イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第二章 娼館編

12 涙★

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 ジャヤトリア城に早馬が訪れたのは深夜のことだった。城門の衛兵に何事か伝えると、程なくして城から白い髭を蓄えた男が一人出てきた。ジャヤトリア辺境伯の側近の一人である。
「ララ=アルサーシャからの書簡だと?」
「はい。宰相様に直接お渡しするようにと」
 髭の宰相は書簡を開いた。
「――女と引き換えに、請け出し金20万ラーナと将軍職の保障――随分強気だな」
 宰相は苦笑したが、すぐに笑みを消して何事か考え込んだ。
 女が消えてから、伯の狂気に拍車が掛かっていた。伯の機嫌を損ねて処刑された者は数え切れない。苛烈な拷問と陰惨な処刑に、領内の者は震え上がっていた。
(なんとかお止めしなければならないのも、事実)
 だが女を逃した張本人である兵士を伯がまんまと許す筈もない。だからこそ、うまく取り計らえと宰相に訴えているのだ。
「――虫のいいことを。儂も足元を見られたものよの」
 書簡をくしゃり、と握り潰す。
「宰相殿、三日待つ、とのことでした。明日中にはお返事を」
「わかっておる」
 細い月が、蒼い砂漠をつめたく照らしていた。

   *****

 忘れもしない。
 あの夜も、細い月が出ていた。
 耳が痛いほどの静寂。カナグイサソリの発するかすかな臭気。砂の大地。
 両手首を繋いだ鎖の重さ。
 躰を割り開き、ねじ込まれ、生温い体液に蹂躙される。顔となく乳となくべろべろと舐められて、ああいっそのことサバクオオカミの獲物のように、このまま喰われてしまったらいいのに、と思った。そうしたら、もう明日を生きなくて済むのに。この痛くて苦しいだけの一日一日を。
 雲間にひしめき合う星々。
 冥く光る、碧い目。

 男の正体に気づき、ライラは咄嗟に逃げようとした。が、元より出口は男に塞がれている。
 物凄い速さで伸びてきた手が、ライラの髪を掴む。
 ライラはそのまま床に引き倒された。
 間髪入れずに鳩尾みぞおちに拳を食らう。
「ぐぅ……っ……」
 助けを呼ぼうと上げかけた声は、低い呻きにしかならなかった。
 胃液を吐いて床にうずくまったライラを、男は尚も蹴り上げる。
「あぅ!」
 ライラは床を転がった。
 壁際で止まったライラの髪を掴み上げて、男が言った。
「剣を預けちまったからな。この顔を切り刻んでやれないのが残念だぜ」
「かは……っ」
(助けを……)
 呼ばなければ、と思うが、息をするだけで精一杯で、声が出ない。
「おい、金は払ってるんだ。逃げようなんて思うなよ?まあ、逃がさねぇけどな」
 そのまま寝台の上にライラを放り投げる。
「まったく、お前ひとりを探すのに何ヶ月かかったんだか。なあ?おい。たっぷり可愛がらせてくれよ――」
「……い……やだ……」
 ライラがそう言った瞬間、バチンと思い切り頬を張られた。勢いで寝台から転がり落ちる。
「言うようになったな。昔は色っぽい声ひとつ出せなかったくせに」
 男はライラを組み敷いて、手近にあった紐でライラの両腕を後ろ手にきつく縛り上げた。服を剥ぎ取られ、誰か、と叫ぶ間もなく口に布切れを押し込まれる。鮮やかな手付きだった。ライラは抵抗する間もなく、全裸で床に転がされた。
 ライラは男を睨みつけた。それが唯一できる反抗だった。
「なんだ、その目は」
 再び男がライラの頬を張る。
「見ない内に、少しは度胸つけやがったか?昔は何されても人形みたいな目をしてたくせにな。まあいい。伯も調教しがいがあるだろうよ」
「……!」
 顔色を変えたライラを見て、男は薄く笑った。
「そうさ。お前はあそこに戻るんだ」
「んううーっ!」
 ライラは自由な脚をばたつかせて、めちゃくちゃに男を蹴った。
「効くかよ」
 頬を力任せに何度も張られて、ライラは意識を失った。

「目が覚めたか」
 男が言った。ライラは相変わらず縛られたままだったが、息ができるよう口の中の布は外されていた。
「……なぜ、わたしを……?」
 かすれた声で、ライラは尋ねた。
 ライラにはわからなかった。
「……旦那さまの兵が……わたしを追ってくるなら、まだわかる。だけどあなたは、彼らに追われている立場のはず……わたしと同じ、ぐっ」
 男が立ち上がり、ライラの口元を踏みつけた。
「俺を貴様と一緒にするな」
 男は冷え冷えとした眼でライラを見下ろした。
「奴隷のくせに、知恵をつけやがって」
 ライラはわずかに顔を背け、足と床の隙間から言い返した。
「……わたしが叫べばイドリスが来る。この娼館みせでは、こんな扱いは許されな……」
 言い終わる前に、頭を蹴り飛ばされた。
「――っ!」
「わからないのか?お前はもうこの娼館みせ娼婦おんなじゃなくなるんだ。請け出した女をどう扱おうが客の勝手だ」
 男はうずくまったライラの頭を踏みつける。
「ここの女主人に、お前があのジャヤトリア辺境伯の情婦おきにいりだって教えてやっても良い。それを聞いて逆らおうなんて人間はいない」
(マリア……)
 そうか。
 マリアにとってライラは、所詮、金で買った娼婦おんなの一人でしかない。「夜の兎」は高級娼館の部類だ。身分の高い客も多い。娼館みせのためにも、揉め事は避けたいはずだ。
 踏みつけられた床の硬さが、冷たさが、ライラをゆっくりと絶望に落としていく。
(誰も……助けてくれない)
 そんなのは生まれる前からわかっていたこと。
 男が靴先でライラを転がす。
「ふ、相変わらず痛めつけられてるときは声を上げないんだな」
 仰向けにしたライラの胸を、尚も踏む。
「――――っ!」
 両腕を背中に縛られたままのライラは、身をよじった。
「叫ばせてなんかやるかよ」
 男がライラの脇腹を何度も蹴り上げる。
 ライラはまるで踏み潰されかけた芋虫のように、床を転がりながら這い回った。
「ふ……ぐぅぅっ……」
 内臓がよじれて痙攣する。口中にこみ上げてきた吐瀉物を必死で飲み込んだのは、主人にそう調教されてきたせいだ。吐いたら余計、打たれたから。
 ライラはほぼ条件反射的に、全身を覆う痛みから思考を切り離そうとした。長年の拷問の末に身に着けた方法だ。
も、お前は声を上げなかったな」
 男はぐったりしたライラの足首を掴み、床を引きずって、寝台に放り投げた。
「――それも変わっていないのか?」
 男は片手でライラの両手を背中に押し付けて動けないようにすると、もう片方の手でライラの小さな双丘を割った。
 つぷ、と指先が乾いた秘孔に侵入する。
「…………っあ……?」
 ライラは腰をくねらせて指から逃げた。
 次の瞬間、パァン、と尻を叩かれた。
「――――っ!!」
 尻を高く突き出させられ、そのまま容赦なく何度も打たれる。
「ふっ、ぅ、うぅ…………っ」
 ライラはあまりの羞恥と屈辱に、必死で唇を噛み締めた。
 尻が紅く染まったところで、男は思い立ったように言った。
「ああ、お前はこっちの方が好きだったな」
 男は革製のベルトを外した。
 ライラの手首の紐を解き、頭の上で縛り直す。そしてそのまま寝台の枠に括り付けた。ライラにはもう抵抗する力は残っていない。だが。
「い……や……」
 ライラは初めて、を拒絶した。
「なんだ?聞こえないぞ?ほら、啼いてみろよ」
 パシィン、とベルトが鳴り、背中に激痛が走った。
「――――っっ!!!」
「どうした?ほら」
 パシィン。
「啼けよ」
 パシィン。
「啼け」
 懐かしい痛みが、背中を包む。
「ぃゃ……ぃゃ……」
 弱々しい拒絶の言葉を繰り返しながら、ライラは悟った。
 毎夜毎夜、打たれ続けて、何故泣き叫ばなかったのか。
 嫌だ、助けて、と、心の中では確かに叫んでいたのに。
(声に出したら、絶望するからだ……)
 叫んでも、懇願しても、誰も助けてくれないことを、思い知るしかないからだ。
「ぃゃ……」
 パシィン。
「お前はこれがいいんだろう?」
 冷ややかな魔物の声で、男はライラに囁いた。
 くちゅり、と音を立てて、再びライラの中に男の指が侵入する。
「ほらな。よく濡れてきた」
 ぬるぬると溢れ出したものを、ライラの性器の周りに塗り拡げる。
「あ…………っ」
 ライラは、ひく、と腰を震わせた。
 半年以上、娼館で客の相手をしているうちに、ライラの躰は快感を得るすべを徐々に習得していた。中佐はじめ、客の多くはライラの悦ぶ姿を期待して、感じる場所を責め立てた。それがライラの躰を感じるそれへと開発してきたのだ。
 今、ライラの意思に反して、膣はヒクヒクと侵入者を待ち受け、悦びに蜜を滴らせている。
 男は指を三本に増やし、じゅぶじゅぶと出し入れした。
「や……ぁ…………」
 ライラは思わず腰を浮かせた。指が内部のひだの奥をぐい、と押す。
「―――くぅ……っ」
 ライラは小さく痙攣して透明な液を吹いた。
(ちがう……)
 ライラはすがるような思いで、居るはずのないひとの姿を探してあたりを見回した。だがそこには、ランプに照らされた薄暗い天井があるだけだ。
(ちがう……わたしは……)
 それが苦痛だけの行為だった頃、誰に犯されても何も感じなかった。だけど。
(わたしが、愛したいのは……)
 砂漠の風に舞い上がる黒い髪の幻を見た瞬間、ずぶり、とライラは貫かれた。
「ゃぁ――――…………」
 両眼がじんわりと熱くなる。
 涙が、溢れた。
「……ふ……ぅっ……うぅ……っ……ひぅっ……」
 こみ上げてくる嗚咽を止められない。
 涙とは、こんなに熱いのか。
 こんなに、あとからあとからとめどなく流れ出すのか。
「……お前は俺の手の届く場所にいてもらう。そういう運命なのだから」
 碧眼の男はそう囁いて、泣きじゃくるライラの中に精を注ぎ込んだ。

   *****

 明け方、ライラの部屋から出てきた男をマリアが捕まえた。
「ちょっとお客さん、昨日もらった金だけど、5千ラーナって……」
「三日分だ。足りるな?」
「……え?」
「あの女を三日買い切るって言ってるんだよ。部屋には誰も入れるな。水桶と食事をドアの前に置いておけ」
「ちょっと、そんな勝手に――」
 マリアは軽く抗議しかけたが、すぐに男に遮られた。
「明後日の朝、連れが残りの金を持って来る」
 男はジャヤトリア辺境伯の側近に書簡を出していた。翌々日の朝には、辺境伯の兵士が金を持ってくるはずだ。
「残り、って」
 男の言うことを理解できず、マリアが聞き返す。
「あいつを請け出す。20万ラーナ手配している。その金額で買ったと聞いた」
 背中に疵のある娼婦おんな――色街で酔った客は口が軽い。噂はすぐに耳に入った。
「そんなこと……いきなり決められても困りますわ……」
 突然のことにマリアは狼狽える。ちらり、と視界の端にいたイドリスに目配せをした。
「三日間、あの部屋は俺が借り切った。何度も言うが、邪魔したら許さない。わかったな」
 男はそう言い残して、部屋に戻った。
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