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灯籠祭
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鐘も鳴らないというのに、館に自分一人だなんて旺仁郎はなんだか不思議な気分である。
宗鷹はその夜も、朝になっても戻らなかった。おそらく千隼の滞在中、ずっと彼に付ききりとなるのだろう。
旺仁郎は退屈であった。
大成がいればくだらぬ話を散々聞いて、一緒に畑でもあさり、不器用な手付きで共に料理もできただろう。
蓮の顔を見たら条件反射でお腹が空いてしまいそうではあるが、旺仁郎が何をしても褒め称え、花のように笑顔を浮かべるその姿は側にいないと物足りない。
朝になって、宗鷹が戻らぬことに気づいてから、旺仁郎は一口大にスイカを切って冷凍庫にしまいこんだ。
誰か戻ったら、スムージーでも飲みますか?とそう尋ねる。そうすればその相手は「いいね」と言って笑むだろう。
旺仁郎はリビングにもどり、膝の上にメンチを乗せた。ボワボワの尻をなで、頭を撫で、尻尾を弄ぶ。
そして、やはり暇だと、嘆くように息を吐いた。
◇
「あら、今日はお一人なんですか?」
灯籠売りの店先で、茶屋の少女が旺仁郎を見つけ声をかけた。少し周りを確認したが、やはり宗鷹の姿がないことに、少女は少し残念そうである。
『朱色を一つください』
一人かと言う問いに頷いた後、旺仁郎は少女にメモ書きを見せた。その様子で、少女は旺仁郎が言葉を発さぬと察したようで、静かに笑んで朱色の灯籠を手渡した。
「あの、よろしかったらご一緒してもいいですか?」
意外な誘いに旺仁郎は目を開いた。
『宗鷹さんは、来ませんよ?』
そう書くと、少女は口元を押さえて少し頬を赤らめながら、くすくすと笑いを漏らした。
「私、バレバレですね。でも、いいんです。宗鷹さんいらっしゃると、逆に緊張してしまって」
それで何故自分と一緒に灯籠を流そうと言うのかは、いまいちわからなかったが、旺仁郎は少女の提案に頷いた。
石の階段は人通りが滞っており、旺仁郎は少女に手を貸しながら、斜面を下って川原におりた。
「宗鷹さん、普段どんな方ですか?女性には優しいですが、なかなか厳しい面もあると聞きます。あなたにはお優しい?」
小さな蝋燭に火を移しながら少女が尋ねる。
なるほど、館の食事係の自分から宗鷹の話を聞きたかったのかと、旺仁郎は納得した。
優しいかと、問われて旺仁郎は少し考え頷いた。
羽をくれたし昨日は灯籠流しに付き合ってくれた。宗鷹は優しい、そう思った。
食事係にも優しい宗鷹は、少女の理想通りだったようだ。彼女は頷きながら、やっぱりそうなのね、とでも聞こえてきそうな笑顔を作った。
「食の好みはどうなのかしら?」
水面に浮かべた灯籠から手を離し、その姿を見送りながら少女はまた質問を続けた。
「あ、ごめんなさい。書き出すの煩わしいですよね。えーっと、甘いものは好きかしら?」
少女は質問を変えたが、その気遣いに旺仁郎は首を振り、ペンを手に取りメモを綴った。
『甘いものも食べます。好き嫌いはないようです』
少女は真剣な様子で旺仁郎の手元をのぞきこむ。近づいたその髪から、花のようないい香りがして、メモに目を落とすまつ毛が長い。
旺仁郎が文の最後に
『鶏肉も食べます』
と付け足すと、少女は顔を上げ、口元に手をやりながらくつくつと可愛らしく声を漏らして笑った。
「旺仁郎」
名を呼ばれ、旺仁郎もそして少女も水面から目線を上げて振り立ち上がった。その先には、宗鷹が1人立っている。千隼はいないようだ。
「宗鷹さん」
その姿に、少女の顔は赤らみ、長いまつ毛が微かに伏せた。
「ありがとう。旺仁郎の相手をしてくれたんだな」
宗鷹の優しく、しかしどこかよそ行きの声が彼女に向いた。
「い、いえ。私がお話ししたいってお誘いしたんです」
彼女は遠慮がちに首を降りそう答えた。
「おお、それは邪魔したかな。すまない」
「い、いいいえ!ち、違うんです。そうではなくて!そろそろ、失礼しようとしてたんです」
それではと慌てて立ち去ろうとする少女の手を、旺仁郎は掴み引き止める。そして、宗鷹に背を向けたまま文字を綴って彼女に見せた。
『今度、宗鷹さんとお店に行きます。今日はありがとう』
読んだ彼女は、赤い顔いっぱいに笑みを作り、旺仁郎に頷いた。
「こちらこそ、ありがとう」と小さく胸元で手を振り、その後宗鷹に頭を下げて川面を離れていった。
「旺仁郎、悪かったな」
宗鷹の謝罪が何に向けられたものなのか、旺仁郎にはわからなかった。少女との時間を邪魔して、なのか、灯籠流しに付き合えずなのか。
まあ、どちらでも良い。帰ってスムージーを飲むかと、そう尋ねようと文字を綴りかけたが、その前に宗鷹が言葉を続けた。
「この後も、また戻らないとならないんだ」
ならば仕方ないと、旺仁郎は納得するが、でもどこか胸の奥のあたりが霞んでいった。今夜も宗鷹はいないのか、明日の朝もきっといないのだろう。
「お前に少し話がある」
宗鷹の言葉に、旺仁郎は見当もつかぬまま頷いた。少し歩けるかと問われ、旺仁郎は宗鷹に続いて川辺を離れた。
水面を見下ろす川沿いの道、灯籠売りから離れる方向へゆっくり進む宗鷹の後に続いて歩く。しばらくすると、宗鷹は歩調を変えた。旺仁郎に合わせるような足取りで、横に並べと言うことかと察せられた。
「実はな、旺仁郎。先月、八尾の家に行ったんだ」
旺仁郎の足がぴたりと止まる。
宗鷹は旺仁郎を振り返り、もうそこで歩みを止めるか、と道の端によけて水面を見下ろした。お前もこちらにと、旺仁郎の手を引いた自分の隣に並べる。
八尾家の名前を、宗鷹は旺仁郎が来るまで把握していなかった。自分の羽を好んで口にし、惑わすほどの力を持ったその声。もしや、異能者なのかと宗鷹が思ったのはかなり早い段階であった。しかし、何かがおかしいと明確に思ったのは先月蓮が倒れてからだ。
宗鷹は旺仁郎の出自を辿るべく、八尾の家を訪れた。
「誰もいなかった」
宗鷹は言った。留守だったと言う意味ではない。旺仁郎もそれはわかっている。
「調べたんだ。八尾家はたしかに、末端の異能家系として存在していた。しかし、十年も前にその血筋は絶えている」
こちらを見ないまま宗鷹は続けた。
「少し、家の中を改めたが、数ヶ月前まで、誰かが暮らしてた痕跡があった」
そこにいたのはお前か? と尋ねたその声に、旺仁郎は、頷いた。
宗鷹はしばらく沈黙したのち、深く息を吐いてから、旺仁郎に向き直る。
「旺仁郎、俺が誰か知っているか」
そう問うた宗鷹の表情からは穏やかさは消えていた。鋭い猛禽類の目が、旺仁郎をまるで脅すかのように睨みつけている。
旺仁郎は彼が誰か知っている。
妖討滅の名門御三家、玄田の次男。美しく偉才な鷹。
その鷹に、旺仁郎は深く頭を下げた。
「明日の夜には、蓮や大成が戻る」
宗鷹は続けた。
「去れ」
静かに突き刺さるような声音である。
「夜が来る前にあの館を出て、門が閉まる前に八百万町から去るんだ」
その迫力に旺仁郎は息を飲んだ。
「これは俺からの情けだ。灯籠の火が消えてもなおこの町でお前を見つけたら、俺はお前を容赦なく狩るぞ」
俯いた頭に、宗鷹の声が降り注いだ。
旺仁郎はそのまま何度も頷く。手が震え、脂汗が頭皮から額や頸にまで流れ、背中がぐっしょりと濡れている。ついに宗鷹がその場を離れるまで、旺仁郎は顔を上げることができなかった。
ザリザリと去るその足音が遠のいて、顔を上げると、もうその背中すらも見えない。
川辺に灯る灯籠の火がいくつも流れ、ゆらゆらと揺れていた。
◇
宗鷹はその夜も、朝になっても戻らなかった。おそらく千隼の滞在中、ずっと彼に付ききりとなるのだろう。
旺仁郎は退屈であった。
大成がいればくだらぬ話を散々聞いて、一緒に畑でもあさり、不器用な手付きで共に料理もできただろう。
蓮の顔を見たら条件反射でお腹が空いてしまいそうではあるが、旺仁郎が何をしても褒め称え、花のように笑顔を浮かべるその姿は側にいないと物足りない。
朝になって、宗鷹が戻らぬことに気づいてから、旺仁郎は一口大にスイカを切って冷凍庫にしまいこんだ。
誰か戻ったら、スムージーでも飲みますか?とそう尋ねる。そうすればその相手は「いいね」と言って笑むだろう。
旺仁郎はリビングにもどり、膝の上にメンチを乗せた。ボワボワの尻をなで、頭を撫で、尻尾を弄ぶ。
そして、やはり暇だと、嘆くように息を吐いた。
◇
「あら、今日はお一人なんですか?」
灯籠売りの店先で、茶屋の少女が旺仁郎を見つけ声をかけた。少し周りを確認したが、やはり宗鷹の姿がないことに、少女は少し残念そうである。
『朱色を一つください』
一人かと言う問いに頷いた後、旺仁郎は少女にメモ書きを見せた。その様子で、少女は旺仁郎が言葉を発さぬと察したようで、静かに笑んで朱色の灯籠を手渡した。
「あの、よろしかったらご一緒してもいいですか?」
意外な誘いに旺仁郎は目を開いた。
『宗鷹さんは、来ませんよ?』
そう書くと、少女は口元を押さえて少し頬を赤らめながら、くすくすと笑いを漏らした。
「私、バレバレですね。でも、いいんです。宗鷹さんいらっしゃると、逆に緊張してしまって」
それで何故自分と一緒に灯籠を流そうと言うのかは、いまいちわからなかったが、旺仁郎は少女の提案に頷いた。
石の階段は人通りが滞っており、旺仁郎は少女に手を貸しながら、斜面を下って川原におりた。
「宗鷹さん、普段どんな方ですか?女性には優しいですが、なかなか厳しい面もあると聞きます。あなたにはお優しい?」
小さな蝋燭に火を移しながら少女が尋ねる。
なるほど、館の食事係の自分から宗鷹の話を聞きたかったのかと、旺仁郎は納得した。
優しいかと、問われて旺仁郎は少し考え頷いた。
羽をくれたし昨日は灯籠流しに付き合ってくれた。宗鷹は優しい、そう思った。
食事係にも優しい宗鷹は、少女の理想通りだったようだ。彼女は頷きながら、やっぱりそうなのね、とでも聞こえてきそうな笑顔を作った。
「食の好みはどうなのかしら?」
水面に浮かべた灯籠から手を離し、その姿を見送りながら少女はまた質問を続けた。
「あ、ごめんなさい。書き出すの煩わしいですよね。えーっと、甘いものは好きかしら?」
少女は質問を変えたが、その気遣いに旺仁郎は首を振り、ペンを手に取りメモを綴った。
『甘いものも食べます。好き嫌いはないようです』
少女は真剣な様子で旺仁郎の手元をのぞきこむ。近づいたその髪から、花のようないい香りがして、メモに目を落とすまつ毛が長い。
旺仁郎が文の最後に
『鶏肉も食べます』
と付け足すと、少女は顔を上げ、口元に手をやりながらくつくつと可愛らしく声を漏らして笑った。
「旺仁郎」
名を呼ばれ、旺仁郎もそして少女も水面から目線を上げて振り立ち上がった。その先には、宗鷹が1人立っている。千隼はいないようだ。
「宗鷹さん」
その姿に、少女の顔は赤らみ、長いまつ毛が微かに伏せた。
「ありがとう。旺仁郎の相手をしてくれたんだな」
宗鷹の優しく、しかしどこかよそ行きの声が彼女に向いた。
「い、いえ。私がお話ししたいってお誘いしたんです」
彼女は遠慮がちに首を降りそう答えた。
「おお、それは邪魔したかな。すまない」
「い、いいいえ!ち、違うんです。そうではなくて!そろそろ、失礼しようとしてたんです」
それではと慌てて立ち去ろうとする少女の手を、旺仁郎は掴み引き止める。そして、宗鷹に背を向けたまま文字を綴って彼女に見せた。
『今度、宗鷹さんとお店に行きます。今日はありがとう』
読んだ彼女は、赤い顔いっぱいに笑みを作り、旺仁郎に頷いた。
「こちらこそ、ありがとう」と小さく胸元で手を振り、その後宗鷹に頭を下げて川面を離れていった。
「旺仁郎、悪かったな」
宗鷹の謝罪が何に向けられたものなのか、旺仁郎にはわからなかった。少女との時間を邪魔して、なのか、灯籠流しに付き合えずなのか。
まあ、どちらでも良い。帰ってスムージーを飲むかと、そう尋ねようと文字を綴りかけたが、その前に宗鷹が言葉を続けた。
「この後も、また戻らないとならないんだ」
ならば仕方ないと、旺仁郎は納得するが、でもどこか胸の奥のあたりが霞んでいった。今夜も宗鷹はいないのか、明日の朝もきっといないのだろう。
「お前に少し話がある」
宗鷹の言葉に、旺仁郎は見当もつかぬまま頷いた。少し歩けるかと問われ、旺仁郎は宗鷹に続いて川辺を離れた。
水面を見下ろす川沿いの道、灯籠売りから離れる方向へゆっくり進む宗鷹の後に続いて歩く。しばらくすると、宗鷹は歩調を変えた。旺仁郎に合わせるような足取りで、横に並べと言うことかと察せられた。
「実はな、旺仁郎。先月、八尾の家に行ったんだ」
旺仁郎の足がぴたりと止まる。
宗鷹は旺仁郎を振り返り、もうそこで歩みを止めるか、と道の端によけて水面を見下ろした。お前もこちらにと、旺仁郎の手を引いた自分の隣に並べる。
八尾家の名前を、宗鷹は旺仁郎が来るまで把握していなかった。自分の羽を好んで口にし、惑わすほどの力を持ったその声。もしや、異能者なのかと宗鷹が思ったのはかなり早い段階であった。しかし、何かがおかしいと明確に思ったのは先月蓮が倒れてからだ。
宗鷹は旺仁郎の出自を辿るべく、八尾の家を訪れた。
「誰もいなかった」
宗鷹は言った。留守だったと言う意味ではない。旺仁郎もそれはわかっている。
「調べたんだ。八尾家はたしかに、末端の異能家系として存在していた。しかし、十年も前にその血筋は絶えている」
こちらを見ないまま宗鷹は続けた。
「少し、家の中を改めたが、数ヶ月前まで、誰かが暮らしてた痕跡があった」
そこにいたのはお前か? と尋ねたその声に、旺仁郎は、頷いた。
宗鷹はしばらく沈黙したのち、深く息を吐いてから、旺仁郎に向き直る。
「旺仁郎、俺が誰か知っているか」
そう問うた宗鷹の表情からは穏やかさは消えていた。鋭い猛禽類の目が、旺仁郎をまるで脅すかのように睨みつけている。
旺仁郎は彼が誰か知っている。
妖討滅の名門御三家、玄田の次男。美しく偉才な鷹。
その鷹に、旺仁郎は深く頭を下げた。
「明日の夜には、蓮や大成が戻る」
宗鷹は続けた。
「去れ」
静かに突き刺さるような声音である。
「夜が来る前にあの館を出て、門が閉まる前に八百万町から去るんだ」
その迫力に旺仁郎は息を飲んだ。
「これは俺からの情けだ。灯籠の火が消えてもなおこの町でお前を見つけたら、俺はお前を容赦なく狩るぞ」
俯いた頭に、宗鷹の声が降り注いだ。
旺仁郎はそのまま何度も頷く。手が震え、脂汗が頭皮から額や頸にまで流れ、背中がぐっしょりと濡れている。ついに宗鷹がその場を離れるまで、旺仁郎は顔を上げることができなかった。
ザリザリと去るその足音が遠のいて、顔を上げると、もうその背中すらも見えない。
川辺に灯る灯籠の火がいくつも流れ、ゆらゆらと揺れていた。
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