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1章 Side:愛梨
11話
しおりを挟む「へぇ…そんな事が」
いつも社員食堂のご飯ばかりだと飽きるので、たまには会社付近にある飲食店でランチをすることもある。今日は会社が入る複合ビルを出てすぐ隣にあるカフェで、玲子と2人で軽食を摂った。
愛梨には現状を知った上で恋の悩みを聞いてくれる相手は、玲子以外にいない。もちろん恋人はおろか雪哉以外の好きな人さえいた事がないので、今までは玲子に相談する話すら持ち合わせていなかったのだけど。
話を聞いた玲子は、登場人物が身近な人ばかりの反面、内容がやけにドラマチックな展開を聞いて、興味深げに頷いた。
「ていうか玲子、知ってたんだね」
「何が? 弘翔が愛梨の事好きって事?」
玲子の言葉にこくんと頷く。
少し照れくさい気持ちでレモンティーを啜った愛梨に、玲子はにこにこと微笑んだ。
「それはもちろん知ってるわよ。愛梨が少し鈍感なだけ」
年齢は同じ筈なのに、玲子の仕草や言葉が大人びていると感じるのは、薬指にダイヤがついた指輪が光っているからだろうか。
愛梨の視線に気付いた玲子は、左手の指を伸ばすと指輪の位置を直しながらそっと溜息をついた。
「そうでもないか。人間って、自分の事になると意外と鈍感だもんね」
「玲子もそうだったの?」
玲子が意味ありげに笑うので、思わず問いかけてしまう。玲子は顔を上げて愛梨の瞳を見つめると、少し照れくさそうに頷いた。
「うん。中学卒業してから成人式で再会するまで哲治のことなんてすっかり忘れてたし。それから連絡とるようになっても、正直3年ぐらいは好かれてることすら気付かなかったから」
思わず『へぇ』と感嘆する。
玲子ほど仕事が出来て周りを注意深く観察してる人でも、自分に向けられる好意には気付かないものらしい。玲子がそうなら、自分が気付かないのなんて仕方がないかと思っていると、
「ただ愛梨と弘翔は、私と違って毎日顔合わせてるんだからね。流石に気付くわよ」
ぐっさりと釘を刺された。
うう、どうせ鈍感ですよ。
むう、と唇を尖らせると、その様子を見た玲子が可笑しそうに笑い出した。
「問題は弘翔より、イケメン通訳の方でしょ。あれが幼馴染みとか、ズルすぎるわ」
玲子が本題に軌道修正するので、愛梨は思わずカフェの天井を仰いだ。
既婚の身となった玲子でも、社内に魅力的な異性がいると仕事に対するモチベーションが変わるらしい。
新婚旅行から帰ってきて少しの間は浮かれていた玲子だったが、課長との舌戦が再開されるとすぐにいつもの様子に戻った。
だが昨日から雪哉を含む3人の通訳者の業務が本格的に開始され、玲子も社内で雪哉の姿を見かけたらしい。今日の玲子はいつもの数倍テンションが高かった。
そんな玲子に、すっかり伝え損ねていた雪哉との関係を打ち明けると、機嫌が良かった筈の玲子が驚愕の悲鳴を上げた。カフェの中にいた店員と客が全員一斉にこちらを向いたのがつい10分ほど前の話。
「別に何もないってば…」
叫んだのは玲子だが、思い出すとこっちが恥ずかしくなってしまう。ストローでくるくるとレモンティーをかき混ぜながら言うと、玲子は少し不満そうな声を漏らした。
「でも向こう、覚えてたんでしょ?」
「う、うん。多分だけど…」
「あら、じゃあ弘翔は完敗ねー。ご愁傷様」
「えぇ…? そんな事ないよ」
肩を竦めた玲子の様子に、思わず抗議の声を上げてしまう。
中小企業である株式会社SUI-LENで同じマーケティング部に配属になった愛梨と玲子と弘翔は、同期の中でもとりわけ仲が良い。故に3人が3人共お互いに対して遠慮がないが、そうだとしても酷い言い様だ。一応、愛梨の恋人でもあるのに。
「へえ、なんで? 弘翔の方がいいの?」
玲子がニコニコと笑っている。
『あ、きっとこれ揶揄われれてるんだろうな』とすぐに気付いたが、否定する事ではないので素直に顎を引く。
「それにユキ…河上さんとの約束は、すごく昔の話だもん。そんなの子供同士の通過儀礼だよねって、前に話したじゃない」
「でも私、ちゃんと哲治と結婚したわよ」
「それはそうだけど…」
以前、同期飲み会の席で恋愛話になった時の事を思い出す。その時も、そこにいたメンバー達と今と同じ会話になった。
長い間、片思いを継続中だった愛梨は同期たちに物珍しい視線を向けられたが、玲子だけは愛梨の片思いを『全然アリだよ』と肯定してくれた。今にして思えば、その頃の玲子は自分の幼馴染みである哲治と付き合い始めた時期だったからだろう。
その飲み会で、雪哉の名前を出さなくて本当に良かったと今更ながらに気付く。どうせ誰も知らない人だし、言ったところで興味がある人などいないと思って名前までは出さなかったが、まさか数年後に通訳として自社にやってくるとは想像できる筈がない。
もしあの時名前を出してしまっていて、しかも同期の誰かがその話を覚えていたら、雪哉が知らないところで『上田の初恋の人』のレッテルが貼られるところだった。考えると冷や汗が滝のように出てくる。
仮にそうなったとして、それを知った雪哉はどう反応するのだろうか。迷惑そうな顔をされたら愛梨もへこんでしまう気がしたが、その可能性が最も高いような気がする。
「私の事は覚えてたかもしれないけど、あんな約束、多分覚えてないと思うの」
そう。あれはきっと何かの夢で、愛梨の妄想で、雪哉の戯言だった。
そんな戯言など、雪哉は覚えていないと思う。覚えていても今の雪哉の立場を考えたら、知らないフリをされる気がする。
「そもそも河上さんの事をどう思ってるのか、自分でもよくわからないんだよね」
雪哉に再会したことで、確かに驚きはした。一瞬戸惑って困惑はしたが、今は何よりも弘翔を傷付けたくないと思っている。
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