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#17 深夜の旅立ち
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「で? それだけじゃ説明足りないと思うんだけど」
「い、痛っ、痛いって」
どうして俺はケティに耳をつねりあげられているのだろうか。
「まあまあ、ケティ。リテルの説明におかしなところはなかったぞ」
今までずっと沈黙を守ってらしたマクミラ師匠がようやく話に加わってくださり初めて、ケティはようやく俺の耳から手を離した。不機嫌そうな口元はそのままだけど。
さすがに何から何まで詳しくは話せなかったが、ちゃんとスジが通るレベルでは話せたと思っている。
魔女様の家へ到着した直後、お客さんの出現を感知した魔女様に同行して魔物討伐に協力したこと。
モルモリュケーについてはマクミラ師匠から聞いたことがあったので、アルティバティラエとパイアについての情報も共有した。風呂上がりに服が乾くまでの間の時間を利用してカエルレウム師匠から色々と情報をいただいたので、生態や行動の細かな特徴も伝えることができた。
その過程で魔法の使用に対する才能に気付いていただけて弟子入りしたこと。
でもマクミラ師匠に師事するのはこれまで通り続けたいこと。どちらの修行も中途半端にするつもりはないこと。
マドハトは、俺が命を助けたことで恩を感じてついてきていること。ルブルム先輩は魔術師としての先輩であること。
もちろん、魔物の返り血を落とすために高級品である洗い液を使わせていただいたことも隠さずに伝えた。ケティがしょっぱな「何かいい匂いするんだけど」って言ってきたから。
「それだけじゃないでしょ」
ケティがまた言った。今度は耳ではなく手をつかんで。
それ以上と求められても……横でリテルの両親やビンスン兄ちゃんも話を聞いているし、パイアに殺されかけた部分については心配をかけたくないからとあえて濁してるんだけどな。
ケティの顔が近くなり、俺の腕がケティの谷間に挟み込まれ、それから急に小声になった。
「私の腰紐どこにやったの? なんでルブルムさんとやらとお揃いの紐なの?」
「えっ」
なんて観察眼なんだ――じゃない。思考を止めるな。
「こっ、これは――魔物との戦いのときに攻撃を受けて――多分、そのときに腰紐が切れたんだと思うけど、怪我の話をしたら皆を心配させるかと思って黙ってて――で、でも、怪我は魔法で治していただいて……夜の森で、戦闘もあったし、切れて落ちた紐までは探すゆとりがなくて……そ、そんなわけなんだよ」
動揺で自分の偽装の渦の回転が止まりかけたのがわかる。
最初は回転リズムを呼吸に合わせてて、カエルレウム師匠から「意識で制御しやすい身体の律動と同期させると回転が不自然になる」とご指摘をいただいてからは鼓動に同期するようなんとか調整したんだけど、それでも精神的ダメージは偽装の渦に響くのか。気をつけないとな。
「ふーん。まあ、それが本当かどうかは見ていればわかるね」
ケティがようやく俺から離れてくれる。
周囲の人たちはリテルの家族含めてニヤニヤしている。
「ルブルムさん、リテル、それからマドハト、通行許可が出たよ!」
ザンダさん――領監さんが灯り箱を高く掲げながら小走りに近づいてきたのをこれ幸いと、俺は話題を変えた。
「ありがとうございます!」
何も知らずに旅を続けているラビツに追いつき、カエルレウム師匠が例の呪詛を解呪できる対抗呪詛を作っている間、足止めする係としてルブルム先輩と俺とが抜擢されたのだ。
人選発表のときあからさまにケティの機嫌が悪くなったので俺が無理やりマドハトもメンバーにねじ込んだのだが、この世界では領民が他領へ移動するには領主の許可が必要で、追加の通行許可発行に領監さんの手を煩わせてしまった。
「では魔術師免状を出してくれないか」
領監さんにうながされたルブルム先輩は腕をまくり、二の腕に着けていた革のベルトを外した。
裏側に白魔石がはめ込まれたこの革ベルトは、実は俺もカエルレウム師匠からいただいている。カエルレウム師匠の弟子の証らしい。
俺はまだ弟子見習いだけど、修行の末に正式な弟子として認められた場合、領都フォーリーでこの魔石の中に『魔術師免状』という魔術を格納してもらえるのだとか。
『魔術師免状』には、自分の師匠ならびに所属魔術師組合と連絡を取れる魔法や、魔術師組合や監理官の持つ魔法品により身分を証明できる魔法が格納されていて、今回はその身分証明へ一時的に俺とマドハトの身分証明も記録してくれるらしい。
次にカエルレウム師匠から別途渡された紫魔石へ三人分の表向きの通行証も記録していただく。
実は領監さんが領都へ連絡を取ったところ、ラビツがこの土地で呪詛に感染した事実が公になると大人の事情で色々と困ることになるため、表向きは不良品の魔法品を誤って渡してしまった魔術師組合の若手が追いかけている……という感じになるらしい。
あんまり詳しくは教えてもらえなかったが、「例えば領内で発生した魔物を領外へ逃してしまい、そこで被害が発生した場合、被害発生領の領主は魔物を逃した領主へ損害賠償を請求できる」ということらしい。
そのために異門が発生しやすい場所の近くには、カエルレウム師匠のように領主と契約した魔術師が常駐していることが多いのだそうだ。逆に言えば、カエルレウム師匠は寄らずの森から不用意に離れてはいけないとのこと。
あと、呪詛の原因も寄らずの森の魔女にあるのはマズイということで、カリカンジャロスに濡れ衣を着せることになっており、これらのことはカエルレウム師匠とルブルム先輩、俺とマドハト、領監さんしか知らない。王監さんにまで秘密らしいので、本当にドキドキする。
「記録したよ」
領監さんが返してくださった紫魔石をルブルム先輩は小さな革袋へ入れ、革鎧の内側収納へしっかりとしまい込む。
三人分の通行許可をルブルム先輩一人に持たせるのは、個別行動をさせないためっぽい。
「こっちもいつでも出発できるよ!」
テイラさんが馬車の準備を終えたことを告げる。
市が立つ日ではないが、領都フォーリーまではテイラさんが送ってくれることに。
俺はもう一度装備を確認する――マドハトが拾っておいてくれたおかげで弓も無事だったし、矢も補充して二十本、テニール兄貴からは小さなナイフを隠すことができる革のすね当てをナイフ付きで貸してもらった――よし。
ルブルム先輩とマドハトに続いて馬車の荷台へと乗り込み、ストウ村の皆に手を振る。
カエルレウム師匠と一緒に狼の王様の背に乗っているケティにも。
呪詛解析のために感染者一名に魔女様の家まで来てもらうという話が出た時、ただ一人手を挙げたのがケティだった……実際にはもう一人、ハグリーズさんがスケベそうな顔で手を挙げたのだけれど、ハグリーズさんには前科があるので粗相があってはいけないとケティが選ばれた。
ケティは俺をじっと見つめていたが、馬車が出発するよりも早く狼の王様は森の方へと走り去った。
見送った視線をそのまま空へと移す。
いつの間にか西の空へ昇ってきていた双子月が今日は満月だった。
双子月。
そういや丈侍が熱弁していたな。スター・ウォーズの一番最初に世に出た作品で、場所の説明には特に言葉を費やさず、いきなり太陽を二つ登場させることで言外に「地球ではない」ことを告げるこの手法がかっこいい、とか。
俺は素直に驚嘆したし、そういうことを見抜ける洞察力にシビレて憧れもしたわけだけど、まあ結局は丈侍のお父さんの受け売りだったって後でバラされたっけ……丈侍、俺、魔法を覚えたよ……お前に見せてぇなぁ。
「リテルは知り合いが多いんだな」
ルブルム先輩がぽつりともらす。
そりゃリテルはここで育ったから――でも俺は違う。知り合いどころか家族も居るけれど、俺も先輩と同じように疎外感に近いものを感じている――俺が異物であるという自覚を。
そういや元の世界でも家では異物だった。
母さんは音楽以外の全てを音楽に全振りしちゃったような人なので、何につけ音楽の才能で俺たち姉弟を測っていた。才能がなかった俺は早々に習い事を辞めさせられて以降、母さんの視界にほぼ入っていない。
姉さんは自分にも他人にも厳しい人――と言えば聞こえがいいが、才能がない人は努力していない人扱い。俺は常に見下され努力が足りないと頭ごなしにこき下ろされ続けた。無視してくれる母さんの方がまだマシだと思えるほど。
英志は音楽の才能があって要領も良くておまけにイケメンで学業もスポーツも万能でとにかく魅力と名のつくものを何でも持っている。一つ違いなのもあって口さがないクラスメイトには「どっちが兄貴かわからないよな」ってよくからかわれたっけ。小さい頃は仲良かったのに最近は英志の声なんて「ヒマでいいよね」しか聞いてない。
父さんは仕事大好きで海外出張が多いのもあって基本は家に居ない。後を継げとか勉強しろとか言わないのはありがたいけど、家族としての交流がほとんど無くてこれといった想い出もない。あの母さんとどうやって結婚したのか不思議だけど、母さんが海外公演のときに海外で一緒にメシ食ってるっぽいから夫婦仲は悪くないんだと思う。
あの家に居た時は、家族との関係なんて考えたくもなかった。
それを今これだけ冷静に向き合えているというのは、距離を置けたから、なのかな。
深呼吸を一つ。
切り替えよう。カエルレウム師匠からルブルム先輩のことをよろしく頼むとおおせつかったからね。
「ルブルム先輩なら、村に顔を出していればすぐに知り合い増えますよ」
「そうか。私は珍し」
「び、美人だからです!」
ルブルム先輩の言葉を遮らなくちゃと焦って、とんでもないことを口走ってしまった。
カエルレウム師匠から指示されたのは、ルブルム先輩が何かにつけする言い訳「自分はホムンクルスだから」をしなくなるよう協力してほしいというもの。
「ホムンクルスであることを公言するなと伝えてはあるが、ルブルムのことだから公言ではなく一人相手に言うのであればかまわないとか、ホムンクルスという単語を使わなければ問題ないとか、表面的な思考に陥る可能性が高い」って事前に伝えられていたまさにその通りの状況だったから。
いやでも「美人です」はないよなと自嘲する。
そんな俺に追い打ちをかけるようにテイラさんが口笛を吹いた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・英志
有主利照の一つ違いの弟。音楽の才能があり要領も良くイケメンで学業もスポーツも万能。
幼い頃は仲良かったが、ハッタを拾ってきたあたりから当たりが強くなった。
・(有主利照の)姉さん
才能がない人は努力していない人として厳しくあたる。自分に対しても厳しい。
・(有主利照の)母さん
音楽以外の全てを音楽に全振りしちゃったような人。子供を音楽の才能でしか測らない。
利照に音楽の才能がないとわかってからは興味を失った。
・(有主利照の)父さん
仕事大好きで海外出張も多く家庭にあまり興味がなさげだが、妻とは仲が良いようである。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ビンスン兄ちゃん
リテルの兄。部屋も一緒。猿種、十八歳。リテルとは同じ部屋。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
ゴブリン時代にリテルに助けられたことを恩に感じついてきた。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。「自分はホムンクルスだから」を言い訳にしがち。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
魔法の使い方を教えてほしいと請うたリテルへ魔法について解説し始めた。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽と、彼の父とともにTRPGに興じることもあった。モンスター豆知識を教えてくれた。
■ はみ出しコラム【ハグリーズの前科】
ストウ村一の絶倫と名高いハグリーズは村外れの水車小屋の管理を任されている粉挽き職人である。
比較的豊かなストウ村の中でも裕福な部類に入る。
リテルやケティの幼馴染であるエクシの父でもあるハグリーズは、ストウ村で現在生活している村人の中では唯一の前科者である。その罪状は「偽婚約罪」。
・偽婚約罪
ありていに言えば浮気である。
ホルトゥスにおいては重婚が認められているが、それは第二、第三のパートナーを養うだけの財力がある場合に限られる。
自身が婚姻しているにも関わらず、それ以外の相手と複数回の関係を結んだ場合、その相手を追加のパートナーとして新しい婚姻を成立させなければならないが、それが不可能である場合、偽婚約罪として魔法代償が徴収される。
偽婚約罪については婚姻者側に罰金も発生し、財産が少ない場合は「寿命売り」で工面しなければならない。
また、互いに婚姻を結んでいる者同士の場合、罰金は発生せず、即座に偽婚約罪となる。
ハグリーズの場合、ストウ村にて木こりの夫を病気で亡くした若い未亡人と逢瀬を重ねていた。
未亡人には子供がいなかったため、財産的には切り詰めれば第二夫人を持てなくはなかったのだが、第一夫人の猛烈な反対に遭い、婚姻不成立となり、偽婚約罪が適用された。
未亡人の方は、ハグリーズからもらった罰金にて領都へ移り住んだため、最初から罰金目当てで誘ったとの見方もある。
・重婚
一夫多妻のみならず一妻多夫の場合もある。
男女問わず財産のある者が扶養者を増やすのはおかしくないという考え方に基づいている。
・未婚の「浮気」
婚姻関係にないパートナー同士の場合、婚約を周知している場合は偽婚約罪が適用されることもあるが、そのようなケースは一般的な話ではなく、例えば貴族や裕福な家に婿なり嫁なりとして入る予定の者が他所で遊んでいる場合など、本来は養われる側であるのにそれをわきまえないケースなどに限られる。
・証拠としての子供
子供の獣種は、両親の獣種のどちらかをほぼ半々の確率で引き継ぐという統計結果は、庶民の間にも知れ渡っている。
そのため浮気の際は、夫婦どちらかの獣種と浮気相手の獣種とを合わせるというのが浮気あるあるである。
「い、痛っ、痛いって」
どうして俺はケティに耳をつねりあげられているのだろうか。
「まあまあ、ケティ。リテルの説明におかしなところはなかったぞ」
今までずっと沈黙を守ってらしたマクミラ師匠がようやく話に加わってくださり初めて、ケティはようやく俺の耳から手を離した。不機嫌そうな口元はそのままだけど。
さすがに何から何まで詳しくは話せなかったが、ちゃんとスジが通るレベルでは話せたと思っている。
魔女様の家へ到着した直後、お客さんの出現を感知した魔女様に同行して魔物討伐に協力したこと。
モルモリュケーについてはマクミラ師匠から聞いたことがあったので、アルティバティラエとパイアについての情報も共有した。風呂上がりに服が乾くまでの間の時間を利用してカエルレウム師匠から色々と情報をいただいたので、生態や行動の細かな特徴も伝えることができた。
その過程で魔法の使用に対する才能に気付いていただけて弟子入りしたこと。
でもマクミラ師匠に師事するのはこれまで通り続けたいこと。どちらの修行も中途半端にするつもりはないこと。
マドハトは、俺が命を助けたことで恩を感じてついてきていること。ルブルム先輩は魔術師としての先輩であること。
もちろん、魔物の返り血を落とすために高級品である洗い液を使わせていただいたことも隠さずに伝えた。ケティがしょっぱな「何かいい匂いするんだけど」って言ってきたから。
「それだけじゃないでしょ」
ケティがまた言った。今度は耳ではなく手をつかんで。
それ以上と求められても……横でリテルの両親やビンスン兄ちゃんも話を聞いているし、パイアに殺されかけた部分については心配をかけたくないからとあえて濁してるんだけどな。
ケティの顔が近くなり、俺の腕がケティの谷間に挟み込まれ、それから急に小声になった。
「私の腰紐どこにやったの? なんでルブルムさんとやらとお揃いの紐なの?」
「えっ」
なんて観察眼なんだ――じゃない。思考を止めるな。
「こっ、これは――魔物との戦いのときに攻撃を受けて――多分、そのときに腰紐が切れたんだと思うけど、怪我の話をしたら皆を心配させるかと思って黙ってて――で、でも、怪我は魔法で治していただいて……夜の森で、戦闘もあったし、切れて落ちた紐までは探すゆとりがなくて……そ、そんなわけなんだよ」
動揺で自分の偽装の渦の回転が止まりかけたのがわかる。
最初は回転リズムを呼吸に合わせてて、カエルレウム師匠から「意識で制御しやすい身体の律動と同期させると回転が不自然になる」とご指摘をいただいてからは鼓動に同期するようなんとか調整したんだけど、それでも精神的ダメージは偽装の渦に響くのか。気をつけないとな。
「ふーん。まあ、それが本当かどうかは見ていればわかるね」
ケティがようやく俺から離れてくれる。
周囲の人たちはリテルの家族含めてニヤニヤしている。
「ルブルムさん、リテル、それからマドハト、通行許可が出たよ!」
ザンダさん――領監さんが灯り箱を高く掲げながら小走りに近づいてきたのをこれ幸いと、俺は話題を変えた。
「ありがとうございます!」
何も知らずに旅を続けているラビツに追いつき、カエルレウム師匠が例の呪詛を解呪できる対抗呪詛を作っている間、足止めする係としてルブルム先輩と俺とが抜擢されたのだ。
人選発表のときあからさまにケティの機嫌が悪くなったので俺が無理やりマドハトもメンバーにねじ込んだのだが、この世界では領民が他領へ移動するには領主の許可が必要で、追加の通行許可発行に領監さんの手を煩わせてしまった。
「では魔術師免状を出してくれないか」
領監さんにうながされたルブルム先輩は腕をまくり、二の腕に着けていた革のベルトを外した。
裏側に白魔石がはめ込まれたこの革ベルトは、実は俺もカエルレウム師匠からいただいている。カエルレウム師匠の弟子の証らしい。
俺はまだ弟子見習いだけど、修行の末に正式な弟子として認められた場合、領都フォーリーでこの魔石の中に『魔術師免状』という魔術を格納してもらえるのだとか。
『魔術師免状』には、自分の師匠ならびに所属魔術師組合と連絡を取れる魔法や、魔術師組合や監理官の持つ魔法品により身分を証明できる魔法が格納されていて、今回はその身分証明へ一時的に俺とマドハトの身分証明も記録してくれるらしい。
次にカエルレウム師匠から別途渡された紫魔石へ三人分の表向きの通行証も記録していただく。
実は領監さんが領都へ連絡を取ったところ、ラビツがこの土地で呪詛に感染した事実が公になると大人の事情で色々と困ることになるため、表向きは不良品の魔法品を誤って渡してしまった魔術師組合の若手が追いかけている……という感じになるらしい。
あんまり詳しくは教えてもらえなかったが、「例えば領内で発生した魔物を領外へ逃してしまい、そこで被害が発生した場合、被害発生領の領主は魔物を逃した領主へ損害賠償を請求できる」ということらしい。
そのために異門が発生しやすい場所の近くには、カエルレウム師匠のように領主と契約した魔術師が常駐していることが多いのだそうだ。逆に言えば、カエルレウム師匠は寄らずの森から不用意に離れてはいけないとのこと。
あと、呪詛の原因も寄らずの森の魔女にあるのはマズイということで、カリカンジャロスに濡れ衣を着せることになっており、これらのことはカエルレウム師匠とルブルム先輩、俺とマドハト、領監さんしか知らない。王監さんにまで秘密らしいので、本当にドキドキする。
「記録したよ」
領監さんが返してくださった紫魔石をルブルム先輩は小さな革袋へ入れ、革鎧の内側収納へしっかりとしまい込む。
三人分の通行許可をルブルム先輩一人に持たせるのは、個別行動をさせないためっぽい。
「こっちもいつでも出発できるよ!」
テイラさんが馬車の準備を終えたことを告げる。
市が立つ日ではないが、領都フォーリーまではテイラさんが送ってくれることに。
俺はもう一度装備を確認する――マドハトが拾っておいてくれたおかげで弓も無事だったし、矢も補充して二十本、テニール兄貴からは小さなナイフを隠すことができる革のすね当てをナイフ付きで貸してもらった――よし。
ルブルム先輩とマドハトに続いて馬車の荷台へと乗り込み、ストウ村の皆に手を振る。
カエルレウム師匠と一緒に狼の王様の背に乗っているケティにも。
呪詛解析のために感染者一名に魔女様の家まで来てもらうという話が出た時、ただ一人手を挙げたのがケティだった……実際にはもう一人、ハグリーズさんがスケベそうな顔で手を挙げたのだけれど、ハグリーズさんには前科があるので粗相があってはいけないとケティが選ばれた。
ケティは俺をじっと見つめていたが、馬車が出発するよりも早く狼の王様は森の方へと走り去った。
見送った視線をそのまま空へと移す。
いつの間にか西の空へ昇ってきていた双子月が今日は満月だった。
双子月。
そういや丈侍が熱弁していたな。スター・ウォーズの一番最初に世に出た作品で、場所の説明には特に言葉を費やさず、いきなり太陽を二つ登場させることで言外に「地球ではない」ことを告げるこの手法がかっこいい、とか。
俺は素直に驚嘆したし、そういうことを見抜ける洞察力にシビレて憧れもしたわけだけど、まあ結局は丈侍のお父さんの受け売りだったって後でバラされたっけ……丈侍、俺、魔法を覚えたよ……お前に見せてぇなぁ。
「リテルは知り合いが多いんだな」
ルブルム先輩がぽつりともらす。
そりゃリテルはここで育ったから――でも俺は違う。知り合いどころか家族も居るけれど、俺も先輩と同じように疎外感に近いものを感じている――俺が異物であるという自覚を。
そういや元の世界でも家では異物だった。
母さんは音楽以外の全てを音楽に全振りしちゃったような人なので、何につけ音楽の才能で俺たち姉弟を測っていた。才能がなかった俺は早々に習い事を辞めさせられて以降、母さんの視界にほぼ入っていない。
姉さんは自分にも他人にも厳しい人――と言えば聞こえがいいが、才能がない人は努力していない人扱い。俺は常に見下され努力が足りないと頭ごなしにこき下ろされ続けた。無視してくれる母さんの方がまだマシだと思えるほど。
英志は音楽の才能があって要領も良くておまけにイケメンで学業もスポーツも万能でとにかく魅力と名のつくものを何でも持っている。一つ違いなのもあって口さがないクラスメイトには「どっちが兄貴かわからないよな」ってよくからかわれたっけ。小さい頃は仲良かったのに最近は英志の声なんて「ヒマでいいよね」しか聞いてない。
父さんは仕事大好きで海外出張が多いのもあって基本は家に居ない。後を継げとか勉強しろとか言わないのはありがたいけど、家族としての交流がほとんど無くてこれといった想い出もない。あの母さんとどうやって結婚したのか不思議だけど、母さんが海外公演のときに海外で一緒にメシ食ってるっぽいから夫婦仲は悪くないんだと思う。
あの家に居た時は、家族との関係なんて考えたくもなかった。
それを今これだけ冷静に向き合えているというのは、距離を置けたから、なのかな。
深呼吸を一つ。
切り替えよう。カエルレウム師匠からルブルム先輩のことをよろしく頼むとおおせつかったからね。
「ルブルム先輩なら、村に顔を出していればすぐに知り合い増えますよ」
「そうか。私は珍し」
「び、美人だからです!」
ルブルム先輩の言葉を遮らなくちゃと焦って、とんでもないことを口走ってしまった。
カエルレウム師匠から指示されたのは、ルブルム先輩が何かにつけする言い訳「自分はホムンクルスだから」をしなくなるよう協力してほしいというもの。
「ホムンクルスであることを公言するなと伝えてはあるが、ルブルムのことだから公言ではなく一人相手に言うのであればかまわないとか、ホムンクルスという単語を使わなければ問題ないとか、表面的な思考に陥る可能性が高い」って事前に伝えられていたまさにその通りの状況だったから。
いやでも「美人です」はないよなと自嘲する。
そんな俺に追い打ちをかけるようにテイラさんが口笛を吹いた。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・英志
有主利照の一つ違いの弟。音楽の才能があり要領も良くイケメンで学業もスポーツも万能。
幼い頃は仲良かったが、ハッタを拾ってきたあたりから当たりが強くなった。
・(有主利照の)姉さん
才能がない人は努力していない人として厳しくあたる。自分に対しても厳しい。
・(有主利照の)母さん
音楽以外の全てを音楽に全振りしちゃったような人。子供を音楽の才能でしか測らない。
利照に音楽の才能がないとわかってからは興味を失った。
・(有主利照の)父さん
仕事大好きで海外出張も多く家庭にあまり興味がなさげだが、妻とは仲が良いようである。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。
・ビンスン兄ちゃん
リテルの兄。部屋も一緒。猿種、十八歳。リテルとは同じ部屋。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
ゴブリン時代にリテルに助けられたことを恩に感じついてきた。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。「自分はホムンクルスだから」を言い訳にしがち。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
魔法の使い方を教えてほしいと請うたリテルへ魔法について解説し始めた。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽と、彼の父とともにTRPGに興じることもあった。モンスター豆知識を教えてくれた。
■ はみ出しコラム【ハグリーズの前科】
ストウ村一の絶倫と名高いハグリーズは村外れの水車小屋の管理を任されている粉挽き職人である。
比較的豊かなストウ村の中でも裕福な部類に入る。
リテルやケティの幼馴染であるエクシの父でもあるハグリーズは、ストウ村で現在生活している村人の中では唯一の前科者である。その罪状は「偽婚約罪」。
・偽婚約罪
ありていに言えば浮気である。
ホルトゥスにおいては重婚が認められているが、それは第二、第三のパートナーを養うだけの財力がある場合に限られる。
自身が婚姻しているにも関わらず、それ以外の相手と複数回の関係を結んだ場合、その相手を追加のパートナーとして新しい婚姻を成立させなければならないが、それが不可能である場合、偽婚約罪として魔法代償が徴収される。
偽婚約罪については婚姻者側に罰金も発生し、財産が少ない場合は「寿命売り」で工面しなければならない。
また、互いに婚姻を結んでいる者同士の場合、罰金は発生せず、即座に偽婚約罪となる。
ハグリーズの場合、ストウ村にて木こりの夫を病気で亡くした若い未亡人と逢瀬を重ねていた。
未亡人には子供がいなかったため、財産的には切り詰めれば第二夫人を持てなくはなかったのだが、第一夫人の猛烈な反対に遭い、婚姻不成立となり、偽婚約罪が適用された。
未亡人の方は、ハグリーズからもらった罰金にて領都へ移り住んだため、最初から罰金目当てで誘ったとの見方もある。
・重婚
一夫多妻のみならず一妻多夫の場合もある。
男女問わず財産のある者が扶養者を増やすのはおかしくないという考え方に基づいている。
・未婚の「浮気」
婚姻関係にないパートナー同士の場合、婚約を周知している場合は偽婚約罪が適用されることもあるが、そのようなケースは一般的な話ではなく、例えば貴族や裕福な家に婿なり嫁なりとして入る予定の者が他所で遊んでいる場合など、本来は養われる側であるのにそれをわきまえないケースなどに限られる。
・証拠としての子供
子供の獣種は、両親の獣種のどちらかをほぼ半々の確率で引き継ぐという統計結果は、庶民の間にも知れ渡っている。
そのため浮気の際は、夫婦どちらかの獣種と浮気相手の獣種とを合わせるというのが浮気あるあるである。
応援ありがとうございます!
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