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第四章 遠征編
辺境伯の鞭★
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ジャヤトリア領の北の外れにあるオアシスには、ジャヤトリア辺境伯が避暑のために滞在する屋敷があった。
ファーリアは、ジャヤトリア辺境伯の元を逃れた時には、イシュラヴァール王国の地理について全くと行っていいほど知らなかった。辺境伯の屋敷やキャラバンのルートは星の位置を見て覚えていたが、それは領内のごく狭い世界だけで、それが王国の南に広がる広大な砂漠のどこに位置するのかまでは知らなかった。そして、28ポイント――アルヴィラ砦との位置関係も、もちろん知る由もなかった。
屋敷の広間で、ファーリアは碧眼の兵士に引きずられるようにして、辺境伯の前に突き出された。
辺境伯は一年半ほどの間に老いたように見えた。
「ファーリア……おお、おお、どれだけ探したことか……ファーリア、かわいいファーリア」
床に投げ出されたファーリアを、辺境伯は舐めるように見る。その眼に宿る狂気はますます研ぎ澄まされ、ぬめった光を放っている。
ファーリアはぞっとした。
だが、一番の気掛かりは、引き離されてどこにいるかわからないマルスのことだ。ファーリアはすぐ傍らに立った碧眼の男に尋ねる。
「……わたしの連れは、どこにいるの」
陛下、と言いかけて思いとどまる。詳しくは知らないが、辺境地域の勢力図は今、相当に危うい状態のはずだ。でなければ王自ら出陣したりしない。――辺境伯が味方とは限らないのだ。
「ああ、毒を飲んだんだったか。別室で休ませてるが?」
「お願い、タジャの実を、彼に」
ファーリアは懇願する。
「あいつはお前の何だ?新しい飼い主か、それとも情夫か」
「……そんなんじゃない。わたしだけじゃない――たくさんの人が、あの方を待ってる」
――私は死ぬわけにはいかぬ。何があっても。
マルスはそう言っていた。そうだ。シハーブ。スカイ。たくさんの兵士たち。後宮の姫君たち。アルサーシャの街に暮らす人々。それらすべてを、彼が支えている。この国の、要。
――助けなければ。何と引き換えにしてでも。
「――お願い、彼を助けて。わたしなんかどうでもいい。あのひとを、どうか」
「どうだかな。毒が抜けたらお前を連れて出ていくと言いかねん」
「……お願い、わたしはここに残るから。もう逃げたりしない、約束する。彼には、わたしはどこかへ消えたとでも言え」
そう言って、ファーリアは碧眼の男を睨みつけた。
「ほう」
碧眼の男がファーリアの顎を掴んだ。
「随分と必死だな。そんな話を信じると思うか」
ぎり、と男の指がファーリアの頬に食い込む。男は頬を歪めてにやりと嘲笑った。
「……まあいい、考えておこう。いずれにせよお前にはもう自由はないんだ。せいぜい俺が気紛れを起こすのを願ってるんだな」
男はそのままファーリアを床に叩きつけた。
「アゥッ――」
「何をごちゃごちゃと話しておるのだ。早く、早くそいつの汚い服を剥ぎ取れ」
焦れた辺境伯が怒鳴り散らす。
「お願い、薬を――!」
碧眼の男に縋り付いて暴れるファーリアを、兵士が数人がかりで押さえこむ。
「いゃあああっ!」
ファーリアが叫び声を上げて抵抗する。と、その時、ヒュン――としなる音が空気を裂いた。
ピシイィ――ッ……
「…………っ!!」
鞭が床を叩く音に、ファーリアの身体が凍りつく。
「ちょっと目を放した間に、随分とうるさい女になったものだのう」
ピシイィッ……
再び、鞭が鳴った。
「………っぁ………っ」
ファーリアは恐怖で立てない。喉が痙攣して声が出ない。床の上をじりじりと後退るファーリアに、辺境伯は鞭を鳴らしながら近寄っていく。
「これはきっちり躾けなおさんとなァーー」
ピシイィッ……
「ひ…………っ!!」
咄嗟に顔を覆った両腕に、焼けるような痛みが走った。
兵士たちに服を乱暴に引き剥がされ、裸にされる。両腕を掴まれて仰向けで床の上を引きずられ、そのまま廊下に出た。通りかかった兵士や使用人たちが、驚いて道を開ける。
――ほら、みてごらん。
――あれは兵士のふりをした娼婦だよ――。
――人殺しをするために兵士になった、奴隷だよ――。
「ちがう……」
いや、違わない。幻聴は自分自身の裡側から聞こえてくる。
――軍服を脱いだら、ただの奴隷女なのに。
――その刺青の下に焼印を隠して――。
「ちがう……ちがう……」
――血塗れで生きるしかないくせに。
いつしかファーリアは血だらけの男たちに囲まれていた。それは皆、ファーリアがこれまで殺してきた人たちだ。
――奴隷のくせに、剣など持って、ひとを殺して。
ビシィッ――
鞭が鳴る。
ビシィィーーッ――
『おマエのカラダにはユウボクのタミの血がナガれているはずだオレとオナじ血ともにタタカう血ガながレテいるはずだ血ガ血ガ血がナガれてオレとおなじオナジオナジオナじ血ガともにたたかウ血がゆうぼくノ』
「いやあぁぁーーーーっ!!」
ファーリアは、ジャヤトリア辺境伯の元を逃れた時には、イシュラヴァール王国の地理について全くと行っていいほど知らなかった。辺境伯の屋敷やキャラバンのルートは星の位置を見て覚えていたが、それは領内のごく狭い世界だけで、それが王国の南に広がる広大な砂漠のどこに位置するのかまでは知らなかった。そして、28ポイント――アルヴィラ砦との位置関係も、もちろん知る由もなかった。
屋敷の広間で、ファーリアは碧眼の兵士に引きずられるようにして、辺境伯の前に突き出された。
辺境伯は一年半ほどの間に老いたように見えた。
「ファーリア……おお、おお、どれだけ探したことか……ファーリア、かわいいファーリア」
床に投げ出されたファーリアを、辺境伯は舐めるように見る。その眼に宿る狂気はますます研ぎ澄まされ、ぬめった光を放っている。
ファーリアはぞっとした。
だが、一番の気掛かりは、引き離されてどこにいるかわからないマルスのことだ。ファーリアはすぐ傍らに立った碧眼の男に尋ねる。
「……わたしの連れは、どこにいるの」
陛下、と言いかけて思いとどまる。詳しくは知らないが、辺境地域の勢力図は今、相当に危うい状態のはずだ。でなければ王自ら出陣したりしない。――辺境伯が味方とは限らないのだ。
「ああ、毒を飲んだんだったか。別室で休ませてるが?」
「お願い、タジャの実を、彼に」
ファーリアは懇願する。
「あいつはお前の何だ?新しい飼い主か、それとも情夫か」
「……そんなんじゃない。わたしだけじゃない――たくさんの人が、あの方を待ってる」
――私は死ぬわけにはいかぬ。何があっても。
マルスはそう言っていた。そうだ。シハーブ。スカイ。たくさんの兵士たち。後宮の姫君たち。アルサーシャの街に暮らす人々。それらすべてを、彼が支えている。この国の、要。
――助けなければ。何と引き換えにしてでも。
「――お願い、彼を助けて。わたしなんかどうでもいい。あのひとを、どうか」
「どうだかな。毒が抜けたらお前を連れて出ていくと言いかねん」
「……お願い、わたしはここに残るから。もう逃げたりしない、約束する。彼には、わたしはどこかへ消えたとでも言え」
そう言って、ファーリアは碧眼の男を睨みつけた。
「ほう」
碧眼の男がファーリアの顎を掴んだ。
「随分と必死だな。そんな話を信じると思うか」
ぎり、と男の指がファーリアの頬に食い込む。男は頬を歪めてにやりと嘲笑った。
「……まあいい、考えておこう。いずれにせよお前にはもう自由はないんだ。せいぜい俺が気紛れを起こすのを願ってるんだな」
男はそのままファーリアを床に叩きつけた。
「アゥッ――」
「何をごちゃごちゃと話しておるのだ。早く、早くそいつの汚い服を剥ぎ取れ」
焦れた辺境伯が怒鳴り散らす。
「お願い、薬を――!」
碧眼の男に縋り付いて暴れるファーリアを、兵士が数人がかりで押さえこむ。
「いゃあああっ!」
ファーリアが叫び声を上げて抵抗する。と、その時、ヒュン――としなる音が空気を裂いた。
ピシイィ――ッ……
「…………っ!!」
鞭が床を叩く音に、ファーリアの身体が凍りつく。
「ちょっと目を放した間に、随分とうるさい女になったものだのう」
ピシイィッ……
再び、鞭が鳴った。
「………っぁ………っ」
ファーリアは恐怖で立てない。喉が痙攣して声が出ない。床の上をじりじりと後退るファーリアに、辺境伯は鞭を鳴らしながら近寄っていく。
「これはきっちり躾けなおさんとなァーー」
ピシイィッ……
「ひ…………っ!!」
咄嗟に顔を覆った両腕に、焼けるような痛みが走った。
兵士たちに服を乱暴に引き剥がされ、裸にされる。両腕を掴まれて仰向けで床の上を引きずられ、そのまま廊下に出た。通りかかった兵士や使用人たちが、驚いて道を開ける。
――ほら、みてごらん。
――あれは兵士のふりをした娼婦だよ――。
――人殺しをするために兵士になった、奴隷だよ――。
「ちがう……」
いや、違わない。幻聴は自分自身の裡側から聞こえてくる。
――軍服を脱いだら、ただの奴隷女なのに。
――その刺青の下に焼印を隠して――。
「ちがう……ちがう……」
――血塗れで生きるしかないくせに。
いつしかファーリアは血だらけの男たちに囲まれていた。それは皆、ファーリアがこれまで殺してきた人たちだ。
――奴隷のくせに、剣など持って、ひとを殺して。
ビシィッ――
鞭が鳴る。
ビシィィーーッ――
『おマエのカラダにはユウボクのタミの血がナガれているはずだオレとオナじ血ともにタタカう血ガながレテいるはずだ血ガ血ガ血がナガれてオレとおなじオナジオナジオナじ血ガともにたたかウ血がゆうぼくノ』
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