52 / 73
陰謀篇
第51話 学園──入学
しおりを挟む
季節は爽やかな風が吹き抜ける春。整備された街路樹を制服を着た少年少女たちが闊歩する。自信に満ち溢れた少年少女の制服の胸元には王立学園の象徴が縫い付けられている。そんな少年少女の中で一際目立つ集団の中心に私は居た。今日は学園の入学式だ。
「王女殿下! わたくしは────」
「王女殿下! 自分は騎士を目指して────」
周囲を取り囲む新入生たちが私に気に入られようと躍起になって話しかけてくる。中には私ではなくルーシーやメフィアに気に入られようとする頭の良い新入生も居た。
ルーシーは侍女の仕事ばかりしているので私も忘れがちだが、既に私の護衛騎士に任命されている。この後に護衛騎士に任命された騎士は全てルーシーの指揮下に置かれるということだ。私の護衛騎士に任命された後に順風満帆な人生を送るためにはルーシーに嫌われてはならない。更に好ましいのはルーシーの推薦を受けて護衛騎士になることだ。私がルーシーを信頼していることは周知の事実で、ルーシーが推薦する騎士なら他の騎士たちより信用できる。
メフィアは新しい農業方法の実験の補助などで結果を出したことで叙爵され、準男爵になった。成人前に自力で貴族社会に足を踏み入れた、誰もが認める実力者なのだ。そしてルーシーが護衛騎士に任命されていることを鑑みて、筆頭侍女に最も近い人物とも言われている。
しかし、優秀な二人や王女の私に取り入りたい気持ちも理解出来なくはないが、折角の晴れやかな日に入学式を迎えるというのに、煩わしいことこの上ない。私は周囲の喧騒に辟易としながらルーシーとメフィアを連れて入学式の会場へ急いだ。
「まずは祝いの言葉を贈らせて貰おう。入学おめでとう。皆は本日より我が国が誇る王立学園の学生になる。それはつまり、王国の顔を背負っているということだ。それに見合った言動を心がけることをお勧めする」
壇上の学園長の言葉に会場内の雰囲気が引き締まり、新入生たちの表情が強張る。
王国が誇る学園に属すると言うことは王国を代表する学生集団の一員になるということ。言動もそれに相応しい物でなければならず、不適格と判断されれば学園から排除される。そして、学園から排除されることは王国の貴族社会から排除されることと同義だ。まだ子供の新入生たちに緊張するなと言う方が無理と言うものだ。
しかし、すぐに緊張は高揚に変わった。お祖母様が壇上に上ったからだ。一瞬でライブ会場のような熱気に包まれた。勿論騒がしさはないが、それでもライブ会場というに相応しいほどの高揚感が会場を包んでいることは肌で感じられる。物怖じしそうな状況の中であるにも関わらず、お祖母様は話し始めた。
「皆さん、入学おめでとう。まず敢えて皆さんに伝えておきたいことがあります。私は一部を除いた新入生の皆さんには全く期待を抱いていません。今の貴族の多くは世襲制であるが為に国に貢献することを忘れています。各々が持つ領地ですら自身の功績で勝ち得た物ではないのに、自分たちが貴族であることに胡座をかいています。そんな貴族たちに甘やかされて育った令息令嬢である皆さんに期待を抱けるはずもないことは理解して頂けるでしょう。正直に言いましょう。今の私が期待を抱けるのは、現段階で既に功績を上げている者や自力で入学した平民くらいです」
突然の貴族全否定にざわつく会場。新入生たちは不安そうな表情を受けべている。まさか入学式にお祖母様から罵倒されるとは思っていなかったのだろう。お祖母様はそんな新入生たちを無視して話を続ける。
「皆さんにどのような目標があるかなど興味もありません。皆さんに学園に通って貰うことにしたのは、国に貢献するとは何かを学んで貰うためです」
その明け透けな発言の会場が静まり返る。それまでの熱気も嘘のように冷めていた。むしろ冷気すら漂っている。まるで最初から捨て駒だとでも言われているように感じたのか、新入生たちは顔をしかめていた。
「今の私の言葉を聞いて、悔しいと感じた者たちに言います。私に一言申したいなら、学園で実力を付けなさい。自力で私の前に立ってみせなさい!」
新入生たちは覚悟を決めたような表情を浮かべた。一部の新入生は武者震いすらしている。そして全員が自身を鼓舞する雄叫びを上げた。
「これで入学式を閉式します。新入生は指定された教室へ移動して下さい」
教師が指示すると、学生たちがぞろぞろと動き出す。抗議一覧を見て悩む学生や、友人同士で互いに鼓舞し合う学生たちに埋もれながら、私はルーシーとメフィアと共に指定された教室へ向かった。
「王女殿下! 私、メシア・ディ・ライアーと申します!」
「王女殿下! 私は────」
教室へ入ると、令息令嬢たちが飴に群がる蟻のように寄ってきた。誰もが我先にと自分を売り込んでくる。その勢いは過去に類を見ない鬱陶しさだ。ルーシーとメフィアが懸命に盾になるも、二人も売り込み対象なので意味がなく、努力虚しく取り囲まれてしまった。平民たちが遠巻きに心配そうな表情を浮かべて様子を伺っている。
「申し訳ありませんが、席に座らせて貰えますか?」
誰の紹介にも興味を示さずに言うと、令息令嬢たちが大げさに捌ける。まるでモーゼの奇跡で海が割れるが如く道ができた。その道の先には存在感を放つ一席。決まった席はないはずなのだが、何故か『フレイア・ディ・ティルノーグ王女殿下』と書かれた名札が置かれた席がある。その席は必要以上にファンシーに飾り立てられている。善意であると思うが、一種の虐めだと声を大にして言いたいほどだ。
「これは誰が?」
「私でございます。王女殿下の権力を見せつけるために特別に作らせた椅子と机でございます。注文から意匠までの全てを私が手掛け、一流の職人に作らせました」
名乗り出たのは年齢の割には小柄で真面目そうな男子生徒だった。前髪が長くて目元が隠れている。腕は少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細く、肌の血色は悪くないが頬が少し痩せている。貴族家に引き取られた元孤児だろう。
「ユダーナ・ディ・エヴィランセと申します」
エヴィランセという家名に好青年のエヴィランセ辺境伯が脳裏に浮かぶ。
「エヴィランセ辺境伯のご令息ですか?」
「その通りでございます」
確かにエヴィランセ辺境伯は爵位を継ぐには若かったが、婚約者が居ない年齢ではない。婚約者が居るのならわざわざ養子を取る必要はないはずだ。
「何故、エヴィランセ辺境伯は養子を取ったのかしら?」
小声でメフィアに聞くと、メフィアは周りに聞こえないように静かに答えた。
「エヴィランセ辺境伯には婚約者が居ません。後継のために嫁を娶るように周囲に迫られているとか」
そう言われて納得した。私が新しい農業方法を公表してから半年が経ち、個々差はあるが多くの領で新しい農業方法が導入され始めている。その結果、新しい農業方法を導入した領では領主たちの仕事が急増しているそうだ。エヴィランセ辺境伯も同じなのだろう。恐らく私が実験結果の報告書に追われていた時期と同じような毎日を送っているはずだ。
確かに実験結果の報告書に追われている時期に婚約者に割く時間などないし、婚約者の機嫌を取る余裕もない。実際に同じような毎日を過ごしたからこそ骨身にしみるほど理解できる。
あのエヴィランセ辺境伯は養子に選ぶくらいだ。嫌がらせなどをしてくるような人間ではないだろう。恐らく、私が喜ぶようにと思って用意してくれたのだ。
「エヴィランセ様。心遣いは嬉し────」
「王女殿下、そのような名ばかり貴族の下賤な者と言葉を交わされては王女殿下の品位が下がってしまいます。その者は魔力量が多いだけで辺境伯に引き取られた出自もわからない孤児です。孤児院に引き取られてからも盗みを繰り返していました。以前、私の従者も腰につけていた時計を掏られました。盗癖は治らないと言いますし、王家の紋章が刻まれた物を盗むかもしれません」
そう言って私の話を遮ったのは一人の男子生徒だった。男子生徒は嘲笑の視線をユダーナに向けていた。その口は醜く弧を描いていた。ユダーナはバツの悪そうな表情で顔を逸した。
「ほら! 顔を逸しました。何か疚しいことがあるに違いありません。今すぐに身体検査をして盗まれた物がないか確認すべきです! お前たち、あの下賤の者を捕まえろ!」
「「はい!」」
男子生徒が指示すると、周囲に侍っていた男子生徒二人が派手な音をさせてユダーナを押さえつける。
「待ちなさい」
私が止めると男子生徒は怪訝な表情を浮かべた。ユダーナを押さえつけている二人の男子生徒も戸惑っている。
「何故止めるのですか?」
「そのように盗んだと決めつけるのは如何なものかと思います。今すぐエヴィランセ様を離しなさい」
私の命令を聞いてユダーナを押さえつけていた男子生徒二人は手を離した。命じた男子生徒は声を詰まらせる。
「ところで、貴方の名前を伺っても?」
「おや? 名乗っていませんでしたか?」
「えぇ、私の言葉を遮って、捲し立てるようにエヴィランセ様を糾弾したので」
『遮って』の部分を強調して言うと周囲の生徒たちは表情を強張らせた。しかし男子生徒は気にしている様子はない。むしろ、わざと私を蔑ろにした態度を取っているように見える。
「それは失礼致しました。フラン・ディ・ルアーノと申します」
フランは表面上では自分の非礼を謝罪しているが、内申では馬鹿にしているようで、目の奥には嘲笑が見え隠れしている。
「ルアーノ……。近年の農業改革で目覚ましい結果を出した子爵家ですね」
「ご存知とは光栄です」
「勿論です。農業改革は私が始めた事業ですから、報告書なども私の元に運ばれてきます」
「そうでしたか。農業改革は王太后陛下と王妃陛下が主導で動いていると聞いていたもので」
それを聞いて納得した。彼が私を馬鹿にしているのは、農業改革が本当はお祖母様とお母様が主導で行われている事業で、私は功績を譲られただけの王女だと思っているからだろう。
私の実績が譲られた物だと言う貴族は少ないが、居ないわけではない。ルアーノ子爵がその少数だというだけの話だ。
「貴方はエヴィランセ様の出自は私と言葉を交わすのに相応しくないと仰るのですね?」
「ご明察の通りです」
貴族の中には孤児を養子を忌み嫌い、青い血を至上のものと主張する者が居る。事実、自身の生まれが孤児故に他の孤児を捨て置けず、爵位を継いだ途端に孤児救済に家財をつぎ込み、借金だらけになるという例は数多くある。中には税金を払えず爵位を剥奪されるような者も居た。その場合、その家と付き合いがあるイエモ多少の損害を被る。周囲から見れば迷惑以外の何物でもない。
「貴方が血統至上主義であることは理解できました。ですが、その考えを他者に押し付けるのは控えて下さい」
「押し付ける?」
「私は生命は等しく尊い物だと考えます。勿論貴方の考え方を否定するつもりはありませんが、私に貴方の考えを押し付けられるのは不快です。それと、貴方も貴族の端くれならば貴族のマナーを守りなさい。王女と辺境伯令息の会話を子爵令息が遮るなど言語道断ですよ」
私が明確な拒絶を突きつけるとフランは顔を真っ赤にして教室を出ていった。それとすれ違いで教師が教室に入ってくる。すると周囲を取り巻いていた貴族たちが自分の席に戻っていった。
「ん? 何かあったのか?」
「何でもありません。エヴィランセ様と少し話していただけです」
「なら席に……着け」
言っている途中でゴテゴテと飾られた席に気づいたのか目を見開いて固まる。しかし一瞬で我を取り戻し、可哀想な目で私を見ながら言葉を続けた。
「……はい」
私は気が進まなかったが、ゴテゴテに飾られた椅子に向かう。正直、前世の私なら例え善意の物でも絶対に座らない。しかし、今の私が拒絶すればユダーナは確実に孤立するだろう。私は仕方なく、その派手な椅子に座った。私が座ったのを確認して教師は自己紹介を始めた。
「俺はこのクラスの担任のゴードンだ。知っているとは思うが、この学校はコースに酔って取れる講義が違う。クラス全員が揃うのは体育祭、文化祭、クラス祭のみdあ。俺の担当講義は二年目から取れるようになる講義だから、次にお前らに会うのは直近で三ヶ月後の体育祭だな。さて、今日は校則の説明と講義の申請、構内案内だ。寮生活を希望するやつは事務室で書類を貰って今日中に提出しろ」
ゴードンは日本人のように彫りが浅く整った顔立ちで、黒髪がよく似合っていた。醸し出す雰囲気は神秘的なのに対して口調は粗雑で、大部分の生徒────特に女子生徒の心を一瞬にして掴み取った。それも無意識にだ。
「誰がどのコースを選ぶのか、その講義を選ぶのかは個人の自由だ。まぁ必須の講義もあるから完全に自由というわけでもないが、とにかく自由度は高い。つまり失敗も成功も自分自身の決定に委ねられる。これから配る木簡にコースによって取れる講義の一覧が書かれている。よく考えて選べ」
適当な態度だったゴードンが真剣な口調でいうと、生徒たちの表情が強張る。適当な奴が真面目なことを言うと、よりシリアスに聞こえるアレだ。
「校則についてだが、実はこの学園ではこれと言った校則はない。創立したばかりで問題を起こした生徒が居ないからだ。だがお前らの行動次第で今後、梗塞が増えていく可能性があることを念頭に置いておけ。最後に構内案内だが、俺はお前らと違って研究があるんだ。この馬鹿みたいに広い校舎を案内するような暇な時間はない。構内図を纏めた木簡を置いておくから今日中に覚えろ。見て回りたければ好きにすれば良いが、迷子になって怪我しても責任は取らないぞ」
そう言ってゴードンは教卓に木簡を置いて教室を出ていった。
「王女殿下! わたくしは────」
「王女殿下! 自分は騎士を目指して────」
周囲を取り囲む新入生たちが私に気に入られようと躍起になって話しかけてくる。中には私ではなくルーシーやメフィアに気に入られようとする頭の良い新入生も居た。
ルーシーは侍女の仕事ばかりしているので私も忘れがちだが、既に私の護衛騎士に任命されている。この後に護衛騎士に任命された騎士は全てルーシーの指揮下に置かれるということだ。私の護衛騎士に任命された後に順風満帆な人生を送るためにはルーシーに嫌われてはならない。更に好ましいのはルーシーの推薦を受けて護衛騎士になることだ。私がルーシーを信頼していることは周知の事実で、ルーシーが推薦する騎士なら他の騎士たちより信用できる。
メフィアは新しい農業方法の実験の補助などで結果を出したことで叙爵され、準男爵になった。成人前に自力で貴族社会に足を踏み入れた、誰もが認める実力者なのだ。そしてルーシーが護衛騎士に任命されていることを鑑みて、筆頭侍女に最も近い人物とも言われている。
しかし、優秀な二人や王女の私に取り入りたい気持ちも理解出来なくはないが、折角の晴れやかな日に入学式を迎えるというのに、煩わしいことこの上ない。私は周囲の喧騒に辟易としながらルーシーとメフィアを連れて入学式の会場へ急いだ。
「まずは祝いの言葉を贈らせて貰おう。入学おめでとう。皆は本日より我が国が誇る王立学園の学生になる。それはつまり、王国の顔を背負っているということだ。それに見合った言動を心がけることをお勧めする」
壇上の学園長の言葉に会場内の雰囲気が引き締まり、新入生たちの表情が強張る。
王国が誇る学園に属すると言うことは王国を代表する学生集団の一員になるということ。言動もそれに相応しい物でなければならず、不適格と判断されれば学園から排除される。そして、学園から排除されることは王国の貴族社会から排除されることと同義だ。まだ子供の新入生たちに緊張するなと言う方が無理と言うものだ。
しかし、すぐに緊張は高揚に変わった。お祖母様が壇上に上ったからだ。一瞬でライブ会場のような熱気に包まれた。勿論騒がしさはないが、それでもライブ会場というに相応しいほどの高揚感が会場を包んでいることは肌で感じられる。物怖じしそうな状況の中であるにも関わらず、お祖母様は話し始めた。
「皆さん、入学おめでとう。まず敢えて皆さんに伝えておきたいことがあります。私は一部を除いた新入生の皆さんには全く期待を抱いていません。今の貴族の多くは世襲制であるが為に国に貢献することを忘れています。各々が持つ領地ですら自身の功績で勝ち得た物ではないのに、自分たちが貴族であることに胡座をかいています。そんな貴族たちに甘やかされて育った令息令嬢である皆さんに期待を抱けるはずもないことは理解して頂けるでしょう。正直に言いましょう。今の私が期待を抱けるのは、現段階で既に功績を上げている者や自力で入学した平民くらいです」
突然の貴族全否定にざわつく会場。新入生たちは不安そうな表情を受けべている。まさか入学式にお祖母様から罵倒されるとは思っていなかったのだろう。お祖母様はそんな新入生たちを無視して話を続ける。
「皆さんにどのような目標があるかなど興味もありません。皆さんに学園に通って貰うことにしたのは、国に貢献するとは何かを学んで貰うためです」
その明け透けな発言の会場が静まり返る。それまでの熱気も嘘のように冷めていた。むしろ冷気すら漂っている。まるで最初から捨て駒だとでも言われているように感じたのか、新入生たちは顔をしかめていた。
「今の私の言葉を聞いて、悔しいと感じた者たちに言います。私に一言申したいなら、学園で実力を付けなさい。自力で私の前に立ってみせなさい!」
新入生たちは覚悟を決めたような表情を浮かべた。一部の新入生は武者震いすらしている。そして全員が自身を鼓舞する雄叫びを上げた。
「これで入学式を閉式します。新入生は指定された教室へ移動して下さい」
教師が指示すると、学生たちがぞろぞろと動き出す。抗議一覧を見て悩む学生や、友人同士で互いに鼓舞し合う学生たちに埋もれながら、私はルーシーとメフィアと共に指定された教室へ向かった。
「王女殿下! 私、メシア・ディ・ライアーと申します!」
「王女殿下! 私は────」
教室へ入ると、令息令嬢たちが飴に群がる蟻のように寄ってきた。誰もが我先にと自分を売り込んでくる。その勢いは過去に類を見ない鬱陶しさだ。ルーシーとメフィアが懸命に盾になるも、二人も売り込み対象なので意味がなく、努力虚しく取り囲まれてしまった。平民たちが遠巻きに心配そうな表情を浮かべて様子を伺っている。
「申し訳ありませんが、席に座らせて貰えますか?」
誰の紹介にも興味を示さずに言うと、令息令嬢たちが大げさに捌ける。まるでモーゼの奇跡で海が割れるが如く道ができた。その道の先には存在感を放つ一席。決まった席はないはずなのだが、何故か『フレイア・ディ・ティルノーグ王女殿下』と書かれた名札が置かれた席がある。その席は必要以上にファンシーに飾り立てられている。善意であると思うが、一種の虐めだと声を大にして言いたいほどだ。
「これは誰が?」
「私でございます。王女殿下の権力を見せつけるために特別に作らせた椅子と机でございます。注文から意匠までの全てを私が手掛け、一流の職人に作らせました」
名乗り出たのは年齢の割には小柄で真面目そうな男子生徒だった。前髪が長くて目元が隠れている。腕は少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細く、肌の血色は悪くないが頬が少し痩せている。貴族家に引き取られた元孤児だろう。
「ユダーナ・ディ・エヴィランセと申します」
エヴィランセという家名に好青年のエヴィランセ辺境伯が脳裏に浮かぶ。
「エヴィランセ辺境伯のご令息ですか?」
「その通りでございます」
確かにエヴィランセ辺境伯は爵位を継ぐには若かったが、婚約者が居ない年齢ではない。婚約者が居るのならわざわざ養子を取る必要はないはずだ。
「何故、エヴィランセ辺境伯は養子を取ったのかしら?」
小声でメフィアに聞くと、メフィアは周りに聞こえないように静かに答えた。
「エヴィランセ辺境伯には婚約者が居ません。後継のために嫁を娶るように周囲に迫られているとか」
そう言われて納得した。私が新しい農業方法を公表してから半年が経ち、個々差はあるが多くの領で新しい農業方法が導入され始めている。その結果、新しい農業方法を導入した領では領主たちの仕事が急増しているそうだ。エヴィランセ辺境伯も同じなのだろう。恐らく私が実験結果の報告書に追われていた時期と同じような毎日を送っているはずだ。
確かに実験結果の報告書に追われている時期に婚約者に割く時間などないし、婚約者の機嫌を取る余裕もない。実際に同じような毎日を過ごしたからこそ骨身にしみるほど理解できる。
あのエヴィランセ辺境伯は養子に選ぶくらいだ。嫌がらせなどをしてくるような人間ではないだろう。恐らく、私が喜ぶようにと思って用意してくれたのだ。
「エヴィランセ様。心遣いは嬉し────」
「王女殿下、そのような名ばかり貴族の下賤な者と言葉を交わされては王女殿下の品位が下がってしまいます。その者は魔力量が多いだけで辺境伯に引き取られた出自もわからない孤児です。孤児院に引き取られてからも盗みを繰り返していました。以前、私の従者も腰につけていた時計を掏られました。盗癖は治らないと言いますし、王家の紋章が刻まれた物を盗むかもしれません」
そう言って私の話を遮ったのは一人の男子生徒だった。男子生徒は嘲笑の視線をユダーナに向けていた。その口は醜く弧を描いていた。ユダーナはバツの悪そうな表情で顔を逸した。
「ほら! 顔を逸しました。何か疚しいことがあるに違いありません。今すぐに身体検査をして盗まれた物がないか確認すべきです! お前たち、あの下賤の者を捕まえろ!」
「「はい!」」
男子生徒が指示すると、周囲に侍っていた男子生徒二人が派手な音をさせてユダーナを押さえつける。
「待ちなさい」
私が止めると男子生徒は怪訝な表情を浮かべた。ユダーナを押さえつけている二人の男子生徒も戸惑っている。
「何故止めるのですか?」
「そのように盗んだと決めつけるのは如何なものかと思います。今すぐエヴィランセ様を離しなさい」
私の命令を聞いてユダーナを押さえつけていた男子生徒二人は手を離した。命じた男子生徒は声を詰まらせる。
「ところで、貴方の名前を伺っても?」
「おや? 名乗っていませんでしたか?」
「えぇ、私の言葉を遮って、捲し立てるようにエヴィランセ様を糾弾したので」
『遮って』の部分を強調して言うと周囲の生徒たちは表情を強張らせた。しかし男子生徒は気にしている様子はない。むしろ、わざと私を蔑ろにした態度を取っているように見える。
「それは失礼致しました。フラン・ディ・ルアーノと申します」
フランは表面上では自分の非礼を謝罪しているが、内申では馬鹿にしているようで、目の奥には嘲笑が見え隠れしている。
「ルアーノ……。近年の農業改革で目覚ましい結果を出した子爵家ですね」
「ご存知とは光栄です」
「勿論です。農業改革は私が始めた事業ですから、報告書なども私の元に運ばれてきます」
「そうでしたか。農業改革は王太后陛下と王妃陛下が主導で動いていると聞いていたもので」
それを聞いて納得した。彼が私を馬鹿にしているのは、農業改革が本当はお祖母様とお母様が主導で行われている事業で、私は功績を譲られただけの王女だと思っているからだろう。
私の実績が譲られた物だと言う貴族は少ないが、居ないわけではない。ルアーノ子爵がその少数だというだけの話だ。
「貴方はエヴィランセ様の出自は私と言葉を交わすのに相応しくないと仰るのですね?」
「ご明察の通りです」
貴族の中には孤児を養子を忌み嫌い、青い血を至上のものと主張する者が居る。事実、自身の生まれが孤児故に他の孤児を捨て置けず、爵位を継いだ途端に孤児救済に家財をつぎ込み、借金だらけになるという例は数多くある。中には税金を払えず爵位を剥奪されるような者も居た。その場合、その家と付き合いがあるイエモ多少の損害を被る。周囲から見れば迷惑以外の何物でもない。
「貴方が血統至上主義であることは理解できました。ですが、その考えを他者に押し付けるのは控えて下さい」
「押し付ける?」
「私は生命は等しく尊い物だと考えます。勿論貴方の考え方を否定するつもりはありませんが、私に貴方の考えを押し付けられるのは不快です。それと、貴方も貴族の端くれならば貴族のマナーを守りなさい。王女と辺境伯令息の会話を子爵令息が遮るなど言語道断ですよ」
私が明確な拒絶を突きつけるとフランは顔を真っ赤にして教室を出ていった。それとすれ違いで教師が教室に入ってくる。すると周囲を取り巻いていた貴族たちが自分の席に戻っていった。
「ん? 何かあったのか?」
「何でもありません。エヴィランセ様と少し話していただけです」
「なら席に……着け」
言っている途中でゴテゴテと飾られた席に気づいたのか目を見開いて固まる。しかし一瞬で我を取り戻し、可哀想な目で私を見ながら言葉を続けた。
「……はい」
私は気が進まなかったが、ゴテゴテに飾られた椅子に向かう。正直、前世の私なら例え善意の物でも絶対に座らない。しかし、今の私が拒絶すればユダーナは確実に孤立するだろう。私は仕方なく、その派手な椅子に座った。私が座ったのを確認して教師は自己紹介を始めた。
「俺はこのクラスの担任のゴードンだ。知っているとは思うが、この学校はコースに酔って取れる講義が違う。クラス全員が揃うのは体育祭、文化祭、クラス祭のみdあ。俺の担当講義は二年目から取れるようになる講義だから、次にお前らに会うのは直近で三ヶ月後の体育祭だな。さて、今日は校則の説明と講義の申請、構内案内だ。寮生活を希望するやつは事務室で書類を貰って今日中に提出しろ」
ゴードンは日本人のように彫りが浅く整った顔立ちで、黒髪がよく似合っていた。醸し出す雰囲気は神秘的なのに対して口調は粗雑で、大部分の生徒────特に女子生徒の心を一瞬にして掴み取った。それも無意識にだ。
「誰がどのコースを選ぶのか、その講義を選ぶのかは個人の自由だ。まぁ必須の講義もあるから完全に自由というわけでもないが、とにかく自由度は高い。つまり失敗も成功も自分自身の決定に委ねられる。これから配る木簡にコースによって取れる講義の一覧が書かれている。よく考えて選べ」
適当な態度だったゴードンが真剣な口調でいうと、生徒たちの表情が強張る。適当な奴が真面目なことを言うと、よりシリアスに聞こえるアレだ。
「校則についてだが、実はこの学園ではこれと言った校則はない。創立したばかりで問題を起こした生徒が居ないからだ。だがお前らの行動次第で今後、梗塞が増えていく可能性があることを念頭に置いておけ。最後に構内案内だが、俺はお前らと違って研究があるんだ。この馬鹿みたいに広い校舎を案内するような暇な時間はない。構内図を纏めた木簡を置いておくから今日中に覚えろ。見て回りたければ好きにすれば良いが、迷子になって怪我しても責任は取らないぞ」
そう言ってゴードンは教卓に木簡を置いて教室を出ていった。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない
もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。
……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる