだ。
俺たちに対して怒りや悲しみを感じる理由ってなんだ?
今この方向に走っているということは、彼らは昨日の夜はニュナム近辺に居たということか?
ニュナムの門は閉ざされていた。どこで夜を明かしたのだろうか。
まさか門が閉められたニュナムへ俺たちが特別に入っていくところを見ていたとか?
いや、祭りに参加できなかったってだけであんな怒りや悲しみを抱くだろうか。
兜の人以外は、見える限りではあのような怒りは感じない。
だとしたら個人的な恨み?
遭遇する直前は、そういう負の感情はなかった。
いつからだ?
メリアンが声をかけて――そのちょっとあとあたりから?
抜かされるのが悔しい?
いや、そんなことじゃあれほど深そうな感情は抱かないよな?
あとルブルムは向こうの感情までは見えていなさげ、というのも課題だな。
後でちょっと勉強会をした方が良さげ――というのは置いといて。
今はどうするかだ。
「やっかいだな」
小声でそう呟いたメリアンが俺の顔を見る。
メリアンは『気配感知』であちらの感情の変化に気付いているっぽい。
それだけ繊細な変化に気づけるメリアンが、「ツテ」について一切聞いてこないことも実はちょっと気にはなっている。
隠語として用意して俺とルブルムとレムしか用いていないこの「ツテ」という表現のことをメリアンはどう思っているのだろうか。
そろそろメリアンにも伝えておくべきなのだろうか。
ただ、メリアンとラビツの婚約を知った今は、メリアン経由でラビツに情報が流れることを警戒しなければならないし、メリアン自体は信用できても正直ラビツは軽そうで信用できない。
娼婦と遊ぶときにネタとして消費されて、そこからまた別の客へ伝わって――そんなことまで考えてしまう。
ルブルムに伝える言葉を選ぶ。
「見たことのない兜を被っていて、あと怒ってるようだ」
馬の蹄の音や、馬車の出す音で向こうには聞こえないとは思うが、並走しているのと、向こうにも魔術師がいるということとで、伝達一つにやけに緊張する。
「悪いけど急いでいるんだ! それに私は酒を嗜まない!」
ロッキンさんが騎馬を、向こうのオンボロ馬車の進行を妨害するかのようにその手前に移動しながら返事した。
俺たちの意見を待たずに答えちゃった感じだが、正直それが一番いい方法かもと心の中で同意する。
今まで、元の世界から来た人ならば無条件に仲良くなれるつもりでいたけれど、あの人の押し殺したような怒りと悲しみには、足を踏み入れたらいけない何かを感じてしまう。
「そうか! 残念だ!」
兜の男は馬車の中へと戻る。
やがて少しずつ向こうとの距離は広がってゆき、起伏のある道を進むうちに見えなくなった。
「馬が予定以上に疲れている。どこかで早めに休憩を入れたほうがいいかもしれない」
御者席のエクシが溜息をつく。
「追いつかれたくはないけどなぁ。なんかとても怒っていた奴がいたし」
「ですね」
「私はわからなかった」
ルブルムはさっきからずっと俺のすぐ近くに居る。
どことなく不安げな表情で、申し訳程度に俺の袖をずっと握っている。
「やり方、教えるよ」
その後、騎馬組はレムとエクシとが交代し、メリアンが再び御者席へ。
ルブルムとレム、そして今回はマドハトにも、俺の覚えた『魔力感知』の細かな制御方法、それから魔法代償を常時貯めておく方法をも教えるべく『テレパシー』を使った。
三人同時は初めてだったが、イメージとしては脳内USBポートを一つ増やすだけだったので、二人同時接続と同様に手こずらずにいけた。
物理時間にしてはわずかな間だったが『テレパシー』の扱える情報量のおかげで勉強会はかなり捗った。
レムはもちろん、初めてつながったマドハトも大喜びで、『魔力感知』の詳細バージョンを練習しだす。
ところがルブルムだけは浮かない顔のまま。
「ルブルム、どうしたの?」
「私は、リテルより先輩なのに、カエルレウム師匠の教えをリテルほど守れていない。この頃、思考が止まることが多い」
「何か悩みでもあるの?」
ルブルムは俺の右手を両手でぎゅっと握りしめた。
「リテルが居なくなったらどうしようと考えてしまう。そうすると他のことを考えられなくなる」
俺も、一瞬、思考が止まった。
ナイトさんの「セイシュンだな」って言葉が耳の奥にこだまする。
「なんか聞こえちまったんだけどさ」
フリーズしていた俺の代わりに答えてくれたのは御者席のメリアンだった。
「そうやって手や思考を止めることで、判断が遅れて大事なものを失うかもって考えてみなよ」
ルブルムは肩を震わせる。
「あとはな、時々でいいから、今なにか起きたらどう行動する、ってのをあらかじめ予想しておくんだ。何かあってから考えるんじゃなく、何かあったときに、既に考えてあった幾つかの中から最高の一つを選択、って感じにできたらいいじゃないか」
「メリアン、ありがとう」
その「ありがとう」は、ルブルムとレムと二人の声が揃った。
「メリアン、ありがとうです」
少し遅れてから、マドハトも。
マドハトが珍しく真面目な顔をしている。
「僕、ずっと、楽しいことばかり考えて生きてくって思っていたです。昔はそうだったです。でも、今はわかったです。楽しく生きるには、楽しくないことも、考えなきゃいけないってことがわかったです」
マドハトは俺の顔を見て笑う。
あのマドハトがこんなことを言うなんて。
そうだよな。
マドハトは犬のハッタじゃない。
顔は似ているけれど、一人の人間なんだ。
皆には本当にいろんなことで助けられている。感謝しかない。
そんな俺も改めて、紳士であらねばと心に誓う。
「さてと。あいつら、多分用があるのはあたしにだ。ちょっと思い出したこともあってね。今後のことを考えると、一度どこかでちゃんと顔を向き合わせなきゃいけないと思うんだ。申し訳ないが、ちょっとだけ時間もらってもいいかな」
メリアンの要望をルブルムは了承し、少しひらけた場所を探して馬車を止め、馬たちを休ませる。
俺たちもショゴちゃんを降り、ルブルムたちへさっき教えた消費命の常駐を指導する。
さほど時間が経たないうちに、さっきの馬車が追いついてきて、停まった。
「あらら、休憩かい? 俺たちのせいかな?」
さっきの折り紙兜みたいなのを被った猿種の男が御者をしている。
「まあね。さっき随分熱心に誘ってくれたじゃないか。その気持を足蹴にするのはやっぱり申し訳ないと思ってね」
メリアンは明るく返事をする。
「悪いねぇ」
折り紙兜は馬車の中に声をかけて何か革袋を受け取り、御者席から降りると笑顔でゆっくり近づいてきた。
さっきに比べて感情が押し殺されている印象だ。
猿種のあとには、馬種が二人――若い男と、初老の男。
初老の方は顎髭が長く伸び、寿命の渦も小さい。
だが特筆すべきは眼鏡。
存在自体は知識として教えてもらったけれど、実際の着用を見るのは初めて。
その後、小柄マッチョな両生種も続く――こいつも変な兜を被っている。
最初のやつの折り紙兜とはまた別の異様な形。
言い方悪いけど、カブトムシの被り物みたいな兜。
もしもメリアンがあの兜を着けでもしたら、きっと馬車の幌屋根に穴を開けちゃうだろう。
最後に、出会ったときに御者をしていた猿種が降りてきて、向こうは総勢五名。
「あれ? 見た感じ、どこぞの領兵さんっぽい格好をしていると思ったけど、揃ってないんだねぇ?」
言われてみればエクシはクスフォード虹爵領兵、レムとロッキンさんは名無し森砦――管轄は王国直轄だからラトウィヂ王国正規兵の格好だ。
メリアンと俺とルブルムとマドハトは明らかに領兵ぽくない格好だし。
「なんだい。そういうことは揃いの兜でも被ってから気にしなよ」
メリアンが挑発するように笑うと、向こうも表情だけは一応笑顔を保ったまま返してくる。
「いやいや。その領兵さんの管轄辺りで大きな盗賊団が暴れてたって聞いたからさぁ」
あー、盗賊団の残党が、戦いで死んだ兵士の装備を剥ぎ取った――とか言いたいのかな?
もしかして襲いかかるための口実を探している?
そこでメリアンが一歩前へと出た。
「おう。意味ねぇ前置きは抜きにしようぜ。用はあたしにあんだろ? その兜、思い出したよ。ウォーリントの内乱で敵方に見たやつだ」
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽に両親も含めた家族四人全員が眼鏡使用者。一緒にTRPGでも遊んでいた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
アイシスでもやはり娼館街を訪れていて、二日前にアイシスを出発していた。ギルフォドへ向かっている可能性が大。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種の体を取り戻している。
元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。最近は魔法や人生に真剣に取り組み始めた。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・『虫の牙』所持者
キカイー白爵の館に居た警備兵と思われる人物。
呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。
ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。
・エクシ(クッサンドラ)
ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種の先祖返り。ポメラニアン顔。
クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種の半返り。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。
現在は護衛として同行。婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。世界図書館に務めるのが夢。
・プラとムケーキ
ライストチャーチ白爵領の領兵。大の祭り好き。リテルたちの馬車と馬を預かってくれている。
・モノケロ様
昨年、ライストチャーチ白爵を継いだ三十三歳。武勲に優れる。
・レーオ様
モノケロの妻。猫種の半返り。武勲に優れる。傭兵メリアンの元上司。筋肉のすごい美人。
十年前のモノケロへのプロポーズが、王冠祭のきっかけとなった。ナイト商会とは懇意。二つ名は「勇猛なる雷姫」。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・リリ
ナイトの妻にしてハドクス紫爵の娘。もともとは魔術師組合で働いていた。
もうすぐ子供が生まれる。
・ハドクス紫爵
ラトウィヂ王国北部のルイース虹爵領、領都アンダグラにある世界図書館にて司書長をしている。
ナイト商会のスポンサーでもある。
・ファウン
ルージャグに襲われて逃げ出してきたクーラ村の子どもたちに酷いことをした山羊種四人組のうち、唯一の生き残り。罪は一応償った。リテルに命を助けられた恩義を感じ「兄貴」とのたまった。
・ボロ馬車の五人組
折り紙の兜みたいなのを被った猿種が笑顔の裏に怒りや悲しみを隠している。それ以外に猿種、馬種、馬種を偽装していそうな魔術師っぽい人、両生種の計五人。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ルージャグ
クーラ村を襲った魔獣。赤黒いボロ布をまとい、手当たり次第に人を捕らえて喰らう危険な女巨人。
その身長は普通の獣種の五、六倍はある。リテルにより無力化され、メリアンにトドメを刺された。
■ はみ出しコラム【ショゴちゃんのヒミツ】
ナイト商会のトップにして発明家、地球名「喜多山馬吉」の試作馬車。正式名称は「ショゴウキ号」で通称はショゴちゃん。
外見は普通の馬車だが、いろんな機能がある。
その機能については板表紙の操作マニュアルに記載されている。
ちなみにその板表紙のデザインは、地球の古いアニメの第一話に登場した「V作戦マニュアル」に酷似しているが、試作機元ネタとの一貫性はない。
その点についてはキタヤマ自身も「略してショゴちゃんって響きが言いたかっただけ」と認めている。
・主な装備
板バネによるサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納、魔力を流すことで様々な制御が行える操作ボタンのついた馬車内運転席、幌の内側に矢避けとなる板を展開可能な機構、など。
・操作マニュアル
以下のようなことが日本語で記載された羊皮紙が挟んである。
A+Bボタン同時押しのあと、以下のいずれかのキー操作により制御魔法が発動。このとき、制御魔法発動のための魔法代償が足りない場合、魔石が点滅する。ただし、魔石内の残存魔術の糧が全くない場合は、点滅も作動しないので注意。
十字キー上+Aボタン:道なりに前進……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー上+Bボタン:道なりに前進スピードアップ……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー右+Aボタン:道なりに右折……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー左+Aボタン:道なりに左折……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー下+Aボタン:ブレーキ……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー下+Bボタン長押し:ブレーキシュー革に、ゴムのような特性を一時的に付与するぞ! 急ブレーキだ!
十字キー左→右→Aボタン:クラクション。恐ろしげな魔獣の咆哮のような音が出るぞ!
十字キー右→左→Bボタン:馬とながえをつなぐくびきにセットされたガラス玉に光を灯すぞ!
十字キー下→右下→右→Aボタン:馬と本体をつなぐながえに仕込まれた矢が発射されるぞ! 全部で四本セットしてあるぞ!
十字キー下溜め→上→Aボタン:光学迷彩! といきたいところだが、魔法コスパが悪いので単に煙幕だ! 煙幕も四回分使うとメンテナンスが必要だぞ!
ちなみに仕込み矢は、以下の方法で自力セットできるぞ!
(手順の絵が描かれている)
・裏ワザ
とある有名な裏ワザコマンドを入力するととんでもない機能が炸裂するぞ!
外装射出、煙幕噴射、そして運転席だけを単独で上方射出するぞ! ちなみに運転席にはパラシュートがついているのでシートベルト着用必須だぞ!
けっこうな魔法代償が必要になるから気軽に使うなよ!
・ドクロボタン
最後の武器だ!
馬をくびきから解き放ち、ショゴウキ号自体が炎に包まれるぞ! 要は自爆ボタンだな!
ニュナムの誇る白壁加工は内側にも施されているようだ。
そんな時間だというのに街のあちこちからは陽気に歌や騒ぎ声が途切れることなく聞こえている。
まだ祭りの最中なのだということを五感で感じる。
馬のいななきが聞こえ、割れた人混みの中から俺たちの馬車が現れた。
御者席に座っているのは、ニュナムに入る時に一緒だったライストチャーチ白爵領の領兵、プラさんだ。
その後ろには同じく領兵のムケーキさんが、ロッキンさんとエクシの馬も連れてきてくれている。
「残念だな。祭りはまだ終わっていないというのに」
ムケーキさんが手綱をロッキンさんたちへ渡しながら眉尻を下げる。
「でも、十分に楽しめました」
「そうかい。また来てくれよ。ニュナムはいつでもあんたら、ルージャグ討伐の英雄たちを大歓迎するよ」
対ルージャグ戦ではこちらにも得るものがあった。
メリアンにおんぶに抱っこだった今までと違い、自分一人でもそれなりに戦えることがわかったし、瘴気への対処法も体感できた。
それに困っている人たちの助けになれたことは素直に嬉しい。
俺自身がこの世界に居てもいいのだと思える一助となった。
「こちらこそ、馬や馬車を預かってくださって助かりました」
その馬車から、ナイトさんの指示のもとメリアンとレムとが馬を外す。
「じゃあ、早速、ショゴちゃんに馬をつなぎ替えてくれ」
ショゴちゃん――ナイトさんの「バス号」作成前の試作機「ショゴウキ号」――見た目は普通の馬車と変わらないものの、板バネによるサスペンションと、藁クッション付き椅子、床下隠し収納、魔力を流すことで御者も馬もなしでブレーキをかけられる機能はじめ様々な制御が可能なコントローラー付きのスグレモノ。
この通称ショゴちゃんを俺たちの旅にと提供してくれたのだ。
ニュナムまで乗ってきた馬車についてはナイト商会で預かってくれるという。
「じゃあ、リテルくん。くれぐれも……」
ナイトさんが手渡してくれた板表紙の使用マニュアルだが、このデザイン、どこかで見覚えがある。
何かの古い人気アニメだったような。
「はい。ドクロボタンは最後の武器だ、ですね」
御者席とは別に、ショゴちゃんの内側右前あたりに進行方向を向いた座席が一つあり、その手前にいくつかのボタンが設置されている。
一番目立つ場所にある、どう見ても自爆ボタンっぽいデザインのドクロボタンには、間違って押さないようにと木製のカバーが取り付けられている。
このドクロボタン以外は、レトロゲームのコントローラーみたいな十字キーと二つのボタンで操作するらしい。
操作魔法に必要な魔法代償が足りなくなった場合、ドクロボタンの右にはめられた魔石に触れて消費命を注ぎ込むことで補充できるという機能までついている。
ゆくゆくはゴーレム系の魔術と融合させて遠隔操作できる「ナイトニセン号」も作りたいとか、人型に変形する「トランスフォーマー号」も作りたいとか意気込んでいたのを思い出す。
「就職のこととは別にさ、落ち着いたら遊びに来いよ。一緒にテーブルトークしようぜ。それが、君がオレにできる最高のお礼だからさ」
「はい! 是非とも!」
騎馬組のレムとマドハト以外の全員が次々とショゴちゃんに乗り込んでくる。
「では出発します」
この屋敷の門までは操作魔法で動かしてほしいと運転席の魔石を満タンにしてもらっちゃったので、消費命の無駄使いに罪悪感を覚えつつも、十字キーと二つのボタンを操作する。
この運転席以外は、地球の電車の横長座席みたいな形状で、つり革みたいなのまで幾つか付いている。
サスペンションに加え、座席自体にも取り付けられた藁クッションが、ニュナム大通りの石畳から来る衝撃をかなり和らげてくれる。
「なんだ、この乗り心地! 他の馬車に乗れなくなっちまうな!」
メリアンが上機嫌なのは、昨晩のレーオ様との再会で盛り上がったテンションがまだ継続しているのかも。
再会のあと一ホーラほど、レーオ様がいろんな話を俺たちにしてくださったのだ。
レーオ様はかつて、メリアンが傭兵として参加した戦場でメリアンたちを率いた元上司であり、メリアンがタイマン模擬戦で勝ち越せていない数少ない相手なのだという。
レーオ様から与えられたリベンジ模擬戦の機会を、さすがに祭りの最中だからとメリアンは辞退してはいたが、体を動かさずに寿命の渦だけに行動意志を反映させるという、脳内で行う達人の模擬戦みたいなのをやっていたのを横で『魔力感知』していたときは、それを感じ取っていただけなのに俺まですごい疲れてしまった。
ただ観戦だけでもとても勉強になったし、気がついたら拳を握りしめていたほど熱かった。
「勇猛なる雷姫」という二つ名を持っていたというレーオ様にも驚いたが、「噛み千切る壁」というメリアンの二つ名や実績を聞いて改めてその凄さを思い知った夜だった。
ナイト商会の門を出てしばらく進んだところで、メリアンが御者席へと移動する。
ショゴちゃんが北門前に到着すると、ここまでついてきてくれたプラさんとムケーキさんが北門前に控えている領兵さんたちへ合図する。
朝日を横から浴びた白亜の北門がゆっくりと開かれる。
レーオ様のお付きだった猫種女性の領兵さんも一人、見送りに来てくれていた。
彼らと、どさくさ紛れに集まった祭りを楽しむ人たちとに手を振りながら、俺達が門の向こうへと出ようとしたとき、一人の男が駆け寄って――来ようとしたのをプラさんたちに取り押さえられた。
「あ、兄貴ぃ! あっしのことも連れてっておくれよぉ!」
兄貴?
明らかに俺よりも年上に見える山羊種の男に見覚えなんて――あああっ!
ウォッタやカーンさんたちに酷いことした四人組山羊種の唯一の生き残りか!
「つ、罪はちゃんと寿命を提出して償っただろぉ?」
「許可が出ているのは彼らだけだ」
「兄貴ぃ! 兄貴からも一言お願いだよぉ! あっし、兄貴に命を助けてもらって感謝してるんだっ! 何でもするから! 心を入れ替えるから! あっしも連れてってくれよぉ!」
落ち着いて、首を縦に振る。
ホルトゥスでは否定の意味。
そんな俺を待たずにメリアンはショゴちゃんを進ませ、北門を通り過ぎる。
「兄貴ぃ! きっと追いついて! お助けに参りやすぅぅぅ! あっしの名前はファウン! 以後お見知りおきをぉぉぉっ!」
ファウンの絶叫を閉じ込めるかのように、北門は再び閉じた。
これでいい。
ドマースやウォッタが同行していた時だってかなり神経をすり減らしたんだ。
気を使わないといけない相手は増えないにこしたことはない。
「リテル、この馬車は、揺れないのだな」
「いやはや、ナイト商会の技術とやらはすごいのですね」
ルブルムもロッキンさんも、ファウンのことなどなかったかのようにショゴちゃんの乗り心地を確かめている。
元の世界での乗り物の乗り心地からしたらまだかなり揺れている方なのだが、こちらの普通の馬車に比べると格段に極上に感じる。
ナイトさんはいずれ貴族用の馬車も作ると言っていたが、これは絶対に需要あるだろうな。
「なあ、ルブルム、リテル……ラビツのことは黙っていたわけじゃないんだが……その、なんか言い出せなくてすまないな」
メリアンが、ようやくいつものテンションに戻った。
そういやラビツとの関係については傭兵仲間としか聞いてなかったな。
「なぜ謝る? メリアンには感謝してる」
ルブルムが言う通り、俺もメリアンには感謝しかない。
ラビツがしたこととメリアンとは別なんだ。
つーか、婚約者が居るのに娼婦宿で遊びまくるとかホルトゥスの価値観は乱れているのかと一瞬思いもしたが、恋人のためにヴィルジナリスの誓いを立てているロッキンさんとかもいるし、ただ単にラビツが節操のないスケベなだけっぽい。
ちなみにヴィルジナリスというのは、処女とか童貞みたいな意味なんだけど、地球の同様の言葉とはちょっとニュアンスが違っていて、こちらの世界における一般的な妊娠期間である三十とミンクー週の間、性行為をしなければ再び獲得できる称号のようなものらしく、ただ単に「よそで子作り行為をしていませんよ」的な感じのようだ。
あと、このミンクー・ネレラスタというのは十進換算すると四十七。ホルトゥスの一週は六日間なので、十進の日数換算だと二百八十二日。地球の妊娠期間と変わら――えっと。同じなのか?
十月十日って一ヶ月は何日で計算するんだろうっていう話を丈侍の家でしてたとき、丈侍のお母さんが妊娠期間の場合は一月を四週で計算するから二十八日って言ってたんだよな。となると二百九十日になるからほぼ同じか。
脳内で十進と十二進との違いに苦労しながら計算しているうちに、ニュナムの白壁ももう見えなくなっていた。
ショゴちゃんは順調に街道を北上する。
この先、北部戦線を管理するトゥイードル濁爵領の領都ギルフォドへは、ニュナムから馬車で四日ほど。
とりあえずここも四日の行程を三日で追いつこう大作戦で進めている。
昼食は、リリさんに持たされた蒸しジャガイモ。
乗ったままの食事にも、揺れの少なさは大いに貢献してくれている。
本当にありがとうナイト商会!
しかも付け合せって渡された木製の小さな容器に入っているの、自家製マヨネーズ!
手渡されるときに「昼で食べきってね」と言われてたから皆、たっぷりめに付けて堪能している。
すごいな。マヨネーズってこちらでも作れるのか。
俺は料理はさっぱりだから素直に感動。
元の世界で読んでいた異世界モノとかでも、食べ物で儲けたり活躍したりする内容のを見てたときは普通の学生とか一般人にあのレベルの細かい知識なんてないだろ、なんてツッコんでたけどさ。
実際にこうして口にすることができると、外部検索に頼らない人の知識には感動を覚えるし、俺は元の世界で何をぼんやり生きていたんだろうって思ったりする。
帰りに寄ったときにはマヨネーズの作り方を是非とも教えてもらおう。
「そういえば、私の父の治めるフライ濁爵領もここからそう遠くない。時間にゆとりがあれば、寄っていってもらいたかったのだが」
ロッキンさんが指についたマヨネーズをなめながらそんな話をすると、ロッキンさんの婚約者にも会わせてよと盛り上がる。
「どんなところなんですか」
「平原と丘が多い。騎乗用の馬を育てているよ。私の上下の兄弟も皆、騎士としての修練を積んでいて、ここだけの話、弟たちも私よりずっと戦闘に慣れている。私はね、本当は騎士ではなく世界図書館で働きたかったんだ」
世界図書館は、ナイトさんの奥さん、リリさんのお父様、ハドクス紫爵様が司書長をしていると教えてもらったところ。
ロッキンさんが珍しく自分語りをするなーと思っていたら、そういうことか。
ラトウィヂ王国北部に位置するルイース虹爵領は、トゥイードル濁爵領の西に位置し、ギルフォドがまだギルフォルド王国領だった頃はラトウィヂ王国の最前線だったらしい。
ギルフォドから馬車で一日半の場所に城塞都市ゴルドアワが、そこからさらに二日行くとルイース虹爵領の領都アンダグラがあって、アンダグラの世界図書館の蔵書量は王都の王立図書館以上との噂もある――ロッキンさんの熱弁が止まらない。
昨晩、皆で夕飯をいただいたとき、既にリリさんがハドクス紫爵様のご息女だということを知っていた俺たちが特に触れなかったがために、ロッキンさんがその事実を知ったのは出発間際だったのだ。
どれだけ自分が世界図書館へ思い入れがあるのかと語り続けるロッキンさんを見ていると、ちょっと申し訳ない気持ちにすらなる。
もしもラビツに早めに追いつけたなら、そして問題が解決したならば、ストウ村へと戻る前に世界図書館へ寄るというのも素敵だよな。
俺みたいな魔術特異症から魂を分離して別の体に片方だけ移す方法とか、せめてヒントだけでも見つけられるかもしれない。
そのときはロッキンさんに引き続き護衛をお願いしてみようかな。
「馬車が見えた。追い抜くぞ」
御者席のメリアンの声によりロッキンさんのトークタイムが終了した。
御者席側の幌を少しだけ開けて確認する――遠目でも分かる。かなりのオンボロ馬車。
「ラビツたちが乗っている可能性ってあるかな?」
「王冠祭を避けて脱出したってんなら、しかも馬車に乗ってるんなら、あれは別物な可能性が高い。念のためあたしが声かけしてみるよ」
どんどん近づき、追いつき、並ぶ。
間近で見ると、どれだけ激しい戦地をくぐり抜けてきたんだろうと驚かされる大傷があちこちに付いているのが確認できる。
幌にまで大きな裂け目があるし、雨が降ったらびしょ濡れだろうな。
そんなボロ馬車の御者は猿種。
中にはもう一人、猿種、それから馬種が二人、あとは両生種。
『魔力感知』を使わずとも肉眼でも確認できそうなくらいだが、隠れている可能性と感知を気付かれる可能性を考慮して『魔力微感知』で。
伝わってくる寿命の渦の緊張した感じが一般人っぽくない。
しかも馬種の片方には不自然な気配を感じる。
感情が乗っていないというか――まさか獣種を偽装の渦している?
自分の偽装の渦を確認する。
あんなあからさまに作り物感は出ていないよね?
普通の猿種。時折、感情は乗せるようにしている。
ともあれ、こんな歴戦のツワモノ感がある馬車に、恐らく魔術師も乗っているだろう事実も含め、気を引き締め直す。
「お先に失礼するよ」
メリアンが向こうの御者に挨拶し、ショゴちゃんの速度が上がる。
こちらはレムの騎馬、ショゴちゃん、マドハトの騎馬と一列になって街道の端っこに寄りつつ、追い越しのために速度をさらに上げる。
ところが、俺たちが抜いたと思ったタイミングで向こうも突然スピードを上げてきた。
ロッキンさんは後ろ幌の隙間からマドハトに前側へ回るように指示し、後ろ幌の内側に矢避けの板を起こして留める。
「メリアン、俺が御者を代わる」
エクシが御者席に移動すると、ロッキンさんも一緒に御者席へと移動する。
ロッキンさんの馬をショゴちゃんへと並走させ、マドハトの手を持って御者席へと引っ張り上げると、今度はロッキンさん自身が馬へと飛び移る。
並走での騎馬の乗り手交換か。これ、ゆとりが出たらちょっと練習させてもらいたいな。
「攻撃の気配はまだ感じないが、ちょっと怪しい万が一ってこともあるからな」
御者席から戻ってきたメリアンがルブルムと俺の顔を見ながら装備の確認を始める。
確かに向こうの寿命の渦からは攻撃の意志は感じられないのだが、怒りというか悲しみというか、そういう感情は感じるんだよな。
そして実際、向こうはさらにスピードを上げている。
何かの意図があるはずなんだ。
俺も弓をいつでも使えるよう位置取りをすると、軽く矢をつがえてみる。
緊張が高まる中、オンボロ馬車は少しずつショゴちゃんを追い抜いてゆく。
ただ明らかにオーバーペースだ。
あの速度だとすぐに馬がバテそうなのが目に見えている。
馬の寿命の渦にはもう疲労が現れているし。
当然のように、一瞬だけリードしたオンボロ馬車の速度が落ち始める。
結果的に再びこちらが追い抜く形になる――と、また頑張って抜かしに来る。
向こうの馬たちが可哀想だ。
痛々しい馬車チェイスが何度か行われたあと、向こうの御者席にもう一人の猿種が出てきた。
「すまんね! くだらねぇ遊びで無駄に馬を疲れさせちまった! お詫びに酒の一杯でも奢るから、休憩でも取らねぇか?」
こちらも御者席の所から顔を出し、男の顔をちらりと覗いてぎょっと――しかけたがなんとか表情は平静を保てた――と思う。
というのも男が変なものを被っていた。
それはまるで、折り紙で作った兜のように見えた。
こちらの武器防具についてはルブルムが学んだ知識を『テレパシー』で分けてもらっているが、少なくともその知識の中にはあんなのはなかった。
というか、あのデザイン、やっぱり折り紙の兜だよな?
材質は金属ぽかったけど。
ショゴちゃんの中へと引っ込み、小声でルブルムに告げる。
「またツテかもしれない」
俺、レムのお母さん、ナイトさんに続き、四人目。
しかも折り紙ときたらまた日本人転生者かもしれない?
「ツテを見つけたのに、リテルの表情はどうして暗い」
ルブルムが俺の顔を見つめながら小声で尋ねる。
兜を被っていた猿種、表情は笑顔だったのだけど、さっきから寿命の渦に怒りや悲しみが混ざっているというのが、まさしくその人なのだ。
俺たちに対して怒りや悲しみを感じる理由ってなんだ?
今この方向に走っているということは、彼らは昨日の夜はニュナム近辺に居たということか?
ニュナムの門は閉ざされていた。どこで夜を明かしたのだろうか。
まさか門が閉められたニュナムへ俺たちが特別に入っていくところを見ていたとか?
いや、祭りに参加できなかったってだけであんな怒りや悲しみを抱くだろうか。
兜の人以外は、見える限りではあのような怒りは感じない。
だとしたら個人的な恨み?
遭遇する直前は、そういう負の感情はなかった。
いつからだ?
メリアンが声をかけて――そのちょっとあとあたりから?
抜かされるのが悔しい?
いや、そんなことじゃあれほど深そうな感情は抱かないよな?
あとルブルムは向こうの感情までは見えていなさげ、というのも課題だな。
後でちょっと勉強会をした方が良さげ――というのは置いといて。
今はどうするかだ。
「やっかいだな」
小声でそう呟いたメリアンが俺の顔を見る。
メリアンは『気配感知』であちらの感情の変化に気付いているっぽい。
それだけ繊細な変化に気づけるメリアンが、「ツテ」について一切聞いてこないことも実はちょっと気にはなっている。
隠語として用意して俺とルブルムとレムしか用いていないこの「ツテ」という表現のことをメリアンはどう思っているのだろうか。
そろそろメリアンにも伝えておくべきなのだろうか。
ただ、メリアンとラビツの婚約を知った今は、メリアン経由でラビツに情報が流れることを警戒しなければならないし、メリアン自体は信用できても正直ラビツは軽そうで信用できない。
娼婦と遊ぶときにネタとして消費されて、そこからまた別の客へ伝わって――そんなことまで考えてしまう。
ルブルムに伝える言葉を選ぶ。
「見たことのない兜を被っていて、あと怒ってるようだ」
馬の蹄の音や、馬車の出す音で向こうには聞こえないとは思うが、並走しているのと、向こうにも魔術師がいるということとで、伝達一つにやけに緊張する。
「悪いけど急いでいるんだ! それに私は酒を嗜まない!」
ロッキンさんが騎馬を、向こうのオンボロ馬車の進行を妨害するかのようにその手前に移動しながら返事した。
俺たちの意見を待たずに答えちゃった感じだが、正直それが一番いい方法かもと心の中で同意する。
今まで、元の世界から来た人ならば無条件に仲良くなれるつもりでいたけれど、あの人の押し殺したような怒りと悲しみには、足を踏み入れたらいけない何かを感じてしまう。
「そうか! 残念だ!」
兜の男は馬車の中へと戻る。
やがて少しずつ向こうとの距離は広がってゆき、起伏のある道を進むうちに見えなくなった。
「馬が予定以上に疲れている。どこかで早めに休憩を入れたほうがいいかもしれない」
御者席のエクシが溜息をつく。
「追いつかれたくはないけどなぁ。なんかとても怒っていた奴がいたし」
「ですね」
「私はわからなかった」
ルブルムはさっきからずっと俺のすぐ近くに居る。
どことなく不安げな表情で、申し訳程度に俺の袖をずっと握っている。
「やり方、教えるよ」
その後、騎馬組はレムとエクシとが交代し、メリアンが再び御者席へ。
ルブルムとレム、そして今回はマドハトにも、俺の覚えた『魔力感知』の細かな制御方法、それから魔法代償を常時貯めておく方法をも教えるべく『テレパシー』を使った。
三人同時は初めてだったが、イメージとしては脳内USBポートを一つ増やすだけだったので、二人同時接続と同様に手こずらずにいけた。
物理時間にしてはわずかな間だったが『テレパシー』の扱える情報量のおかげで勉強会はかなり捗った。
レムはもちろん、初めてつながったマドハトも大喜びで、『魔力感知』の詳細バージョンを練習しだす。
ところがルブルムだけは浮かない顔のまま。
「ルブルム、どうしたの?」
「私は、リテルより先輩なのに、カエルレウム師匠の教えをリテルほど守れていない。この頃、思考が止まることが多い」
「何か悩みでもあるの?」
ルブルムは俺の右手を両手でぎゅっと握りしめた。
「リテルが居なくなったらどうしようと考えてしまう。そうすると他のことを考えられなくなる」
俺も、一瞬、思考が止まった。
ナイトさんの「セイシュンだな」って言葉が耳の奥にこだまする。
「なんか聞こえちまったんだけどさ」
フリーズしていた俺の代わりに答えてくれたのは御者席のメリアンだった。
「そうやって手や思考を止めることで、判断が遅れて大事なものを失うかもって考えてみなよ」
ルブルムは肩を震わせる。
「あとはな、時々でいいから、今なにか起きたらどう行動する、ってのをあらかじめ予想しておくんだ。何かあってから考えるんじゃなく、何かあったときに、既に考えてあった幾つかの中から最高の一つを選択、って感じにできたらいいじゃないか」
「メリアン、ありがとう」
その「ありがとう」は、ルブルムとレムと二人の声が揃った。
「メリアン、ありがとうです」
少し遅れてから、マドハトも。
マドハトが珍しく真面目な顔をしている。
「僕、ずっと、楽しいことばかり考えて生きてくって思っていたです。昔はそうだったです。でも、今はわかったです。楽しく生きるには、楽しくないことも、考えなきゃいけないってことがわかったです」
マドハトは俺の顔を見て笑う。
あのマドハトがこんなことを言うなんて。
そうだよな。
マドハトは犬のハッタじゃない。
顔は似ているけれど、一人の人間なんだ。
皆には本当にいろんなことで助けられている。感謝しかない。
そんな俺も改めて、紳士であらねばと心に誓う。
「さてと。あいつら、多分用があるのはあたしにだ。ちょっと思い出したこともあってね。今後のことを考えると、一度どこかでちゃんと顔を向き合わせなきゃいけないと思うんだ。申し訳ないが、ちょっとだけ時間もらってもいいかな」
メリアンの要望をルブルムは了承し、少しひらけた場所を探して馬車を止め、馬たちを休ませる。
俺たちもショゴちゃんを降り、ルブルムたちへさっき教えた消費命の常駐を指導する。
さほど時間が経たないうちに、さっきの馬車が追いついてきて、停まった。
「あらら、休憩かい? 俺たちのせいかな?」
さっきの折り紙兜みたいなのを被った猿種の男が御者をしている。
「まあね。さっき随分熱心に誘ってくれたじゃないか。その気持を足蹴にするのはやっぱり申し訳ないと思ってね」
メリアンは明るく返事をする。
「悪いねぇ」
折り紙兜は馬車の中に声をかけて何か革袋を受け取り、御者席から降りると笑顔でゆっくり近づいてきた。
さっきに比べて感情が押し殺されている印象だ。
猿種のあとには、馬種が二人――若い男と、初老の男。
初老の方は顎髭が長く伸び、寿命の渦も小さい。
だが特筆すべきは眼鏡。
存在自体は知識として教えてもらったけれど、実際の着用を見るのは初めて。
その後、小柄マッチョな両生種も続く――こいつも変な兜を被っている。
最初のやつの折り紙兜とはまた別の異様な形。
言い方悪いけど、カブトムシの被り物みたいな兜。
もしもメリアンがあの兜を着けでもしたら、きっと馬車の幌屋根に穴を開けちゃうだろう。
最後に、出会ったときに御者をしていた猿種が降りてきて、向こうは総勢五名。
「あれ? 見た感じ、どこぞの領兵さんっぽい格好をしていると思ったけど、揃ってないんだねぇ?」
言われてみればエクシはクスフォード虹爵領兵、レムとロッキンさんは名無し森砦――管轄は王国直轄だからラトウィヂ王国正規兵の格好だ。
メリアンと俺とルブルムとマドハトは明らかに領兵ぽくない格好だし。
「なんだい。そういうことは揃いの兜でも被ってから気にしなよ」
メリアンが挑発するように笑うと、向こうも表情だけは一応笑顔を保ったまま返してくる。
「いやいや。その領兵さんの管轄辺りで大きな盗賊団が暴れてたって聞いたからさぁ」
あー、盗賊団の残党が、戦いで死んだ兵士の装備を剥ぎ取った――とか言いたいのかな?
もしかして襲いかかるための口実を探している?
そこでメリアンが一歩前へと出た。
「おう。意味ねぇ前置きは抜きにしようぜ。用はあたしにあんだろ? その兜、思い出したよ。ウォーリントの内乱で敵方に見たやつだ」
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽に両親も含めた家族四人全員が眼鏡使用者。一緒にTRPGでも遊んでいた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
アイシスでもやはり娼館街を訪れていて、二日前にアイシスを出発していた。ギルフォドへ向かっている可能性が大。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種の体を取り戻している。
元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。最近は魔法や人生に真剣に取り組み始めた。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・『虫の牙』所持者
キカイー白爵の館に居た警備兵と思われる人物。
呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。
ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。
・エクシ(クッサンドラ)
ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種の先祖返り。ポメラニアン顔。
クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種の半返り。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。
現在は護衛として同行。婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。世界図書館に務めるのが夢。
・プラとムケーキ
ライストチャーチ白爵領の領兵。大の祭り好き。リテルたちの馬車と馬を預かってくれている。
・モノケロ様
昨年、ライストチャーチ白爵を継いだ三十三歳。武勲に優れる。
・レーオ様
モノケロの妻。猫種の半返り。武勲に優れる。傭兵メリアンの元上司。筋肉のすごい美人。
十年前のモノケロへのプロポーズが、王冠祭のきっかけとなった。ナイト商会とは懇意。二つ名は「勇猛なる雷姫」。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・リリ
ナイトの妻にしてハドクス紫爵の娘。もともとは魔術師組合で働いていた。
もうすぐ子供が生まれる。
・ハドクス紫爵
ラトウィヂ王国北部のルイース虹爵領、領都アンダグラにある世界図書館にて司書長をしている。
ナイト商会のスポンサーでもある。
・ファウン
ルージャグに襲われて逃げ出してきたクーラ村の子どもたちに酷いことをした山羊種四人組のうち、唯一の生き残り。罪は一応償った。リテルに命を助けられた恩義を感じ「兄貴」とのたまった。
・ボロ馬車の五人組
折り紙の兜みたいなのを被った猿種が笑顔の裏に怒りや悲しみを隠している。それ以外に猿種、馬種、馬種を偽装していそうな魔術師っぽい人、両生種の計五人。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ルージャグ
クーラ村を襲った魔獣。赤黒いボロ布をまとい、手当たり次第に人を捕らえて喰らう危険な女巨人。
その身長は普通の獣種の五、六倍はある。リテルにより無力化され、メリアンにトドメを刺された。
■ はみ出しコラム【ショゴちゃんのヒミツ】
ナイト商会のトップにして発明家、地球名「喜多山馬吉」の試作馬車。正式名称は「ショゴウキ号」で通称はショゴちゃん。
外見は普通の馬車だが、いろんな機能がある。
その機能については板表紙の操作マニュアルに記載されている。
ちなみにその板表紙のデザインは、地球の古いアニメの第一話に登場した「V作戦マニュアル」に酷似しているが、試作機元ネタとの一貫性はない。
その点についてはキタヤマ自身も「略してショゴちゃんって響きが言いたかっただけ」と認めている。
・主な装備
板バネによるサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納、魔力を流すことで様々な制御が行える操作ボタンのついた馬車内運転席、幌の内側に矢避けとなる板を展開可能な機構、など。
・操作マニュアル
以下のようなことが日本語で記載された羊皮紙が挟んである。
A+Bボタン同時押しのあと、以下のいずれかのキー操作により制御魔法が発動。このとき、制御魔法発動のための魔法代償が足りない場合、魔石が点滅する。ただし、魔石内の残存魔術の糧が全くない場合は、点滅も作動しないので注意。
十字キー上+Aボタン:道なりに前進……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー上+Bボタン:道なりに前進スピードアップ……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー右+Aボタン:道なりに右折……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー左+Aボタン:道なりに左折……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー下+Aボタン:ブレーキ……するように馬に指示を出すぞ!
十字キー下+Bボタン長押し:ブレーキシュー革に、ゴムのような特性を一時的に付与するぞ! 急ブレーキだ!
十字キー左→右→Aボタン:クラクション。恐ろしげな魔獣の咆哮のような音が出るぞ!
十字キー右→左→Bボタン:馬とながえをつなぐくびきにセットされたガラス玉に光を灯すぞ!
十字キー下→右下→右→Aボタン:馬と本体をつなぐながえに仕込まれた矢が発射されるぞ! 全部で四本セットしてあるぞ!
十字キー下溜め→上→Aボタン:光学迷彩! といきたいところだが、魔法コスパが悪いので単に煙幕だ! 煙幕も四回分使うとメンテナンスが必要だぞ!
ちなみに仕込み矢は、以下の方法で自力セットできるぞ!
(手順の絵が描かれている)
・裏ワザ
とある有名な裏ワザコマンドを入力するととんでもない機能が炸裂するぞ!
外装射出、煙幕噴射、そして運転席だけを単独で上方射出するぞ! ちなみに運転席にはパラシュートがついているのでシートベルト着用必須だぞ!
けっこうな魔法代償が必要になるから気軽に使うなよ!
・ドクロボタン
最後の武器だ!
馬をくびきから解き放ち、ショゴウキ号自体が炎に包まれるぞ! 要は自爆ボタンだな!
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