鬻がれた春【完結】

天川 哲

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鈍色の邂逅

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 時間はどうしてこうものんびりとしか進まないのだろうかと、溶けていくグラスの氷を見つめながら、瑠々は溜息を吐く。
 テーブルの上に置かれた名刺に目が留まり、彼の残した言葉が頭の中をリフレインした。
 ―――電話ちょうだいよ、本当―――
 大して興味もない風を装っていたが、瑠々は秀に対して何か同じ匂いを感じていた。
 (あと一人、あと一人来てくれたら)
 握りしめた携帯が振動し、瑠々はすかさず画面を凝視し、祈りが届いたことを確信した。
 自身がネット掲示板に投稿した、援助交際の誘いに乗ったメッセージに返信し、グラスの中で溶け切った氷を飲み干した。
 「さようなら、また何処かで」
 会えたら、瑠々は名刺に独り言ち、テーブルの上に残したまま、店を出た。

 「お待たせぇ」
 「お疲れ様です、うみさん」
 「もう、店じゃないんだからちゃんと名前で呼んでよ」
 「これは失礼、瑛美さん」
 胸元が深く切られたTシャツに、ホットパンツという、かなり目を惹くファッションをしっかりと着こなしている瑛美は、雑誌か何かでモデルをしているといわれても遜色のないスタイルをしている。
 それなりに容姿に自信のある秀も、少しばかり引け目を感じる程、所謂目立つ女性である。
 「包み紙、見てくれた?」
 「見ましたよ。全く、店長にバレたらクビじゃ済まないんですから」
 ごめんねぇ、と舌を出す瑛美に、秀は手を差し出し手を繋いだ。
 「それにしても、まさか秀くんがホストだったなんてねぇ」
 「意外でしたか?」
 「そうでもないけど。まぁ、知れてラッキーなのはあるかも」
 「店長にも内緒にしてますから、どうやって知ったのか俺は気になりますけどね」
 ふふ、と悪戯っぽく微笑む瑛美は、妖艶な雰囲気を帯びていた。
 水商売で働く人間には、決して珍しいことではない。
 生活のため、短時間で大きく稼ごうという場合も勿論あるが、瑛美のように、ホストに通うために働くということが往々にしてあるのだ。
 秀は、決して瑛美に何か特別な感情を抱いているわけではない。自身も同じ穴の狢なのだと、ただそれだけを感じていた。
 瑛美と共に、秀自身が務めるホストクラブへと向かうためタクシーに乗り込もうと大通りへ目をやると、反対車線側を歩くカップルに目が留まった。
 (あいつ、確か……)
 昼過ぎに出会った少女に似ている。そう思い目を凝らすと、なんだか様子がおかしいことに秀は気付いた。
 手を繋いでいるのではなく、引っ張られ、何処かに連行されている様に見えたのだ。
 心が波立ち、居ても立ってもいられなくなり、秀は駆け出した。
 「ちょっ、秀くん!?」
 「ごめんっ!すぐ戻るから!」
 車道に飛び出すと、いたるところからけたたましいほどのクラクションが鳴り響く中、秀は瑠々と思わしき少女のもとへ一目散に駆けた。
 男が少女へ手を上げようと振り上げた刹那、秀は男の手を掴み、その動きを止めた。
 「何すんだ、離せよっ!」
 「女の子に手上げるなんて、随分男らしくないんじゃないですか?」
 「うるせぇ、こんな奴に何しようがお前に関係ないだろうが」
 「ありますよ、俺の知人なんで」
 「知らねぇよ!とにかく離せよっ!」
 繰り広げられる喧騒に、周囲は好奇の目を向け始める。
 さすがに周りの空気が変わったことに男も気付いたのであろう。羞恥に駆られたのか、秀の腕を振りほどこうとさらに暴れ始めた。
 「もうこの子に関わらないと誓いますか?」
 「関わらねえ、関わらねえからはな―――」
 せ、の最後を聞かず、秀は男を突き飛ばした。
 尻餅をついた男は、立ち上がりざま、薄汚い言葉をいくつも吐きながら、走り去っていった。
 「余計なお世話だったかな」
 「全くよ。おかげで客を一人取り損ねたわ」
 「いい客には見えなかったがな」
 秀の言葉にうつむき、黙り込む瑠々を横目に、秀はポケットのキーケースから鍵を取り出し、瑠々に放った。
 咄嗟に受け取った瑠々は、怪訝な顔を秀へと向ける。
 道行くタクシーを停め、行き先を告げた秀は、瑠々の方へ振り返り、手招きした。
 「どういうつもり?」
 「どうせ行く場所ないんだろ?この時間じゃ客なんて大して取れねぇよ。今日だけでも俺んち泊まっていきな」
 「結構よ、それこそ余計な」
 いいから、と無理やり瑠々をタクシーに押し込んだ秀は、そのまま運転手へ一万円札を手渡した。
 「お釣りは彼女に渡してください。瑠々ちゃん、部屋は106だからな。着いたら電話しろよ」
 ちょっと、と何か言いかける瑠々を残し、秀はドアを閉めた。
 タクシーは、言いかけた言葉を伝えることなく走り去っていった。
 「あの子だれぇ?秀くん」
 いつの間にかこちらへ歩いてきていた瑛美に、秀は大きくかぶりを振り、再び違うタクシーを停めた。
 「遅くなってすみません、瑛美さん。飲みに行きましょう」
 わーい、と子供っぽく声を上げる瑛美を見つめながらも、頭の片隅で、先程送り出した瑠々のことしか考えられなくなっていた。
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