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日常4

雨と心(11)

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* * *

 貸別荘に先に戻った類は、窓の外を不安げに見つめていた。

 雨足はどんどん強くなっているというのに、待ち合わせの時間を過ぎても、伝と帝人が帰ってこないのだ。

 何度か電話をかけてみたが、圏外だという。

「類、着替えてこい」

 タオルで類の髪を拭いていた蒼悟が言った。

「ああ、でも……」

「心配することないよー。ふたりして戻ってこないってことは一緒ってことでしょ?」

 泣き疲れて寝入った双子を抱きながら、寧太が続ける。

「いや……やっぱ俺、探してくるよ」

「待って待って! 今から出たって絶対に行き違いになるって!」

「だけど――」

「俺も行く」

 蒼悟の言葉に、類はため息をついて濡れた前髪を掻き上げた。
 自分一人で行くと言い張っても、蒼悟はついて来る。それを思い出して、類はすぐさま先ほどの言葉を撤回した。

「……悪い。大人しく待つよ」

 それから彼は重い足取りで浴室に向かった。
 類と蒼悟のやり取りを見ていた寧太は、大きく息を吐きだしたのだった。

* * *

 傘に当たる雨雫が、鈍い音を立てている。
 僕は『くつした』の上に傘をさし、身体を寄せていた。既にズボンもシャツもぐっしょりと濡れていたし傘なんてほとんど意味はないが、これ以上、身体が冷えるのは避けたかった。

「伝くん、お待たせ」

「帝人さん……!」

 帝人さんは思ったよりも早く戻ってきてくれた。

「掴まって。少しだけ歩くよ」

「座れるところ、あったんですか?」

 彼の差し出した手を支えに、身体を起こす。

「うん。たぶん、休めると思う」

 それから、僕らは『くつした』を連れて歩き始めた。
 歩く度に、ぐちゅぐちゅと靴が鳴る。痛めた足が重い。
 10分ほどだろうか、歩き続けると道が現れ、更に進めば小さな小屋が見えてきた。

 そこには『天然露天風呂』の看板。

「えっ……ここって……」

 僕は目を瞬かせた。
 来たことはないが、この看板には見覚えがある。
 何故なら――

「伝くん。類から預かった鍵ってポケットにしまってたよね? あれって、ここのでしょ?」

「……はい」

 僕は躊躇いがちに頷いた。
 何故なら、目の前に現れた建物はニャン太さんのお姉さんが管理している貸し切り温泉で、今日、明日と類さんがレンタルの手続きをしていたからだ。
 『くつした』のことで忘れていたが、晴れていたらみんなで一緒に訪れる予定だった。……いや、正確にはそういう「テイ」で裏で色々と画策していたわけだけれども。

 僕は尻ポケットから取り出した鍵を差し込んだ。ついで、引き戸を開ける。

 玄関、それからその奥には13畳ほどのスペースが広がっていた。
 そこは湯疲れ防止用の休憩スペースで、ゴザや、クッション、上掛けの他に甚平などの着替えや、アメニティスペースまであった。

「ひとまず雨はしのげそうだね」と、帝人さん。

 部屋の明かりを付けると、重苦しい不安が一気に軽くなった気がする。

 タオルを失敬して『くつした』を拭き、僕らは濡れた衣服を脱いで甚平に着替えた。
 それから露天風呂に続く廊下に設置された長椅子に腰を下ろした。さすがにシャワーも浴びていない状態で、休憩スペースに上がるわけにはいかないだろう。

「足、そこまで腫れてないみたいで良かったよ」

 着替え終わった後、帝人さんは僕の足を診てくれて、濡らしたタオルで患部を冷やしてくれた。

「伝くん、寒くはない?」

「はい。着替えたのでだいぶ――っくしゅん!」

 強がってはみたものの、やはり長く雨に当たり過ぎたようだ。

「やっぱり寒いよね」

 帝人さんが眉根を下げる。
 ついで、「あー……」と気まずそうに呻いてから、小首を傾げた。

「少しくっついて暖を取ろうか。お互い、風邪ひいても困るし」

「そうですね……」

 僕はぎこちない様子で、帝人さんの方に身体を寄せる。
 それからふたりで上掛けに包まった。
 触れた部分からぬくもりが伝わって、少しだけ寒さが和らぐ。

「……ふぅ」

 すると、帝人さんの方から肺が空っぽになるような、大きなため息が聞こえてきた。

「……僕ですみませんね」

 そう言って、僕は唇を尖らせる。

 昼間、類さんとオセロ勝負をしていた帝人さんの様子を思い出せば、彼が考えていることなんて手に取るようにわかると思った。
 あの食いつきようから察するに、ソウさんとふたりきりで温泉に来るという話をしていたのだろう。

 けれど、僕の言葉が意外だったのか、帝人さんは驚いたみたいに少し目を見開いた。それから態とらしく肩を竦めた。

「……本当にね」

 またソウさんっぽく振る舞ってくれだとか言われるのかと思ったが、それきり彼は押し黙ってしまった。

 落ち込んでいるのだろうか。
……だとしたら、失礼極まりない。

「……あ、そうだ。類たちに連絡しないと」

 と、帝人さんが携帯を取り出したから、僕はゆるく首を振った。

「それなんですけど……圏外みたいなんですよ」

「う、本当だ。……あ、いや、待って。微かに電波入ってるよ」

「えっ!?」

 帝人さんがおもむろに立ち上がり、スマホをかざし、電波を探してフラフラ歩く。

「電話は厳しいけど、メッセージならなんとか送れそう」

 しばらくして彼は安堵の吐息をこぼすとコチラに戻ってきた。

「送れましたか?」

「うん、たぶん」

 隣に座り、さっきと同じようにしてふたりで上掛けに包まる。
 すると、スマホが鳴った。

「ほら。すぐに返信がきた」

 帝人さんが見せてくれたディスプレイに、類さんのメッセージが連続で表示される。
 すぐに迎えに行くとあったから、僕は慌てて「朝になるまで待っていて下さい」と送った。

「この雨の中を迎えに来るなんて危ないもんね」

「はい。かなり道もぬかるんでいましたし、転んだら大変ですから」

 類さんが僕のようにヘマをするとは思えなかったが、万に一つでも起こる可能性があるなら絶対に来て欲しくはない。こちらは朝まで待つだけなのだ。

 建物がみしみしと軋むように、音を立てる。
 ゴォゴォと聞こえる低い音は、風の音か、はたまた近くの川の音か。

 帝人さんが窓の外を見た。
 しばらくしてから、彼は静かに僕を振り返った。

「だけどさ……君は怖くないの?」

「怖い? 確かに、土砂崩れとか心配ではありますけど……」

「そうじゃなくて。今、ここには……俺と君しかいないんだよ」

「どういう意味でしょう?」

 帝人さんの言わんとすることがわからず、首を傾げる。
 彼とふたりきりで、何が怖いのだろう?

「むしろ、帝人さんがいてくれて助かりましたよ。ひとりだったら心細くて、きつかったと思います」

「君ね……」と、帝人さんは呆れかえった様子で、眉間を揉んだ。

「……俺が君にしたこと、忘れたわけじゃないだろう」

 僕は目を瞬いた。

 言われてみれば……帝人さんとふたりきりになったのは、イロイロとあったあの時くらいだった気がする。

「あー……忘れてました」

「へえ?」

 少し心外そうな声が耳に届く。

 お互いに忘れた方がいいことだと思っていたが、彼にとっては違うのだろうか。
……いや、罪を背負って生きると言った彼に「忘れた」は失礼だったかもしれない。

「で、でもですね、忘れて無くても、別に怖いとか思いませんでしたよ……っ!?」

 僕は、しどろもどろと続けた。

「帝人さんの行動には合理性がありますから。怖がる理由はないと言いますか……」

 彼はとても理知的で、全ての行動に説明がつく。まあ、ソウさんにまつわることだと少し突拍子がないとは思うけれど。

 僕の言葉に、彼は柔らかな眼差しを細くした。

「確かに、あの時みたいに酷いことをする理由はないね。でもさ」

 ふと、彼の大きな手が僕の頬に触れる。
 かと思えば、上向くように促された。

 視界に広がる、精悍な顔つき。
 濡れた前髪の合間から覗く、榛色の瞳。

「君が身の危険に遭う理由はゼロだなんて、どうして言えるの?」
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