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22,黒蜥蜴、疾走る

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全身を包む黒は闇の色。
鱗を模したマスクをつけた怪人は、階段のてすりを滑走した。

階段を駆け下りるよりそのほうが早い、と判断したのだ。

警備院の姿がどこにも、ない。
いくら、本気か冗談かわからぬ犯行予告にしてもこれは酷いのではないだろうか。

まるで、わざと無人にしたようだ。
先行したエミリアとドロシーは。

エミリアは、あれはかなり実戦を積んでいる。
攻守ともに隙がない。
とんでもない超常の存在でもない限り、そうそうひけはとらないだろう。

だが、ドロシーは。

神獣のスーツがあってもなお、人間にすぎない。


急げ。急げ。

5階から3階は吹き抜けになっていた。
飛び降りる?

いや自由落下の速度が遅い。

階段から身を躍らせるときに、手すりを蹴りつけた。その反動で、加速をつけて、次の手すりへ。
床にたたきつけられる寸前に、風魔法で衝撃を和らげて身をおこす。
3階もだれ一人いなかった。

常駐警備するはずの警備員すら。

マスクの怪人はうめく。
例の小部屋は。フロアの反対側の奥だ。

駆け込んだが、そこにも人影はない。

副館長で、「神竜の鱗」の管理をしているはずの、二フフ老人も。
そして、部屋の真ん中の台座には・・・・「神竜の鱗」はなかった。

とりあえず、それはこっちにおいといて。

ドロシーはどこだろう。
彼よりはひと足早く駆けつけたはずなのだ。

「怪盗黒蜥蜴を発見!」

この部屋の唯一の出入り口に、冒険者たちがあらわれた。

「おお、神竜の鱗がない。」
「これは、黒蜥蜴が盗んだ。」
「よし、黒蜥蜴をつかまえよう。」
「手強いぞ」
「手強い。うっかり殺してしまってもしかたない。」

冒険者たちの目は、熱病におかされたように焦点を失い、ただギラギラと輝いている。

魔法使いの手に火炎球があらわれた。通常のものではない。
保持する彼女の手が、ぶすぶすと煙をあげ、焦げていく。

ここで、そんなものを爆発させたら、周りの収蔵品にも被害が及ぶだろう。ベテランの冒険者がそれがわからないはずがない。
だが、彼女は無造作にそれを投じた。

『神竜の爪』のあった隠し部屋はそれほど、広いものではない。
所蔵品どころか・・・・自分達も巻き込まれる。

明らかに彼らは正気ではなかった。

吸血鬼に魅入られた人間が、一時的に強大な能力を得るような。

そんな上位存在に魅入られた状態にある。

怪人の手に魔法陣が現れた。
大火球がその中に吸い込まれ、消滅した。

「強い強い」
「黒蜥蜴は強い」
「よし、俺が切り刻もう」
「ならば、俺は足を抑える」
「わたしは手だ」
「いいぞ、我らごと切り刻め」


「黒蜥蜴がいない。」

一瞬、部屋に白けたような沈黙が流れた。

「・・・ああ・・黒蜥蜴がいない。」
「どこへ行ったのだ?たった今までいたのに。」


「これは異常だ。まず、あのお方に報告せねば。」

「・・・そうだな。」
「まず報告が大事だ。」
「よし、そうしよう。」

冒険者たちは踵を返し、ぞろぞろと歩いて行く。
その後ろを怪人は、まるで仲間になったかのような顔で、ついて行く。

上位の存在にその精神までも支配下に置かれた者は、思考力、判断力が鈍る。
そこに漬け込んでみたのだが、うまくいった。

さあて。

“ニフフのところに案内してもらおうか。
『暁の戦士』”




ここだ!

エミリアは、ルトが踊り場に足を踏み下ろした瞬間、首筋に棒を叩き込んだ。
首の骨が折れるギリギリ。
だが、それが跳ね返される。

攻撃がバレていた?

くるりと棒を立てて、空中で一回転。構え直すと同時に、くるくると棒を旋回させた。
生まれた音は、回避不能、防御不能の怪音となって、脳を揺さぶる。

少年の華奢な体がぐらりと揺れた。

よし、これは効いた・・・・

続いて生じた衝撃波に、エミリアは吹っ飛んだ。

それは・・・・叫びだった。
人間の口から出たとはとても思えない。音の放流・・・・・。

エミリアの聴力は、完全に消失し、痛みと目眩だけが残った。

“く、そ・・・なんだよ、これ”

少年が振り返る。

小柄な体躯。可愛らしいとさえ言える風貌・・・だが、そいつはルト、ではない。

制服は確かにルトの、ものだ。
では、ルト、は。

「お、おまえは・・・・」

「同じ手は2度は食わんのさ。」
耳は聞こえないが、口の形がそう動いた。
そう言った少年の眼窩から、血がすうっと頬に流れた。
いや、効いてはいる。

2度?
なら、以前にもこの技を食らったことがあるのか?

「おまえが、黒蜥蜴、か。」
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