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一章、嘘 ――Drug Trip――
20.いき場がないならせめて死に場所を求めて
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その日は家に帰らなかった。足が棒になるまで街を歩き、駅のホームに座ってまた歌う。オニの姿を見てからずっと、「蟲」は流れ続けている。
<今しかない今
すくった指の先からどんどん零れ落ちる
何とかしなきゃ
あの子が死んじゃう前に
アタシがアタシでいられるうちに>
塾へも行かず、喫茶店に閉店まで居座り、カラオケボックスで夜を明かしたが、翌朝には、本当に「行き場」をなくして、昼頃祖母の家へ向かった。
<声も立てない小さな虫を
アタシはまだ抱きしめている>
祖母の家へは久しく行っていない。気の強い母がお金の絡むことで妹と揉め、仲裁に入った母をも蹴散らしたらしいが、当時小学生だったゆりは、詳しい事情を知らない。思えば自分はいつも、強すぎる母の影にうずくまっているだけの子供だった。
「遊びに来たの」
とは言ったものの、祖母は歓迎の裏に、怪訝のまなざしを強くにじませている。やがてそれは困惑に変わり、今にも母のところへ電話をかけそうな様子に見えた。
(ここも長くはないな)
二晩を過ぎ、ゆりは、家に帰る、と言い残して祖母の家を出、電車に乗って益々家から遠ざかった。家へも学校へも、戻る勇気はない。なんのために、そこまで自分に生きることを強いるのか、分からない。ずっと前から決めていた。自宅の前から飛び降りるなんて嫌だ、原宿駅で人身事故を起こしてやる。原宿に恨みがあるんじゃない、むしろその逆だった。ゆりのお気に入りの雑誌には、原宿を不思議な恰好で歩く若者たちのスナップ特集が、毎月組まれている。それを読むうちに、原宿は憧れの地になっていった。
駅へ下りてみると思いの外小さい上、緑も豊かだ。
(七里と変わんないじゃん)
地元の駅を思い浮かべ、ちょっといい気になる。ここで死ぬんだという実感はない。ようやく無に帰れるのに、その喜びもない。山手線は、ひっきりなしにホームへ入る。一回一回決断の時を引き延ばし、ゆりはウォークマンを最大音量にして、「蟲」一曲を流し続けた。「ハラジュク遊戯」を聴いたらきっと街へ出てみたくなる、街へ出れば決意が揺らぐ、帰る場所もなく、またあの地獄よりつらい地獄へ連れ戻される。それだけはどうしても避けねばならない。学校にも家にも塾にもいられないというのは、この世界に生きる場所がないということ。脳内細胞の隅々まで残らず音楽に浸したまま、白線の外から線路を見下ろす。
(来る)
朦朧とした意識のまま、線路の向こうをみつめる。
「一番線に電車が参ります、白線の内側まで下がってお待ち下さい」
アナウンスもゆりの耳には届かない。耳の中でアイが叫ぶ。
<今しかない今
すくった指の先からどんどん零れ落ちる
何とかしなきゃ>
(今だ!)
大きく息を吸う。
<あの子が死んじゃう前に
アタシがアタシでいられるうちに>
一瞬早く、電車がホームへ滑り込んだ。乗り降りする人々を避け、ゆりは大きく息を吐いた。
(だめだった――)
<声も立てない小さな虫を
アタシはまだ抱きしめている>
もう一度、と線路を見下ろす。まだ次の電車が来るまでには、間がある。
ふいに背後から、とん、と背中を突かれた。踏鞴を踏み、線路へ飛び降りる。よろめいてしりもちをつき、ヘッドフォンが外れた。
「痛ぁ―― 何すんの?」
金切り声あげ見上げる先には白い着物のオニの姿、この前見たときと同じように、けらけらと笑っている。「踏ん切りつかないみたいだから、背中押してやったんじゃん」
ゆりは線路の向こうを指さして、
「電車来てないじゃん!」
「あれ~、そうだったぁ? ごめんごめん、次はちゃんと成功させるからさぁ」
夜響は楽しくてたまらない様子。馬鹿にされてる、とゆりは唇をかんだ。
「あんた、自殺したいんだろ?」
「したくない!」
思わず大声で叫んだところへ、駅員さんが駆けつけてくる。
「この人どうにかして下さい! あたしを線路へ突き落としたんですよ!」
「あははは、恋い焦がれたみたいに見下ろしてたのはあんただぜ」
「この前来たとき指輪を落として、急いでたから、そのまま電車に乗っちゃったの! それを探してただけ!」
咄嗟の言い訳真に受けて、
「探しましょうか」
と若い駅員さんが線路へ下りようとする。
「いいです。ないみたいだから」
彼に手伝ってもらい、線路へあがるゆりに、
「ほんとかよ」
と夜響が笑い出す。
「ふざけんな」
捨てぜりふを残して、ちょうど向かいに来た外周りの山手線に乗り込んだ。
<今しかない今
すくった指の先からどんどん零れ落ちる
何とかしなきゃ
あの子が死んじゃう前に
アタシがアタシでいられるうちに>
塾へも行かず、喫茶店に閉店まで居座り、カラオケボックスで夜を明かしたが、翌朝には、本当に「行き場」をなくして、昼頃祖母の家へ向かった。
<声も立てない小さな虫を
アタシはまだ抱きしめている>
祖母の家へは久しく行っていない。気の強い母がお金の絡むことで妹と揉め、仲裁に入った母をも蹴散らしたらしいが、当時小学生だったゆりは、詳しい事情を知らない。思えば自分はいつも、強すぎる母の影にうずくまっているだけの子供だった。
「遊びに来たの」
とは言ったものの、祖母は歓迎の裏に、怪訝のまなざしを強くにじませている。やがてそれは困惑に変わり、今にも母のところへ電話をかけそうな様子に見えた。
(ここも長くはないな)
二晩を過ぎ、ゆりは、家に帰る、と言い残して祖母の家を出、電車に乗って益々家から遠ざかった。家へも学校へも、戻る勇気はない。なんのために、そこまで自分に生きることを強いるのか、分からない。ずっと前から決めていた。自宅の前から飛び降りるなんて嫌だ、原宿駅で人身事故を起こしてやる。原宿に恨みがあるんじゃない、むしろその逆だった。ゆりのお気に入りの雑誌には、原宿を不思議な恰好で歩く若者たちのスナップ特集が、毎月組まれている。それを読むうちに、原宿は憧れの地になっていった。
駅へ下りてみると思いの外小さい上、緑も豊かだ。
(七里と変わんないじゃん)
地元の駅を思い浮かべ、ちょっといい気になる。ここで死ぬんだという実感はない。ようやく無に帰れるのに、その喜びもない。山手線は、ひっきりなしにホームへ入る。一回一回決断の時を引き延ばし、ゆりはウォークマンを最大音量にして、「蟲」一曲を流し続けた。「ハラジュク遊戯」を聴いたらきっと街へ出てみたくなる、街へ出れば決意が揺らぐ、帰る場所もなく、またあの地獄よりつらい地獄へ連れ戻される。それだけはどうしても避けねばならない。学校にも家にも塾にもいられないというのは、この世界に生きる場所がないということ。脳内細胞の隅々まで残らず音楽に浸したまま、白線の外から線路を見下ろす。
(来る)
朦朧とした意識のまま、線路の向こうをみつめる。
「一番線に電車が参ります、白線の内側まで下がってお待ち下さい」
アナウンスもゆりの耳には届かない。耳の中でアイが叫ぶ。
<今しかない今
すくった指の先からどんどん零れ落ちる
何とかしなきゃ>
(今だ!)
大きく息を吸う。
<あの子が死んじゃう前に
アタシがアタシでいられるうちに>
一瞬早く、電車がホームへ滑り込んだ。乗り降りする人々を避け、ゆりは大きく息を吐いた。
(だめだった――)
<声も立てない小さな虫を
アタシはまだ抱きしめている>
もう一度、と線路を見下ろす。まだ次の電車が来るまでには、間がある。
ふいに背後から、とん、と背中を突かれた。踏鞴を踏み、線路へ飛び降りる。よろめいてしりもちをつき、ヘッドフォンが外れた。
「痛ぁ―― 何すんの?」
金切り声あげ見上げる先には白い着物のオニの姿、この前見たときと同じように、けらけらと笑っている。「踏ん切りつかないみたいだから、背中押してやったんじゃん」
ゆりは線路の向こうを指さして、
「電車来てないじゃん!」
「あれ~、そうだったぁ? ごめんごめん、次はちゃんと成功させるからさぁ」
夜響は楽しくてたまらない様子。馬鹿にされてる、とゆりは唇をかんだ。
「あんた、自殺したいんだろ?」
「したくない!」
思わず大声で叫んだところへ、駅員さんが駆けつけてくる。
「この人どうにかして下さい! あたしを線路へ突き落としたんですよ!」
「あははは、恋い焦がれたみたいに見下ろしてたのはあんただぜ」
「この前来たとき指輪を落として、急いでたから、そのまま電車に乗っちゃったの! それを探してただけ!」
咄嗟の言い訳真に受けて、
「探しましょうか」
と若い駅員さんが線路へ下りようとする。
「いいです。ないみたいだから」
彼に手伝ってもらい、線路へあがるゆりに、
「ほんとかよ」
と夜響が笑い出す。
「ふざけんな」
捨てぜりふを残して、ちょうど向かいに来た外周りの山手線に乗り込んだ。
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