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大団円
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2017年、平成29年4月24日月曜日。
昨夜は雅人とエリザたち老夫婦は兵庫県神戸市中央区の人工島ポートアイランドに建つ神戸ポートピアホテルに宿泊した。
早朝6時に少し早めの朝食を取ると、タクシーを呼んでホテルのすぐ近くにあるマンション街に向かった。
タクシーはポートライナーの高架下の道路を北上し、中公園の前で右折すると白いモダンなマンションの前で停車した。
「さあさあ早く、おじいさん!」
「まあ、そんなに慌てなさんな」
先に降りたエリザは急がせたが、雅人は杖を使いながらゆっくりとタクシーを降りた。
マンションのエレベーターに乗って上がっている間、エリザは手を合わせて懸命に神に祈っていた。
「神様、どうかお願いします!」
「落ち着きなされ」
雅人はエリザの肩に手を載せて微笑みながら静かに言った。
エレベーターが止まり扉が開くや否や、エリザは八十歳とは思えない素早さで廊下を早足で歩くと「手塚雅之」の表札を掲げた部屋に向かった。
エリザがドア横のテレビドアホンのボタンを押すとすぐに幸子の声がした。
「お、お義母さん!?どうしたのですか、こんなに朝早く!?」
「いいから、開けてちょうだい!」
朝食を作っていたのだろう、エプロンをした幸子が驚いてドアを開けた。
ようやく追いついた雅人はエリザと一緒に玄関口に立った。
「お義父さんも一緒で何事ですか?」
「幸子さん。治美はいるかい!?」
「あの娘ならまだ寝てますけど。学校がありますからそろそろ起こさないといけませんが」
と、寝起きで髪がボサボサの雅之が下着姿のままのんびりとした声で玄関にまでやって来た。
「あれ?おばあちゃんとおじいちゃん?朝っぱらから何の用?」
「治美はいるかい!?治美に会わておくれ!」
「えっ?おばあちゃん、ボケたの?治美の17歳の誕生日は昨日だよ」
「わかっとるわい!ええい!そこをどかんか、雅之!」
エリザが玄関で騒いでいると、突然子供部屋の扉が開いて白いワンピース姿の治美が飛び出してきた。
雅之とエリザは金縛りにあったように体が硬直し無言で治美を凝視した。
「雅人さん………。エリザさん………」
治美は「おじいちゃん、おばあちゃん」とではなく二人の名前を呼んだ。
「治美!!戻って来たんだな!!」
「雅人さん!!」
治美は感極まって廊下を走ると、泣きながら雅人とエリザにしがみついた。
三人は玄関口で互いに抱き合って泣きじゃくった。
治美の両親は困惑し、声を掛けることもできずにそんな両親と娘を見つめていた。
2017年、平成29年4月29日土曜日。
ゴールデンウイークになったので、治美は芦屋の雅人の家を訪れていた。
雅人は杖を手すりに掴まって長い廊下を歩きながら孫娘に尋ねた。
「体の具合はどうじゃ?」
「どっこも悪いところはないわ。17歳のピチピチギャルに戻れたわ」
「よかった!じゃが油断は禁物じゃぞ。お前は将来胃癌になる体質なんだからな」
「うん。毎年しっかりと検査するわ。今の時代なら早期発見したら完治するから心配しないで」
二人は扉を開けて、薄暗い書庫に入って行った。
書庫は二十四時間湿度と室温を管理しており、壁という壁は本棚で埋まってちょっとした図書館のようである。
この書棚はすべて手塚治虫の漫画だけで埋まっていた。
「これじゃよ」
雅人は本棚の奥から古ぼけた「新寶島」の単行本を手に取り治美に手渡した。
「お前の言ったとおりとんでもない額のプレミアムがついてるよ」
治美が表紙をめくってみると、そこにはエリザ邸の応接室でパーティードレスを着てすました顔の治美の写真が載っていた。
「わたしだわ!」
「みんな、初代手塚治虫と呼んでいるよ」
「二代目は岡田悦子さん?」
「ああ。彼女はお前の跡を継いで名作をいっぱい世に出してくれたよ。他のコミックグラスの継承者たちもいろんな名作マンガをこの世界に残してくれた」
雅人は机の上に置いたジュラミンケースを開けて、玲奈から預かったコミックグラスを治美に見せた。
「結局わたしのコミックグラスは、昭和29年4月24日から平成29年4月24日の間だけこの世に存在したことになるのね。最初にこのメガネを作ったのは一体誰なのかしら?」
「いずれこれらのコミックグラスもあの人達に送ってやらんとな。でなければ歴史が狂ってしまう」
「でもわたしたちは描き残せなかったマンガが沢山あるわ。この世界はわたしの知ってた歴史とは少し違っているみたい」
「それでどうなんじゃ。お前はマンガを描いていた頃の記憶はちゃんと残っているのか」
「それがどうも曖昧なのよね。昭和29年にタイムスリップして、北野町で雅人……おじいちゃんと出会って、マンガを描き始めたのは覚えているわ。でも段々と細かいことを忘れているみたい」
「そうか…」
「まるで、長い長い夢を見ていたみたい………」
「教えてあげよう。お前が消えてから、今までにどんなことがあったのかを……」
2025年、令和7年7月7日月曜日。
赤いランドセルを背負った小学生の少女が、通勤通学の人混みの中をおぼつかない足取りで歩いていた。
「あれは夢だったのかなあ…」
望月玲奈は道の途中で立ち止まり、考え込んでしまった。
自分は確かに過去の世界に行って、何十年も漫画家として暮らしてきたのだ。
昨日は自分が物凄く年を取ったような気がしていたが、次第にいろんな記憶が薄れていって、今朝は年相応の精神に若返ったようだった。
「石森先生!」
突然、背後から声がした。
聞き覚えのある懐かしい声だった。
玲奈はハッとして振り返った。
そこには夢の中に出てきた人たちが立っていた。
「おかえりなさい、玲奈ちゃん!」
金色の長い髪をした美しい女性が優しく玲奈に微笑みかけていた。
玲奈は彼女のことをよく知っていた。
彼女は「マンガの女神様」なのだ。
ー 完 ー
昨夜は雅人とエリザたち老夫婦は兵庫県神戸市中央区の人工島ポートアイランドに建つ神戸ポートピアホテルに宿泊した。
早朝6時に少し早めの朝食を取ると、タクシーを呼んでホテルのすぐ近くにあるマンション街に向かった。
タクシーはポートライナーの高架下の道路を北上し、中公園の前で右折すると白いモダンなマンションの前で停車した。
「さあさあ早く、おじいさん!」
「まあ、そんなに慌てなさんな」
先に降りたエリザは急がせたが、雅人は杖を使いながらゆっくりとタクシーを降りた。
マンションのエレベーターに乗って上がっている間、エリザは手を合わせて懸命に神に祈っていた。
「神様、どうかお願いします!」
「落ち着きなされ」
雅人はエリザの肩に手を載せて微笑みながら静かに言った。
エレベーターが止まり扉が開くや否や、エリザは八十歳とは思えない素早さで廊下を早足で歩くと「手塚雅之」の表札を掲げた部屋に向かった。
エリザがドア横のテレビドアホンのボタンを押すとすぐに幸子の声がした。
「お、お義母さん!?どうしたのですか、こんなに朝早く!?」
「いいから、開けてちょうだい!」
朝食を作っていたのだろう、エプロンをした幸子が驚いてドアを開けた。
ようやく追いついた雅人はエリザと一緒に玄関口に立った。
「お義父さんも一緒で何事ですか?」
「幸子さん。治美はいるかい!?」
「あの娘ならまだ寝てますけど。学校がありますからそろそろ起こさないといけませんが」
と、寝起きで髪がボサボサの雅之が下着姿のままのんびりとした声で玄関にまでやって来た。
「あれ?おばあちゃんとおじいちゃん?朝っぱらから何の用?」
「治美はいるかい!?治美に会わておくれ!」
「えっ?おばあちゃん、ボケたの?治美の17歳の誕生日は昨日だよ」
「わかっとるわい!ええい!そこをどかんか、雅之!」
エリザが玄関で騒いでいると、突然子供部屋の扉が開いて白いワンピース姿の治美が飛び出してきた。
雅之とエリザは金縛りにあったように体が硬直し無言で治美を凝視した。
「雅人さん………。エリザさん………」
治美は「おじいちゃん、おばあちゃん」とではなく二人の名前を呼んだ。
「治美!!戻って来たんだな!!」
「雅人さん!!」
治美は感極まって廊下を走ると、泣きながら雅人とエリザにしがみついた。
三人は玄関口で互いに抱き合って泣きじゃくった。
治美の両親は困惑し、声を掛けることもできずにそんな両親と娘を見つめていた。
2017年、平成29年4月29日土曜日。
ゴールデンウイークになったので、治美は芦屋の雅人の家を訪れていた。
雅人は杖を手すりに掴まって長い廊下を歩きながら孫娘に尋ねた。
「体の具合はどうじゃ?」
「どっこも悪いところはないわ。17歳のピチピチギャルに戻れたわ」
「よかった!じゃが油断は禁物じゃぞ。お前は将来胃癌になる体質なんだからな」
「うん。毎年しっかりと検査するわ。今の時代なら早期発見したら完治するから心配しないで」
二人は扉を開けて、薄暗い書庫に入って行った。
書庫は二十四時間湿度と室温を管理しており、壁という壁は本棚で埋まってちょっとした図書館のようである。
この書棚はすべて手塚治虫の漫画だけで埋まっていた。
「これじゃよ」
雅人は本棚の奥から古ぼけた「新寶島」の単行本を手に取り治美に手渡した。
「お前の言ったとおりとんでもない額のプレミアムがついてるよ」
治美が表紙をめくってみると、そこにはエリザ邸の応接室でパーティードレスを着てすました顔の治美の写真が載っていた。
「わたしだわ!」
「みんな、初代手塚治虫と呼んでいるよ」
「二代目は岡田悦子さん?」
「ああ。彼女はお前の跡を継いで名作をいっぱい世に出してくれたよ。他のコミックグラスの継承者たちもいろんな名作マンガをこの世界に残してくれた」
雅人は机の上に置いたジュラミンケースを開けて、玲奈から預かったコミックグラスを治美に見せた。
「結局わたしのコミックグラスは、昭和29年4月24日から平成29年4月24日の間だけこの世に存在したことになるのね。最初にこのメガネを作ったのは一体誰なのかしら?」
「いずれこれらのコミックグラスもあの人達に送ってやらんとな。でなければ歴史が狂ってしまう」
「でもわたしたちは描き残せなかったマンガが沢山あるわ。この世界はわたしの知ってた歴史とは少し違っているみたい」
「それでどうなんじゃ。お前はマンガを描いていた頃の記憶はちゃんと残っているのか」
「それがどうも曖昧なのよね。昭和29年にタイムスリップして、北野町で雅人……おじいちゃんと出会って、マンガを描き始めたのは覚えているわ。でも段々と細かいことを忘れているみたい」
「そうか…」
「まるで、長い長い夢を見ていたみたい………」
「教えてあげよう。お前が消えてから、今までにどんなことがあったのかを……」
2025年、令和7年7月7日月曜日。
赤いランドセルを背負った小学生の少女が、通勤通学の人混みの中をおぼつかない足取りで歩いていた。
「あれは夢だったのかなあ…」
望月玲奈は道の途中で立ち止まり、考え込んでしまった。
自分は確かに過去の世界に行って、何十年も漫画家として暮らしてきたのだ。
昨日は自分が物凄く年を取ったような気がしていたが、次第にいろんな記憶が薄れていって、今朝は年相応の精神に若返ったようだった。
「石森先生!」
突然、背後から声がした。
聞き覚えのある懐かしい声だった。
玲奈はハッとして振り返った。
そこには夢の中に出てきた人たちが立っていた。
「おかえりなさい、玲奈ちゃん!」
金色の長い髪をした美しい女性が優しく玲奈に微笑みかけていた。
玲奈は彼女のことをよく知っていた。
彼女は「マンガの女神様」なのだ。
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完結おめでとうございます。
治美に再び会えて、本当に大団円でしたね。
実際私たちが知っている手塚作品も治美が描いたものなのではないかと錯覚しそうです。
お疲れ様でした。
拙作を最後までお読みいただきありがとうございます。
田沢みんさんの暖かい感想がなければ、途中でやめておりました。
本当にありがとうございました!
うわぁぁ〜、治美〜!
あなたが昭和の世界でやって来たことは決して無駄では無いですよ!
そうか、ヤマケンも未来人だったか!
あんな性格悪い男もアニメの未来のために許しちゃう治美、優しすぎる。
感想ありがとうございます。
いよいよテレビアニメの時代が到来しました。
そうなるとヤマケンみたいに金儲けのためだけにアニメ業界に参入する人間が増えてきます。
でもそんな人間がアニメブームを生み出したというのも本当のことです。
治美はそんなアニメの未来を知っているからヤマケンも許したのですね。