敵国に嫁いだ姫騎士は王弟の愛に溶かされる

今泉 香耶

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38.揺れる心(2)

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 一方のアルフォンスもまた、その日はいささか上の空ではあった。とはいえ、上の空でも執務は山盛りで、泣き言を言っている場合ではない。

 本来王という立場は、執務にそこまで携わることはない。しかし、宰相の次の次ぐらいに仕事を任されていた公爵が死に、もともとの執務を放り投げていたクリスティアンが死に、戦は終わり、催事を一気に3つも4つもこなした後には、アルフォンスが携わざるを得ない執務が多く残っていた。毎日のように王自らが視察に赴き、国のあちらこちらを見回ざるを得ず、日々の疲労は蓄積していく。そして、今朝のあれだ。

 とはいえ、視察を重ねることで、彼にとって良いこともあった。一向に足を運ばなかったクリスティアンと比べて、アルフォンスは……と民衆が前国王との比較をして彼を褒めた。その効果は高かったため、アルフォンスは少し無理をして遠い場所の視察も行い、夜戻らないこともあった。そんな国王は過去にそうはいなかったし、彼もそうなりたかったわけではない。だが、戦が終わって不安定な国内のためにと思ったし、また、自分の好感度をあげることでエレインの好感度もあげられるのでは、とも密かに考えてもいた。もちろん、そのことをエレインは知らなかったけれど。

「ああ……眠っていたか」

 馬車の中で目覚めるアルフォンス。目の前にはランバルトが難しい表情で書類とにらめっこをしていた。

「お目覚めですか。馬車に乗ってすぐに眠られていましたよ」

「そうか。もうすぐ着くか?」

「あと少しすれば馬に休憩をさせることでしょう。それから半刻です」

「なるほど」

「アルフォンス様、今朝……」

 ランバルトが何を聞きたいのか、アルフォンスはすぐに察した。きっと、彼はうずうずと今か今かとそれを狙っていたのだろうが、王城では他の臣下たちがずっとアルフォンスを囲んでいたため、それが出来なかった。見るからに、彼は期待に満ちた目をしている。一体何を期待しているんだ、と思ったが、アルフォンスは「うん」と頷く。

「エレイン様と鍛錬所で眠っていらしたと、そうお聞きしましたが」

「お前の耳はどれほど大きいやら。それとも、騎士たちは国王のプライベートをそう簡単に人々に広めようとしているのかな……?」

「苦情が来たんですよ」

 苦情。まさか、エレインが鍛錬所を使うことに関しての苦情だろうか、とアルフォンスはぴくりと表情を引き締める。が、彼の口からは驚くべき言葉が出た。

「朝っぱらからいちゃいちゃしないでくださいって」

「……いちゃいちゃ?」

「騎士たちは、みんな驚いていたそうですよ。アルフォンス様がエレイン様にキスをしていたらしいことに。ちなみに、わたしもですが。なんでそんなことをしたんです? 自分とエレイン様が仲良しだぞというアピールですか?」

 とんとん、と書類で太ももを軽く叩くランバルト。彼のその様子がおかしかったので、アルフォンスは「はは」と笑う。

「まあそうだな。仲良しアピールとやらだ」

「そもそも、あなた鍛錬所を使ったの久しぶりだったでしょう。騎士たちは、それを驚いていましたよ」

 そうなのだ。アルフォンスは日々忙しく過ごしていて、鍛錬所どころではない。戦の前線から戻って以降、彼は数日に一回は鍛錬所に行っていたが、王になってからはそういう暇がなかなかない。朝起きてからと夜眠る前にと自室で体を動かしているのは、実のところ内緒だったが、要するに鍛錬所に彼が顔を出さなくなって久しいというわけだ。

「以前あなたに従って戦に行った者たちが、今朝は数名いたようですよ。だから、あなたが鍛錬所を使うことが嬉しいと言っていました。本来、国王となるべき者にそんなことは必要がないのはわかった上で、それでもあなたが戦場で振るっていた大剣を忘れられないと」

「ほう」

「なので……エレイン様のことは受け入れることが今は出来ないけれど、エレイン様のおかげであなたが鍛錬所に行ったのであれば、それは嬉しいと」

 難しい話だ。やはり彼らはエレインを受け入れられないのだ。アルフォンスはそれに失望をしたが、人の心というものはままならない。それを彼は良く知っている。

「受け入れることは出来ない、か」

「ですが、それをはっきり口にしただけで、前進ではないですか。みな、それを言葉に出来ずに心に抱えるだけでしたからね」

 そういうものかな、とアルフォンスが言えば、そういうものです、とランバルトは答える。

「心を口にすれば、前進か」

「もちろん、外に出さない方が良いこともありますが、これはそうではないとわたしは思っています。彼らは自覚をすることが必要です。何故自分たちがエレイン様を疎ましく思っているのか。何故なのかとわたしは問いました」

「うん」

「ありきたりの答えが返ってきました。敵国の騎士で、わが国の多くの兵士を殺した人間だと。なので、尋ねておきました。あなたたちは彼女の部下を多く殺したのではないかと。当然、だからおあいこだ、と手打ちには出来ないことはわかっています。ただ、わたしがわかるのは……」

 ランバルトは、彼にしては珍しく、悲し気に目を細める。

「多分、エレイン様はそれを憎く思っていないのだろうと。それは、簡単に物事を忘れているわけでもなく、保身のためにそう振舞っているわけでもなく。ただ、一人ずつを憎むことは出来ず、けれども、嫁いだ以上国を憎むことも出来ず。誰よりも心の行き所を失っている方なのだろうと」

「……お前は、エレインのなんなんだ?」

 いささか苛立ったようにアルフォンスはそう言って、両腕を胸元で組んだ。

「そうですねぇ。あなたよりは毎日お会いしていますのでね……色々とご連絡事項をお伝えするのに、人手が足りない分よくわたしにご依頼くださるでしょう? わっ、わ、蹴らないでください、蹴らないで! 許してください! アルフォンス様、ちょっと……!」

「駄目だ。今日からお前をエレインに会わせられない」

「は!? なんで……ちょっと、やめてくださいってば……! し返せない者に手を出すのは、弱い者いじめではないですか!」

 ランバルトは「弱い者いじめ反対!」と言い続けたが、まるで子供のようにアルフォンスは何度もランバルトのすねを蹴り続けた。

 結局、アルフォンスとエレインの「いちゃいちゃ」については話の最後に騎士たちがぼやいただけのことだったので、アルフォンスは「いいだろうが。新婚なんだ、こっちは」と、また子供のような言い訳をして、軽く口をへの字に曲げた。
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