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A「共犯者」

第9話 狼のアイデンティティ

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 赤ずきんが用意した衣類はどれも華怜(かれん)の丈にぴったり合っていた。そのことに若干の寒気を感じつつ、借り受けたシャツのデザインを見遣る。

 これも彼女のフード付きジャンパーと同様にパンクファッションに分類されるものだろうか? 胸元には狼のモチーフのプリントがされていて、正直かなり喧しいデザインだ。

「うん! やっぱりオオガミちゃんは可愛いから何を着ても似合うね。特に生真面目そうな君が、俗っぽい服を着るってのはなんか、こう唆ると言いますか……クラスの真面目な委員長が、チャラい彼氏の趣味に染まっていくような趣がありますなぁ」

「くっ……このハイレベルの変態めッ!」

 赤ずきんの頬は仄かに高揚していた。善良な〝表〟を自称する彼女であるが、今の様子を見る限り、その性根がまともかは疑わしく感じられる。

「はぁ……ひとまず、服を貸してくれたことと、傷の手当をしてくれたことは感謝するけど」

 そこまで言いかけて、ふと華怜は根本的な疑問を抱いた。彼女はどうして、重体の自分をここに運んだのであろうか?

 彼女からしてみれば、自分たち幻想人(フェアリスト)対策班は誤解したまま追いかけてくる煩わしい連中で。対応を誤れば、裏が犯した罪を着せられ、下手をすれば殺処分されるリスクだってある相手だ。

 ならば振りかかる火の粉を払うため、誤解したまま突っ込んできた華怜と交戦になったのも必然であって。そして、殺すつもりまではなかったからこそ、重体にある自分を介抱しようとした。

 ここまでならば、ある程度の理屈を通して納得できる。

 ただ、不明瞭なのはそこから先だ。彼女は、意識不明の自分を中破した十三号者ごと拉致したのだから。

 では、何故だ? 彼女だって逃亡中の身で、あの場にはすぐにでも辰巳(たつみ)警部たちが追いついてきたはず。そんな危機的な状況で邪魔にしかならない自分と十三号車を、わざわざ連れ去ったのか?

「貴女、何を企んでいるの?」

 彼女が、本当に重体だった華怜を案じていたと言うのなら、最低限の止血を済ませてその場に捨て置おけばいい。そうすれば大きな医療機関に運ばれ、より適切な処置を受けることができる。

 では、対策班に対する人質として拉致されたのか? 

 華怜は自身に対し、相応の価値があると考えている。ただ、その本当の価値を知る人間は、警察内部でも極小数に限定される。

(私の古巣を知らない辰巳警部たちにとって、私はただの部下でしかない……それに、こっちの赤ずきんだって、私の過去は知らない訳だし)

 華怜がああでもない、こうでもないと思考を巡らすのに対し、目の前の少女は薄い笑みを作っていた。

 金と銀の双眸を細めながらに、彼女はとあることを口にする。

「レッドフード」

「は……?」

「いつまでも赤ずきんって呼ばれ続けるのも抵抗があってさ。アイツとかなり紛らわしいし、私のことはカッコよく『レッドフード』って呼んでよ」

 どうやら、それは彼女が即興で考えたネーミングらしく。思いのほか気に入ったのか、赤ずきん改め、レッドフードは新しい自称にニヤついていた。

「わかった、レッドフード……それでどうして私を連れ去ったの? 現役の警察官を拉致するなんてリスクしかないのに」

 レッドフードはふざけた態度を貫いているが、それでも巧みに自らの異能を使いこなした様子を見る限り、頭の回転が鈍い方だとも思えない。

 ならば、彼女だって自らの選択に伴うリスクを当然理解しているはずだ。

「んー……理由は私がオオガミちゃんを連れ去った理由はシンプルだよ。ただ、私ばっかりが質問されるのもなぁ」

「勿体ぶるなら、こっちも実力行使せざるをえないけど」

「けどさ、私は幻想人にまつわる衝撃な真実を教えて上げたわけじゃん。ちょっと、フェアじゃないと思うんだよね」

「フェア……ね。わかったわよ」

 要は「今度は私の質問に答えろ」と言うことか。

「私は正直、オオガミちゃんに追われている時、本気で恐怖を感じたの。迫り来る気迫と言えばいいのかなぁ? 君たち人間からすれば幻想人は危険な連中で、警察官のオオガミちゃんが相応の敵意を抱くのも理解してるよ。ただ、あの時の君から感じたものはそれだけじゃない」

 それは苛烈な「殺気」であり、絶えず燃え続ける「憤怒」であり、異様な程の「執念」であったはず────

「オオガミちゃんの言動から鑑みるに、過去に赤ずきんの〝裏〟と因縁があったのは察せられるんだけどさ。君の胸の中にあるものはそれだけじゃない。あくまでもそれが一番強く向けられる対象が赤ずきんの〝裏〟なだけで、君は幻想人という存在そのものを憎んでるじゃないかな?」

「その理由を聞きたいのね」

「私だって一応は幻想人な訳だし。疑問に思うのも当然でしょ」

 優れた狼は、獲物に追いつけないと判断した時点で狩りを中断するという。だが、裏を返せば追いつく可能性がある限りは獲物を何処までだって追い続ける執念を持っていることになる。

 狼の瞳に宿る執念。それは華怜が瞳に宿すものと同じだ。

「二四六……レッドフード、貴女にこの数字の意味がわかる?」

「ん……何かのパスワードとか?」

 ヘッドフードは暫く悩んだ末に首を傾げたが「まぁ、そうだろう」としか思えなかった。

「今日までに赤ずきんに殺された被害者の数よ。殺されたのは皆、何処にでもいるような少年少女や、それに巻き込まれた家族だった」

 一〇年前に両親を奪われた華怜は復讐を決意し、その為の力を求め続けた。そんな過程の最中、赤ずきんの裏が起こした事件をファイリングし、日に日に増していく犠牲者の数を知った。

「誰にだって幸せになる権利があるの。そして、その権利は誰であろうとも踏み躙っていいものじゃない。増して、それが己の歪んだ快楽のためだなんて」

 二四六名。さらに近親縁者を加われば、赤ずきんに当然の権利を踏みにじられた人数のはもっと大きなものになるはずだ。

 華怜はその一人、一人を全て暗記した。

 世間を騒がせた凄惨なニュースも時が経てば、誰も話題に挙げなくなる。ただ、それでは被害者と残された遺族がいたという事実さえ忘れられてしまいそうで、だからこそ華恋は膨大な数の事件を自らの記憶へと焼き付けたのだ。

「この社会には当然の権利を踏み躙られた人たちがそれだけいる。けど、私はその事実に納得ができなかった。────赤ずきんだけじゃない、他者の権利を笑って脅かす連中を私は人と見做さない。そんな理不尽な連中は狩られるべき獣と同じだ」

 全ての「理不尽」を許さず、害獣は速やかに殺処分する。きっと、それこそが大上(おおがみ)華怜という人間を形成する一つのアイデンティティなのだろう。

 この内心を幻想人であるレッドフードに明かすのは、華怜からの宣誓でもあった。

 怪我の手当をしてもらった恩があると言えど、彼女もまた他者の権利を侵すような幻想人であれば容赦はしない。

「喉元に喰い付いてでも殺してやる」と言う、明確な意思表明である。

 では、そんな宣誓を受けたレッドフードはどんな感想を抱くのか。

「……ふふっ、良いじゃん」

 彼女の口から漏れたのは小さな笑みだった。しかも、それは次第に声の大きさを増していき、最後には腹を抱えて蹲りはじめた。

「最っ高だよ、オオガミちゃん! 君は本気で、他者の権利を踏み躙るような、そういう理不尽な連中を狩り尽くせると思ってるの?」

「思う、思わないじゃない……やるのよ。それが私の戦う理由だから」

「あははっ! まさかここまでの執念を抱いてたなんてね。正直私の期待以上だよ!」

 レッドフードは一人で盛り上がる。勝手に何度も頷いて、満足してしまう始末だ。

「私は貴女の質問に答えた。だから今度こそ私の質問に答えて貰うわよ」

「おっと、そうだったね。どうしてリスク込みでオオガミちゃんを拉致したか? 単刀直入に言うのなら、私の共犯者になって欲しいからだよ」

 彼女はそんなことをサラリと語る。

「……共犯者? ……それは本気で言ってるの、幻想人(貴女)が警察官(私)と?」

「そっ。私と手を組んで、赤ずきんの裏を殺す手伝いをして欲しいんだ」

 ◆◆◆

 警視庁特務課・幻想人対策班に籍を置く大上華怜巡査部長が、次に取るべき行動は速やかにレッドフードを連れて、辰巳警部たちに自身の無事を知らせることだった。

 ただ、己の直感といえば良いのだろうか? 「私と手を組んで」というレッドフードの誘いに、華怜の中の何かが揺れる。

「……バカ言わないでよ。私は私のやり方で赤ずきんを探す。それに一応、貴女と赤ずきんは表裏の関係性なんでしょ。だったら自らの片割れを殺す理由なんて、」

「あるよ。私の場合は完全に自分の為だけど。それでもアイツに死んで欲しいと思う、確かな動機があるんだ。表と裏で交わされる通信云々の話は覚えてるよね?」

 彼女が先ほど説明した通り、幻想人たちは互いから発せられる固有の通信信号で繋がっている。

 そして警視庁は、その通信信号を元に各幻想人をデータベースへと登録し、街中に設置したスキャナーや〈ウルフパック〉のセンサー類でそれを辿り、ターゲットを追い詰める。

「私たちの間でやり取りされる信号は、お巡りさんたちに『ここにいますよー!』って宣伝してるようなものなの。発信機を付けられた状態ってのが、イメージしやすいかな? その上で想像してみなよ。凶悪犯の赤ずきんがそんな煩わしい発信機をどうするか?」

 もしも自分が赤ずきんであったなら、その発信機をオフにしたいと思うはずだ。

 そして、この発信機の電源を落とす方法は一つ。信号をやり取りする自らの片割れを殺すことだ。そうすれば、赤ずきんは警察に捕捉されるリスクを完全に消し去ることができる。

「自らと片割れをそう簡単に殺そうと思えるだろうか?」という疑問が頭に浮かんだが、考えるだけ無駄だと思った。

 あの狩人気取りがその程度のことを気にするわけがないのだから。

「無抵抗なまま命を狙われるくらいなら、いっそ貴女から仕掛けてやろうってこと?」

「ピンポーン。さすが、お巡りさん。勘の鋭さはピカイチだね」

「茶化さないで……だったら、こうしましょう。貴女のことは事件の重要参考人ってことで保護して貰えないかを上層部に掛け合う。その上で私が赤ずきんに始末をつければ、万事解決でしょ」

 繰り返すが警視庁特務課・幻想人対策班に所属する大上華怜巡査部長が取るべき行動は速やかに元の群体へと帰還することだ。ここでレッドフードの誘いに乗せられて、スタンドプレーに走ることじゃない。

「なら、ちょっとアプローチを変えようかな。オオガミちゃん、君は正直このまま警察組織の一員として、本当に赤ずきんを追い詰めることができると思う?」

「……そんなの当然じゃない。……私たちは国家権力よ、組織の威信にかけてでも凶悪な幻想人 は追い詰めて、」

「けど、結局一〇年もアイツは野放しのままじゃん。それどころか幻想人犯罪の最前線たるオオガミちゃんたちですら、幻想人には表と裏の二人が存在することすら知らなかった。そんな状態で本当に狩るべきターゲットを追い詰めることが出来ると思ってるの?」

 レッドフードの主張には確かな芯が通っていた。

 そして彼女の主張は一つの事実だ。警察に寄せられる赤ずきんへの情報は年々減るばかりで、やっと姿を現したかと思えば、それも同じ顔をしたレッドフードというオチだった。

「オオガミちゃんたちは私たちのことを知らなすぎるんだよ」
 このまま一〇年先、二〇年先、警察組織に籍を置き続けたとして、赤ずきんと対峙できる瞬間は訪れるのだろうか? 

 そんな根本的な疑問が華怜の脳内を横切った。

「安心して。私ね、幻想人の知り合いも多いの。中には情報収集に長けた異能持ちだっているし、他にも赤ずきんのことでオオガミちゃんが知らない情報を幾つか持ってる」

「けど、私は幻想人対策班の一員で……〈ウルフパック〉十三号車のドライバーで」

「それで本当にいいの? オオガミちゃんの正義は、理不尽に他者の権利を踏み躙るような連中に向けるものなんでしょ?」

 レッドフードがグッと距離を詰めてきた。鼻先が触れ合いそうな距離まで近づけば、彼女の二色をした双眸のそれぞれに、自分の表情が映り込む。

「その正義は本当に今の居場所で、果たすことができるの?」

「ッ……!」

 そこに映るのは明らかに迷っている自分の姿だ。

 現状の警察組織に不満がないといえば嘘になる。では、警視庁特務課・幻想人対策班の大上華怜巡査部長としてでなく、ただの大上華怜として自分は何を選択すべきなのだろうか?

「私はさっきのやり取りで確信したよ。私の執念と、オオガミちゃんの執念があればどんな奴も追い詰めることができるって。もちろんすぐに答えを出せとも言わない。ただ、願わくばお互いの目的を果たすために、良い関係を結べないかな?」
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