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第十章 王都編
兎狩り
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軍部に隣接する兵舎の食堂に、数カ月ぶりに上級将校のスカイが現れたことは、少なからず周囲の兵卒たちの目を引いた。
更に、普段にこにこと笑みを絶やさないスカイが、珍しくこの日は人を寄せ付けない空気を纏っていたので、遠巻きに眺める者たちの想像力を殊更に掻き立てていた。
「謹慎だそうだよ」
「あの隊長が、なんで?」
「あれだよ、レーの……」
「今、奴隷たちが占拠してるって」
「王都に攻めてきたら、どの部隊が対応するんだ?」
さわさわとさざ波のように囁き声が流れていく。スカイがじろりと睨みつけると、皆一斉に口をつぐんでそそくさと目を逸らした。
謹慎を言い渡されたスカイは、軍部から出られない。スカイは不機嫌に豆のペーストを口に運んだ。食堂の料理はどれも塩気が強く大味であまり好まないが、これだけは食べられる味だと思っている。
(居場所は分かってるのに……動けないのは痛いな)
スカイは自分の勘を信じていた。それによればカナンはファーリアだし、ユーリ・アトゥイーの身柄確保と同時に消えたなら絶対に王都にいるのだ。そして彼女が王都で頼れる場所は限られている。仮にアルヴィラで反乱軍と繋がりを持っていたとしても、反乱軍の一味は昨夜シハーブが市中警備兵総出で叩いていた。そこにもファーリアの影はなかった。となれば、行き先はひとつ。
エディアカラ大尉の友人関係をさらって、ファーリアがかつていた娼館は突き止めてある。
(あの子は絶対あそこにいるのに)
その勘の正しさを今すぐにでも証明したいのに、できないのがもどかしい。ブリキの皿にカチャカチャとスプーンが当たる音が、スカイの苛立ちを表していた。そして、ふとあることに思い至る。
(――なんであの時、勘が狂ったかな)
スカイは小さく自嘲した。奴隷商人から奪った奴隷千人は、カナン自由民のお荷物にこそなれ、味方につけるなどとは想像もしていなかったのだ。
甘く見たな、というマルスの言葉が刺さる。
(本当に、甘く見ていた……ファーリアの力量を)
カナン自由民は、カナンが抜けても機能していた。一方の討伐隊は、スカイが抜けたことで敗けた。奴隷千人が敵方についたとはいえ、やり方がないわけではない。だが、その判断をできる者がいなかった。
「……やっぱり、ほしいな……あの子」
カチャン、とスカイはスプーンを置いた。
その様子を遠巻きに見ていた者たちの中に、エディの姿もあった。
21ポイントで敗走した国軍は、半数が近くの砦に退避し、残りの半数が捕虜を連れて王都へと向かっていた。
翌朝にはその第一陣が王都に入る、という夜、軍部の門をひっそりと出る人影があった。
人影はそのまま、夜の市街へと消えていった。
「こんばんは」
「……こんばんは」
暗がりから唐突に声を掛けられて、美しい彫刻で飾られた門の前にいたイドリスはついそう返事をした。が、次の瞬間、(まずい)と彼の中で警鐘が鳴った。声を掛けてきたのは、近衛兵の制服の胸元にずらりと星を並べた、見るからに只者ではない雰囲気の青年だったからだ。
緊張を悟られまいと、イドリスはつとめて平静に笑顔を作った。
「どうも。いい妓がいますよ」
「ああ、ありがとう。ライラって子、呼んでくれる?」
その金髪の青年はにこにこと笑ってそう言うと、イドリスの脇をすり抜けて塀の中へと入った。後から部下らしき兵士が続く。門の外に二名の見張りを残したのを確認して、イドリスは金髪を追った。
「旦那、うちには今、ライラっていう名前の妓はいませんよ」
くるりと金髪が振り返った。
「へえ?でも念の為、中を見せてもらえる?」
有無を言わさない調子で、スカイは言った。
「……どうぞ」
観念したイドリスが、館の入り口にいたマリアに目配せして、中へ通した。
数分前のことだった。
『夜の兎』に、懐かしい客が訪れた。
「あんたは……!」
マリアは眼を丸くしたが、彼の緊迫した表情から尋常でない何かを感じ取って、すぐに奥へ通した。
「ライラだね?一番奥の部屋にいるよ」
「ありがとう!」
彼は二階へ駆け上がった。言われた通り、一番奥の部屋のドアをノックして、返事を待たずにドアを開けた。そこには見知らぬ女が一人と、ファーリアがいた。
「……エディ!?」
ファーリアは驚きに目を見開いて、懐かしい友人の名を呼んだ。
「アトゥイー!」
ごく短い時間、エディとファーリアは抱き合って再会を確認した。
「よかった……生きてた……!」
エディの声に涙が混じる。
「ごめんね、何も言わずに王宮を出て」
ファーリアが謝罪すると、エディは首を振った。
「いいんだ。それよりスカイ隊長がここに来る。逃げるんだ」
エディはそう言うと、天井を開けて梯子を下ろした。この部屋の屋根裏は裏口へと繋がっている。
「エディ、スカイが探しているのはわたしだけ?」
「たぶんそうだ。彼はレーの反乱の責任を問われているから。それに」
エディは言葉を切った。アトゥイーは頭がいい。こう言えば、カナンがアトゥイーだとスカイに知られていることが伝わるだろう。
「……君がいなくなって、陛下が体調を崩された。もう滅多に人前にお出にならない」
「……!」
「君は悪くない。でも、隊長もシハーブ様も、君を探してる。さあ」
エディはファーリアを促した。ファーリアは梯子に片足をかけた。
にわかに廊下が騒がしくなった。兵士たちが二階へ上がってきたのだ。
「早く――!僕はここで食い止める」
ファーリアは頷いて、梯子を駆け上がる。
「エディ、ザラをお願い」
「カナン、あんたはどうするの?」
梯子を引き上げるファーリアに、ザラが訊いた。
「わたしは護送車を狙ってみる。無理だったら、お願い、どうにかしてレーに行って、イランたちと合流して。カイヤーンもいるはず。脱獄するなら処刑の日しかない。そう伝えて」
隣の部屋のドアが開いた。客と娼婦の悲鳴がする。兵士たちが部屋にいる妓を改めているのだ。
エディたちがいる部屋のドアが開いたのと、天井の隠し通路が閉じたのはほぼ同時だった。
「近衛隊だ。反逆者を捜索している」
機械的な声が響いた。寝台の毛布から、裸のエディが顔を出した。
「……なんですか、一体……?」
「女の顔を見せろ」
「無粋だなぁ。せめて時間が終わるまで待っててくれよ」
エディがかったるそうに目をこする。すると、ドアの前の兵士の後ろからスカイが顔を出した。
「おやおや、これは、エディアカラ大尉」
「……どうも。スカイ隊長」
少しでも時間を稼がなければ。エディはザラを毛布の中に隠したまま言った。
「まさかこの僕が、先手を越されるとはね。――女を出せ」
スカイがエディの横の膨らみを剣で指して言った。
「嫌ですよ。初めての子なんですよ?嫌われたくない」
「――白々しい」
ばさっ、とスカイが剣を一振りし、毛布を取り去った。
「きゃあっ!」
同じく裸のザラが悲鳴を上げてうずくまった。乱れた黒いくせ毛の間から、恐怖に満ちた両眼が覗いている。
「……どこへやった、エディアカラ」
スカイは部屋を見回した。
「ですから、さっきからなんのことです?僕はただ、非番の日に馴染みの店で新人の子を買っただけですけど。何か問題でも?」
スカイはぎり、と歯噛みした。部屋の中に隠れる場所がないことと、窓の格子が外れないことを確認して、スカイは踵を返した。
「――行くぞ」
「はっ」
スカイは部下を連れて部屋を出た。
「……くそ。絶対にここにいたはずなのに……!」
謹慎が解けたのがその日の午後八時だった。そこから兵士を連れて『夜の兎』へ直行したのだ。謹慎さえなければ……いや、せめてあと一時間早く謹慎が解けていれば。
エディがここにいたことが、何よりの証拠に思えた。元来彼に娼館通いの習慣などない。
「近くにいるはずだ!探すぞ!」
「は!」
スカイは部下に命令し、『夜の兎』を後にした。
更に、普段にこにこと笑みを絶やさないスカイが、珍しくこの日は人を寄せ付けない空気を纏っていたので、遠巻きに眺める者たちの想像力を殊更に掻き立てていた。
「謹慎だそうだよ」
「あの隊長が、なんで?」
「あれだよ、レーの……」
「今、奴隷たちが占拠してるって」
「王都に攻めてきたら、どの部隊が対応するんだ?」
さわさわとさざ波のように囁き声が流れていく。スカイがじろりと睨みつけると、皆一斉に口をつぐんでそそくさと目を逸らした。
謹慎を言い渡されたスカイは、軍部から出られない。スカイは不機嫌に豆のペーストを口に運んだ。食堂の料理はどれも塩気が強く大味であまり好まないが、これだけは食べられる味だと思っている。
(居場所は分かってるのに……動けないのは痛いな)
スカイは自分の勘を信じていた。それによればカナンはファーリアだし、ユーリ・アトゥイーの身柄確保と同時に消えたなら絶対に王都にいるのだ。そして彼女が王都で頼れる場所は限られている。仮にアルヴィラで反乱軍と繋がりを持っていたとしても、反乱軍の一味は昨夜シハーブが市中警備兵総出で叩いていた。そこにもファーリアの影はなかった。となれば、行き先はひとつ。
エディアカラ大尉の友人関係をさらって、ファーリアがかつていた娼館は突き止めてある。
(あの子は絶対あそこにいるのに)
その勘の正しさを今すぐにでも証明したいのに、できないのがもどかしい。ブリキの皿にカチャカチャとスプーンが当たる音が、スカイの苛立ちを表していた。そして、ふとあることに思い至る。
(――なんであの時、勘が狂ったかな)
スカイは小さく自嘲した。奴隷商人から奪った奴隷千人は、カナン自由民のお荷物にこそなれ、味方につけるなどとは想像もしていなかったのだ。
甘く見たな、というマルスの言葉が刺さる。
(本当に、甘く見ていた……ファーリアの力量を)
カナン自由民は、カナンが抜けても機能していた。一方の討伐隊は、スカイが抜けたことで敗けた。奴隷千人が敵方についたとはいえ、やり方がないわけではない。だが、その判断をできる者がいなかった。
「……やっぱり、ほしいな……あの子」
カチャン、とスカイはスプーンを置いた。
その様子を遠巻きに見ていた者たちの中に、エディの姿もあった。
21ポイントで敗走した国軍は、半数が近くの砦に退避し、残りの半数が捕虜を連れて王都へと向かっていた。
翌朝にはその第一陣が王都に入る、という夜、軍部の門をひっそりと出る人影があった。
人影はそのまま、夜の市街へと消えていった。
「こんばんは」
「……こんばんは」
暗がりから唐突に声を掛けられて、美しい彫刻で飾られた門の前にいたイドリスはついそう返事をした。が、次の瞬間、(まずい)と彼の中で警鐘が鳴った。声を掛けてきたのは、近衛兵の制服の胸元にずらりと星を並べた、見るからに只者ではない雰囲気の青年だったからだ。
緊張を悟られまいと、イドリスはつとめて平静に笑顔を作った。
「どうも。いい妓がいますよ」
「ああ、ありがとう。ライラって子、呼んでくれる?」
その金髪の青年はにこにこと笑ってそう言うと、イドリスの脇をすり抜けて塀の中へと入った。後から部下らしき兵士が続く。門の外に二名の見張りを残したのを確認して、イドリスは金髪を追った。
「旦那、うちには今、ライラっていう名前の妓はいませんよ」
くるりと金髪が振り返った。
「へえ?でも念の為、中を見せてもらえる?」
有無を言わさない調子で、スカイは言った。
「……どうぞ」
観念したイドリスが、館の入り口にいたマリアに目配せして、中へ通した。
数分前のことだった。
『夜の兎』に、懐かしい客が訪れた。
「あんたは……!」
マリアは眼を丸くしたが、彼の緊迫した表情から尋常でない何かを感じ取って、すぐに奥へ通した。
「ライラだね?一番奥の部屋にいるよ」
「ありがとう!」
彼は二階へ駆け上がった。言われた通り、一番奥の部屋のドアをノックして、返事を待たずにドアを開けた。そこには見知らぬ女が一人と、ファーリアがいた。
「……エディ!?」
ファーリアは驚きに目を見開いて、懐かしい友人の名を呼んだ。
「アトゥイー!」
ごく短い時間、エディとファーリアは抱き合って再会を確認した。
「よかった……生きてた……!」
エディの声に涙が混じる。
「ごめんね、何も言わずに王宮を出て」
ファーリアが謝罪すると、エディは首を振った。
「いいんだ。それよりスカイ隊長がここに来る。逃げるんだ」
エディはそう言うと、天井を開けて梯子を下ろした。この部屋の屋根裏は裏口へと繋がっている。
「エディ、スカイが探しているのはわたしだけ?」
「たぶんそうだ。彼はレーの反乱の責任を問われているから。それに」
エディは言葉を切った。アトゥイーは頭がいい。こう言えば、カナンがアトゥイーだとスカイに知られていることが伝わるだろう。
「……君がいなくなって、陛下が体調を崩された。もう滅多に人前にお出にならない」
「……!」
「君は悪くない。でも、隊長もシハーブ様も、君を探してる。さあ」
エディはファーリアを促した。ファーリアは梯子に片足をかけた。
にわかに廊下が騒がしくなった。兵士たちが二階へ上がってきたのだ。
「早く――!僕はここで食い止める」
ファーリアは頷いて、梯子を駆け上がる。
「エディ、ザラをお願い」
「カナン、あんたはどうするの?」
梯子を引き上げるファーリアに、ザラが訊いた。
「わたしは護送車を狙ってみる。無理だったら、お願い、どうにかしてレーに行って、イランたちと合流して。カイヤーンもいるはず。脱獄するなら処刑の日しかない。そう伝えて」
隣の部屋のドアが開いた。客と娼婦の悲鳴がする。兵士たちが部屋にいる妓を改めているのだ。
エディたちがいる部屋のドアが開いたのと、天井の隠し通路が閉じたのはほぼ同時だった。
「近衛隊だ。反逆者を捜索している」
機械的な声が響いた。寝台の毛布から、裸のエディが顔を出した。
「……なんですか、一体……?」
「女の顔を見せろ」
「無粋だなぁ。せめて時間が終わるまで待っててくれよ」
エディがかったるそうに目をこする。すると、ドアの前の兵士の後ろからスカイが顔を出した。
「おやおや、これは、エディアカラ大尉」
「……どうも。スカイ隊長」
少しでも時間を稼がなければ。エディはザラを毛布の中に隠したまま言った。
「まさかこの僕が、先手を越されるとはね。――女を出せ」
スカイがエディの横の膨らみを剣で指して言った。
「嫌ですよ。初めての子なんですよ?嫌われたくない」
「――白々しい」
ばさっ、とスカイが剣を一振りし、毛布を取り去った。
「きゃあっ!」
同じく裸のザラが悲鳴を上げてうずくまった。乱れた黒いくせ毛の間から、恐怖に満ちた両眼が覗いている。
「……どこへやった、エディアカラ」
スカイは部屋を見回した。
「ですから、さっきからなんのことです?僕はただ、非番の日に馴染みの店で新人の子を買っただけですけど。何か問題でも?」
スカイはぎり、と歯噛みした。部屋の中に隠れる場所がないことと、窓の格子が外れないことを確認して、スカイは踵を返した。
「――行くぞ」
「はっ」
スカイは部下を連れて部屋を出た。
「……くそ。絶対にここにいたはずなのに……!」
謹慎が解けたのがその日の午後八時だった。そこから兵士を連れて『夜の兎』へ直行したのだ。謹慎さえなければ……いや、せめてあと一時間早く謹慎が解けていれば。
エディがここにいたことが、何よりの証拠に思えた。元来彼に娼館通いの習慣などない。
「近くにいるはずだ!探すぞ!」
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スカイは部下に命令し、『夜の兎』を後にした。
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