イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第十章 王都編

捕虜

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 疲労がどっと押し寄せてくる。全身が重くて、長椅子に倒れ込むように横になった。
 頭がどんよりと重く、息苦しい。身体中が睡眠を求めているのに、いくら目を閉じても眠れない。見上げた天井には、まるい人工の星空が広がっている。
「……ハァ……ッ……」
 マルスは軽い吐き気を覚えて、長椅子の上で身を捩って喘いだ。頭がぐらぐらする。空っぽの胃から不快感が間断なく突き上げてくる。
「――――うぅ……」
 少しでも楽な体勢を探して、しかしそんなものはなく、どっちを向いても息が苦しい。長椅子から上体がずり落ちて、床が目の前に迫った。咄嗟に受け身を取って、どさり、と床に倒れ込んだ。
 マルスは冷たい床に彫られた地図に爪を立てた。
 アルヴィラ。
 21ポイント。
 アルナハブ。
 リアラベルデ。
 レー。
 ララ=アルサーシャを取り巻く都市が、じわじわと侵食してくる。かつてマルスが広げた領土が、どす黒い敵意を剥き出しにして、王国を戦火に飲み込んでいく。
「……うう、う、あああ……」
 視界が変色していく錯覚に、マルスは呻いた。冷たい床の上を転がって身悶える。
「――陛下……!」
 駆け寄ってきたのは、小姓の代わりに一人だけ入れている奴隷――シュイユラーナだった。星の間を住処すみかにしてしまったマルスの、身の回りの世話をしていた。
 マルスはシュイユラーナが手にした器に吐いた。昨日から何も食べていないので、胃液と黄色く濁った胆汁しか出てこない。
「お薬を」
 差し出された水と薬を飲み下して、再び長椅子に横たわる。シュイユラーナは、マルスの背中にいくつかクッションを挟み込んだ。荒い息をするマルスの額に浮かんだ脂汗を、濡らした布で丁寧に拭き取る。
「失礼いたします……」
 シュイユラーナは、そのまま首筋を拭き、汗と砂にまみれた服を脱がせて、ゆっくりと上体を拭いた。
 清潔な布で拭き上げられて、マルスは少し気分が良くなり、更に薬も効いてきて、頭痛と吐き気が少しずつ消えていった。と、思う頃には、眠りに落ちていた。
 ようやく訪れた眠りはしかし悪夢をも連れてくる。
 闇の中に蠢く黒い影が、マルスの腕の中からすべてをもぎ取っていく。
 だが、ようやく捕らえた。ユーリ・アトゥイー。私の王国を脅かす者。分不相応にも、私のものを次々と奪っていく者。さあ、どうやって苛んでやろうか。生皮を剥ぎ、切り刻んで、溶けた鉛を口に注いでやろうか。おぞましい考えが次々と浮かぶ。いつの間にか手の中にある鞭を、闇に向かって叩きつける。何度も何度も鞭打ってから、ふと、闇に手を伸ばした。ぬるりとした血の感触が、細い身体にまとわりついている。
(これはユーリあの男じゃない)
 ――この身体を、自分は知っている。疵痕だらけの背中も、細い腰も、しなやかな手脚も、躰の奥で温かく脈打つ粘膜も、隅々まで。
「――っあああああああ!」
 マルスは叫び声を上げて飛び起きた。激しく震える手を抑え込んで、なんとか鎮めようと試みる。
「……何時間、寝ていた……?」
「小一時間ほどです、陛下」
 マルスの問いに、シュイユラーナが答えた。
 そうか、と呟いて、マルスは起き上がった。今日はもう眠ることはないだろう。
 シュイユラーナはそんな王の姿を憂いのこもった眼で眺めた。
 かつての英気漲る姿を知っているだけに痛々しく、死んだと噂されている少女がここにいたらと願わずにはいられなかった。

   *****

(熱い……)
 ユーリは痛みと浅い眠りとの間を彷徨っていた。傷のせいで発熱もしていた。
(ここは……どこだろう……)
 荷車のようなものに載せられていることは確かだった。揺れが傷に響いて眠りを妨げる。周囲が暗いのは、屋根付きの護送車にでも載せられているのか。それとも自分が視力を失っているのか。それすらもわからない。
 銃で撃たれたことは覚えていた。その後聞こえてきた声で、どうやら敵に捕らわれたこともわかった。
(俺は……死ぬのか)
 そう覚悟したが、どうやら手当を受けたらしい。傷には包帯が巻かれ、定期的に水と化膿止めを飲まされた。
 ――国軍に捕まったら、拷問と処刑が待っている――。
 そう言われたのは、いつだったか。では自分は、拷問を受けるために治療されているのか。この護送車は処刑場へ向かっているのか。
(嫌だな……)
 ユーリは熱に浮かされた頭でぼんやりと思った。
(ファーリアに、逢いたいな……)
 死んだなんて、きっと嘘だ。なんであんな言葉に自分は動揺したのだろう。
 ユーリはファーリアのためらいがちな笑顔を思い浮かべながら、とろとろと眠りに落ちていった。
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