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A「共犯者」

第10話 辰巳の陰鬱

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 レッドフードの持ち掛ける蠱惑的な誘い。それに華怜が揺れていたのと同時刻────

 辰巳鋼一郎(たつみこういちろう)は片っ端から、監視カメラの記録に目を通していた。その理由も単純明快なもので、「包囲網を突破した赤ずきんと、連れ去られてしまった部下の痕跡を探す」ためだ。

 辰巳の顔色は目に見えて悪くなっていた。眼窩の下はマッキーペンで引いたような隈ができて、頬も明らかに痩けている。悪人ツラに磨きが掛かったと言えばそうだが、当の本人からすれば少しも笑えそうにもなかった。

「大上(おおがみ)め……必ず戻ってこいって命令したのに。戻ってきたら始末書の山じゃ済ませないからな」

 あの夜、赤ずきんは自らの血液で両前脚を造形することにより、中破した三号車を強引に立ち上がらせた。かと思えば、その細身を運転席へと滑り込ませ、車体を操ってみせたのだ。

 まさか対幻想人(フェアリスト)の切り札とも言える〈ウルフパック〉を、その幻想人に利用されてしまうだなんて、考えたこともなかった。加えて、十三号車は軽量化と推進機の積載により、加速力を極限まで高めた仕様。それを駆るのが本来のドライバーである大上華怜(かれん)でなかったとしても、他の〈ウルフパック〉で追尾するには負の悪すぎる相手だ。

 結果として赤ずきんは逃亡に成功。警視庁特務課・幻想人対策班は一台の〈ウルフパック〉と一人の班員を拉致されることになった。

 それを受けて上層部からは速やかな赤ずきんの捕縛と、拉致された大上華怜巡査部長の保護を第一に命じられるも、進捗はこのザマだ。

 三日三晩を費やして、監視カメラの確認作業や周辺住民の聞き込みを行ったが目立った成果も出ていない。

「畜生……班長の俺がしっかりしなきゃいけないってのに……」

「まぁ、そう根を詰めすぎんな。タツ」

 向かいのデスクから、辰巳を気遣うような口調と共に中年の刑事が顔を覗かせた。浪岡大吾(なみおかだいご)警部、〈ウルフパック〉四号車のハンドルを握る対策班の班員である。

 寄せられた目撃情報の中から有用なものを精査し続けた彼の表情にも、疲労が色濃く滲んでいる。

「浪岡先輩こそ、人のこと言えるようなツラしてないっすよ。舎弟を殺されたばかりのヤーさんみたいっす」

「うるせぇ、俺たちデカは迫力のある顔をしててナンボなんだよ。愛想よく振る舞うのは地域課か広報課の連中にでも任せてりゃいいんだ」

 吐き捨てた浪岡は、辰巳よりも八つ上の先輩で、かつては彼の下で刑事のイロハを学ばせてもらった事もある大ベテランでもあった。

「ははっ……違いねぇや」

 対策班は比較的新しく組織されたチームであり、配備されてから間もない〈ウルフパック〉への機種適応には若手の方が向いていたという事情から、チームの班長こそ歳下の辰巳が務めているが、彼にはまだまだ学ばせて貰う事の方が多い。

 辰巳は疲労の溜まった眉間を抑えて、浪岡に話題を振ってみた。

「大上のヤツ……今頃何をしてるんですかね……」

「さぁな。ただ、奴っこさんの狙いが読めねぇのも確かだ」 

「奴っこさんの狙い……ですか?」

 浪岡の渋い顔がより険しいものに変わる。

「赤すぎんだよ。どうしてアイツはわざわざ大上を連れ去りやがった? 人質にするために連れ去ったとしたのなら、俺たちから逃げおおせた時点でとっくに用済みになるはずだろ?」

 用済みになったなら、華怜を手元に置いておく理由もない。バラして遺体を投棄するか、何かしらの交渉材料にする程度しか、彼女の身柄には使い道がないのだ。

 それなのに、赤ずきんはどうして彼女を連れ去ったのか? 幻想人の気まぐれと言ってしまえばそこまでだが、浪岡の疑念は確かに的を得たものだ。 

「はぁ……大上も大上だ。さっさと赤ずきんの元を抜け出して連絡の一つや二つを寄越せっつーの!」

「それは流石に厳しすぎるんじゃ……」

「アイツの能力の高さに関しては、お前の方がよく知ってるだろうよ。配属されてから一年近くずっと面倒見てた訳だし。それにこのまま、今回の一件が片付かなきゃ俺たちはいつ休めるのやら」

 浪岡は増え続ける業務を辟易していた。警察官という仕事柄、休日出勤や急な呼び出しだって仕方のないことは彼も理解してるはずだ。

 それでも彼がオーバーワークの類を露骨に嫌う理由を、辰巳は知っている。

「はぁ……このままじゃパパが嫌われちまうよ。来月は娘の誕生パーティーだってのに」

「美咲(みさき)ちゃんでしたよね。今幾つになるんでしたっけ?」

「五歳だよ。けど、ウチの娘は凄いんだぞ! もう平仮名とカタカナを覚えたんだ。メールだって打てるし、この間なんて『パパ頑張って!』なんてメッセージを送ってくれてさ」

 かつては「捜査一課の鬼」と呼ばれた浪岡の表情がだらしなく緩んだ。今の彼は紛れもない「親バカ」なのだ。

「その話なら、もう何度も聞きましたよ」

「あれそうだったか? それじゃあウチの娘が将来の夢に、パパのお嫁さんって言ってたことは」

「うっわ……娘さんの男の趣味、だいぶアレじゃないですか? 刑事で悪人ヅラってだけでも大概なのに、増して浪岡先輩を選ぶだなんて」

「悪人ヅラはテメェもだろうが」

「というか、ウチの人間はもれなく悪人ヅラっすね」

 と言いながらも、辰巳は彼の娘自慢を聞くのが嫌いではなかった。

 対策班は幻想人犯罪の最前線であり、今回のように歯痒い結果に直面する事もあれば、時には仲間の殉職だって覚悟しておかなければならない。だからこそ、こんな他愛のない世間話が心地よく聞こえてしまうのだろう。

 そんな少しの寄り道を経て、二人の話題はまた真面目な方向に戻ってきた。

「けど、何度も言うがあんまり根を詰めすぎんな。お前が直面している問題は大上の件だけじゃねぇんだから」

「えっと……それは彼のことでしょうか?」

 華怜のいない間に、対策班は一つの変化を受け入れていた。異例の措置ながらも、彼女の抜けた穴を埋めるべく補充の人材が一名、対策班に投入されたのだ。

「あぁ。これは俺の勘みたいなもんだが、アイツも大上と同じで、どこか底が見えねぇ。正直、不気味に感じてるくらいだ」

「とかなんとか言って、先輩は後輩の面倒を見るのが苦手なだけですよね……なんなら彼は優秀な刑事ですし、大上みたく危なっかしところもありませんし」

「さて、どうだかねぇ」

 すると、まるで示し合わせたかのようなタイミングでオフィスのドアが開かれ、一人の刑事が戻ってきた。

「やぁ、やぁ、皆さん方! 期待のスーパーエリート、猫下(ねこもと)巡査が只今、聞き込み調査より戻って参りましたよ!」

 開いているのか、閉じているのか疑わしい糸目の青年。その表情にどこか幼さを残した彼が、ちょうど話題に上がっていた人物─────猫下誠人(まこと)であった。
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