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W3 その9
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1964年、昭和39年1月25日土曜日。
杉並区下井草の借家に移り住んでいた治美は、一階のリビングでただ一人「鉄腕アトム」のアニメを観ていた。
治美がカラー作品にしようと提案した第56話「地球防衛隊」の回だ。
虫プロダクションをクビになった治美には何の権限もなく、結局この回も今までと同じモノクロ作品になった。
しかし鉄腕アトムの人気は絶大で、後日治美はこの回の視聴率は初の40パーセント越えの40.3パーセントを記録したことを知った。
ヤマケンの言葉は正しかったのだ。
別に苦労してカラー作品にしなくても今のアトム人気があれば子供は見てくれるのだ。
治美はテレビを消して仕事場に戻っていくと、チーフアシスタントの安永だけが仕事をしていた。
仕事場といって富士見台の邸宅の広い仕事場と違い、机が5つ並んだだけの狭い部屋だった。
最近は漫画の連載も減り、必然的にアシスタントの数も減らしたのだ。
「先生、鉄腕アトムはどうでしたか?カラーでしたか?」
「ううん。やっぱり白黒だったわ」
「そうですか…。残念ですね」
「思えばあのアニメをカラーにしたいと言ったばかりに自分で作った会社もクビになり、家も土地もスタジオも取り上げられたのよね」
「カラーアニメはただの口実ですよ。ヤマケンのくそ野郎は、最初から虫プロを乗っ取るつもりだったんですよ」
「あんな男を信用して何でも言われるままにハンコ押してたわたしがバカだったのよ」
安村がため息をついた。
「まあ確かにちょっと先生も迂闊でしたよね……」
徹夜で原稿を描いていた治美の前にヤマケンは次々といろんな契約書を持ってきた。
眠気で頭がボーとしていた治美はいつも契約書の中身も見ずに言われるままに実印を押していた。
そうして気がづいたら鉄腕アトムの版権は手塚治虫個人の物ではなく虫ブロダクションの所有となっていた。
虫プロの新しい取締役のヤマケンに使用料を払わないと治美はアトムの漫画も描けなくなっていたのだ。
治美は裁判沙汰になってアトムと手塚治虫のイメージが悪くなることを恐れた。
治美は泣く泣くヤマケンの言い値でアトムの版権を買い戻すことにした。
しかしそのために治美は家も土地も売却する羽目に陥ったのだ。
「わたしも反省したから今年一年は漫画に専念してアニメのことは忘れるわ」
「今年一年は……って先生、またアニメに手を出す気ですか?」
「もちろんよ!こんなことぐらいで負けてられないわ。去年末から『少年ブック』に連載を始めた『ビックX』ってSF漫画があるでしょ」
「主人公の朝雲昭が生き物を巨大化させる薬品『ビックX』をシャープペンシル型注射器で体に打ってナチス同盟と戦うお話ですよね」
「『ビックX』は今年の夏にはアニメ化するわよ」
「おっ!先生お得意の予言ですね!でも今の虫プロにそんな余裕がありますかね?」
「虫プロじゃなくて『ビックX』を作るのは東京ムービーと言う会社よ。昔『伊賀の影丸』の人形劇を作っていた所が初めてアニメを作るのよ」
「なんだ!先生が作らなくてもちゃんとアニメができるじゃないですか」
「でも来年十月までには日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』を作らないといけないのよね。あっと、その前に『W3』も作らないとね」
「『ジャングル大帝』は昔漫画のお手伝いをしましたからよく知っていますが、『W3』って何ですか?そんな作品、ありましたっけ?」
「まだ原作は描いていないからね。今はまだこの中にだけあるのよ」
そう言って治美は自分が掛けているコミックグラスを指さした。
「そうですか。まだ作品の構想は先生の頭の中だけにあるのですね」
「星光一という凄腕の諜報員が主人公なの。『ポッコ』という名前の可愛い宇宙リスが相棒で、このポッコは光一とテレバシーで話したり透明になったりする超能力の持ち主なの」
「面白そうですね!早く読んでみたいなあ!」
「実は『ジャングル大帝』と『W3』のアニメの企画書はもう虫プロに提出しているの。きっとアニメ化してくれると思うわ」
「うまくいきますかねぇ。今の虫プロは管理管理で昔の自由な社風はなくなったそうですからね。先生を慕って虫プロに入った古参の社員は次々と辞めているという噂ですよ」
「『W3』は自信作よ。きっとむこうからアニメ化させてくれって頼んでくるわ」
そんなある日、昔虫プロで鉄腕アトムの脚本を書いていた豊田という青年が治美を訪ねて来た。
治美は安村と一緒に応接室で豊田に会った。
「豊田氏、久しぶりね。虫プロは辞めたんでしょ。今は何をしているの?」
「TBSで『エイトマン』の脚本を書いています」
「ああ、わたしも『エイトマン』のストーリーは凄いなあといつも感心して観ているのよ。そっか!豊田氏が書いていたのね」
「僕なんかとてもとても…。平井和正、加納一朗、辻 真先、半村良。凄い人たちが脚本書いています。そんな話よりも………」
豊田が言いづらそうにもじもじとし始めた。
「ん?どうしたの、豊田氏?」
「――それがですねぇ、今度TBSに新しいSFアニメの企画書が出て来たんですよ」
「それがどうしたの?」
「主人公の相棒にテレパシーを使う宇宙リスが出てくるんですよ」
「えっ!?」
豊田がA4用紙数枚のアニメ企画書を取り出して治美に手渡した。
その企画書に目を通すと、たちまち治美の顔色が変わった。
「わたしの『W3』にそっくりだわ!でも、どうして…?」
「先生が虫プロに提出した企画書をそのまま売り渡した奴がいるんですよ」
安村はカーッと頭に血が上って顔がゆでダコのように真っ赤になった。
「きっとヤマケンの野郎ですよ、先生!」
「で、でも、いくら何でもそんなひどいことするかしら?」
「先生はお人よし過ぎます!」
治美はここにきて随分とアニメの歴史が歪んできていることを痛感した。
このままだと今までの努力がすべて無駄になってしまう。
杉並区下井草の借家に移り住んでいた治美は、一階のリビングでただ一人「鉄腕アトム」のアニメを観ていた。
治美がカラー作品にしようと提案した第56話「地球防衛隊」の回だ。
虫プロダクションをクビになった治美には何の権限もなく、結局この回も今までと同じモノクロ作品になった。
しかし鉄腕アトムの人気は絶大で、後日治美はこの回の視聴率は初の40パーセント越えの40.3パーセントを記録したことを知った。
ヤマケンの言葉は正しかったのだ。
別に苦労してカラー作品にしなくても今のアトム人気があれば子供は見てくれるのだ。
治美はテレビを消して仕事場に戻っていくと、チーフアシスタントの安永だけが仕事をしていた。
仕事場といって富士見台の邸宅の広い仕事場と違い、机が5つ並んだだけの狭い部屋だった。
最近は漫画の連載も減り、必然的にアシスタントの数も減らしたのだ。
「先生、鉄腕アトムはどうでしたか?カラーでしたか?」
「ううん。やっぱり白黒だったわ」
「そうですか…。残念ですね」
「思えばあのアニメをカラーにしたいと言ったばかりに自分で作った会社もクビになり、家も土地もスタジオも取り上げられたのよね」
「カラーアニメはただの口実ですよ。ヤマケンのくそ野郎は、最初から虫プロを乗っ取るつもりだったんですよ」
「あんな男を信用して何でも言われるままにハンコ押してたわたしがバカだったのよ」
安村がため息をついた。
「まあ確かにちょっと先生も迂闊でしたよね……」
徹夜で原稿を描いていた治美の前にヤマケンは次々といろんな契約書を持ってきた。
眠気で頭がボーとしていた治美はいつも契約書の中身も見ずに言われるままに実印を押していた。
そうして気がづいたら鉄腕アトムの版権は手塚治虫個人の物ではなく虫ブロダクションの所有となっていた。
虫プロの新しい取締役のヤマケンに使用料を払わないと治美はアトムの漫画も描けなくなっていたのだ。
治美は裁判沙汰になってアトムと手塚治虫のイメージが悪くなることを恐れた。
治美は泣く泣くヤマケンの言い値でアトムの版権を買い戻すことにした。
しかしそのために治美は家も土地も売却する羽目に陥ったのだ。
「わたしも反省したから今年一年は漫画に専念してアニメのことは忘れるわ」
「今年一年は……って先生、またアニメに手を出す気ですか?」
「もちろんよ!こんなことぐらいで負けてられないわ。去年末から『少年ブック』に連載を始めた『ビックX』ってSF漫画があるでしょ」
「主人公の朝雲昭が生き物を巨大化させる薬品『ビックX』をシャープペンシル型注射器で体に打ってナチス同盟と戦うお話ですよね」
「『ビックX』は今年の夏にはアニメ化するわよ」
「おっ!先生お得意の予言ですね!でも今の虫プロにそんな余裕がありますかね?」
「虫プロじゃなくて『ビックX』を作るのは東京ムービーと言う会社よ。昔『伊賀の影丸』の人形劇を作っていた所が初めてアニメを作るのよ」
「なんだ!先生が作らなくてもちゃんとアニメができるじゃないですか」
「でも来年十月までには日本初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』を作らないといけないのよね。あっと、その前に『W3』も作らないとね」
「『ジャングル大帝』は昔漫画のお手伝いをしましたからよく知っていますが、『W3』って何ですか?そんな作品、ありましたっけ?」
「まだ原作は描いていないからね。今はまだこの中にだけあるのよ」
そう言って治美は自分が掛けているコミックグラスを指さした。
「そうですか。まだ作品の構想は先生の頭の中だけにあるのですね」
「星光一という凄腕の諜報員が主人公なの。『ポッコ』という名前の可愛い宇宙リスが相棒で、このポッコは光一とテレバシーで話したり透明になったりする超能力の持ち主なの」
「面白そうですね!早く読んでみたいなあ!」
「実は『ジャングル大帝』と『W3』のアニメの企画書はもう虫プロに提出しているの。きっとアニメ化してくれると思うわ」
「うまくいきますかねぇ。今の虫プロは管理管理で昔の自由な社風はなくなったそうですからね。先生を慕って虫プロに入った古参の社員は次々と辞めているという噂ですよ」
「『W3』は自信作よ。きっとむこうからアニメ化させてくれって頼んでくるわ」
そんなある日、昔虫プロで鉄腕アトムの脚本を書いていた豊田という青年が治美を訪ねて来た。
治美は安村と一緒に応接室で豊田に会った。
「豊田氏、久しぶりね。虫プロは辞めたんでしょ。今は何をしているの?」
「TBSで『エイトマン』の脚本を書いています」
「ああ、わたしも『エイトマン』のストーリーは凄いなあといつも感心して観ているのよ。そっか!豊田氏が書いていたのね」
「僕なんかとてもとても…。平井和正、加納一朗、辻 真先、半村良。凄い人たちが脚本書いています。そんな話よりも………」
豊田が言いづらそうにもじもじとし始めた。
「ん?どうしたの、豊田氏?」
「――それがですねぇ、今度TBSに新しいSFアニメの企画書が出て来たんですよ」
「それがどうしたの?」
「主人公の相棒にテレパシーを使う宇宙リスが出てくるんですよ」
「えっ!?」
豊田がA4用紙数枚のアニメ企画書を取り出して治美に手渡した。
その企画書に目を通すと、たちまち治美の顔色が変わった。
「わたしの『W3』にそっくりだわ!でも、どうして…?」
「先生が虫プロに提出した企画書をそのまま売り渡した奴がいるんですよ」
安村はカーッと頭に血が上って顔がゆでダコのように真っ赤になった。
「きっとヤマケンの野郎ですよ、先生!」
「で、でも、いくら何でもそんなひどいことするかしら?」
「先生はお人よし過ぎます!」
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