【完結】その同僚、9,000万km遠方より来たる -真面目系女子は謎多き火星人と恋に落ちる-

未来屋 環

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第10話 その味の名は平穏(後篇)

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「鈴木、おつかれ」

 振り返ると、そこにはスーツを少し着崩した背の高い男性が立っている。雪花は少しだけ表情を緩めた。

晴山はれやまくん、久し振り」

 雪花の言葉に、晴山も笑みを浮かべる。彼はそのまま雪花の隣に並んだ。

「総務課って大変だな。俺も今客先から戻ってきたから、避難するわ」
「そうなんだ。忙しそうだね」
「まぁ俺、デキる男だから」

 そう言って得意げな顔をする晴山に、雪花は思わずくすりと笑う。
 晴山は、雪花と同期入社だった。営業部には他にも同期が何人か配属されたが、一番の出世頭で既に係長になっている。本人もそれをわかっているのかたまに調子に乗った発言をすることもあるが、人懐っこい性格と文句のつけようのない営業成績で上からの受けも良く、同期のリーダー的存在だ。

 そのまま二人で9階の避難者の殿しんがりを務めた。1階まで降りると、既に7階・8階の従業員達は解散したらしく、思ったよりも人が居ない。時間がかかり過ぎてしまっただろうか――そう反省していると「おーい、鈴木」と浦河の声が響いた。
 顔を上げると、前方でヘルメットを被った浦河が手を振っている。
 雪花は隣の晴山に「じゃあまたね」と言い残して、足早に浦河の方に向かった。

「9階、これで全員か?」
「はい、時間かかってすみません」
「いや、別におまえのせいじゃねぇし。営業部はあいかわらずだな」

 そう言って浦河が隣に立っている鳥飼を見る。同じくヘルメットを被った鳥飼は、いつものように厳しい表情で口を開いた。

「私から営業部長には言っておく。稼ぎ頭とは言え、参加者も少ないしダラダラし過ぎだ。有事の際に何かあっては困るからな」

 そして雪花とは目を合わせずに、手元の手帳に何かしらを書き込む。眉間には皺が寄っていた。
 見れば見る程、あの日の鳥飼の姿は幻だったのではないかと思えてくる。今日の夜はどんな会合になるのだろう――楽しみなような怖いような、そんな複雑な気持ちを抱きながら、雪花は営業部の列の方に歩き出した。

「はい、営業部のみなさん、受注活動で大変お忙しい中ご協力ありがとうございました。帰りはエレベーター使ってもらっていいんで、フロアに戻った後は定時までしっかり働いてくださーい」

 スピーカーから発せられた浦河のとぼけた台詞に、営業部の列から笑いが洩れる。ぞろぞろとオフィスに向かって人々の足が向かう中で、一人離れて足早に雪花の方に向かってくる姿があった。晴山だ。
「晴山くん、どうしたの?」
 雪花が問うと、晴山は「さっき言うの忘れてた」と笑った。

「鈴木、今日の夜空いてる? 営業の同期会やるんだけど、良かったら鈴木も来ない?」
「あー……ごめん、今日は予定があるんだ」
「そっか、そうだよな。急に誘ってごめん」
 晴山はそう言った後、少しだけ考え込むような仕種しぐさをする。どうしたのだろう。雪花が首を傾げると、晴山がじっと雪花を見つめて、口を開いた。

「じゃあさ、鈴木。今度一緒に――」
「――セツカさん!」

 背後から上がった聞き慣れた声に思わず雪花は振り返る。その視界に入ったのは、足早にこちらに歩いてくるマークと、少し離れた所に立っている営業部の先輩達だった。
 その様子を見て、雪花は状況を瞬時に把握する。

「マークさん、避難訓練おつかれさまです。次の会議まで5分ないので、急いで戻りましょう!」

 そう呼びかけた後に振り返って、晴山に小さく頭を下げた。

「ごめん晴山くん、また今度」
「――おう」

 雪花はマークと共に駆け足でオフィスの中に入り、たまたま来ていたエレベーターに飛び乗る。ドアが閉まり、無事二人きりの空間となったところで、大きく息を吐いた。

「すみません、セツカさん。お話中だったのにお邪魔してしまいまして……」
 マークが申し訳なさそうな表情で頭を下げる。雪花は笑顔で「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「同期と喋っていただけですから。それよりマークさん、先輩達は大丈夫でした?」
「はい。話しかけられた時はどなたかわからなかったのですが、その内以前社員食堂で話しかけてきた方々だとわかりました」

 わからないのも無理はない。マークに以前渡した雪花お手製のキーパーソン名簿に先輩達の写真は入っていないのだ。判別できない相手に延々と話しかけられて、マークも気疲れしたことだろう。
 晴山との会話に気を取られて早々にマークを助けられなかったことについて、雪花は内心反省した。鳥飼と浦河もあの場では他の仕事で手一杯だったはずだ。
「途中途中で『ニホンゴワカリマセン』作戦も入れたのですが、丁寧に色々と説明して下さるので話を打ち切るのもいよいよ厳しくなってしまいまして」
 雪花は申し訳ない気持ちでマークの顔を見上げる。

 ――しかし、そんな雪花の思いとは逆に、マークの表情は穏やかだった。

「困っていたところでセツカさんの姿を見付けたので、思わず声をかけてしまいました。セツカさんが居てくれたお蔭で助かりました。ありがとうございます」

 そこまでマークが話したところで、エレベーターが7階に止まる。
 二人で総務課に戻ったところで、マークが雪花に手を差し出した。その手には、ラスクの小袋が握られている。

「――これは?」
「あの方々に頂きました。とてもおいしいそうです」

 そういえば、さっき先輩達がお客さんからもらったお菓子を持って行くと言っていた。このパッケージには見覚えがある。営業時代に食べた記憶がよみがえった。

「セツカさん、2枚入っているので、一緒に食べましょう」
「えっ、一緒に?」
「はい、1枚ずつ。おいしいものは、一緒に食べたらもっとおいしくなります」

 そう言って、マークが優しく口元を緩めた。
 その言葉に、一連の出来事でモヤモヤしていた雪花の心が、すっと軽くなる。雪花がこくりと頷くと、マークが袋を破いて1枚取り、残る1枚を手渡した。
 口にくわえて噛んでみる。サクリという音と共に、ほのかな甘さが口の中に広がった。隣の席でマークもラスクをかじり、その切れ長な目を見開いている。

 ――そう、おいしいのだ。このラスクは。
 でも、記憶の中の味よりも、もっとおいしい気がする。
 それは確かに、マークが言った通りかも知れなくて。

「マークさん、このおいしさで、何だか頑張れるような気がしてきました」
「はい、あの方々に感謝です。セツカさん、頑張りましょう」

 朝からバタバタしていたはずなのに、この部屋には穏やかな空間が満ちている。
 ――雪花はふふっと小さく笑った。


第10話 その味の名は平穏 (了)
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