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日常4
雨と心(12)
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彼は挑発的に微笑み、親指の腹で意味深に唇をなぞってきた。
僕はあからさまに眉根を寄せて見せた。
「掻き集めたって、そんなものはありませんよ」
帝人さんはソウさんが好きだ。そして、僕のことはあまり好きではない、と思う。
何故なら僕は、彼のプライドを傷付けたし、彼がひたむきに隠して守ってきたものを暴いて壊したから。
もちろん和解はできているはずだし、それなりに信頼も育めている、と思っている。
だから、彼の言う「身の危険」というものは降りかかるわけがなく、要するに彼は真剣な顔をして揶揄っているのだ。
真っ直ぐと見つめ返せば、彼は押し黙った。
束の間、視線が重なり、やがて帝人さんの手が離れた。つまらなそうに肩を竦めてみせる。
「……はーあ。つまんないな。前はもっとワタワタしてたのに」
「その反応は、あなたを喜ばせるだけだって学んだんですよ」
「ちぇっ」と、彼は子供のように唇を尖らせる。
僕は半眼で彼を睨み付けた。
こんな非常時でも揶揄おうとするなんて、全く油断も隙もない。
と、帝人さんが盛大にくしゃみをした。
「……あー……もう少しくっついてもいい? かなり冷えちゃったみたい」
「どうぞ」
帝人さんの腕が僕の肩を抱く。
類さんとは違う、コロンの香りが鼻先をくすぐった。
「……なんでだろうね。君とはこうして話せるのに」
しばらくすると彼は苦笑いしながら口を開いた。
「ソウさんのことですか?」
「うん……ソウを前にするとね、頭の中が真っ白になっちゃって、自分でも何を口走ってるのかとかよくわかんなくなるんだよ」
「わかりますよ。僕も、類さんと話してる時、そうなります。好き過ぎてどうしていいのかわからなくなるんですよね」
想いが余りに溢れ過ぎて、混乱するのだ。
身体の中で行き場のわからない欲求がグルグルして、動けなくなる。それはもう、呼吸の仕方も忘れるくらいに。
「だけど、だんだんと慣れてきました」
「慣れる?」
「はい。前に類さんが言ってたでしょう? 愛することは筋トレみたいなもんだって」
僕は目を閉じて、彼の言葉を反芻する。
それから帝人さんを見上げた。
「本当にその通りだな、って思うんです。
何度も気持ちを伝えてるうちに、気恥ずかしいより……なんていうか、愛おしい気持ちの方が大きくなっていったっていうか……
帝人さんも、伝え続けてるうちに落ち着いて話せるようになりますよ」
「なれるかな。なれると良いんだけど」
彼は手を組むと、天井を見上げた。
「……怖いんだよね」
それから、ポツリと言った。
「俺は、ほら、ろくな人間じゃないから。どこかで、ソウに近づいたらダメだって思うんだ」
「ろくな人間じゃないなんて、思わないですけど」
「君がそれを言うの?」
「うーん……僕だから、じゃないですか?」
帝人さんがきょとんとする。
「僕は……あなたとソウさんは似てると思ってますよ。ビックリするくらいに。真っ直ぐなところとか」
帝人さんは、好きな人の幸せを見守り続けてきた。別の目的もあったとはいえ、僕には到底真似できることじゃない。
彼は少し気まずそうにしてから、壁に背を預けた。
指を開いたり閉じたりする。
ついで掠れる声を絞り出した。
「俺は……どうしたらいいんだと思う? この気持ちをどうすれば……どう表現すればいいのか……わからないんだよ」
雨の音が部屋に響いている。
タオルに伏せていた《くつした》の尻尾が、1度パタリと床を叩いたのが見えた。
「今、俺は幸せなんだ。だから、これ以上は望まない。なのに……色んなものが欲しくなる」
「好きなら、欲しくなるのは当たり前ですって」
「関係が壊れてしまうかも」
「壊れませんよ。絶対に。そんなに柔い関係じゃないでしょう」
「でも……」
おずおずと帝人さんがこっちを見た。
口元を手で覆い、不安げにする彼は、お気に入りの骨を無くしてしまった犬みたいだ。
ちょっと可哀想で、可愛い。
「わかりました。じゃあ試してみましょう」
僕は努めて明るく言った。
「試す?」
「欲しいってこと、少しずつ表現するんです。
それで成功体験を重ねれば、その恐怖は少しずつ薄れると思うんです」
「君の言った、慣れるってことだね」
「はい」
真剣な帝人さんには悪いが、僕は緩みそうになる口元を必死で引き結ぶ。
自分よりずっと大人な帝人さんの、時折見せるこういう姿は、なんだかとてもこそばゆく感じるのだ。
「今のあなたはソウさんが好きだって言えるじゃないですか。前は絶対に言わなかったのに。ということは、ですよ。あなた自身、気持ちを伝えても関係は壊れないって理解しているんです。だから慣れれば、その恐怖心は絶対になくなります」
「……確かにね」
帝人さんが呆けたように頷く。それからうん、と低く唸った。
「慣れる……慣れる、か」
誰にともなく譫言を繰り返す。
それから、ふと、彼は真剣な様子で僕を見た。
「伝くん」
「はい?」
首を傾げれば、彼は唇を開閉させる。
それからそっと僕の濡れた前髪を掻き上げた。
「……愛してるよ」
僕はポカンと口を開けた。
一拍遅れて理解が追いつき、僕はその大きな手を振り払った。
「きっ、協力するとは言いましたけど! 言いましたけどもっ!」
唐突なことに呆気に取られたが、何と言うことはない。
また、ソウさんに告げる前の準備運動だ。かつ、ワタワタする僕を面白がるためだろう。
本当に。本当に、本当に、ほんっとうに! この人は!!
僕は大袈裟にため息をつく。
「……まあ、いいですよ。僕がクッションになって、帝人さんがやりやすくなるなら」
「クッションじゃないけど」
「クッションじゃなければ、パッキンですか?」
「酷いなあ。本気で愛してるのに」
「はいはい。僕も愛してますよ」
「本当に?」
「本当に」
投げやりに告げる。
呆れてはいるが、言葉に嘘はない。
大切で、守りたくて、手放したくない。
愛とは何なのか――僕はまだ明確な答えに至れてはいないが、この気持ちはたぶん、愛のようなものだと思う。
すると、
「そっか……」
ふいに、帝人さんが子どものように笑うから、僕はちょっと驚いてしまって、続く言葉を見失った。
……調子が狂う。
でも、戸惑った態度なんて見せたら彼を喜ばせるだけだからと、平然な風を貫いた。
帝人さんはと言えばそれきり黙って、僕にくっついていた。
雨の止む気配はない。
『くつした』が低く鼻を鳴らす。部屋のライトが、心許なくチカチカと点滅する。
僕は窓の外に目をやった。
部屋はじめじめしていて、薄暗くて、そして落ち着かない温もりがあった。
僕はあからさまに眉根を寄せて見せた。
「掻き集めたって、そんなものはありませんよ」
帝人さんはソウさんが好きだ。そして、僕のことはあまり好きではない、と思う。
何故なら僕は、彼のプライドを傷付けたし、彼がひたむきに隠して守ってきたものを暴いて壊したから。
もちろん和解はできているはずだし、それなりに信頼も育めている、と思っている。
だから、彼の言う「身の危険」というものは降りかかるわけがなく、要するに彼は真剣な顔をして揶揄っているのだ。
真っ直ぐと見つめ返せば、彼は押し黙った。
束の間、視線が重なり、やがて帝人さんの手が離れた。つまらなそうに肩を竦めてみせる。
「……はーあ。つまんないな。前はもっとワタワタしてたのに」
「その反応は、あなたを喜ばせるだけだって学んだんですよ」
「ちぇっ」と、彼は子供のように唇を尖らせる。
僕は半眼で彼を睨み付けた。
こんな非常時でも揶揄おうとするなんて、全く油断も隙もない。
と、帝人さんが盛大にくしゃみをした。
「……あー……もう少しくっついてもいい? かなり冷えちゃったみたい」
「どうぞ」
帝人さんの腕が僕の肩を抱く。
類さんとは違う、コロンの香りが鼻先をくすぐった。
「……なんでだろうね。君とはこうして話せるのに」
しばらくすると彼は苦笑いしながら口を開いた。
「ソウさんのことですか?」
「うん……ソウを前にするとね、頭の中が真っ白になっちゃって、自分でも何を口走ってるのかとかよくわかんなくなるんだよ」
「わかりますよ。僕も、類さんと話してる時、そうなります。好き過ぎてどうしていいのかわからなくなるんですよね」
想いが余りに溢れ過ぎて、混乱するのだ。
身体の中で行き場のわからない欲求がグルグルして、動けなくなる。それはもう、呼吸の仕方も忘れるくらいに。
「だけど、だんだんと慣れてきました」
「慣れる?」
「はい。前に類さんが言ってたでしょう? 愛することは筋トレみたいなもんだって」
僕は目を閉じて、彼の言葉を反芻する。
それから帝人さんを見上げた。
「本当にその通りだな、って思うんです。
何度も気持ちを伝えてるうちに、気恥ずかしいより……なんていうか、愛おしい気持ちの方が大きくなっていったっていうか……
帝人さんも、伝え続けてるうちに落ち着いて話せるようになりますよ」
「なれるかな。なれると良いんだけど」
彼は手を組むと、天井を見上げた。
「……怖いんだよね」
それから、ポツリと言った。
「俺は、ほら、ろくな人間じゃないから。どこかで、ソウに近づいたらダメだって思うんだ」
「ろくな人間じゃないなんて、思わないですけど」
「君がそれを言うの?」
「うーん……僕だから、じゃないですか?」
帝人さんがきょとんとする。
「僕は……あなたとソウさんは似てると思ってますよ。ビックリするくらいに。真っ直ぐなところとか」
帝人さんは、好きな人の幸せを見守り続けてきた。別の目的もあったとはいえ、僕には到底真似できることじゃない。
彼は少し気まずそうにしてから、壁に背を預けた。
指を開いたり閉じたりする。
ついで掠れる声を絞り出した。
「俺は……どうしたらいいんだと思う? この気持ちをどうすれば……どう表現すればいいのか……わからないんだよ」
雨の音が部屋に響いている。
タオルに伏せていた《くつした》の尻尾が、1度パタリと床を叩いたのが見えた。
「今、俺は幸せなんだ。だから、これ以上は望まない。なのに……色んなものが欲しくなる」
「好きなら、欲しくなるのは当たり前ですって」
「関係が壊れてしまうかも」
「壊れませんよ。絶対に。そんなに柔い関係じゃないでしょう」
「でも……」
おずおずと帝人さんがこっちを見た。
口元を手で覆い、不安げにする彼は、お気に入りの骨を無くしてしまった犬みたいだ。
ちょっと可哀想で、可愛い。
「わかりました。じゃあ試してみましょう」
僕は努めて明るく言った。
「試す?」
「欲しいってこと、少しずつ表現するんです。
それで成功体験を重ねれば、その恐怖は少しずつ薄れると思うんです」
「君の言った、慣れるってことだね」
「はい」
真剣な帝人さんには悪いが、僕は緩みそうになる口元を必死で引き結ぶ。
自分よりずっと大人な帝人さんの、時折見せるこういう姿は、なんだかとてもこそばゆく感じるのだ。
「今のあなたはソウさんが好きだって言えるじゃないですか。前は絶対に言わなかったのに。ということは、ですよ。あなた自身、気持ちを伝えても関係は壊れないって理解しているんです。だから慣れれば、その恐怖心は絶対になくなります」
「……確かにね」
帝人さんが呆けたように頷く。それからうん、と低く唸った。
「慣れる……慣れる、か」
誰にともなく譫言を繰り返す。
それから、ふと、彼は真剣な様子で僕を見た。
「伝くん」
「はい?」
首を傾げれば、彼は唇を開閉させる。
それからそっと僕の濡れた前髪を掻き上げた。
「……愛してるよ」
僕はポカンと口を開けた。
一拍遅れて理解が追いつき、僕はその大きな手を振り払った。
「きっ、協力するとは言いましたけど! 言いましたけどもっ!」
唐突なことに呆気に取られたが、何と言うことはない。
また、ソウさんに告げる前の準備運動だ。かつ、ワタワタする僕を面白がるためだろう。
本当に。本当に、本当に、ほんっとうに! この人は!!
僕は大袈裟にため息をつく。
「……まあ、いいですよ。僕がクッションになって、帝人さんがやりやすくなるなら」
「クッションじゃないけど」
「クッションじゃなければ、パッキンですか?」
「酷いなあ。本気で愛してるのに」
「はいはい。僕も愛してますよ」
「本当に?」
「本当に」
投げやりに告げる。
呆れてはいるが、言葉に嘘はない。
大切で、守りたくて、手放したくない。
愛とは何なのか――僕はまだ明確な答えに至れてはいないが、この気持ちはたぶん、愛のようなものだと思う。
すると、
「そっか……」
ふいに、帝人さんが子どものように笑うから、僕はちょっと驚いてしまって、続く言葉を見失った。
……調子が狂う。
でも、戸惑った態度なんて見せたら彼を喜ばせるだけだからと、平然な風を貫いた。
帝人さんはと言えばそれきり黙って、僕にくっついていた。
雨の止む気配はない。
『くつした』が低く鼻を鳴らす。部屋のライトが、心許なくチカチカと点滅する。
僕は窓の外に目をやった。
部屋はじめじめしていて、薄暗くて、そして落ち着かない温もりがあった。
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