人狼坊ちゃんの世話係

Tsubaki aquo

文字の大きさ
上 下
89 / 224
番外編2

セシルくんは素直になりたい。(9)

しおりを挟む
* * *

 翌日から、ボクらの関係は変わった。
 ――ということもなく。

 ヴィンセントはいつも通りだった。
 本当に、頭にくるほど何も変わらない。
 まるで、あのこと全てが夢だったみたいだ。

「もしかして……無かったことにするつもり、とか。
 ……まさかね?」

 宿屋でお針子の仕事に勤しんでいたボクは、誰にともなく呟いた。
 ヴィンセントはと言えば、今は用心棒の仕事で外に出ている。

「……でも、アイツならやりかねないかも。
 結局、最後までシなかったのは後戻りできなくなるって思ったからだったりして」

『壊してしまいそうで、怖い』

 告げられた言葉に、不覚にもキュンとした。
 でも、よくよく考えてみれば、あれは優しさじゃなくて、
 単にヴィンセントが意気地無かっただけかもしれない。

 そう言う所が、彼にはある気がする。

「……ムカつく」

 ボクは怒りを速度に変換して、ザクザクと針を進めた。

 凄く勇気を振り絞って、『エッチする?』って聞いたのに。
 あれじゃあ、ボクだけしたかったみたいだ。
 ヴィンセントだって、ムラムラしてたクセに。

 部屋の扉が開いたのは、そんなことを考えていた時だった。

「何をそんなにイラついてるんだ」

「あ、ヴィンセント。おかえり」

「ただいま」

 素っ気なく言うと、彼は真っ直ぐ浴室に向かった。
 すん、と鼻先をくすぐる葉巻と、女の人の甘い香り。
 今日の用心棒先は娼館だったのだから、
 当たり前と言えば当たり前なのだけれど、なんとなく面白くない。

 シャワーの音が聞こえてきた。
 とある考えが閃いて、ボクは一人ほくそ笑むと、
 繕っていたものを籠にしまった。

 足音を忍ばせ、浴室に向かう。

 無かったことになんて、絶対にさせない。
 むしろ、ボクに興奮してた事実を認めさせてやる。

 ボクは衣服を脱ぎ捨て、腰にタオルを巻いただけの格好になると、
 浴室の扉を開けた。
 湯気がもわんと頬を撫でる。
 目に飛び込んでくる、傷だらけの、鍛え抜かれた巨躯にドキリとする。

「ヴィンセント」

「どうした?」

 髪を洗っていたヴィンセントがこちらを振り返った。
 次いで、彼はザザザッと音を立てて後ずさった。

「なんで脱いで……」

「昨日の続き、しようよ」

 思わせぶりに下唇を舐めると、ボクはヴィンセントに抱きついた。

「……お前な。
 出るまで待てなかったのか」

「うん。ほら、早く」

 瞼を閉じて、唇を突き出す。

 シャワーの水音が止まった。
 それからヴィンセントは躊躇いがちに、ボクを抱き寄せた。

 ポタリ、ポタリと彼の髪から水滴が落ちて、ボクの頬を濡らす。

「んむっ……」

 厚い唇が、ボクの口を塞いだ。
 キスをされながら、お尻を優しく揉みしだかれると、
 昨日のことがありありと蘇ってきて、体が熱を帯びていく。

「しっかり、しがみついてろ」

「んぅうっ……ヴィンセン、ト……っ!」


 ……彼はこの間みたいに、ボクに優しく触れた。
 でも、それだけだった。
 ヴィンセントは挿れたいとも言わなかったし、
 今回は手でしてくれとも言わなかった。

* * *

「マジで意味分かんないんだけど」

 更に翌日の夜。
 ボクは昨日に輪をかけた苛立たしい気持ちで仕事に勤しんでいた。

 昨晩、浴室でボクに触れたヴィンセントは、
 それなりに興奮していたように思う。
 でも、彼はボクだけイかせて、おしまいにしてしまった。

 あの後、ヴィンセントは自分でしたのだろうか。
 それとも、そういう必要はないのかな。

 ボクは初めてヴィンセントに触れられた朝方のことを思い出す。
 彼のあの遅さは、普通じゃなかった。教会時代の清貧な暮らしのせいに違いない。
 あんなんじゃ、恋人がいても逃げ出してしまっただろう。

 ――恋人。

 頭に過った単語に、ボクはギクリとした。
 今まで考えたこともなかったけど……
 ヴィンセントのヤツ、恋人とかいたのか……?

 彼に連れられて村を出た頃のボクは子供で、
 家族を失って、しかも知らないうちに死徒になんてなっていたせいで
 混乱と失意のどん底にいた。
 あの時は自分のことで頭がいっぱいだった。
 だから、ヴィンセントの優しさに溺れるほど甘えていた。
 ……まあ、今もあまり変わらないけど。

 とにかく、ヴィンセントはあの頃からずっとボクに親身にしてくれて、
 優しくて、可愛がってくれて……

 彼はどんな気持ちで、ボクに触れるんだろう。
 いつものワガママに付き合うのと同じ感覚だったのかな。そうだとしたら……

 ボクは繕いものをテーブルに置いた。
 胸がチクリと痛んだ。

「……なんで寂しいんだよ」

 自問自答する。けれど、問いに対する答えは浮かんでこない。
 ボクはヴィンセントのことが恋しくなって、窓の外へと目を向けた。
 空がうっすらと白んでいる。ボクはカーテンを閉めた。

 そろそろヴィンセントが帰ってくる。

 ボクは少しだけ思案を巡らせてから、
 自分の荷物をひっくり返した。
 奇麗に折りたたまれた、レースの立ち襟のシャツと、
 えんじのスカート、見せコルセットに、ガーターベルト、靴下……
 ひとまず、その辺りを取り出して、ベッドに並べる。

 昨日のは、裸で迫ったのがいけなかったのかもしれない。
 あんなのムードも何もあったもんじゃなかった。

 そもそも、ヴィンセントはムッツリの気があるんじゃないか。
 だから、彼に欲しいって言わせるには……
 可愛い服で攻めるべきなのではと思い至ったわけだ。

 コルセットと、スカートは数年前にデザインしたもので、
 お客さんの受けが良くて何本が繕った。
 その時、気に入って自分用にも作っていた。
 旅が続いてオシャレする暇もなかったから忘れていたけれど……
 意外と可愛らしい。

 着替えてみると、なんだかワクワクしてきた。
 一見、貞淑そうに見えるけれど、少しスカートをめくると、
 ガーターベルトが覗く。その上から、フリルの紐の下着をはいた。

 こんなの気付いた日には、ギャップにメロメロになる。
 もう絶対。絶対、これエロい。

 ボクは、あの時みたいに動揺するヴィンセントを思うと、
 口元を綻ばせた。

 アイツ、もう辛抱たまらん、ってなって、
 ボクのこと抱きたいって呻くように言うぞ。

 そうしたらボクは、
『この前は覚悟出来てたけど、今日はどうしようかな』なんて
 焦らしてやって、もっともっと困らせてやって……

「ふっ……ふふ、ふ……」

 いつもよりも髪を低めに結ったボクは、ベッドにごろりと横になる。
 考えるだけで、楽しくなってきた。

 ……でも、いつまで待ってもヴィンセントは帰ってこない。

 ボクは体を起こした。
 もう外はとっくに朝だ。
 いつもならもう帰ってきて、2人で夢の中にいるはずなのに。

 胸いっぱいに不安が広がった。

 仕事が長引いてる? もしかして、強いやつに絡まれたとか?
 でも、ヴィンセントが一般人に負けるわけがないし。
 なら、どうして……
 
「もしかして…………病院?」

 仕事中に、発作が出たのかも。
 処方された薬でだいぶ楽になったって言ってたのに。
 ボクのこと、心配させないように嘘ついてたとか……?

 ボクはいてもたってもいられず、ベッドから飛び降りた。

 病院に行かなくちゃ。
 そこにもいなかったら、どこかで倒れているのかもしれない。

 日の下に出るのは怖かった。ちょっとでも触れたら、灰になる。
 でも、それでも、ヴィンセントが誰にも気付かれずに倒れていたら
 なんて考えたら、部屋の中になんていられない。

 ボクは腕まである日避けの手袋をつけて、肩掛けポシェットを持つと、
 部屋を飛び出す。ーーその時だった。

「ぷぎゃ」

 扉を引き開けた瞬間、広い胸板にぶつかった。

「セシル? 何処に行くんだ?」

 ヴィンセントだった。

「何処って、お前が帰ってこないから探しに行こうと……」

「馬鹿なことを言うな。もう日が昇ってる」

「バカってなんだよ。ボクは心配してっ……」

「……悪かった。少し用事があってな。
 とはいえ、どんなことがあっても絶対に外に出るな。命に関わるぞ」

 後手に扉を閉めて、ヴィンセントが部屋に入ってくる。

「用事って、なに?
 病院? もしかして、体調悪いんじゃ……」

「いや、体の方じゃない。心配するな」

「なら、なんなのさ」

「それは……」

 少しだけ悩んでから、ヴィンセントが口を開く。

「お前には、関係ない」

「か、関係ないって、どういうっ……!」

 ふいに、鼻先をかすめた香りにボクは目を見開いた。
 甘い。麝香の香り。
 女の人の、香水だ。

 バクバクと心臓が高鳴る。
 大丈夫。今日の用心棒先、昨日と同じ場所だ。
 女の人の香りがしたって、フツーだ。

 でも。
 でも。

 昨日よりも、気配が濃い……気がする。

「お前、もしかして……」

 ボクは言葉を飲み込むと、ヴィンセントを見上げた。
 彼はふいとボクの目線から逃れると、浴室に体を向けた。

「……嘘でしょ」

 女の人と、くっついた?
 何のために?

 もしも。
 もしも、ヴィンセントがボクのことをそういう目で見られなくて、
 だから抱けなかったとしたら。

 その欲望は、何処に向かっていたんだろう。
 
 ねえ、ヴィンセント。
 お前、ボクにドキドキしたんだよね?

 あれ、生理的反応だったわけじゃないよね。
 ボクだから、興奮したんだよね?

 耳鳴りがする。

 シャワーを浴びて出てきたヴィンセントからは、
 甘い香りは一切消えていた。
 彼はボクを見て、とても苦しそうな顔をすると、
 逃げるようにベッドに寝転んで、こちらに背を向けてしまった。

「…………ヴィンセントのバカ」

 ボクはパジャマに着替え直して、上掛けを頭からかぶった。
 整えた髪に指を突っ込んで、ぐちゃぐちゃにする。

 何もかも、ボクの考え過ぎだ。
 ボクの考え過ぎ……だよね?
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

こころ・ぽかぽか 〜お金以外の僕の価値〜

BL / 連載中 24h.ポイント:553pt お気に入り:789

どうせβだから……(悩み中)

BL / 連載中 24h.ポイント:1,016pt お気に入り:7

エリート先輩はうかつな後輩に執着する

BL / 連載中 24h.ポイント:738pt お気に入り:1,721

兄のやり方には思うところがある!

BL / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:70

当て馬にも、ワンチャンあってしかるべき!

BL / 完結 24h.ポイント:525pt お気に入り:2,414

【BL】欠陥Ωのオフィスラブストーリー

BL / 連載中 24h.ポイント:3,551pt お気に入り:537

N氏と3人のペット

BL / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:6

嫌われ者の僕はひっそりと暮らしたい

BL / 完結 24h.ポイント:1,235pt お気に入り:3,021

処理中です...