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78 知らぬは公爵と娘だけ

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 俺達が冷夏の対応に追われている時、レジム公爵は暗い家の中で絶望のどん底にいた。

「こ、この……由緒正しきレ、レジム家の当主の私が、こ、皇帝から捨てられるなど……」

「だ、旦那様……あの、農地の方は……」

 レジム家の執事は無能ではない。この当主を助けここまでやって来れたのは執事や補佐官がいたからこそであった。執事は周りの貴族達が自らの領地にある農場の小麦を刈り取り代わりに雑穀や芋を植えている事を知っていた。
 そして今年が間違いなく冷夏である事も掴んでいたのに。

「お願いです、旦那様。御領地の方に通達を。すぐに麦を捨て、寒さに強い作物に切り替えるよう指示を出してくださいませ!」

 何度いってもレジム公爵は動かない。それどころか

「小麦は金になるのだぞ!それを止めて我が家はどう乗り切れば良いのだ!!鉱山も、薬草園も押さえられた……一体どうすれば……」

「し、しかし!それは小麦がきちんと収穫出来ればの話です!今年の夏は冷える。冷えれば小麦は実をつけません、実をつけぬ小麦など、雑草と変わらないのですよ!」

 執事の必死の説得も、何もかも失ったレジム公爵に響かない。

「うるさい!陛下から、経費が払い込まれれば、そんな物すぐにでも……」

 経費は払われる事はないと執事は知っている。まだハインツが出入りしていた頃、尋ねてみたことがあったのだ。

「旦那様はこんなに大量の資金を無許可で投入しておりますが、これは経費として認められるでしょうか?」

 その問いにハインツの答えは

「うーん、若輩の私には分からない事も多いのですが、大丈夫ではないのでしょうか?」

 それは失敗したならば、資金は戻って来ないだろうと言う事だ。だから二度目の資金投入は必死で止めた。

「ええい!うるさい!ここで引き下がれる訳がなかろう!」

 引き下がれる、むしろここまでで損切りすれば良かった、そして皇帝に無理です助けて下さいと泣きつけば良かったのだ。あの頃はまだハインツも出入りしていた。
 イエリア公爵嫡男ハインツは皇帝の側妃であるディエスのお気に入りだ。だからハインツの口添えがあれば、それ程酷い沙汰は受けずに済んだはずなのだ。もしかしたらその為にハインツが派遣されていたのかもしれないと執事はおもっていた。

「もう一度金を入れる!」

「お、お止めください!旦那様っ!」

 必死で止めてもレジム公爵は次々と資金を投入し、そして失敗した。レジム家にはもう投入する資金もなく、虎の子だった隠し鉱山も薬草園も没収されている。そして冷夏がやってくるとの予報。どこの家でも小麦を諦め、領民を守る為に栽培物を変えている。当然王城に願い出れば、寒さに強い雑穀や種芋などを手配してくれる政策も取られている。

「お願いです、旦那様。このままではご領地の民は今年の冬を越すことが出来ずに死に絶えてしまいます、お願いです、お願いします!!」

 床に額を擦り付けて、執事は懇願する。その執事の心はまったく公爵に届かなかった。

「ええい!黙れうるさいっ!!金が戻ってこれば何とでもなるッ!!その金が支払われるまでの辛抱だといっておるだろう!!下がれッ!!!」

 怒りのあまり、執務机に置いてあったインク壺を投げつける。ガツッ!と嫌な音がして、壺は執事の背中に当たったが、執事は頭を下げ続けた。

「お願いです、旦那様!どうか、どうか周りを見てください!!皆、小麦は刈り取り別の作物を植えております、今年は小麦は取れないのです、どうか、どうかお願いします!!」」

「ええい!うるさいうるさい!!!」

「旦那様ッ!!」

 執事の悲痛な叫びは届かない。更に輪をかけるように声を遮る者がいる。

「お父様ァ……ハインツ様はいらっしゃらないのお……?せぇっかくこの国一番の令嬢である私がお茶会に招いてやったのにぃ」

「ああ、リリシア。一体どうしたんだろうなあ?この国で一番美しく可憐なお前の誘いを受けぬ男などいるはずがないのになあ?」

 ドスドスと巨体を揺らしながらリリシアが現れ、猫なで声を上げる。

「冷夏なんて嘘よう、あの小賢しい側妃が撒いたデマに決まってるわぁ。だってこんなに暑いんですものぉ」

 リリシアは大汗をかきながら部屋から父親の執務室まで歩いて来た。それは気温のせいではなく、彼女がこの短期間に身につけた己の贅肉のせいなのだが、それを指摘する者は誰もいない。誰もが命は惜しいのだ。

「そうか……あの忌々しい男のせいか!全く陛下もあのような無能者に誑かされるとは!しかし陛下の事だ。きっとすぐに目を覚まされて、本当の忠臣が誰であるか気が付いてくださるはずだ!」

「そうよ、そうに決まってるわぁ……あー早く謹慎を解いてくださらないかしら?これではお買い物にもいけないわ。騙されたと言っても陛下のお言葉ですもの、守らなくちゃあねえ。他家のお茶会にも出られないからウチで開くしかないのに、中々色よいお返事が来ないのよねえ?も、もしかしてあの無能男が裏で手を回しているのかしらッ!?」

 悔しいッ!とリリシアは絹の小さなハンカチをくわえてビリッ!と引きちぎる。上質だったハンカチはゴミクズへと変わってしまった。
 リリシアは謹慎のいみをはき違えている。家から外に出なければ何をしても良いわけではない。しかし、これだけ醜聞の広まったリリシアの誘いを受ける者などいるはずがない。
 しかし、当人は気づかず、代筆メイドに招待状を書かせ続けるのであった。

「買い物へ行けないなら商人を呼んだらよいではないか……そうだ、何か欲しいものがあったら買いなさい」

「わぁ!嬉しいわ、お父様」

 床に蹲る執事は青い顔を更に青くして訴える。

「お、おやめくださいっ!!今レジム家にはお金がないのですぞ!それを買い物など、無茶でございます!」

 執事はリリシアの浪費ぶりを知っている。着ないドレス、身につけない宝飾品。言われるままにいくつもいくつも価格も見ずに買い求めてしまう。そしてそれを売る事も施しに使う事もなく部屋にため込んでいる。リリシアの部屋はさながら宝物を集める魔物の住処のようだ。

「黙れっ!外にも出られぬリリシアが可哀想ではないのかっ!!」

「ホントよね!主人の気持ちが分からないなんて執事を辞めた方が良いのではなくて?今すぐ出てって良いのよ??」

「な、なんと……今まで粉骨砕身してレジム家に仕えた私に……そのような仕打ち……」

 たまらず泣き崩れる執事に、レジム親子のかける言葉は人の物とは思えぬ非道さしかなかった。

「うるさい上に不快とは……もうその顔見たくもない。私の前に現れるな!」

「ホントだわあ、もっとかっこいい執事に替えましょう?お父様」

「……承知しました……失礼致します……」

 静かに執事は立ち上がり、言われた通り執務室から出て行き、そのまま行方不明になった。この事を知ったレジム家使用人一同は自分の身の振り方を早急に決め、次々と姿を消してゆく。

 知らぬは公爵とリリシアだけだった。

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