八百万町妖奇譚【完結】

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灯籠祭

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 鐘も鳴らないというのに、館に自分一人だなんて旺仁郎はなんだか不思議な気分である。
 宗鷹はその夜も、朝になっても戻らなかった。おそらく千隼の滞在中、ずっと彼に付ききりとなるのだろう。
 旺仁郎は退屈であった。
 大成がいればくだらぬ話を散々聞いて、一緒に畑でもあさり、不器用な手付きで共に料理もできただろう。
 蓮の顔を見たら条件反射でお腹が空いてしまいそうではあるが、旺仁郎が何をしても褒め称え、花のように笑顔を浮かべるその姿は側にいないと物足りない。
 朝になって、宗鷹が戻らぬことに気づいてから、旺仁郎は一口大にスイカを切って冷凍庫にしまいこんだ。
 誰か戻ったら、スムージーでも飲みますか?とそう尋ねる。そうすればその相手は「いいね」と言って笑むだろう。
 旺仁郎はリビングにもどり、膝の上にメンチを乗せた。ボワボワの尻をなで、頭を撫で、尻尾を弄ぶ。
 そして、やはり暇だと、嘆くように息を吐いた。



「あら、今日はお一人なんですか?」

 灯籠売りの店先で、茶屋の少女が旺仁郎を見つけ声をかけた。少し周りを確認したが、やはり宗鷹の姿がないことに、少女は少し残念そうである。

『朱色を一つください』

 一人かと言う問いに頷いた後、旺仁郎は少女にメモ書きを見せた。その様子で、少女は旺仁郎が言葉を発さぬと察したようで、静かに笑んで朱色の灯籠を手渡した。

「あの、よろしかったらご一緒してもいいですか?」

 意外な誘いに旺仁郎は目を開いた。

『宗鷹さんは、来ませんよ?』

 そう書くと、少女は口元を押さえて少し頬を赤らめながら、くすくすと笑いを漏らした。

「私、バレバレですね。でも、いいんです。宗鷹さんいらっしゃると、逆に緊張してしまって」

 それで何故自分と一緒に灯籠を流そうと言うのかは、いまいちわからなかったが、旺仁郎は少女の提案に頷いた。
 石の階段は人通りが滞っており、旺仁郎は少女に手を貸しながら、斜面を下って川原におりた。

「宗鷹さん、普段どんな方ですか?女性には優しいですが、なかなか厳しい面もあると聞きます。あなたにはお優しい?」

 小さな蝋燭に火を移しながら少女が尋ねる。
 なるほど、館の食事係の自分から宗鷹の話を聞きたかったのかと、旺仁郎は納得した。
 優しいかと、問われて旺仁郎は少し考え頷いた。
 羽をくれたし昨日は灯籠流しに付き合ってくれた。宗鷹は優しい、そう思った。
 食事係にも優しい宗鷹は、少女の理想通りだったようだ。彼女は頷きながら、やっぱりそうなのね、とでも聞こえてきそうな笑顔を作った。

「食の好みはどうなのかしら?」

 水面に浮かべた灯籠から手を離し、その姿を見送りながら少女はまた質問を続けた。

「あ、ごめんなさい。書き出すの煩わしいですよね。えーっと、甘いものは好きかしら?」

 少女は質問を変えたが、その気遣いに旺仁郎は首を振り、ペンを手に取りメモを綴った。

『甘いものも食べます。好き嫌いはないようです』

 少女は真剣な様子で旺仁郎の手元をのぞきこむ。近づいたその髪から、花のようないい香りがして、メモに目を落とすまつ毛が長い。
 旺仁郎が文の最後に

『鶏肉も食べます』

と付け足すと、少女は顔を上げ、口元に手をやりながらくつくつと可愛らしく声を漏らして笑った。

「旺仁郎」

 名を呼ばれ、旺仁郎もそして少女も水面から目線を上げて振り立ち上がった。その先には、宗鷹が1人立っている。千隼はいないようだ。

「宗鷹さん」

 その姿に、少女の顔は赤らみ、長いまつ毛が微かに伏せた。

「ありがとう。旺仁郎の相手をしてくれたんだな」

 宗鷹の優しく、しかしどこかよそ行きの声が彼女に向いた。

「い、いえ。私がお話ししたいってお誘いしたんです」

 彼女は遠慮がちに首を降りそう答えた。

「おお、それは邪魔したかな。すまない」
「い、いいいえ!ち、違うんです。そうではなくて!そろそろ、失礼しようとしてたんです」

 それではと慌てて立ち去ろうとする少女の手を、旺仁郎は掴み引き止める。そして、宗鷹に背を向けたまま文字を綴って彼女に見せた。

『今度、宗鷹さんとお店に行きます。今日はありがとう』

 読んだ彼女は、赤い顔いっぱいに笑みを作り、旺仁郎に頷いた。
「こちらこそ、ありがとう」と小さく胸元で手を振り、その後宗鷹に頭を下げて川面を離れていった。

「旺仁郎、悪かったな」

 宗鷹の謝罪が何に向けられたものなのか、旺仁郎にはわからなかった。少女との時間を邪魔して、なのか、灯籠流しに付き合えずなのか。
 まあ、どちらでも良い。帰ってスムージーを飲むかと、そう尋ねようと文字を綴りかけたが、その前に宗鷹が言葉を続けた。

「この後も、また戻らないとならないんだ」

 ならば仕方ないと、旺仁郎は納得するが、でもどこか胸の奥のあたりが霞んでいった。今夜も宗鷹はいないのか、明日の朝もきっといないのだろう。

「お前に少し話がある」

 宗鷹の言葉に、旺仁郎は見当もつかぬまま頷いた。少し歩けるかと問われ、旺仁郎は宗鷹に続いて川辺を離れた。
 水面を見下ろす川沿いの道、灯籠売りから離れる方向へゆっくり進む宗鷹の後に続いて歩く。しばらくすると、宗鷹は歩調を変えた。旺仁郎に合わせるような足取りで、横に並べと言うことかと察せられた。

「実はな、旺仁郎。先月、八尾の家に行ったんだ」

 旺仁郎の足がぴたりと止まる。
 宗鷹は旺仁郎を振り返り、もうそこで歩みを止めるか、と道の端によけて水面を見下ろした。お前もこちらにと、旺仁郎の手を引いた自分の隣に並べる。
 八尾家の名前を、宗鷹は旺仁郎が来るまで把握していなかった。自分の羽を好んで口にし、惑わすほどの力を持ったその声。もしや、異能者なのかと宗鷹が思ったのはかなり早い段階であった。しかし、何かがおかしいと明確に思ったのは先月蓮が倒れてからだ。
 宗鷹は旺仁郎の出自を辿るべく、八尾の家を訪れた。

「誰もいなかった」

 宗鷹は言った。留守だったと言う意味ではない。旺仁郎もそれはわかっている。

「調べたんだ。八尾家はたしかに、末端の異能家系として存在していた。しかし、十年も前にその血筋は絶えている」

 こちらを見ないまま宗鷹は続けた。

「少し、家の中を改めたが、数ヶ月前まで、誰かが暮らしてた痕跡があった」

 そこにいたのはお前か? と尋ねたその声に、旺仁郎は、頷いた。
 宗鷹はしばらく沈黙したのち、深く息を吐いてから、旺仁郎に向き直る。

「旺仁郎、俺が誰か知っているか」

 そう問うた宗鷹の表情からは穏やかさは消えていた。鋭い猛禽類の目が、旺仁郎をまるで脅すかのように睨みつけている。
 旺仁郎は彼が誰か知っている。
 妖討滅の名門御三家、玄田の次男。美しく偉才な鷹。
 その鷹に、旺仁郎は深く頭を下げた。

「明日の夜には、蓮や大成が戻る」

 宗鷹は続けた。

「去れ」

 静かに突き刺さるような声音である。

「夜が来る前にあの館を出て、門が閉まる前に八百万町から去るんだ」

 その迫力に旺仁郎は息を飲んだ。

「これは俺からの情けだ。灯籠の火が消えてもなおこの町でお前を見つけたら、俺はお前を容赦なく狩るぞ」

 俯いた頭に、宗鷹の声が降り注いだ。
 旺仁郎はそのまま何度も頷く。手が震え、脂汗が頭皮から額や頸にまで流れ、背中がぐっしょりと濡れている。ついに宗鷹がその場を離れるまで、旺仁郎は顔を上げることができなかった。
 ザリザリと去るその足音が遠のいて、顔を上げると、もうその背中すらも見えない。
 川辺に灯る灯籠の火がいくつも流れ、ゆらゆらと揺れていた。




 
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