八百万町妖奇譚【完結】

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もちもちぷっちり

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旺仁郎は不思議に思っていた。なぜ、この閉ざされたもう一つの八百万町でこんなにも豊富に人の食べ物があるのかと。
 どうやら、この火の灯りでいくつかの植物は育つらしい。そしてその他の食材は、調達係なるものが集めてくるのだそうだ。
 彼らは外の暗がりのそこかしこに待機して、悪意を待つ妖に紛れ外の町に飛び出していく。その騒乱に隠れながら、人の町で物品を頂戴し、扉が閉まる前に急いで中に戻るという。
 もちろん異能者に見つかれば、良くて捕縛、多くの場合は討滅される。まさに、命懸けの所業である。
 調達係についてまわれば、運良く開いた扉から外に出られるかもしれない。しかし、どこで開くかわからない扉のために、多くの調達係が広い範囲で待機している。
 やはり、旺仁郎が開いた扉にタイミングよく辿り着くには名を呼んでもらう必要があるとヤマは言った。

「念の為、僕の羽織をかぶっていなさい。そして、エマを胸に抱いて。そうしていれば、モモちゃまの人の匂いは他の妖から気が付かれない」

 ヤマはそう言うと、旺仁郎の肩に自らの紺色の羽織をかけた。袖を通すと木綿素材で肌触りがよいが、旺仁郎には少し大きいようだった。
 この八百万町の商店は気まぐれに開いたり閉めたりするそうだ。ずっと橙色の灯りが灯るせいで、時間という概念が統一されていないらしい。
 だから、目覚めてから食べるのが朝食、そのあと腹が減ったら食べるのが昼食で、眠る前に最後に食べた食事が夕食なのだ。

「おっちゃん! コレと、コレ、あとそこのよくわからない黒いやつもちょうだい!」

 コマが店の主人に言うと、エマを胸に抱いた旺仁郎が指し示した物を次々に手持ちの籠に放り込んでいく。
 旺仁郎が作った食事をよほど気に入った様子で、他のものも作ってくれとせがまれた。 
 今はヤマ、コマ、エマと連れ立って、旺仁郎はこの不思議な八百万町の店を巡り、食材を買い揃えていた。
 あれもコレもとはしゃぐコマとエマに、ヤマはあまり一度に買いすぎるなと優しい声音で忠告をした。

「モモちゃまはいつ帰るかわからないんだ。あまりいろんなものを買いすぎても、僕じゃ切って焼くくらいしかできないからね」

 旺仁郎はその言葉に、朝食の前の不器用なヤマの姿を思い出した。今までは大根を切って焼いて食べていたのか。
 昼も夕も、食事を作るとコマもエマも腹がはち切れるのではないかと不安になる程の量を食べた。一方ヤマは落ち着き綺麗に箸を動かしていたが、それでも出した膳の全てを綺麗に平らげていた。

「モモちゃま。もし、モモちゃまがおうちにかえれなかったら、あたちがモモちゃまのおかあちゃまになってあげるわ」

寝る前の最後の食事を終えたあと、エマはうとうとと旺仁郎の膝の上で丸まって、その衣服にしがみついた。抱えるように腕を回してやると、胸元に頬を擦り付けている。

「エマ、そんなところで寝たら、モモちゃまが眠れないだろう?眠いなら自分の部屋に行きなさい」

 ヤマの言葉にエマは旺仁郎の腕の中でイヤイヤと首を振っている。

「モモちゃま、きょうはあたちがいっしょにねてあげる。だから、さみしくないわよ?いいこねモモちゃま」

 エマの様子にやれやれとヤマはため息に近い息を吐き、エマの体を旺仁郎から抱き上げようと手を伸ばした。旺仁郎はそのヤマの手にそっと触れ、構わないと首を振った。

「む! エマだけずるいぞ! 俺もモモと一緒に寝る」

 コマはそう言って旺仁郎の背中にしがみつき、肩のあたりに顎を置く。また首筋の辺りの匂いを嗅いでいるのだが、どうやらその辺りの香りが気に入っているようだ。

「コマはだめだ! この、前科ものめ」

ヤマは眉を吊り上げて、口をキュッと結んでみせる。

「もうしないって! 匂い嗅ぐだけ! 変なとこ触らないっ! なあ、いいだろモモ?」

 そうしてああだこうだと議論ののち、結局は全員で布団を並べて眠ることになった。
 旺仁郎の胸元にはエマが潜り込み、コマは相変わらず後ろに張り付き首の匂いを嗅いでいる。その向こうに横になったヤマは、コマの襟首をギュッと握りしめていた。

「なぁ、モモ。人間ってどんなやつ?」

 耳の近くでコマにそう問われ、旺仁郎は少々くすぐったい。しかし、彼に他の意図はないだろうことは、その様子からもわかっていたので、あまり粗雑にならないように静かに体を離して、少しだけ顔をそちらへ振り返った。
 胸元のエマは少し前から寝息を立てているが、ヤマは目を閉じているもののおそらく眠ってはいないだろう。

「優しい? 可愛い? モモは人間が好き?」

 旺仁郎はその全ての問いに、ゆっくりと確かに頷いた。するとコマは感嘆するような息を吐き、枕にぐいと顔を押し付けた。

「いいなぁ。羨ましいなぁ」

 ほとんど人と関わることを諦めているようなヤマに比べてて、コマやエマはまだその期待を捨てきれないようだ。
 微かに旺仁郎に残る人の気配に、母に甘える子供のように身を寄せている。
 おそらく旺仁郎自身の気配だけでなく、一緒に暮らしていた蓮や宗鷹、大成のものも感じとっているのだろう。

「コマ、一緒に眠るのは今日だけにしなさい。明日から町の外で扉を探すんだ。あまり気持ちを寄せては、モモちゃまが帰った後に寂しいのはお前だよ」
「わかってるよ、おやすみっ!」

 ヤマの言葉に投げやりに答えると、コマはばさりと布団に潜り込んだ。そしてその額をぎゅうと旺仁郎の背中につけた。
 胸に抱いたエマの温もりが心地よく、背中に張り付くコマの仕草が可愛らしい。
 やれやれと小さなヤマのため息を聞いたあと、旺仁郎はそっと目を閉じ眠りについた。


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