【完結】その同僚、9,000万km遠方より来たる -真面目系女子は謎多き火星人と恋に落ちる-

未来屋 環

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第10話 その味の名は平穏(前篇)

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 ――本当においしいものが何かを、改めて知ることができました。


第10話 その味の名は平穏


 その日は朝から問合せが多く、雪花せつかはバタバタと業務に追われていた。
 マークとスカイツリーを観に行ってから半月程が経過し、今日はいよいよ鳥飼とりかい部長とマークの食事会だ。残業はできない。
 マークも目の前の業務に集中している。職場から頼まれる細々こまごまとした作業は、最近マークの担当になっていた。塵も積もれば山となるとは正にその通りで、これまで残業して対応していた分をマークが引き取ってくれたので、雪花の負担は少しずつ減ってきている。

 忙しいけどこれなら何とかなるかも――雪花がそう思った瞬間

『――火災発生、火災発生。ただ今、7階給湯室付近より火災が発生いたしました。ビル内にいるみなさんはエレベーターを使わず、南階段を使って速やかに避難してください』

 無機質な声が館内に響き渡る。
 雪花せつかは溜め息を吐いた。タイムリミットだ。
 隣に座っているマークが、雪花に真剣な眼差しを向ける。

「セツカさん、行きましょう」
「――そうですね。では私は9階の確認に行きますので、8階についてはお願いします」
「わかりました」

 そして二人は避難に使われていない北階段に向かい、雪花は8階でマークと別れ、もう1フロア上まで昇って行った。
 9階に到着すると、フロアにはまだ仕事中の従業員の数が多い。少し憂鬱な気分になりながらも、雪花は奥の席で座っている男性に声をかけに行った。

「すみません、総務課ですが……」

 雪花の声に、男性が顔を上げる。どうやら電話していたようで、不服そうに眉をひそめてみせた。雪花は「すみません」と小声で呟き、その隣の恰幅かっぷくの良い男性に顔を向ける。するとその男性が立ち上がり、手をパンパンと叩いて口を開いた。

「ほら、どうしても手が離せないやつ以外は、放送の指示に従って避難するように」

 その合図で、席に座っていた従業員達が一斉に立ち上がり、南階段の方へと雑談しながら向かっていく。雪花は胸をなで下ろしながら、恰幅の良い男性に「部長、ご協力ありがとうございます」と頭を下げた。
 バタバタと業務に追われていたせいで訓練開始のアナウンスを聞き逃してしまっていたことを反省しつつ、雪花はフロア全体を見回す。

 ――そう、今日はこのビルで避難訓練が行われることになっていた。
 20階あるオフィスビルの7階から9階を間借りしている雪花達の会社も、当然ビル全体で行われる防災訓練に参加することになっており、雪花とマークは総務課として、各フロアで避難が適切に行われるか確認する必要があった。

 7階には主に雪花達が所属する人事総務部や財務部をはじめとしたスタッフ部門が、8階にはかつて総務課長の浦河うらかわが在籍していたシステムエンジニアリング部が、そして9階には雪花の前職場である営業部が執務している。
 皆それなりに忙しい中なので、避難訓練で業務がストップされることを歓迎してはいないだろうが、一応おとなしく従う他階のメンバーに比べて、9階にいる営業部には先程のようにあからさまにそれをぶつけてくる人も居た。
 気が重くなかったと言えば嘘になる。それでも、マークにそのような役割をやらせたくないという思いもあり、雪花は自ら9階の担当を買って出た。

 先程の恰幅の良い男性――営業部長が号令をかけても、避難していない従業員が全体の3分の1程残っている。本当に業務に追われていそうな者は仕方ないと思いつつ、席でスマホをいじっているような輩を見ると、雪花は何だかもやもやとする。
 それでも、浦河から「そういうやつはほっとけ」と言われているので、見ないことにして南階段の方に向かった。
 すると、通り過ぎようとした席の方から「あれー?」と雪花よりも1オクターブ高い声が上がる。

「鈴木さんじゃない。マーク、元気?」

 振り返ると、そこには以前社員食堂でマークに話しかけてきた先輩女性社員達が居た。
 雪花は咄嗟に笑顔を作り「えぇ、まぁ」と答える。
「今日は居ないの?」
「居ますけど、避難中です」
 その回答に、彼女達は楽しそうな笑い声を上げた。

「あいかわらず鈴木さんって真面目で面白いよねー」
「マークも避難してるなら、私も避難しようかな」
「あ、この前お客さんからもらったお菓子持って行ってあげよっと」

 そして彼女達は立ち上がり、雪花の前を通り過ぎていく。
 少し釈然としない気持ちを抱きながらも、雪花は笑顔を崩さなかった。ここでどんなリアクションを取っても、彼女達に響くものはないだろう。理由が何であろうが、取り敢えず避難をしてくれるのであれば、それでいい。

 そして彼女達の後ろから付いて行こうとしたその時――背後から声が響いた。
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