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御三家子息の隠し事
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しおりを挟む体を引きちぎるほどの水の冷たさを宗鷹は覚えていた。同時に自分を抱えた細い腕の感触も。
しかし、その記憶は朦朧として曖昧で、いくつかある記憶のどれが先でどれが後か、うまく並べることができなかった。
最初に目が覚めた時は死にたくないと思った。虚ろに開いた視界のあちこちで、いく人もが宗鷹の体に触れ治療を施していた。感覚は全て曖昧で、意識も遠いところにあった。
次に目が覚めた時は、叫び出してしまいそうな痛みが全身に走り、死ねばよかったとすぐに意識を失った。
そこから幾日かが経ち、ベッドの上で自ら寝起きできるほどになった頃。病室に現れたその姿を見て、死ななくて良かったと宗鷹は誰にも気づかれないほどに小さい笑みを口元に作った。
大成の影にほとんど隠れるようにおずおずと病室に現れた旺仁郎は、俯いてマフラーで顔の下半分を覆っていた。
「よ、調子ど?」
大成は背後に旺仁郎を張り付けたまま、宗鷹のベッドの脇に歩み寄った。
玄田の次男に用意された病院の個室はなかなか広々としている。近くにあった椅子を引き寄せて座った大成に、
「まあまあだ」
と宗鷹は怪我を負った肩のあたりをさすってみせた。
その後で、大成の背後に隠れたままの旺仁郎に目をやった。こちらと目が合わないようにしているのは多分わざとだ。
宗鷹は大成から自分が気を失った時の状況を聞いていた。だから何が起こったのか、だいたいを理解している。
「旺仁郎、こっちにおいで」
枕を背に体を起こした宗鷹は、旺仁郎に手を伸ばした。名を呼ばれて体をぴくりと震わせた旺仁郎だったが、宗鷹に手を引かれると何も抵抗することなくその体をベッドの脇に近づけた。
宗鷹は旺仁郎の手を握ったまま、反対の手で口元を覆ったマフラーをくいと引き下ろす。
「なんだ、これは?」
旺仁郎の口元から鼻下あたりに白い包帯のようなものが巻きついている。質感が柔らかい紙に見えたので、宗鷹は大成の方に目線をやった。
「俺は別に平気だろって言ったんだけど、本人の希望」
そう言って大成は口をくっと窄めて肩を上げた。
「宗くんが怖がるんじゃないかって」
大成の言葉に、宗鷹はため息に近い息を吐いた。白紙の上から旺仁郎の唇のあたりをなぞる。
「怖いわけないだろ。俺を誰だと思っているんだ。大成、これを取ってやってくれ」
大成はそう言われることを予測していたかのように、「はいよ」と言う返事とほぼ同時に、すんなりと旺仁郎の口元を解放した。
ほとんど同時に旺仁郎の無表情なままの目元からぽろぽろと雫が溢れ、手元で見せた『ごめんなさい』の上に落ちた。
「大成、すまない。少し旺仁郎と二人で話をさせてくれないか?」
宗鷹言葉に、大成は頷き
「待合室にいる」
と旺仁郎に告げると、病室を出て行った。
「旺仁郎、状況は大成から聞いている」
宗鷹は手を握ったまま、俯く旺仁郎の顔を覗き込んだ。その瞳は不安気に揺れている。
「お前は俺を助けてくれたんだろ? 謝る理由なんて何一つないと思うが」
その言葉に旺仁郎は小さく首を振っている。
「お前がいなかったら、俺は今ここにいないんだ。お前がいたから……旺仁郎が旺仁郎だったから、俺は生きている」
まるで子供に言い聞かせるようだなと思いつつ、宗鷹は覗き込んだ瞳から目を離さぬまま続けた。
「俺が言っている意味がわかるか?」
宗鷹の言葉に、まだぽろぽろと涙を止めないまま、旺仁郎は頷いた。
気味が悪い、恐ろしいと言われ、旺仁郎自身でも怖いと思った。しかし、それが自分を救ったのだと宗鷹が言っている。否定でも慰めでもないその言葉が、旺仁郎の胸のうちに深く深く落ちていった。
「もう少し、こっちに来てくれないか」
手を握った宗鷹の力が少し強まり、それに引かれるように旺仁郎はベッドの脇に手をついた。存在を確かめるかのように宗鷹は旺仁郎の体を抱き寄せて、その背中に手を添える。
旺仁郎は少々躊躇う様子があったが、少ししてから、宗鷹の背中のあたりをたどたどしく撫でた。
宗鷹が大成から聞いたのは、あの時の状況とその後の町の様子だった。
「旺仁郎が妖を食べた」という話は、瞬く間に八百万町に広まった。今はまだ有力家系の子息たちの様子を、遠巻きに伺っているような状況のようだが、御三家の館の使用人は何者なのかと、町中その話題で持ちきりだそうだ。そのことは、旺仁郎自身もわかっている。
「旺仁郎。町を出よう」
宗鷹の言葉に、背中を撫でる旺仁郎の動きが止まった。宗鷹は一度体を離し、腕のあたりを両手で掴んだまま旺仁郎の表情を見上げた。その瞳には予想通り驚きと不安が浮かんでいる。
「違う、出ていけと言う意味じゃない」
宗鷹はまず不安を取り除くべくそう告げた。
「一緒に出よう。旺仁郎。俺と一緒に、八百万町から出るんだ」
旺仁郎は2度瞬きをした。その後、ゆっくりとベッドの隅に腰を下ろす。上半身は宗鷹の方を向いていた。宗鷹はその旺仁郎の両手を、自らの手の上で握った。
逃げようという意味だった。八百万町、玄田家、異能、妖、その全てから。
少し前には命の危機を感じ、今も傷が癒えきらぬまま気弱になっているのかもしれないと、宗鷹は自分自身でも思った。しかし、旺仁郎に伝えた言葉は本気である。
八百万町を離れて、どこかで静かに暮らそう、そう伝えた。誰よりも長く旺仁郎と共に過ごせるのは、人であり続ける蓮でも大成でもない。妖に堕ちる自分なのだ、と。
「俺であれば絶対にお前を一人にすることはない。それに、お前のことを誰よりも理解できる」
ある朝、蓮に問われ伝えたことがあった。
「誰より大切にできると思ったら、その時は自分のものにする」
今それが確信に変わり、宗鷹は旺仁郎の手を握っている。
「俺のことを誰よりも理解できるのも、お前だ旺仁郎」
旺仁郎の瞳は揺れていた。
ここですぐに頷きはしないだろうと、宗鷹はわかっていた。旺仁郎に好かれているのはわかっている。しかしそれは宗鷹が旺仁郎に向けているものとは、量も種類も違うだろう。
別に同じものが返ってこなくてもいい。宗鷹にとって、旺仁郎が八百万町から逃れるのなら、共に過ごすのに最も相応しいのは自分であるという事実と、そしてそれを旺仁郎に理解してもらうことが重要だった。
「正月、また俺は町の門を開く。行くならその時だ」
そう長くこの町に留まることも、旺仁郎にとっては危険をはらむだろう。
正月までの間は館で身を隠し、門を開いた後ひっそりとこの町を去る。その頃には宗鷹の傷もほとんど癒えているはずだ。
そこまで言って、宗鷹は気がついた。一番重要なことを伝えていなかったなと、自らを小さく笑い。旺仁郎の頬を撫でた。
「旺仁郎。俺はお前が好きだ」
旺仁郎の目から落ちていた雫はいつのまにか止まり、目元が赤く腫れている。その薄い皮膚を親指で撫でてやると旺仁郎は微かに顎を引いたが、頷いたわけではないようだった。
「だから、一緒に生きたい。そばにいたい。大切にしたいんだ」
旺仁郎は頷かないまま言葉を探しているようだった。もちろん口には出さず、何を書くかを考えているようであったが、宗鷹はそんな旺仁郎に言葉を続けた。
「今答えを出さなくていい。考えておいてくれ」
旺仁郎が頷いた。いつも無表情であるが、今日はより一層その顔が強張っているように見える。
「あと2.3日で家に帰れる。早くお前の料理が食べたいよ」
宗鷹がそう言ってやると、ようやく旺仁郎の瞳に柔らかく光が差し、頬の筋肉がほんの少し上がった気がしたのだった。
◇
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