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紅蓮のアゲハの娘は恋を知らない

復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である。【3】

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「すごい…」

 そう声を上げた彼女は目をキラキラさせて私を見上げていた。

「琥虎と同じで強いのね…」

 なんだか兄を思い出してうっとりしている様子だ。

「私が琥虎に恋をしたときも同じ状況だった。強引なナンパに困っている私を琥虎が助けてくれたの…」
「はぁ…」
「私、その姿に見惚れちゃってね、一瞬で恋に落ちたの」
「そっすか…」

 いきなり兄・琥虎との出会いについて語り始めたぞこの人。
 どうしよう、一ミリも興味ないんですけど。反応に困って私が生返事を返していると、バタン! と表の扉が乱暴に開かれた。
 振り返るとそこには兄の姿。一緒に金髪黒マスクもやってきたようだ。兄は店の中を見渡し、死屍累々のならず共をみて、被害者の女性2名、毒蠍メンバー、そして私に視線を向けた

「あ…」
「「琥虎っ」」

 涙声で兄貴の名を呼ぶ半裸の女性二人。彼女たちは好きな男が駆けつけてくれたことに安心して嬉しそうにしている。
 ここだけ切り取ってみると、なんか感動のシーンっぽいけど、事態はそんなキレイなものじゃない。

「遅い!!」

 私は助走をつけた上で、兄に飛び蹴りを喰らわした。構えていなかった兄は吹っ飛び、カウンター席の向こうに消えた。「グエッ」とカエルの鳴き声のような声が聞こえたので、吹っ飛ばされたまま転がっている男をクッションにしたのだろう。
 兄は頭を抑えながらカウンターの向こうからひょっこり顔を出した。

「あげ、あげは。なにすんの…?」
「おっそいわボケ!」

 なにすんの? じゃ、ねーよ!
 お前が今まで何してたんだって話だろーがッ!
 教育的指導として兄を足蹴りした。兄は地面にビタンと倒れ込む。「やめて痛い!」と兄が泣き言を言うが、私は決して止めてやらなかった。

「弄んだのはふたりか!? 頭を垂れて謝れ!」

 このクズが! お前のせいで私がこれまでにどれだけ苦汁をなめさせられたと思ってんだ! このクズ! クズ兄!!
 地に伏した兄を罵りながらゲシゲシ蹴り続けていると、兄がハッとした顔をして見上げてきた。

「あげは、パンツ見えてるぞ。喧嘩するならスパッツか何か穿いたほうが…」
「うるさい!」

 今はそんな話をしているんじゃないだろ! 妹のパンツとかどうでも良かろうが! そもそも喧嘩という名の教育的指導をする羽目になったのはアンタのせいですけどね!!

「今回起きたことは全部兄貴の不始末のせい! 兄貴があっちこっちフラフラしてるから、こんなことになってんだよ! このクズ! どこに出しても恥ずかしいクズめ!」

 特別を作るのが面倒ならそもそも遊ばずに硬派に生きたらいいのに、なんでこうも…!

「あげは落ち着けって! だから俺はちゃんと遊びましょうってお誘いした上で…」
「琥虎っ琥虎っ! 私のために来てくれたんだね!!」
「いてっ…カナお前な…」

 仁王立ちする私の前で兄が億劫そうに体を起こすと、そこに被害者女性のカナさんが飛びついて兄は再び倒れ込んだ。兄は背中を強打して顔を歪めていた。ザマァ。
 ……女性ら未だに半裸やんけ。いい加減に服着たらいいのに。年頃の男がゴロゴロいるんだからいつまでも肌を晒すのはよろしくないよ。
 泣きすぎてメイクがドロドロに落ちたカナさんは兄の胸に顔を押し付けてぐりぐりしている。

「や、俺はあげはからの伝言を受け取って来ただけだから……」
「いいの、それでもいいの」

 あなたを助けたの私ですけどね。
 別にいいけど。お礼言われるためにしたんじゃないし。……でもなんか兄に手柄取られたみたいでムカつく。

「琥虎聞いて、この人がね、私を強姦させようと仕向けたのよ! ひどいでしょ、私怖かった!」

 カナさんは加害者である女性を指差して被害を訴えた。兄の視線がその女性に向くと、加害女性はぎくりと肩を揺らしている。
 確かに加害者だけど、事の発端は兄だからなぁ……私は苦々しい気持ちになって重い溜息を吐き出した。

「…兄貴の軟派な性格がそもそもの原因だよ。思わせぶりな態度とったりするからこんな風に暴走する人が出てくるんでしょ…」

 腕を組んで、兄を軽蔑した眼差しで見下ろして差し上げると、兄は頭をガシガシ掻きむしってバツの悪そうな顔をしていた。流石の兄も自分に非があると認めたようだ。

 加害女性は、兄とカナさんが特別な関係だと思っているようだ。兄は遊び人、相手にする女すべて遊びだから我慢していたのに思わぬ伏兵が現れて嫉妬に狂った。そして男たちを使って兄の大事な人(仮)を傷つけようとした。
 まぁ、今回は完全なる誤解なんだろうけど。

「レナ…何やってんだよお前。自分が何したかわかってんのか?」

 兄の注意に加害者の女性はぐっと口ごもった。その唇は噛み締めすぎて白く変わっている。

「だって…琥虎が特別を作るから……みんな遊びだって言ったのに。なんでその女なのよ……」

 ぼたぼたと涙を流す女性の見た目は痛々しい。兄はカナさんをやんわり引き剥がすと、女性の元に歩いて近づいてしゃがみ込み、自分の上着を着せてあげていた。
 そういうところやぞ。そういうところで女の子が勘違いするんだきっと。

「特別とかそんなんじゃねーよ。俺はそもそも本気の相手を作る主義じゃない」
「じゃあなんでこの間この女とキスしてたの!? 琥虎は同じ女を二度と相手しないじゃないの!」

 その指摘に兄は視線を泳がせた。
 私はそんな兄を見て余計に軽蔑してしまった。お前…お前……
 まさかとは思うけどコンビニ帰りのあの日…あの後……帰りがだいぶ遅いなとは思っていたけど……お盛んですねぇ……
 好きな男がお外でいちゃついている姿を目撃したらそりゃ冷静じゃなくなるか…むしろ軽蔑して冷めていただきたかった。

「それはそーだけど……迫られたらそりゃ…据え膳食わぬは男の恥だろ」

 最低だわ。
 この男の最低加減に是非とも幻滅していただきたい。妹としてお願いします。
 そう願ったけども、彼女は一味違った。

「それならっ、あたしも相手してよ! あたしのほうがもっと琥虎を悦ばせてあげられるよ!」

 トチ狂ったレナさんとやらは嬉しそうな顔で兄に迫っているではないか。どうしてそうなるの。
 そのまま抱きつくと、兄が「おっと」と言って尻餅をつく。せっかく掛けてあげた上着が肩からずり落ちて露出面積が増す。
 彼女には恥じらいというものはないのだろうか……

「ちょっと待ってよ! こんなひどいことしておいて、琥虎を狙うっていうの? マジありえない!」

 黙っていられなかったらしいカナさんが参戦してもう大騒ぎだ。 

「私諦めない! 琥虎の唯一の女になってみせるから!」
「それはあたしもだし! アンタには負けねーし! この乳女!」

 半裸の女性に両腕を拘束されて、取り合いされている兄は辟易した表情を浮かべていた。
 なんだそのモテて辛いわぁみたいなツラは。

 ねぇ、どこがいいの?
 このクズ兄のどこがいいの? 妹の私にはわからない。本当に何がいいのかがわからないよ。

 もう知らね。
 付き合いきれんわ。


 私は無言でその店を退店すると、裏に停めてあった自転車にまたがり、さっさと帰宅したのである。

 自転車を走らせていると「待ってくださいよあげはさーん」と毒蠍の面々が後ろから声を掛けてきたが、私はスピードを緩めずマイペースに帰った。それでも追いかけてくる奴らの忠誠心はどこからやってくるのであろう。
 あともう少しで自宅というところで、真面目モードの彼と遭遇した。試験目前なのにまたうちに来たのか。

「あげはちゃん…顔に返り血がついてるよ」

 その指摘に私はサッと目をそらして、ゴシゴシと手で擦った。

「トマトジュースですが何か」
「あげはさんがトマトと言えばトマトなんだよ!」

 空気を読んだ毒蠍・赤モヒカンが私の擁護をすると、嗣臣さんは苦笑いして首を傾げていた。

「お転婆も大概にね?」

 多分、嗣臣さんには嘘なんてバレバレなんだろうな。
 


■□■


「あげはちゃん、私のことお姉ちゃんって呼んでいいよ」
「……なんでですか?」

 一難去ったと思ったのに、その一難が我が家にやってきた。兄の唯一の女になるのが目標のカナさんは我が母に愛嬌を振りまき、率先してお手伝いなんてしている。
 そんな彼女からの急な姉呼びのお誘いに私が訝しむと、相手は頬を赤らめてもじもじしていた。 

「だって将来そうなるかもしれないし……」
「ははは…」

 私は反応に困って薄笑いを浮かべるしかできなかった。
 なんていうか、この人ちょっと思い込み激しいと言うか……なんで兄の周りの女ってこういう女が多いのかな……?

「何言ってんのよ! あげはちゃんにお姉ちゃんって呼ばれるのはあたしだし!」

 うちにやってくるのはカナさんだけじゃない。もうひとりのレナさんもやってくる。
 ライバルを蹴落とそうと汚い手を使った過去の罪を反省し、改めて正攻法で兄の心を射止めるのだと我が家にやってきては、うちの兄とお母さんに媚びを売っている。
 ……完全に兄の彼女じゃなくて奥さんの座を狙っているじゃないですか…

「呼びません。間に合ってます」

 私は別に“姉”という存在に憧れているわけじゃないです。

「カナ、あんたあげはちゃんに怪我をさせたんでしょ! 面の皮厚すぎない!?」
「私はあなたのしたことを許してないからね! この性悪!」

 私のお断りの言葉が聞こえていないのか、女二人はお互いの非をぶつけ合って醜い争いをしていた。
 なんていうか……相手は選んだほうがいいと思うよ。うちの兄もクズだからなんとも言えないけど。

「……琥虎、本命は早く決めるんだよ。あと避妊はしっかりね」

 若い女の子が息子を取り合いしている姿を黙って眺めていたお母さんが兄に忠告していた。
 ソファに座ってリビングのテレビでスマブラ大会を仲間たちと行っていた兄貴は振り返ってお母さんを見上げると、からかうように言った。

「父ちゃんの失敗のこと言ってんの?」
 ──ゴツッ!

 兄は無神経なことを言ってお母さんから特大のげんこつをされていた。かなり痛そうだ。兄は頭を抱えてか細い声で唸っていた。
 確かにデキ婚は褒められたことではないけど、お父さんは周りの協力を得ながらもちゃんと責任を果たしてるし、今でも両親が仲がいいんだからいいだろうが。


「なんか…急に家が賑やかになったなぁ。若い女の子が増えるといいねー」

 ダイニングテーブル席に座って晩酌をしていた父が赤ら顔で、喧嘩中の女性陣を見ながらそんな事を言っていた。
 …賑やかっていうか、かしましいと思うのだけど。おっさんには小鳥がさえずっているように聞こえるのか? もう難聴なの?

「…それ、あたしをババァって言ってんのかい?」
「そ、そうじゃねぇよ母ちゃん」

 それをマイナスの意味で受け取ったお母さんがムッとした顔でお父さんを睨みつけていると、怒らせたと慌てたお父さんに後ろから抱きしめられてほっぺチューされていた。
 年頃の娘の前で止めていただきたいのですが。

「こんな時だけベタベタすんじゃないよ!」
「なんだよう、いじけちゃって母ちゃんさみしかったのか? 今日は久々に一緒に風呂入るか! 可愛がってやろうな!」
「子どもらの前で恥ずかしいこと言ってんじゃないよ!」

 この歳で弟妹ができるのは複雑なんですが。息子娘に加えて同年代の少年少女の前でいちゃつかないでください両親よ……
 お母さんはツンケンしながらもまんざらじゃない反応だ。仲が悪いよりはいいけど、見ているこっちが恥ずかしいです。


【ピーンポーン…】

 来客だ。こんな夕飯後の遅い時間に誰だろうか……
 もしかしたらリアル中二少女・桜桃さんがやってきたのかもと玄関の扉を開けると、そこには知らない女子高生がいた。その制服に見覚えがある。我が兄・琥虎の高校の女子制服だ。彼女は髪を茶色に明るく染め、ゆるく巻いていた。見た目からして気が強そうな性格が滲み出ている。
 これまた兄好みのギャル系ですね……

 彼女は出てきた私を頭の先から爪先まで見て、こう言った。

「アンタ誰よ!!」

 あんたこそ誰よ。

「琥虎出しなさいよ! あたしは琥虎の女なんだからね!!」

 その言葉に私は薄笑いを浮かべる。そうするしかなかったのだ。
 私は黙って玄関の扉をそっ閉じした。

「なんで締めるのよ! 開けなさいよ!!」

 ドンドン、ピンポンピンポンとインターホンが鳴るが、そのまま無視して自分の部屋に戻った。
 私はもう知らない。何も見てない、何も聞こえない。兄が責任持って後始末しろ。自分の蒔いた種なんだから。


 一難去ってまた一難。

 復讐と恋愛においては、女は男よりも野蛮である──byニーチェ
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