上 下
6 / 29

通い弟子1

しおりを挟む
 余雪は、同じ年頃の子供たちが暮らす大部屋に戻り、皆と一緒の稽古を再開した。そうなってしまうと、余雪と永芳の接点はほとんどなくなった。
 永芳は、以前から弟弟子の面倒をよく見ていたが、余雪のいざこざがあって以降は、自分の剣の修行はほとんどせず、主に通いの弟子に稽古をつけている。整った顔立ちで物腰の柔らかい永芳は、女子供に評判が良かった。

 ──情けなくないのかよ……

 卓越した剣の腕を持ちながら、脚の怪我と余雪のせいで自身は皆と同じ稽古すら許されない。余雪はもやもやとした気持ちを抱えながら、素人に剣術を指南する永芳へ目をやった。

「うん、筋がいいよ」

 笑顔でど素人をおだてる姿にイライラする。
 永芳が今そばについているのは、朱彪しゅひょうという余雪と同じ年頃の子供だった。
 この付近に住む裕福な商家の息子で、週に一回ほど稽古に来ている。通いの弟子の中では、確かに腕が立つ方で、内弟子の稽古に混ざることもあった。

 稽古が終わったのか、朱彪は永芳の腰に抱きついてじゃれている。内弟子があんな態度を取ろうものなら、永芳本人か周りの兄弟子から一喝されるだろうが、外弟子に対しては多少礼儀がおろそかでも、誰も何も言わない。朱彪の家は、飛鶴派に支援していると聞いたこともある。殊更大事に扱われているのだろう。
 穏やかな笑顔で朱彪の相手をする永芳を、余雪は苦々しく見つめた。





 その日の通い弟子の稽古には、初心者の娘子が多かったため、ある程度剣を振るうことのできる朱彪は、歳の近い内弟子に混ざって稽古をすることになった。

「おい、お前」

 余雪は朱彪の肩を掴んで向き合う。
 朱彪は、余雪の無礼な態度に嫌な顔もせず、ニコッと微笑んだ。
 金持ちで何不自由なく育ち、余雪のような相手にも寛大な心で接することができる。余雪が悪ふざけをすれば皆一斉に非難するのに、朱彪がおどけても笑って済ますだけで、窘める者もいない。余雪は、誰からも好かれる朱彪が嫌いだと思った。
 幸い、剣に関しては余雪の方が腕は上だ。

「お前、今日は俺と組んで稽古しろ」
「えっ? 君、強いだろう。でも、僕なんかでいいならぜひ相手をさせてくれ」

 こいつのことが大嫌いだ、と余雪ははっきり思った。

「なあ、せっかくだから勝負をしようぜ」
「勝手にそんなことをしたら叱られるだろう」
「黙ってたらわかるわけねえ」
「でも、君と僕とじゃ勝負にならないよ」

 余雪の提案に、朱彪は困った顔でチラッと永芳の方へ目をやった。無意識に永芳を頼る態度も気に食わない。

「じゃあ、俺は左手で相手をする。それなら文句ないだろう」

 朱彪はまだ悩む様子を見せていたが、余雪は利き手ではない左手で練習用の木剣を掴むと、有無を言わさず朱彪へ剣先を向けた。朱彪も仕方なく剣を握る。

  余雪は剣を合わせると、手加減せずに攻め込んだ。朱彪は余雪の勢いにたじろぎながら、なんとか食らいついてくる。
 一方的に攻めていた余雪だが、慣れない左手を使っているせいで、次第に剣が乱れてきた。朱彪はその隙を見逃さず、鋭い一撃を余雪に打ち込んだ。
 余雪は、朱彪の意外な力強さに内心焦った。朱彪は背丈はそこまで大きくないものの、相変わらず貧相な体つきの余雪と比べて、歳の割にがっしりとしている。太刀筋は単純だが、体重を乗せた剣を受けて、余雪は慌てて内功を巡らせた。
 利き手ではないせいで速さもない余雪に対して、最初は遠慮がちだった朱彪も次第に大胆な攻め方をしてくる。余雪は焦りのせいで防戦一方だ。

 追い詰められた余雪は、右脚で力任せに朱彪の両脚を払った。
 飛鶴派は正統な剣派としての誇りが高く、実戦でもこんな悪辣な手は使わない。ましてや稽古で、しかも幼年の外弟子相手に使うなど論外なのだが、余雪は尻餅をついて仰向けに倒れ込んだ朱彪の腹の上に跨り、上段に剣を構えた。
 もちろん当てるつもりはない。だが、怯える朱彪の表情にもやもやしていた胸のつかえがスッと下りる気がした。

「余雪!」

 大声で呼ばれた余雪は、振り返る間もなく内力の籠った平手で頬を張られて、一丈(約三メートル)ほども吹き飛んだ。
 地面に叩きつけられた余雪が頬を押さえて見上げると、険しい目つきで見下ろす永芳と目が合った。初めて見る永芳の怒りに、思わず泣き出しそうになった余雪は、グッと奥歯を噛み締めた。

 永芳は地面に倒れたままの朱彪に手を貸して起こすと、深々と頭を下げた。

「なっ……! やめろよ!」

 余雪がギョッとして叫ぶが、永芳は頭を下げたまま朱彪に詫びた。朱彪は慌てて永芳に顔を上げさせる。

「僕が悪いんです。僕が勝負しようって持ちかけてしまって......」

 永芳は呆然として朱彪を見た。混乱の後、ふつふつと怒りが沸いてくる。

「どんな理由であれ、あんな卑劣な手を使う余雪が悪いのです」

 永芳は遠巻きに成り行きを見ていた弟子に、余雪を屋敷へ連れて行くよう命じた。腕を掴まれて引きずられるように歩き出した余雪の背中に、朱彪の声が聞こえる。

「僕はなんともないから、彼に悪くしないであげてね」

 余雪はじっと唇を噛んで俯き、泣くのを我慢するのが精一杯だった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

処理中です...