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43.薄闇の口づけ(2)
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「アルフォンス様」
「うん」
「あなたがわたしのことを好きだとおっしゃったのは、その、本当のことなのでしょうか?」
目が慣れて、輪郭だけではなく彼の表情もしっかりと見える。しみじみ見れば、本当に端正な顔立ちだと思う。彼は未だにエレインの髪を梳きながら
「そうだな」
とあっさり返した。
「なんだ。信じていなかったのか」
「いえ……そういうわけではないのですが」
それ以上の言葉はない。ただ、尋ねたかったから尋ねただけで、答えを聞いたからといって何か言葉を続けられるわけでもなく、エレインは視線を逸らした。
「そうだな。わたしは、あなたがわたしをどう思うのか、特にその答えを要求はしていないが……」
「そうです。どうしてなのですか……」
「それは、わたしが臆病者だからだよ。聞かなければ、ずっと、ずっと、期待をしたままでいられるだろう……」
そう言って、アルフォンスは困ったような笑みを浮かべた。エレインの髪を撫でていた手がゆっくり降りて、頬に触れる。ああ、温かくて大きい、と思う。
「ずっと、このまま。この先5年間。聞かなくてもいい。あなたに断られることを考えれば」
「でも、わたしたちはもう夫婦ですし……」
「夫婦だから、なんだ? わたしが、あなたの返事を聞かずに、あなたを愛しても許されるということかな……だったら、それはありがたいな……あなたに我慢を強いることは変わらなくて申し訳ないが……」
その言葉の意味を、エレインは間違えなかった。わたしを愛しても許される。寝室で語られるその文言は、心のことでもあり、体のことでもあるのだろう。困ったように、黙って彼女は何度か瞬いた。何を口に出せばいいのかすらわからず、かすかに口を半開きにして、それから閉じて。それを繰り返してから、ようやく言葉を紡ぎだす。
「もし、わたしがあなたの気持ちに応えなければ……そういうことは、なさらない、のでしょうか」
「言っただろう? 子供を生さなければ、側室をとらなければいけなくなってしまうと」
「あっ……そ、そうでした」
「……だから。あなたからの答えがわたしを拒絶するものだったら、更に心に痛みを抱えてあなたを抱かなければいけない」
その言葉を聞いて、エレインは少しばかりむっとした表情になる。
「でしたら、言わなければ良かったでしょうに」
「それは、わたしを拒絶するという意味だろうか?」
「っ……違いますっ……違う、のです……けれど……」
アルフォンスは「そうか」と言って、彼女の手を取った。ああ、彼はいつも自分の手を取る。そして、手の甲に口づけを落とす。今もそうなのだろうとエレインはじっとその様子を見つめる。だが、彼はキスを与えずに、エレインと同じくその甲に視線を落とすだけだ。
「眠れないなら」
それから、彼は顔をあげた。
「あなたの体にキスをしても、許されるだろうか?」
「……」
「もっとお互いを知り合ってからと、わたしは言った。まだ、それに達していないだろうか」
「ずっ……」
「うん?」
穏やかな声。きっと、彼はここで自分が拒んでも「そうか」としか言わないのだろうと思う。だが、選択はエレインに委ねる。優しいようで、それは優しくない。エレインが彼をどう思っているのかも聞かずに、そういう行為をするかどうかを選ばせるなんて。
「ずるいです……それとこれとは……」
「わたしはあなたが拒んでも、あなたを嫌いにはならない」
「わたしには、まだ、よくわかりません。ただ……」
「うん」
ためらいがちにエレインは答えた。
「あなたが、わたしの手の甲にキスをくださることが、本当は好きなのです」
ずっと。ずっと、何も言わずにそれを受け入れて来た。美しくもない自分の手。少しばかり女性にしては武骨な手。何故彼は何度も自分の手の甲にキスをするのか、わからなかった。そして、今でもわからない。
だが、ほんの少しだけそれが嬉しかった。彼が言っていた「美しい手」という言葉を信じられると思ったからだ。彼はいつでも自分には嘘をつかない。他の誰に言われても信じなかっただろうが、あの戦場での自分を知っている彼ならば、何故か信じられるとエレインは思う。
「ありがとう」
何故かアルフォンスは礼を言ってから、エレインの手の甲に口づけを与えた。鼓動が高まる。だって、彼は「手の甲にキスをしても良いのか」とは言わなかった。体に。また、彼は自分の体にキスをするのだろう。よくわからない息苦しさを感じながら彼を見ていると、ゆっくりと手の甲から唇を離してエレインを見上げる。
「あなたに、キスをしたい」
暗い室内に、一瞬静寂が訪れた。衣擦れの音ひとつなく、一拍。それへの答えをエレインは持たなかった。いや、言わなくても、既に彼に許可を出していた。アルフォンスはそれがわからない男ではない。彼の手が再びエレインの髪に差し込まれる。どうしたらいいのかとエレインは困惑をした。だって、それだけで、なんだか胸が締め付けられるようではないか。
(なんだこれは。抗えるわけがない……)
瞳を閉じれば、彼の唇が自分の唇に重なった。優しい口づけは、軽く唇同士をつけるだけのもの。離れた、と思って目を開ければ、彼は再びキスをする。キスをしては、彼はエレインを見て、またもう一度唇を重ねては、再びエレインを見る。それに耐えられなくなって「やめて」と彼女はか細く呟いた。
「見ないでください……」
「それは、難しいな……だって、何度だってあなたが受け入れてくれているのだと確かめたいのだから」
もう一度エレインは「ずるい」と言いそうになった。だが、うまく喉に何かが詰まったように返事が出来ない。
(違う。ずるいのはわたしの方だ)
どちらにしても、彼は自分を抱かなければいけない。エレインが答えたところでそれに変わりはない。それは紛れもない事実だ。
ずるいのは自分の方。そう思った理由を彼女自身は良く分かっていない。だが、それもまた、紛れもない事実なのだ……そう思いながら、エレインは彼からの深いキスを、静かに受け入れた。
「うん」
「あなたがわたしのことを好きだとおっしゃったのは、その、本当のことなのでしょうか?」
目が慣れて、輪郭だけではなく彼の表情もしっかりと見える。しみじみ見れば、本当に端正な顔立ちだと思う。彼は未だにエレインの髪を梳きながら
「そうだな」
とあっさり返した。
「なんだ。信じていなかったのか」
「いえ……そういうわけではないのですが」
それ以上の言葉はない。ただ、尋ねたかったから尋ねただけで、答えを聞いたからといって何か言葉を続けられるわけでもなく、エレインは視線を逸らした。
「そうだな。わたしは、あなたがわたしをどう思うのか、特にその答えを要求はしていないが……」
「そうです。どうしてなのですか……」
「それは、わたしが臆病者だからだよ。聞かなければ、ずっと、ずっと、期待をしたままでいられるだろう……」
そう言って、アルフォンスは困ったような笑みを浮かべた。エレインの髪を撫でていた手がゆっくり降りて、頬に触れる。ああ、温かくて大きい、と思う。
「ずっと、このまま。この先5年間。聞かなくてもいい。あなたに断られることを考えれば」
「でも、わたしたちはもう夫婦ですし……」
「夫婦だから、なんだ? わたしが、あなたの返事を聞かずに、あなたを愛しても許されるということかな……だったら、それはありがたいな……あなたに我慢を強いることは変わらなくて申し訳ないが……」
その言葉の意味を、エレインは間違えなかった。わたしを愛しても許される。寝室で語られるその文言は、心のことでもあり、体のことでもあるのだろう。困ったように、黙って彼女は何度か瞬いた。何を口に出せばいいのかすらわからず、かすかに口を半開きにして、それから閉じて。それを繰り返してから、ようやく言葉を紡ぎだす。
「もし、わたしがあなたの気持ちに応えなければ……そういうことは、なさらない、のでしょうか」
「言っただろう? 子供を生さなければ、側室をとらなければいけなくなってしまうと」
「あっ……そ、そうでした」
「……だから。あなたからの答えがわたしを拒絶するものだったら、更に心に痛みを抱えてあなたを抱かなければいけない」
その言葉を聞いて、エレインは少しばかりむっとした表情になる。
「でしたら、言わなければ良かったでしょうに」
「それは、わたしを拒絶するという意味だろうか?」
「っ……違いますっ……違う、のです……けれど……」
アルフォンスは「そうか」と言って、彼女の手を取った。ああ、彼はいつも自分の手を取る。そして、手の甲に口づけを落とす。今もそうなのだろうとエレインはじっとその様子を見つめる。だが、彼はキスを与えずに、エレインと同じくその甲に視線を落とすだけだ。
「眠れないなら」
それから、彼は顔をあげた。
「あなたの体にキスをしても、許されるだろうか?」
「……」
「もっとお互いを知り合ってからと、わたしは言った。まだ、それに達していないだろうか」
「ずっ……」
「うん?」
穏やかな声。きっと、彼はここで自分が拒んでも「そうか」としか言わないのだろうと思う。だが、選択はエレインに委ねる。優しいようで、それは優しくない。エレインが彼をどう思っているのかも聞かずに、そういう行為をするかどうかを選ばせるなんて。
「ずるいです……それとこれとは……」
「わたしはあなたが拒んでも、あなたを嫌いにはならない」
「わたしには、まだ、よくわかりません。ただ……」
「うん」
ためらいがちにエレインは答えた。
「あなたが、わたしの手の甲にキスをくださることが、本当は好きなのです」
ずっと。ずっと、何も言わずにそれを受け入れて来た。美しくもない自分の手。少しばかり女性にしては武骨な手。何故彼は何度も自分の手の甲にキスをするのか、わからなかった。そして、今でもわからない。
だが、ほんの少しだけそれが嬉しかった。彼が言っていた「美しい手」という言葉を信じられると思ったからだ。彼はいつでも自分には嘘をつかない。他の誰に言われても信じなかっただろうが、あの戦場での自分を知っている彼ならば、何故か信じられるとエレインは思う。
「ありがとう」
何故かアルフォンスは礼を言ってから、エレインの手の甲に口づけを与えた。鼓動が高まる。だって、彼は「手の甲にキスをしても良いのか」とは言わなかった。体に。また、彼は自分の体にキスをするのだろう。よくわからない息苦しさを感じながら彼を見ていると、ゆっくりと手の甲から唇を離してエレインを見上げる。
「あなたに、キスをしたい」
暗い室内に、一瞬静寂が訪れた。衣擦れの音ひとつなく、一拍。それへの答えをエレインは持たなかった。いや、言わなくても、既に彼に許可を出していた。アルフォンスはそれがわからない男ではない。彼の手が再びエレインの髪に差し込まれる。どうしたらいいのかとエレインは困惑をした。だって、それだけで、なんだか胸が締め付けられるようではないか。
(なんだこれは。抗えるわけがない……)
瞳を閉じれば、彼の唇が自分の唇に重なった。優しい口づけは、軽く唇同士をつけるだけのもの。離れた、と思って目を開ければ、彼は再びキスをする。キスをしては、彼はエレインを見て、またもう一度唇を重ねては、再びエレインを見る。それに耐えられなくなって「やめて」と彼女はか細く呟いた。
「見ないでください……」
「それは、難しいな……だって、何度だってあなたが受け入れてくれているのだと確かめたいのだから」
もう一度エレインは「ずるい」と言いそうになった。だが、うまく喉に何かが詰まったように返事が出来ない。
(違う。ずるいのはわたしの方だ)
どちらにしても、彼は自分を抱かなければいけない。エレインが答えたところでそれに変わりはない。それは紛れもない事実だ。
ずるいのは自分の方。そう思った理由を彼女自身は良く分かっていない。だが、それもまた、紛れもない事実なのだ……そう思いながら、エレインは彼からの深いキスを、静かに受け入れた。
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